愛を教えて、
すっと、瞼を開くと、蒲団の上にいた。

夢。

いつもなら、あの後つらい夢を見ていたのに。
今朝は幸せな夢のままだった。
でも出来るならもう少し先まで見たかった。
『お帰りなさい』と笑う母にも会いたかった。
どうせもう、夢の中でしか会えないのに。

父がずっと、手を繋いでいてくれていた掌を見る。
所詮夢だ。
掌を見ても、何もない。あるわけがない。


頭を振って風華は重い体を起こした。


そういえば、昨夜はそうとう呑まされて、それからどうしたのだろう。
いつ蒲団を敷いたのだろう。
そもそもいつ解散になったのだろう。

見ればまだ死覇装を着たままで、着替えてすらいない。

布団の脇に白い脇差しが置いてある。
大事な彼女の半身だ。
だが、こんなところに置いただろうか。
いつもなら、何があっても鏡台の横の台に置くはずなのだが。思い出そうとしても記憶が抜け落ちているようだった。

呑みに誘われたときもここまで記憶がはっきりしなかったことはない。
何か失礼なことを仕出かしていないだろうかと、不安を感じたところで、襖が開かれた。


「あ、風華サン、起きたんスね。おはよっス」

へらりと笑う男を見上げたまま、呆然と「浦原、さん?」と名前だけ呼ぶ。

「はいな。お水っスか?」

そう言いながら手渡された水を受け取って、促されるまま口に含む。冷えた水が喉の奥に滑り込んでいく。胃の底まで冷やす感覚に、ようやく思考回路が動き出した。

「あ、あの!すみません。私、まさか途中で寝てしまったんでしょうか?」

「ああ、いいんスよ。あれは夜一サンが悪いんで」

否定されなかったところから察するに、どうやら本当に酔い潰れてしまったらしい。
しかも、昨日今日出会ったばかりの人物に介抱までさせたようだ。


恐縮しきりの風華を「気にしてないから」と笑い飛ばして彼はまたへらりと笑った。

「それより、風華サン。お腹すいてません?」

「あ、はい」

「じゃ朝御飯にしましょ」


台所拝借しちゃいました、と悪びれる様子もなく笑う彼に続いて居間に入ると、既に二人分の食事が食卓に並んでいて。
目を丸くしていると、肩を押されて座らされ、結局そのまま箸を持つことになった。

「浦原さん、料理お上手なんですね」

「そうでもないっスよ。まあ男の独り暮らしなんで、必要に迫られて、って程度っスね」

程よい柔らかさで炊かれた白米に、豆腐の味噌汁。それから、鰆の味噌漬け。
置いてあった削り節を使ってあるようで、味噌汁は啜ると鰹の風味が広がる。
他所の台所を使って、そつなくこなす辺り、普段から料理をしていることが伺える。

本当に器用な人だ。

「そうそう、アレ、なんて名前なんスか?随分綺麗なコでしたけど」

「アレ?」

突然前後のない話を振られて、会話に着いていけるはずもなく、風華は首を傾げた。

「風華サンの斬魄刀っスよ」

「ああ、あれは君影と言います。綺麗でしょう?」

自慢の相棒です、と風華は破顔する。世辞と言えど、半身とも言うべき刀を誉められて悪い気はしない。

「君影、ですか」

「そうです」

「ボクの気のせいかもしれないんスけど、どこかで聞いたような・・・」

「おそらく、君影草のことかと」

「そう、そんな名前でした」

「君影草っていうのは、鈴蘭の別称です。どこかで聞いていてもおかしくはないですよ」

「ああ、成る程。昔、花が好きな人がいたから、そのときにでも聞いてたんでしょうね」

「そうだと思いますよ、ところで、」

何故か無性にその『花が好きな人』とは今どうしているのだろうか、ということが気になってしまい、しかしなぜそんなことが気になるのかと自問自答しても答えがない。
とにかく花の話題から離れたくて、思い付くまま口を開いた。

「浦原さんの斬魄刀はなんて名前なんですか?」

「ん?ああ、ボクのは紅姫と言います」

「紅姫・・・お姫様なんですか?」

「うーん、確か何かの花の名前とは聞いたんっスけど、生憎と花には興味がなくて」

「男性はそうだと思いますよ」

「まあ、姫ってのは合ってる気がしますけどね。いーっつも我が儘ですし」

「我が儘、なんですか?」

斬魄刀が、我が儘とは。
仲が悪い、という訳ではないのだろう。

「そうなんスよ。結構気紛れなところもありますし」

女性のことはやっぱり分かんないっスね、と口調の割りには気にしている様子もなく、彼はへらりと笑う。
しばらく考えてから、ある仮説に至った。

「浦原さん」

「なんスか」

「紅姫って女性、なんですよね?」

「ええ、そうですけど」

何を言い出すのか、と怪訝な顔をする彼を見て確信
した。

「浦原さん、たぶん、それ嫉妬ですよ」

「はい?」

「ですから、きっと貴方が他の女性にも優しくなさるのが、気に入らないのではないかと」

「・・・確かに、ボクが夜な夜な出掛けてるときなんかは、いつも以上に荒い気が」

ああ、やっぱり。
この人、女性に慣れすぎているんだ。
きっと一人の女性とだけ付き合っていくことの出来ない性分なのだろう。
のらりくらりと、交わして生きてきたのではないだろうか。

「と、失言でしたね、今のは。今はそんなことしてないですよ」

「いえ、気にしてませんから」

慌てたように訂正する彼から視線を逸らす。
ついでにどうやら彼に向かいつつあるらしい感情にも気付かない振りをして。

「ほら。ダメですよ、浦原さん。ちゃんと大事にしてあげないと」

「そうっスね」

眉間に目一杯の皺を寄せてから顔をあげると、彼は困ったように頭を掻いた。

失言、とやらを気にしてか、黙々と向かいで箸を進める喜助を眺める。
なかなか綺麗な箸の使い方をする人だ。
この人ももしかすると、いい育ちなのだろうか。
あの四楓院夜一に対してあの態度なのだから、それも当然か。

それにしても、本当に綺麗な指先をしている。
ふと、思い至る。
今朝方、夢に見たあの手は、もしかすると、彼の。

「もしかして、お口に合いませんでした?」

「え?あ、すみません、ちょっとぼうっとしてて」

いけない。折角作っていただいたのに、無駄にしてしまうところだった。
これ以上迷惑は掛けられない、と慌てて口と箸を動かし始めた風華を面白そうに眺めてから、彼は先に食べ終わったらしく箸を置いた。

「まだお酒が残ってるのかもしれないっスね。ご飯食べたら、また横になった方がいい。今日非番だったんスよね?」

「はい。そういえば、浦原さんは?」

「ボクは午後からです。といっても大してすることないんスけどね」

「どういうことですか?」

まだ半身が残っている鰆に箸を伸ばしつつ、風華は首を傾げた。

「ボク、近々異動になるんス。それで、今は引き継ぎ業務ぐらいしかすることないんスよ」

引き継ぎをしているということは他所の隊への異動だろうか。どの隊に配属されるのかは分からないが、四番隊ではないことだけは確かだ。そんな話があれば、卯の花から事前に通達があるはずだ。

その後もとりとめのない話を交わしつつ彼女が食事を終えると、洗い物まで片付けてから喜助はようやく「それじゃ、そろそろ」と腰をあげた。
結局お茶さえ振る舞うことも出来ず、見送りに出た戸口で風華はただ頭を下げるばかりだった。

「浦原さん。本当に申し訳ありませんでした」

「いいんスよ。それより、風華サン」

「はい、何でしょうか?」

「寂しくなったら、いつでも呼んで下さい」

「え、」

「辛いときは甘えたっていいんスよ」

戸口を背にした彼の髪が陽光に透けて少し眩しい。
上背がある為、自然と見上げる形になる。
逆光で、彼の表情はよく分からない。
ただ、頭に軽く置かれた掌の暖かさに、胸の奥が締め付けられた。
その姿は、いつかの、遠い記憶の片隅にある父の面影と、言葉と重なって。

ーーー素直に甘えられる人、かなーーー

「・・・浦原、さん」

「だから、ね。約束」

そういって、彼は半ば強引に風華の小指と自身の小指を絡ませた。
振り払うべきだったのかもしれない。

けれど。
触れた指の温かさを知ってしまえば、振り払うことも出来ずに、ただされるがまま。
彼が、父の言うような人であってくれればいいのにと、願ってしまっていた。


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