白昼に落ちる影
町の現状に嫌気が差していたのかそういう性分かは知らないが、その床屋はよく喋った。
この町では二つの賭場が連日小競り合いを繰り返していたが、最近それが殺し合いにまで膨らんだのだと男は語った。警察署長までが絡んできたおかげで争いは激化し、あげく警察がそれをもみ消すものだから、町はすっかり無法地帯と成り果てたそうだ。
壁に背を預けじっと耳を傾けていた佐久楽は、一通りの話が終わったと見るや、そっと永倉に近づいた。
「先生、少し表を歩いて来ても良いでしょうか?終わるころまでには戻ります」
どうしてかと問う目に、佐久楽は床屋に髭を整えさせている土方へと視線を流す。
あまり見てばかりいては失礼になるかと思いこそすれ、見てしまうのを止められない。
仰向けになって目を閉じされるがままの土方さんの姿がとても可愛らしい、と同時にかっこよくもあり、もう胸が苦しい。
佐久楽がその旨を正直に告げると、永倉は今まで見せた事もないような何とも形容しがたい顔をした。
溜め息を吐かれつつ殆ど追いやられるようにして店を出た佐久楽は、ふらふらと町中を見て歩いた。
先ほどの話に出て来た日泥の番屋、久寿田のものであろう旅館も、どちらも相当金の回りが良いらしく目にすればすぐにそれと分かった。その二棟の位置や細かな道など、周囲の屋根から突き出すように高く伸びた火の見やぐらを目印に、頭の中に地図を描いて行く。
漁師町というのは独特の雰囲気があった。街の作りもだがまず人が違う。浜辺の方へ行けば血の気が多そうな者が多いし、喧嘩をしているのかと思うほどの大声で語らっている者もいる。あとは総じて皆よく日に焼けていた。そしてお零れの小魚でも貰えるのか、そこかしこに猫の姿があり、カモメの影が頭上をちらちらしている。
一通り見てから一番大きな通りに戻り、左右を確認する。左に行けば床屋に戻れるが、もう少し見て行くかと右へ足を向けたその時、一人の男とすれ違った。外套の下に見えたのは軍服。肩には小銃。行き過ぎてから数歩数え振り返ったが、肩越しに目が合いぎくりとして、思わず足を止めた。
「…あんた、この町の人間か?」
何を思ったかあちらもわざわざ足を止める。声をかけてきたその男の目を見るや、佐久楽は反射的に口端を持ち上げた。奥に隠した引き攣れには気付いてくれるなと願いながら、その視線を受け止める。
「いえ、用があったもので、ここへは初めて来ました。今散策がてら町を回っていたところです」
「そうか。どこかで床屋を見かけなかったか?」
「それなら確かこの先にあったかな。店主が一人いただけの小さな店でしたが」
言って佐久楽は男が元来た道を指した。今まさに自分が向かおうとしていた方角だ。
「…通って来たが、見落としたかな」
髪を撫でつけつつ引き返して来た男は、半身だけをそちらへ向けていた佐久楽とちょうど正面から向き合う形で止まった。遠目からも分かった、闇のように底の見えない瞳。暗い視線は、ぬるりと、見透かされたくない所まで滑りこんでくるようだった。
―――早く行け。早く行け早く行け早く行け。
念仏のように心裡で唱えるも、男はその場を動こうとしない。表情の無い目でじっと佐久楽を見ていたかと思うと、不意にその口の端が持ち上がった。
「何か?」
「不躾な事を聞くが、どうして男装なんぞを?」
「…本当に不躾ですね」
思わず苦く笑った事が合図になったように、男の目から耐えがたい圧が消えた。
「…仕事柄動きやすい服の方が都合が良いもので。貴方こそ、軍人さんがこんな所にお一人で?」
しかも軍帽も被らず、この町にも精通していない。これを怪しまずして何を怪しめというのか。
お返しとばかりに向けた目もするりとかわし、男は唇にのせた笑みを僅かに深くしただけで何も答えず去って行った。
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