緋鯉唄 | ナノ


 かさねがさね



「沙代ちゃんて、なんで月島さんのこと好きになったん?」

団子を手の平で転がし、隣同士がついてしまわないよう丁寧に置いて行く。
小指一本分ほどの隙間を残し白く小さな丸を整然と並べながら、何の脈絡もなく切りだした八重に、え、と顔を上げた沙代の頬が染まった。色が白いせいか、その心の奥まで透かしてしまうように、沙代の顔色は容易く変わる。

「会うたのかて数えるほどやろ?そん時になんかあったんかなて」

表は八重に。裏は沙代に。だから沙代が想い人である月島と出会ったのには、かなりの偶然が重なっているはずだ。そんなことが何度も起こるとは思えない。
寡黙で渋く、折り目正しい兵隊さん。この所たまに顔を出して行かれるその方が、さっきもいらしてはったと、女将さんと八重が話すのを耳にし、思わずといったようにぱたぱたと暖簾をくぐり出て行った沙代の背中が、今も目に焼き付いている。
驚きながらも、さっきとはいえ随分前の話なのだと言った八重に向けられた、はらりと落ちる花びらのような儚い笑みも。

「それが…なんもあれへんかったんよ」
「なんも?」
「なーんも」

ふわりとおどけてみせた後、たぶん、と言葉を切って、一語一語かみしめるように沙代は言う。何かあったとしたら、寒天を見つめるその目を見たからだと。

「寒天?」
「そう。賽の目に切った寒天」

ぎゅうと絞るようにして千切ったものを、手の平の上で真ん丸くして皿へ移す。そっと差し出された手の揃えられた指の先から、ころんと団子が転がる。

「あれ、ずぅっと見てはってん。美味しそう、いう目でもないし…。何思ってはったんかは、聞きそびれてしもうたんやけど」

あんこも美味しいですけど、黒蜜もお勧めですよ。そう声をかけた沙代に、そうですかと目元を和らげたのを見て、何故か酷くほっとしたのだそうだ。
変な話やけどね、と気恥ずかしそうに言う。

一度きり。たった一度見ただけなのに。どこか遠くをみるようなその目が頭から離れなくなってしまったと、沙代は優しい目をして微笑んだ。その目がほんの少しだけ悲しそうに見えて。それもまた、頭から離れなくなりそうだと八重は思った。






そんな沙代に首ったけの男はというと、そちらは今も相変わらずだ。
この間は有言実行とばかりぞろぞろと兵隊さんを伴いやってきていたし、時々は店の前をうろついてみたりと忙しい。
変わった事と言えば、黙って帰るのではなく、八重ともいくらか言葉を交わしていくようになった事くらいだ。
大体が今日の天気や気候のことから始まる会話は、二言目には沙代のことにすげ変わる。
沙代殿はおられるのか。沙代殿はお元気か。沙代沙代沙代沙代と控え目に言ってもかなり面倒臭い。
頭開いたら沙代ちゃんがみっちり詰まってるんちゃうか、と八重は密かに思っている。

けれどたまに話に出てくる鶴見中尉なる人物。お店を贔屓にしてくれているというその人の話をする時も、少年のように無邪気で嬉しそうな顔をする。だから八重の予想では、おそらくその人と沙代とが仲良くみっちり詰まっている。

昼頃になって店を訪れた鯉登は、「おい、はねっかえり」と喧嘩でも売っているのかという渾名で八重を呼ぶ。誰がはねっかえりですかと返す八重に、挨拶もそこそこ「今日も沙代殿はおられないのか?」とお決まりの台詞がかかった。

「…おりません」

くだを巻こうとするのを追い払うように手を振ると、尖らせた口からぶつぶつ文句を垂れ流す。

「鯉登さん、間ぁ悪いんですよ。いつも沙代ちゃんがいてへん時にばっかり来はるから」
「ならいる時を教えてくれ」
「おっても、よう声かけはらんやないですか」
「声はかけたではないか」
「かけたて言うか…」

一度使いに出る沙代と鉢合わせたことがあったのに、また例の聴き取れない言葉で捲し立てたのだ。困り果てた沙代が助けを求める視線を投げてくるものの、八重だって聞きとれやしない。そうして終いには逃げるように立ち去ってしまった。
いろいろ可哀そうなお人や、と八重の視線は嫌でも同情的になる。
報われへん恋の挙句に、まともに話しもでけへんとは…。
それでもけろっとまた顔を出せるのだから、なかなかに大した根性だ。

「今日はもう戻らねば…」
「はいはい。そんならもう、はよ帰りはったらええと思います」
「………」

まだ文句を言い足りない顔をしながら、鯉登は踵を返す。後ろ姿がいつもに増してしゅんと萎れているのを見て、つい八重はその背中を呼びとめた。

「…ちょっとだけ待っとってもらえますか?」

お客さん来ぃひんか見とって下さい、と奥に引っ込んだ八重を、私も客だとか何とか言う声が追ってくるのに、はいはい仰る通りで、と呟きつつ布巾を被せた皿を手に店へ戻る。興味津々に八重の手元を覗き込んだ鯉登が、ほう、と声をもらした。

「おはぎか。美味そうだな」
「これ、売りもんちゃうんで、良かったら。鯉登さん、いつもお使いみたいやし」
「売り物じゃないとは?」
「空いた時間とかに作っとるんです、練習がてら。材料なんかも、使い過ぎんかったら好きに触ってええて言うてくれはるんで」

取り出した小さめの包みでおはぎをくるむ。紐をかけようとした所で鯉登が口を挟んだ。

「もしや沙代殿の作ったものも」
「…あるにはありますけど、あげられませんよ」

ぴたりと手を止め顔を上げる。了解も取ってへんのに勝手に…、言いかけて八重は言葉を詰まらせた。
めっちゃ近寄ってくるやん…。
顔を背けずにいられないほど熱心に窺い見てくるその圧と言ったらない。

ほんまこのお人は…、

「……あーもう、分かりましたて。沙代ちゃんには後で言うときます。あげてもうたからいうて怒りはせぇへんやろうし」

奥へ取って返し、持ち出して来た沙代の菓子を丁寧に包む。今回だけですからと言い添えて渡せば、受け取ったそれを持ち替えて鯉登が再び手を出した。

「何ですか、この手」

ぺしりと打った八重の手にも動じず、その口が当たり前とでも言うように告げた。

「そちらもくれるつもりだったのだろう?」
「うちのですけど」
「分かっている」
「こんなようさん食べられへんのちゃいますか」
「いや、食おう」
「………」

待ってみても引く様子はなく、八重は渋々途中で放り出していた紐を摘む。

「鯉登さん、よう、図々しいて言われません?」
「覚えはないな」

絶対嘘やわ…。
胡乱な顔をする八重の指が紐を結わう。その様子を見物していた鯉登が、随分手が荒れていると零した。

「しょっちゅう水触りますから。すぐこうなってまうんです。…あんま、見んといて下さい」
「あぁ、悪い」

結び目を整えたと同時に、奥から声がした。

「八重ちゃん」

呼ばれ、八重の手がわたわたと宙を泳ぐ。

「お、女将さん」

奥に繋がる暖簾を潜って覗いた顔から包みを隠そうとし、それもおかしいと慌てて手を引っ込めた。あらいらっしゃいませ、と女将が鯉登へ向け頭を下げる。告げられた要件に直ぐ行く事を伝え、戻ってゆく背を見送る。

「お前の名か?」
「そうですけど」

はよ行ってくださいとその手に包みを持たせ踵を返した。暖簾に手をかけた八重をハリのある声が追い掛ける。

「八重」

…うちは呼び捨てなんかい。
まぁそうやろうけど、と少しの面白くない思いと共に振り返れば、切れ長のそれとまともに眼があった。

「すまないな」

いつもは真一文字に結ばれた口の端を持ち上げた鯉登が、短い礼と笑みを残し去ってゆく。

「………なんやねん…」

人のいなくなった店の中にぽつりと言葉を落とし、八重は小さく息をついた。








本店に比べれば繁盛しているとは言えないけれど、八重のいるこの店もそれなりにお客は入る。昼過ぎともなれば、朝作りの生菓子はもう残りわずかになっていた。
嬉々と語る鯉登にはいはいとおざなりな返事をしつつ、八重は今日も大皿に積まれたみたらしを三本、持ち帰り用に包む。
前に持たせた菓子の感想を山ほど抱えて店を訪れた鯉登が、店番の八重を掴まえ、他に客の姿がないのを良い事にそれを語って聞かせてくれようというのだが。

そろそろ帰らんかな。

既に話は二巡目へ突入している。さっきも聞いたわと心の内でぼやきながら浮ついたその様子をみやる。

「沙代殿の作ったものは、繊細さが味にも出ているな」
「はぁ」
「儚いと言うのだろうか…。餡が舌の上ですっと溶けて消えて行くような…」
「はぁ」

どこ見とんねん、と虚空へ注がれるその視線を追い、沙代ちゃんの作った菓子の味やったらよぉ知っとるわと、心中で憎まれ口を叩く。
うっとりと語っていた鯉登が、ハッと、抜けかけた魂が突如舞い戻ったかのように目前の八重へ視線を戻した。

「お前のものもな」

ふいを突かれ目を瞬く八重に向け、そう言って口の端を持ち上げてみせる。

「…ほんまです?」
「あぁ。前に貰ったものに比べれば荒削りだが、美味かったぞ」
「…そらどうも。つこてるもんはみんな同じですけど」

それぞれが餡を炊いたわけではなく、菓子の要となる餡はどれも大将の作ったものだ。
それでも褒められれば嬉しくない筈がない。気恥ずかしさにちょっと口を尖らせ八重は言うが、聞いた鯉登はもう八重など見てもいなかった。

「そうか、ならやはり心根の美しさが出るのだな…!」

再びその口が沙代への賛辞を垂れ流すのに、乾いた笑いを零し、八重は言う。

「なら、鯉登さんが作らはったらどないなお味になりますやろか」

えげつない味になりそうやわぁと揶揄すれば、「えげつない味?」と怪訝な顔をする。それを眺め、今日は沙代ちゃんおるねんけどな…、と八重は店の奥とを隔てる暖簾へちらりと目をやる。聞かれなかったので言っていないが、どうしようかと思案する間に、鯉登が何かを台の上に置いた。

「何です?」

小瓶が二つ。中には赤紫色のものが入っている。持ち上げ振ってみるが、液体ではないようだった。

「この間の菓子の礼だ。手荒れによく効くというのでな」

一つはお前に、もう一つは沙代殿に。それを聞いて八重は慌てて首を振った。

「そんな、貰えませんて。売りもんちゃう言うたやないですか」
「そうは言っても、もう買って来てしまった。遠慮せず受け取れ」

小瓶を押しやるも、逆に押し返されて戻ってくる。
譲る様子の無い鯉登に、八重は返事に窮して視線を落とした。
安いものではないはずだ。あんな試作の菓子と釣り合うような代物だとはとても思えない。

「遠慮て言うか…」
「受け取れないというなら、私が毎日塗りに来るが」
「それは勘弁して下さい」

なら、と差し出されたのをおずおずと受け取る。
そんなつもりちゃうかってんけど…。

「沙代殿にもよろしく伝えてくれ」

そう言って小瓶をもう一つ差し出すのを、八重は首を振って止めた。
待っているように告げて奥へ引っ込み、沙代を伴い店へと戻る。その姿を認めるやいなや、鯉登からは例の悲鳴じみた叫びが上がった。

やかましいわぁ…。

驚いて様子を見に出てこようとした女将に八重が事情を話している間も、鯉登は小瓶を放り出しそうな勢いで何事か捲し立てているが、案の定沙代は戸惑い微笑むだけだ。

「こないだ菓子あげてもうたて話したやん?お礼に言うて、持って来てくれてん」

戻った八重が呆れつつも補えば、ようやく沙代の顔も少し綻んだ。

「そうやったんですね。気ぃつこてもろたみたいで、すみません」

でも、と言葉は続く。受け取れないと沙代が首を振れば、男の口調にはさらなる熱が籠り、ますます何を言っているか分からなくなってゆく。それに沙代が懸命に答えようとしているが、どう見たって噛み合っているようには見えない。

「ちょお、待った」

らちが明かないと両腕を上げた八重が二人の間に割り込むと、店の中が水を打ったように静まりかえった。

「…沙代ちゃん、ちょお待っとってな。鯉登さん、」

手招き隅までゆく八重の後をついてきた鯉登が何だという顔をするのに、声を潜めて耳打ちする。

「落ち着いて、ゆっくり喋ったらいけるんとちゃいますか?」

黙って一度八重を見た鯉登が、こくこくと頷く。

「深呼吸です。深呼吸。ほら吸うて、吐いて、もっぺん吸うて」

言われるままに深く息をしたその背を張り飛ばす。

「いけます」

強く叩き過ぎたのか、何か言いたげに振り向くのを、はよ行ってくださいと手で示す。
ぎこちなく戻って行くその右手と右足が同時に出ている。重症やわと呆れる八重が見守る中、沙代の前へと立った鯉登が口を開いた。

「…こ、」

声を詰まらせ硬直するので、やっぱあかんかなといつでも耳を塞げるよう手を持ち上げた時だ。

「こんまえ、無理をゆてもろうたじゃろ。あげんうまか菓子はくうたこんもなか。じゃっでないか礼がすぅごたった。………もろうてくるっと…嬉しか」

―――お。いけたやん。
意外な思いでちょっと目を瞠った八重を、口も目もこれでもかと開いた鯉登が嬉しそうに振り返る。
何言うてるかはいまいち分からんけどと思いつつ、八重もばっちりやと頷き返した。
おそらく沙代も殆ど意味を拾えてはいないだろうけれど、ふわりとその口元をほころばせ、向き直った鯉登が差し出した小瓶へ遠慮がちに手を伸ばした。

「…ほんまに、もろてもええんですか?」

おずおずと訊ねる沙代が、俯き加減で目だけをちらりと上げる。

「――あ…」

あかん、と八重が呟くが早いか、鯉登が沸騰したやかんのようになる。その口がまた聞き取れない言葉を怒涛のように吐き出し始めた。
あぁ、また戻ってしもた…。
ため息とともに額へ手をやった八重を、いつの間にか振り返っていた鯉登が無言で見つめた。

「…なんです?」

手招かれ近寄ると、口元に手をあて耳打ちをしてくる。囁かれるそれはどう考えても沙代にあてた言葉だ。

「え、これうちが言うたらええんですか?」

振り向けば思いのほか近い距離に顔があった。身を引きつつ尋ねればうんうんと頷くから、意図を掴み切れないながらも聞こえたそのままを口に出す。

「……気持ちばかりの礼だ…?」

言ったら言ったで、横の男が非難の眼差しで八重を見る。何かと思えば、最後の一言だけを口にしたのが不満らしいが、いきなり長ったらしい台詞を覚えろなんて無理を言う。

「私が言ったままを声にするだけでいいんだ簡単だろう…!」
「そんなん普通に自分で言うてくださいよ…!」

文句を言うその体を押しやり、「沙代ちゃん」とぼんやり八重達を見ていた沙代を呼ぶ。

「嫌でなければ使ってくれ、やって」

余計な言葉の一切を省いて要点だけを抜き出した八重に、また鯉登が何事か文句を垂れようとしたが、割って入った沙代の声がそれをぴたりと止めさせた。ふわり、とその口元が綻ぶ。

「…全然、そんなことありません。大事に使わせてもらいます」
「―――――ッ」

とどめ刺しよったわと八重が苦笑うよりも早く、耳をつんざく声が上がった。
音が去ればキィイイインと痛みに似た耳鳴りが残る。けれどそれも束の間、すぐに次の波がその上に被さった。

「―――っや…かましいんですて!!」

耳を押さえ叫ぶ八重の肩をがしりと掴んだ鯉登が早口でまくし立ててくるが、これっぽっちも耳がついて行かない上、何かを訴えているのか文句を言っているのかすらも分からず、ただただ音の羅列だけが押し寄せる。

「何!?ぜんっぜん分かれへん!!」

負けじと声を張るも、口にする傍からかき消されていく。そこへ「落ち着いて下さい…!」と沙代が止めに入るものだから、事態は悪化の一途を辿る。収集など到底つかないように思えたが、また何事かを叫んだのを最後に鯉登は店を飛び出して行った。
嵐のごとく去っていった背に、はは…と乾いた笑いが漏れる。
何の騒ぎやと女将さんに続いて大将までが顔を出すのに、八重は疲れた顔でなんでもありませんと首を振った。




夜、ぐたりと重い体を布団の上へ投げ出し、八重は貰った小瓶を取り出した。中に収まる赤紫色の薬は薄明かりの下にあるとより毒々しさを増して見える。

「これが薬の色なんやろか」
「ほんまやね、こんなん初めて見たわぁ」

並べて敷いた布団の片側で沙代もまた同じように小瓶を見つめている。それを横目に、蓋をとって中を嗅いでいた八重がうぇと潰れた声を出した。

「くさぁ…」

めっちゃ臭い、と強烈な臭いに鼻をつまんだ八重を見て沙代がくすくすと笑う。

「えらいにおいやね」
「においだけでもうめっちゃ効きそうやわ…」

塗ろうかどうしようかと逡巡したのを読んだように沙代が言った。

「八重ちゃん、塗ったげよか?」
「え、ええよ。子供ちゃうんやから自分で出来るわ」

手を隠すようにした八重に、にっこりと沙代が手を差し出す。

「はい、どうぞ」
「…どうも」

柔らかいのにうむを言わせない響きが、八重に手を出させた。重なる手。沙代が相手だと、女同士ですら少し緊張する。その声の甘さが伝染するみたいな。変な感じ。

「…沙代ちゃん。終わったら、交代してな」
「うん」

自身もまた赤切れを抱えた細い指の腹が、丁寧に節へ薬を塗りこんでゆく。くすぐったさに混じるぴりりとした痛みに、八重は目を細める。
脳裏をあのむすりとした面差しが過ぎり、次に会ったら、改めてちゃんとお礼を言おうと思った。




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