それでは、また明日 | ナノ
 空の器に問う

尾形がほんの気まぐれにどうしてこんな博打に首を突っ込んだのかと問えば、永倉の娘は「まぁ、いろいろだ」と珍しくぼんやりした返答を寄越した。

あれからいくらか時間が経ったが、二人はまだ屋敷の中をさ迷っていた。外へと通じる窓がなく、入って来た筈の玄関もなく、歩くうちいつの間にかもといた部屋に戻っている。
三度目に折り重なる死体の側を行き過ぎた時、煮詰まったなと娘が零した。そうして最初に通された部屋に入って行くと、引き倒されたままであった座卓を起こし、そこへ腰を落ち着けだした。

「諦めるのか?」
「少し休む。この家はどこもかしこも狭苦しくて息が詰まる」

壁も襖も穴だらけになった座敷で、弾のめり込んだ天板に頬杖をついて娘は深々と息を吐いた。
そこへ尾形が質問を投げかければ、先の返事だ。

「てっきり即答でジイさん達の為だの言うかと思ったが」
「…そうだな。きっかけは先生と土方さんだ。二人の為というよりは自分の為だが」

茶が欲しくなるな。そんなことを呟き、ついていた腕をずるずると枕に移行させ気怠げにかき上げた前髪が、さらりとその額にかかる。その様子は常々ピンと張っていた紐の結び目が緩み、たわんだかのようだった。本人は何も言いはしないが、怪我が連れて来た痛みや消耗も相まっているだろう。
座らないのかと聞かれ、尾形も壁際に腰を下ろした。

「…雷同という言葉を知っているか?」

また何を言い出したかと目だけを向けた先で、物憂い目をした娘の口元が寂しげな笑みを浮かべた。

「雷に共鳴して万物が鳴り響く様を言うのだそうだ」

わりに白く長い指が天板を滑り、銃弾が穿った穴をなぞる。

「あの二人は…とりわけ土方さんは、私にとって雷のようなものだ。闇を裂く稲妻。その音に、熱に、私もじっとしてはいられなくなる。……私はそこに惚れたんだ…」
「惚れた、ねぇ…」

ぽつぽつとその唇が紡ぐ言葉は独り言のようでもある。

「ジジイ相手に」
「貴様っまだ言うか!?」

つい先ほどまでの独白が嘘のように、跳ね起きた娘が天板を叩きつけた。
いつもの調子に戻った娘があれこれ文句を言いつつも浮かせた腰を下ろすのを待って、尾形は口を開く。

「…結局、金塊の件はジイさん達が行くから行くってことなんだろ?」

対して、それ以上の理由はいらない、と娘はきっぱり言い切った。
まるで軍の縮図だなと尾形は思う。自分の意見も持たず、上の意見に迎合する。右向け右、揃って同じ方を向き、お国の為にと言われればお国の為だと死にに行く。

「共鳴ってのは空の物の方がよく響くもんだ…。アンタ、あのジイさん達が何をするつもりなのかちゃんと聞いたか?格好の良いことばかり言っても、アンタ自身は空っぽだと聞こえるな」

淡々と質問を重ねる尾形を冷えた両の目がじっと見つめていたが、その瞳が初めて、陰気な部屋に似合いの陰りを帯びたように見えた。

「…お前の目には色んなものが見えているな」

皮肉のように聞こえたが、褒めてるんだと言って娘は再び頬杖をつく。その目で、ここではないどこか遠くを見つめたまま「まったくもってその通りなんだからな…」と呟いた。
なるほどと尾形は黙り込んだ娘の横顔をつぶさに観察する。
こめかみへと真っ直ぐに引かれた眉も、今ばかりは気丈な顔の面をつけているように嘘くさい。
不遜な態度も口やかましいのも自信の無いことの裏返しだ。弱い犬程とはよく言ったものだなと尾形は口元へ薄っすら笑みを忍ばせる。

だが「まぁ、あれだ」と次に聞こえた声はカラリと乾いていた。
拾った命だ。そう言ってひらひら手を振ってみせ、娘は軽い調子で語る。

「一度落としかけた時に中身を零してしまってな。器だけが手元に戻ってきた。どうせ空なら好きな人達のために使いたいだろう。だから結局これは私のためなんだ」

謎かけのような事を言う。
寸の間考え、すぐに明確な答えはなさそうだとの結論に至った尾形は、上げていた片眉を下げ、自身の髪を撫でつけた。

「……まぁ、分からんでもないがな」

そう口にすれば。遠くを見るばかりだった娘の目がようやく尾形へと向いた。

「長く生きて色んなものを見聞きしてきた人間ってのは、若い奴にはない深味がある」

余程驚いたのかその目が丸くなる。そうして娘はしばらく尾形をまじまじと見ていたが、つと目元を緩めると、

「…そうだな」

それは同感だと言って小さく笑んだ。




*******



どれくらいそうしていたか、そう長くはなかったはずだが少し休むだけでも血気というのは戻ってくるもので。さて行くかと徐に立ち上がった時には体もいくらか軽くなっていた。

「…やっぱりあの壁だろうな」と言って髪を撫でつける男の視線を追って、佐久楽は初めに塞がれた廊下を振り向いた。

「これだけ探して出口がないなら、最初に入って来た廊下から出るしかない」
「あそこは調べたろう。壁も厚くてびくともしなかった」

とは言えあの向こうは確実に外へと繋がっている。

「まだ見落としがある、行くぞ」

言われるままに戻ったものの、やはりそこには壁がそびえるばかりだった。しゃがみ床を撫でている尾形の横で、佐久楽は少しづつ叩く場所を変えながら壁の音を確かめていく。

「うっかり全員殺してしまったからな…。一人だけでも生かしておけば聞き出せたのに」
「尋問紛いのことをしてか?」
「紛いじゃない。それに元は土方さん達の命を狙っていたんだ。理由くらい聞き出しておくべきだった」

どちらともなく口を噤みしらみ潰しのような作業を続けてどのくらいだろうか。ついに壁に押し当てていた耳が今までとは違う音を捉えた。
「何かあったぜ」と尾形の方からも声があった。穴でも開いていたのか床板が一枚はずれ持ち上がる。
こちらも音のした部分へよくよく目を凝らしてみれば、周りとは僅かに色の違う板があった。板は押せば沈み、代わりに暗い穴がぽかりと口を開ける。そこには一本、太い綱が垂れ下がっていた。
掴んだ佐久楽の背に声がかかる。

「おい、無暗に触るな」

聞こえはしたがもう遅い。引いたその綱には確かな手応えがあり、低く軋む音に続き重い鎖のような音がした。
と、二人のいた廊下の床が斜めに跳ね上がった。

「な、」
「うわ、」

同時に綱の仕掛けのあった壁ががぱりという音をたてて消え失せ、あっという間に壁の中に放り込まれる。
そこは一筋の光もない完全な真っ暗闇だった。

「な、なんだ!?」

身を起こそうにも身体の上に何かが被さっている。もがくとその何かが暴れるなと声を上げた。

「尾形か?どけ、重い」
「狭いんだ。やたらと動くな」

ぼやく男を押しのけ立ち上がろうとすれば何かに頭をぶつけた。手を当ててみれば中腰にすらなれぬ高さに天井のような板がある。

「ここは…?」
「何か聞こえる」

地鳴りのように低く響くそれはあっという間に大きくなり、何か平たい壁のようなものがぶつかってきたかと思えば、その何かがぐんぐん身体をどこかへと押して運んで行く。

「熱ッ!?」

床にこすれる部分が火で焙られたかと思うほどに熱を持つ。煎られる豆はこんな気分かとどうでもいい感想と共に、横に細長く伸びた通路のようなそこを滑り抜け、最後には光の中にぽいと放り出された。
地面に投げ出されたままの視線の先で、二人を吐き出したであろう四角く切り取られた壁が仕事は終えたとばかりに素っ気なく口を閉じた。

「………外だ」

どこかと思えば、屋敷の玄関のすぐ横に出たらしかった。息を吸えば、青い草葉の匂いが肺を満たす。見上げた高い空に、ずっと胸を塞いでいた重しが取れたようだった。
隣の男が呆然とした顔をしていることに気づき、おそらく自分も同じような顔をしていたのだと思えば、二人揃って狸か狐に化かされたようで妙におかしくなった。

「―――っは…」

息が漏れてしまえばつられて笑いもこぼれ出る。笑い出した佐久楽を尾形がきろりと目だけを動かして見た。

「何だったんだ今の。とんだ絡繰り屋敷だな、まるで…あ、おい尾形、」

呼び止めるが振り返りもせずに男は玄関に向かって行ってしまう。後を追って中を覗くと、男は黙々と靴を履いているところだった
呼びかける佐久楽の声に、ちらとも顔をあげようとはしないまま男が応える。

「もう二度とああいった手合いの物に触るな」
「そうは言っても、あのまま眺めていたってどうにもならないだろう」

ため息交じりに呟けば、ようやっと上がった目にじろりと睨まれ、佐久楽は渋々ながらも悪かったと両手を上げて見せた。

「あ、こら。置いて行くな」

慌てて靴をひっかけ後を追うが、置き去りにする気かと思うほど早足に歩いて行く男の振りまく空気はどこか刺を持ったままだ。

「もしかして怖かったのか?」
「違う」

つま先を打ちつつ問いかければぴしゃりと撥ねつけられる。ならその不機嫌な面はなんだというのか。出られたんだからいいだろうと佐久楽はその背中に口を尖らせたが、ややあって小さく息を吐いた。

「…まぁいいか」

色々あって何だか疲れた。
早く帰ろうと空に向かい伸びをすれば、今日は良く眠れそうな気がした。




*******




家の表で声がした。永倉には人の声らしきものとしか捉えられなかったが、衰えを知らない土方の耳はしっかりそれを聞き分けたのか、新聞から顔を上げ、永倉に告げる。

「永倉、帰って来たようだぞ。二人仲良くな」
「………」

その声に憮然とした顔をすると、噛み殺した笑いが後を追って聞こえてきた。
この人も人が悪い。思い返せば隊士に見せる鬼の顔の一方で、妙に子供染みた悪戯を好むところもあったのだったか。
ひねた視線を返す永倉に、土方はそれこそ悪戯っ子のように目を細めた。

「そう心配せずとも、悪くなるばかりではないさ」

内心を全て見透かされているかのような決まりの悪さが永倉の口を鈍らせる。
戸が開いた音に続き、足音が廊下を小走りにかけてくる。

「先生!ただ今戻りました!」

そう言って覗いた顔は、泥だらけで家路をかけてきた幼いころとそっくり同じに見えた。

…この目が見据える“先”が、光であればどんなにいいか…。

胸を掠めてゆく懐かしさに永倉は目を細めたが、その目前で、にゅ、と顔を出した尾形の胸倉を佐久楽が掴み上げる。
同じようどころか成長自体していないかもしれん。
一抹というには真に迫る不安が懐かしさをそっくり押し流してゆく。また何を言われたものかと、真っ向からたてつく娘の姿に、永倉は諦めにも似た思いでただただ重たい息を吐いた。





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