それでは、また明日 | ナノ
 もの思う



その日は真綿を薄く延ばして浮かべたような薄曇りの日だった。霞んだ陽光の中、いつもの定位置で新聞を広げた土方の傍には佐久楽の姿もあった。
緊張からか針金でも入れたかという程ピンと背を伸ばし、座した膝頭はきちんと揃って土方の方を向いている。
ぱちりと開いた瞳にありあり浮かんだ好奇心に誘われてか、自分でも久しく思い出していなかったような細かな事柄までがするすると滑り出してくる。
新選組の話、永倉の昔話。そのどれもに興味津々とばかり身を乗り出されれば、土方でなくともついつい語りすぎるに違いない。
あぁ、あれもあった。こんなこともあったかと、話は尽きないように思われた。
土方の話に、娘は嬉々と聴き入って、時折相槌を打ってはころころと鈴を転がすように笑う。
これだけ熱心に聴いてくれる相手がいるなら永倉もさぞ楽しく語っていたのだろう。

「面白い方ばかりだとは聞き知っていましたが、そんなことも」
「馬鹿なやつらばかりだったな。色々あったが、今ではバカ騒ぎをしていた時間の方が長く感じる」

涼やかな目を眩しそうに細め、「左様ですか」と娘の方が懐かしむような顔をした。
――近藤さんはこんな気分だったかな。
やはり面差しがよく似ている。近藤には千切れんばかりに尻尾を振り、そのくせ土方に対しては全くと言っていい程可愛げを見せなかった古参隊士のそれに。案外永倉などは気付いていないだけで、引き取る過程で憂えた過去もこの面に掘り返されたのではないか。

「私は、とても羨ましく思います。その時代を共に生きた方達が」
「話で聞くほど良いものでもないぞ」

それでも、やっぱり羨ましいです。と娘ははにかんでみせた。砂色の光に溶けるその顔が数段幼くなる。

「先生が、その頃の話になると気の緩み切った顔をするのです。だから、とても楽しかったんだろうと思っていました。辛い思いも多かったでしょうが、新選組の話をする先生は、もう声音から表情から別人のようで。それを見ているのも好きでした。いつもはしかめっ面ばかりですから、余計に」
「しかめっ面か」
「そう、こ〜んな顔です」

もう苦虫を噛んだどころではありませんと、真似て目を三角にし、両掌で顔を引き延ばしてみせる。
それが妙に似ていて、土方もたまらず笑う。

「永倉め、恰好などつけおって」
「笑えば私までへらへらするので、私の前では笑わぬと決めてしまったに違いありません」

昔は女の前に立たせればへらへら締まりのない顔ばかりしていたというのまでばらせば流石に気の毒か。
その永倉が語った凄惨な過去を微塵も感じさせず、娘は土方に笑いかける。会ってまだ一月も過ごしていないというのに、娘の振舞いには慣れた者にするような親しみが籠る。土方の思い上がりでなければ、取り得た覚えのない畏敬の念も混じっており、新しく移り住んだ家が知らぬ間に自分の暮らしに合わせて整え上げられていたような何とも妙な心地にもなる。
永倉は一体自分の事をどう娘に語って聞かせたものか。
だが、どれほど懐いてきてもこの娘にとっての近藤は自分ではないのだろう。
近藤が居り、娘を総司の位置に置くならば、今かつて土方のいた場所に立っているのはあの男か。徐に見やった火鉢の前にその姿はない。
耽々と獲物を待ち伏せる山猫のように隙の無い目をした男。そりが合わぬのかいがみ合ってばかりいると牛山などにも愚痴を零させている二人だが。

「尾形とは仲良くできそうか?」

きけば娘はふつりと黙り込んだ。
歪みかみ合わぬものも、少しずらしてやればぴたりとハマることもあるが、この子供らの場合はどうだろうか。
近接の剣と遠方の銃。互いの足りない所を補う事のできる組み合わせ。土方がどちらも扱うように、戦いにおいての相性は古来からの戦法が証明している。武器を持つ者の性質は割合扱う得物によっていることが多いものだが。
つり上がるかに思えた双眸は、予想に反して戸惑いの色を濃くする。無理に笑おうとしたのか口の端を少しばかり引きつらせ、娘は分かりませんと力なく零した。





*******



――あぁ、上手く笑えない。
出来そこないの笑みを引っ込め、佐久楽は膝の上に置いた拳をきつく握り締めた。

「…私には、あの男がよく分かりません…。確かにあの者の銃の腕は確かです。必ず一発で頭に当て、相手は痛みを感じる間もない。…それを思えば、極悪人ではないのでしょう」

無駄に苦しめいたぶるような真似はしない。

「それが情ではなく余計な反撃を受けぬようにという理屈からくるものだとしても、殺すことを楽しんでいる訳ではありません」

ですが…と言葉はそこで立ち消える。
つい先刻までの浮かれた気分はどこかへ吹き飛んでしまった。
座りの悪い足をもぞもぞと動かす。今朝も土方と尾形がぽつぽつ言葉を交わしている間、佐久楽はじっとその様子を凝視していた。
ずっと小骨のように引っかかったものの答えを探していた。

「口を開けば揶揄われるからな」
「そればかりが理由では…」

焦がれた土方の鋭い目が、今ばかりは佐久楽の喉を締め付ける。
勝負に負けたことも、ことごとく馬鹿にされることも。確かに気に入らぬし腹も立つが、考えれば考える程全てが後付けのような気がした。
ずっと尾形が喧嘩を売って来るものだとばかり思っていたが、そもそも最初に吹っ掛けたのは自分ではなかっただろうか。

「…これも所詮理由の一端に過ぎないのですが、あの者が、土方さん達に仇なしはしないかと」

そこで声を途切れさせ、ああいえ、と佐久楽はかぶりを振った。

「これではまるで言い訳ですね。私は単にあの男の、尾形の目が…」

――怖いのでしょう
言ってしまえばそれは妙に腑に落ちた。
初めて尾形を見たあの瞬間だ。振り返り目があったあの瞬間、確かにスッと冷たい風が背に抜けた。

「…あの目自体がという訳ではありません。尾形が恐ろしい訳でもないのですが…」

それ以上言葉が続かず、佐久楽は申し訳ございませんと首を垂れた。






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