それでは、また明日 | ナノ
 さりとて、ならば手をとろう

 

規則的な寝息が聞こえている。もうとっくに一時ばかり経ってるだろうが、そろそろ起きてはくれないものかと尾形は痛みだした足をさすった。
静かに背を伸ばし眠る娘を覗き込めば、死人と見紛う程だった顔色にもいくらか血の気が戻ったように見えた。
目の敵にしていた男の傍でよくこうも無防備に眠れる。刀こそ足の間に抱いてはいるが、その表情は完全に気を抜いているそれだ。背に腹は代えられなかったのだとしても、脇が甘すぎやしないだろうか。

そっと伸ばした手を顔の上に翳してみても、起きる気配はない。そのまま頬にかかる髪に触れてみれば、さらさらと指先を流れていった。
今、家永と耳にすれば飛び起きるのだろうか。思いつけば試してみたいような気もした。だが違ったと分かればまたこの口が喚き立てるに違いない。
薄く開いた唇に指で触れてみると微かに身じろいだが、目を覚ました訳ではないようだ。

「あったけぇな…」

押したりつまんだりしながらぽつりと呟く。思えば触れている背も、尾形より余程ぬくい。
熱があるわけでもないだろうに、その首に手の甲を当て確かめてみる。と、娘が眉をひそめた。みるみるうちに眉間に深い皺が刻まれる。先ほどまで触れていた唇が、微かに言葉を紡いだ。静かな部屋の中にあっても聞こえぬほどにささやかな…、

―――…さ……にぃ…さ…

かすれた声に、見下ろす尾形の顔からふっと表情が失せた途端、弾かれたように娘が跳ね起きた。
今にも刀を抜き放たんばかりに身構え、辺りを見回す。

「今…」

呟いて、口を開かぬ尾形を、娘もまた何を言うでもなく見下ろした。ぴりりとしたものを感じた気がしたが、娘はすとんと畳に尻をつけると、長い息を吐きながらまたずるずる横倒しになった。

「おい、そろそろ起きろ。足が痛い」

言って再び腿に沿う背中を撥ねつける。薄く開いたその目は放っておけばまたすぐ閉じてしまいそうだ。

「なぁ尾形…私は分からないんだが」
「…聞いてたか?起きろと言ったんだ」
「家永はどうして私を食いたいんだろうな…」
「俺が知るか」

切り捨てれば、娘は恨みがましい視線と共に振り返った。

「そんなことは分かっている、だからどう思うか聞いたんだ」
「だからどう思うか答えたろう」
「まぜっかえすな」

単に美味そうに見えたんだろうと言えば、腑に落ちていない顔をする。
食いたい理由に筋が通っていれば食わせてやるとでも言うのか。そこを気にする意味などないと思えたが、

「私など食べなくても、家永はもう十分綺麗だろう…」

なんとも言えん…と思いつつ、尾形はちらと床の間横に設えられた地袋へ目を向ける。

「それだけ腰が引けてるんだ。簡単に仕留められると思ったんじゃねぇか?」

再びぐっと黙り込んだ娘は、横たえた身体を一度小さく丸めると未練を振り切るように勢いをつけて立ち上がった。

「…あと半日くらい寝ていたいところだが、寝てばかりもいられないしな」

そう言いながらもふらついた足を見て、他の者を掴まえ本当に半日くらい眠ったほうがよさそうだとは思ったが、大きく伸びをした当人は、もうそんな気はないとばかり障子へと近づき、尾形を振り返った。

「……尾形…礼を言う。おかげで少し頭が冴えた」

濃い疲労を浮かべた目元をふと柔らげそう言うと、娘は障子の向こうへ消えていった。
やれやれと尾形はようやく満足に伸ばせるようになった足を放り出す。

「そろそろ出てきちゃどうだ?」

声をかけると地袋が音もなく開いた。隙間からは家永の顔が覗いている。
尾形がこの部屋へ来た時には丁度出てこようかと半身ほど露にしていたが、娘が目を覚ます気配がしたのかウツボのように素早く頭を引っ込めた。それからずっとそこに収まっていたというのだから恐れ入る。
地袋から這い出て来た姿は確かにとてもジジイのようには見えなかったが、すれ違い様、すいと家永は腰を折り尾形に顔を寄せた。

「――次にジジイと口にしてみろ。自慢の両目、抉り取って噛み潰してやる」
「………」

地の底から響くような声で囁き、艶やかな笑みを浮かべた唇の上を毒々しい程赤い舌がぬるりと滑った。





*******





翌日、佐久楽は再び土方の側に座していた。
やはり空は真綿を引いて伸ばしたような様子だったが、縁側はぬくぬくとして、まだ寝足りぬ身には少々堪えた。
それでも昨晩は数日ぶりにぐっすり眠ることができた。夜通し起きていることも覚悟していたが、睡魔に負け意識を手放してみれば、次に目を覚ました時には夜が明けていた。穏やかな朝に迎えられ、佐久楽は思わず自身の頬を抓ってみた程だ。両頬で試してみたが、もちろんどちらもとても痛かった。
それはさて置き、今日もたわいのない話をしていた所へ、佐久楽は先日の話ですがと自ら尾形の事を持ち出した。

「上手くは説明できないのですが…」

尾形との件はやはり私の方に問題があったのでしょうと言って、決まり悪く頬をかく。

「怖いと思うあまり、必要以上に突っかかっていたように思います」

暗い目の中に見た自身の目。かつて、鏡の中にあった己の瞳だ。洞の様な目を通して見えたそれが、答えなのではないだろうか。
仲良く、は難しいかもしれないが、それが分かった今以前よりはマシになると思えた。
そしてそんな自分が何度か尾形の世話になっていることも事実としてある。それもあれほど邪険にしておきながら、だ。
――尾形でなくともお前は馬鹿かと言いたくなる。
はん、とやさぐれた笑みを浮かべる佐久楽に、そうかと応じて土方は椅子の背に深く体を預けた。
窺うその目は軒のさらに先、薄曇りの空を見上げている。
せめて、理由が二人の身を案じてなら良かった。なのにいざ蓋を開ければ自分の事だ。口の端に浮かぶ笑みが自嘲のそれへ変わった時、俯く佐久楽のつむじに声が降った。

「鈴になってみるか?」

顔を上げれば、口元へ薄く笑みを刷いた土方がこちらを見下ろしていた。

「鈴…ですか」

意図をはかりかね、佐久楽は目を丸くする。

「解せぬから怖いと言うこともあるだろう。知ってしまえば恐れるのも馬鹿馬鹿しくなるさ」

それに、と土方が目を細めた。

「猫に鈴と言うだろう、側にいてもし妙な動きをするようなら教えてくれればいい。音もなく行方をくらます猫も、鈴をつければ見つけ易いからな」

鈴…ともう一度確かめるように言葉を舌の上で転がし、佐久楽ははい…とうわ言のような声をだした。そうしていっぱいに目を開くと今度はしっかり返事をして大きく頷く。

「鈴にでも何でもなりましょう!いえ、なってみせます!元より鈴のつもりでございましたが」

熱っぽく、力の籠る瞳を向ける。元より、との佐久楽の言葉に今度は土方の方が首を捻ったが、そこへ丁度茨戸からついて来た二人組が顔を出した。
混ぜろ混ぜろと寄って来る夏太郎に何を話してたんだと冗談交じりに突っつかれ、佐久楽は未だ熱の高い目で二人を見上げた。

「…私は鈴になった」
「…は?そりゃ何の例えだ?」

かいつまんで経緯を話せば、夏太郎と亀蔵は揃って顔を見合わせた。

「それってあいつの目付役ってことか?」
「お前近づきたくもないって今まで散々言ってたじゃねえか、大丈夫なのか?」

耳が痛い…。確かに言った、言っていたなと跳ね返ってきた言葉に耳を塞ぎそうになる。
わいわいと騒ぎ始めたその隣で、ふと土方が真綿を敷いた空へと視線を投げる。
気付いて顔を向けた佐久楽の視線を受け目を細めた土方が、「永倉がまた渋い顔をしそうだと思った」と言って笑った。




*******





「尾形」

その名を呼べばがらんどうな瞳が緩慢な動きでこちらを向く。
緊張からか、包みを握る手が少し強張ったのが自分でも分かった。
寒くはないのか、中にいる時は火鉢にはり付いているくせにまた縁側で外を眺めていたその隣へ腰を下ろす。

「食べるか?」

土方さんがくれたんだと手にしていた包みを開き差し出せば、そちらへ視線を落とし一言「いらん」と乾いた声が返った。

「…本当にお前は、可愛げをどこに置き忘れてきた」

断るにしたってもっと言い方があるだろう。
開いた懐紙の中にはいくつかの淡い色をした干菓子があった。

「嫌いだったか?」

佐久楽には文句なしに美味しそうに見えるが、そういうこともあるだろうと胡坐の上に頬杖をつく尾形を窺う。
その気だるい眼に、あまり良い反応は期待できそうにない。少し間を置いて、やはり愛想も素っ気もない声で尾形が応じた。

「…せっかく貰ったんだ。自分で食え」
「そうだな…」

言ってから、がばりと佐久楽はまったく表情を変えないままの男を振り向いた。
呆気にとられその横顔から目を離せずにいると、不快そうにその目だけが佐久楽の方を向く。
素早くわし掴んだ尾形の手へ半ば押しつけるように干菓子を押し込み、佐久楽は目を丸くしたまま「袖の下だ」と告げた。

「………」
「いいから食べろ。今に分かる」

手にのせたそれを指さすが、警戒なのか尾形は佐久楽を眺めるばかりだ。もう一度指し示してみても視線はじっと動かず、居心地の悪さに目を逸らす。
取り繕うように自分の手に残ったそれを一つ口に運ぶと、やわらかな甘さが舌の上でほろほろとくずれた。
――美味しい…。
日常の嫌なこともすべて忘れてしまえそうだ。
思わず頬を緩め、変わらず注がれている視線にはっとする。手の上の干菓子と佐久楽とを何度か見比べるようにした尾形が、手に乗っていたそれを一つとって口に入れた。
思わず一部始終を見守ってしまってから「美味いか?」と訊ねるが、

「………」
「………」

手元を見つめたまま黙々と食べ、とうに食べ終えてしまった頃になっても尾形は何も言わない。
本当にこいつは、と呆れるばかりだったが、そうだったと佐久楽は懐紙をたたみ直し懐へしまった。

「尾形、忘れていたんだが」

そもそもここへ来たのは菓子を食べる為ではない。

「………」
「……尾形」
「…なんだ」

やや鬱陶しそうにではあるが、一応は振り向いた男に片手を差し出す。白けた目でその手を見下ろした男は、やはりふいとそっぽを向いた。
引きつる口元を意識しながらも、佐久楽は無駄に差し出された己の手を見つめ、ひとつ深呼吸をして尾形の手を掴んだ。その真っ黒な目がぐっと丸くなる。
その様子に口の端を上げ、「お前だけまだだったからな」と取り直したその手をしっかりと握った。

「佐久楽だ。しっかり覚えておけ」
「……知らないとでも思ったのか?」
「…本当に可愛くないなお前は」

眉根を寄せ、減らず口を叩く尾形の暗い目を見返す。
それだけで終わっておけば良かったものを、もういいだろうと手を抜き取る尾形が投げ打った「ガキか」との言葉に、やはり不仲は自分のせいだけではないのではとの疑念が佐久楽の頭を掠めていった。



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