それでは、また明日 | ナノ
 なきごえ



外套を翻し、真っ先に音がした方へと尾形が走ってゆく。
部屋を覗くなりやられたと声が上がり、慌てて外へ出ようとした家永へ鋭い制止が飛んだ。
後を追い部屋から出た佐久楽の鼻先を焦げくさい臭いがかすめ、火をつけられたのかと眉を顰めた。

「今外にチラッと軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」
「贋物製造に繋がる証拠を隠滅しにきたか」

外の連中を玄関へ追い込むと尾形が二階へ駆け上がった。窓を破る音から間を開けずに発砲音が続く。

「家永、奥へ」

駆けてゆく足音を背に、土方の構えた銃が扉に弾を撃ち込んだ。
いくつも穴を穿ってゆく音に被せるように、近くからも遠くからも銃声が響く。それが止むと、不気味なまでの静けさが辺りに満ちた。

息を潜め誰もが出方を窺う中、足音を立てず動いた土方が玄関扉へ耳を寄せる。合わせ、佐久楽もその場を離れ壁際へと身を寄せた。それとほぼ同時に扉が破られ、軍靴が重く床を打ち鳴らしながら流れ込んでくる。
すかさず土方が扉の側で銃を構えていた兵士へ向け刀を振りかぶるが、その土方めがけ切られまいと兵士が突っ込んで来た。胴に取りつく軍服の背へ狙いを定める。今にも刀を振り下ろそうとした佐久楽の視界に、もう一つ青が飛び込んだ。
刀を返すよりも早く突進を受け、廊下を滑るように転がる。呻く間もなく跳ね起きれば、先刻まで頭のあった場所に銃床が叩きつけられた。
押し込まれた廊下の狭さに舌を打つ。
横薙ぎに払えるだけの幅が無い。下段から振り上げた刃先をかわし、再び兵士が小銃を振るう。顔めがけ迫る銃床に、思わず後ろへ飛び退き、失策をさとった。ぐるりと兵士の手の中で回った小銃の口がこちらを向く。

―――しまった

咄嗟に側の取っ手を掴み戸を引き開けた。一時的にでも佐久楽の身を隠した薄い戸に次々と穴が開く。
装填の隙を狙い、強く床を蹴りつけた。飛び出した佐久楽の頭を銃口が捉えるも、峰で銃身を叩く方が僅かに速い。弾は頬を掠め飛んでゆき、繰り出した突きは深々と兵士の胸を貫いた。腕に感じる確かな手ごたえ。
赤黒く染まる軍服の青に、刹那、尾形の顔が過った。

――――もし…この男が

柄を握る手が、僅かに力をなくしたその時、くず折れると読んでいた兵士の足が、予想に反し床板を強く踏みしめた。

「―――なッ!?」

確かに仕留めた筈が、刀が根元まで埋まるのも構わず踏み込んでくる。食い縛った歯の隙間から鮮血を散らす男の、ぎらぎらとした目の火が消えない。
頭に重い衝撃が走る。上から打ち据えられよろめいた所を横殴りにされ、倒れ込んだのは戸の中だ。

暗い。

薄く開いた瞼の先で、断ち切られるようにして光が失せた。





「……くそ、」

ここは…物置だろうか。狭く、明りがない。
ぐらぐらする頭をどうにか持ち上げ、戸があった筈の場所へ手を這わせた。
上には銃弾が空けた穴から漏れ入る光が見える。まだ腕に上手く力が入らず、肩をぶつけるが、戸が開くことはなかった。

頬を伝う生温い水を拭うとぬるりと滑った。続く濃い鉄の臭い。殴られた際に切れたらしい。
息を吸えば様々な物の焼けた臭いが肺に満ちる。押し出すように咳をすれば、襲うのはぐらりとした眩暈だ。

どうにかして出なければ。そうは思うがやはり戸はビクともしない。
厚い板ではない、蹴破れば――――――駄目だ。それは駄目だ。悲鳴を殺して。何が起きても、ただじっと――…何が起きても…?
荒い呼吸を押して上げた顔の先、銃弾が穿った穴の向こうに何かが覗いた気がした。

煙と、血と…もう一つ。やけに生々しい臭い。
凍りついたように光の漏れる穴へ目を凝らすが、何も見えはしない。代わりに強張った頬をするりと撫でるものがあった。手の感触。頬を覆えるほどに大きな…。
撫で落ちるそれにつられ、落とした視線の先を埋める闇に、よく知った旋毛が浮かび上がる。顔を伏せたその姿は、

―――いやだ。

見たくない。いやだ。見せないで。
背を走った戦慄から、逃れようと足先が床を引掻いた。

ちがう。ちがう。だって――――襖の向こうのはずだ。

目を塞ぐこともできない。引き剥がしたいのに、ゆっくりと持ち上がる面から視線が離れない。

“―――どうして、お前ばかりが生き残ったんだろうね”

太い杭を刺し込まれたように心臓が引き攣った。
肺がまともな呼吸を拒み、上手く吸えず乱れた息に被さるのは、記憶の中と寸分違わぬ柔らかな口調。半分がた露わになったのは、生まれた時分より傍にいた人の顔だった。
額に開いた穴。そこから続く黒い線。血と頭蓋の中身が混じり合ったものが、緩やかな弧を描く唇に縦の線を引いている。
その異様さから逃れようとやっとの思いで動かした視線の先、そこにあったものに佐久楽は息を詰まらせた。

――――目が。
濁った目がそこにあった。どろりとして、何も映しはしない。何も映さぬ目が、笑う。焦点を失い、その紙のように真っ白な眦を和らげて。
震えにかちかちと歯が音をたてる。

「―――…まさ兄……」

途切れ途切れに繰り返される不完全な息の合間、当然のようにその名が舌に乗った時、細い光が目を刺した。兄の身を裂き差し込んだ光が幅を広げ、不明瞭なその姿がかき消える。
呆然と持ち上げた視線の先、光を背負う黒い影。
唇から零れ落ちた名は、掠れて声にもなっていなかった。







********






煙る階下の廊下で事切れている兵士の姿に、尾形は足を止めた。
糸の切れた傀儡のように手足を投げ出し、傾いだ上半身を壁に預けたその胸には深々と刀が突き刺さっているが、傍に持ち主の姿はない。

壁や床をなめた火が爆ぜる音に紛れ、杉元達が慌ただしく出てゆく声がする。尾形もそちらへ足を向け、ふともう一度その亡骸を振り返った。背にした戸には銃弾が穿った穴と、そこへ身を押し付けたままくずおれたことを示す掠れた血の跡。
塞いでいた体を足でどかす。引き開けた戸の中にいたのは予想に違わぬ人物だった。
呆然と、見開かれた目が尾形を見上げる。

「………声ぐらいあげろよ。焼け死にたいのか」

声をかけても特に反応らしい反応を見せない娘の腕を掴む。一瞬拒むように身を強張らせたかに見えたが、腕を引くとよろめきながらも自らの足で立ち上がった。

「だいぶ火が回ってる。さっさと出るぞ」
「…あ…あぁ。……すまない」

ようやくといった風にそれだけ口にした娘は、転がる亡骸から刀を引き抜き、血の気の失せた顔をしながらも尾形の後をついてきた。





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