それでは、また明日 | ナノ
 黒白論



半日ほど歩き詰めて着いた屋敷は人が居るのかと疑いたくなるほど密やかに立っていた。
遠目に見ただけだが、無人となって久しいのか庭は荒れ果て、草木が野放図に繁る様はさながら絵巻物から出てきた幽霊屋敷だ。
この時ばかりは佐久楽も自分たちをここへ遣った二人を恨めしく思った。
木立の影から屋敷の様子を伺うが、やはり人気はない。
入りたくない。そんな思いを読んだかのように男が意地悪く言う。

「ここで待っててやろうか?」
「ふざけるな、お前も一緒に行くんだ」

言って森の中を引き返す。

「一度戻って、正面の道から行こう」

丁度道を逸れた辺りまで戻り改めて屋敷へ続く道をたどると、どこから現れたものか男が一人屋敷の前に立っていた。それが幽鬼のように血の気のない顔をしていなかったことに胸をなでおろす。どこから見てもかたぎには見えなかったが、生きた人間だ。

「どう思う?」
「見張られていたな」
「だろうな」

詳しいことは聞かされていないが、“おそらくガセ”というからにはそれなりに胡散臭い所があったのだろう。万が一本当に刺青人皮があるようなら8割強奪、1割は穏便に掠め取り残りの1割でようやく交渉との指示も出ている。よっぽど旗色が良くない限りは力尽くで奪ってこいと言われたようなものだ。分かり易くていい。その時の口ぶりから言っても、情けをかけるほどの相手では無さそうだ。
待ち構えていた男は、尾形と佐久楽の姿を見てあからさまに顔を歪めた。

「二人だけか?」
「代理で来た者だ。話なら私が聞こう」

千鳥柄の衣を纏うその男は、二人を無遠慮に眺めまわし、一言待っていろと言い置いて屋敷に入って行った。
男の戻りを待つ間、ふと胸に浮かんだ疑問を口にし、佐久楽は隣に立つ男を振り向いた。

「…お前はどうして銃の腕を磨いたんだ?」

考えあぐねるように黙って髪を撫でつけた男の代わりに、囀っていたヒヨドリが甲高く耳障りな声で鳴いた。高く、梢の向こうへ羽音が遠ざかる。

「狙撃兵なんて、碌なものじゃない。敵兵に捕まれば真っ先に殺されるそうじゃないか。恨みを買うのはそれだけの事をしているからだろう」

敵に相対することもしない卑怯者だと言えば、ハハッと男が初めて声をたてて笑った。

「お犬様はえらく銃が嫌いとみえる」

嫌味交じりに紡がれた言葉。先ほどの笑いは嘲笑であったらしい。質問に答える気はないらしく、それに、と言葉は続いた。

「卑怯だのと言うならアンタの信奉する新選組とやらはどうなんだ?聞く話じゃあれも割にせこい戦い方してたらしいじゃねえか」

剣のある目を向けた佐久楽に「なんだよ、本当のことだろ?」と暗い目が可笑しそうに笑んだ。
むっと眉を寄せ、佐久楽は男から玄関の戸へと目を戻す。
風が梢を揺らす音が止むのを待って、「…………正直…」と小さく呟いた。

「数に物を言わせた袋叩きのような戦い方を聞いた時には流石の私も理想と現実の差に打ちひしがれた」

そんな戦法を誉めそやす者などいないだろう。むしろ聞いた者の大半が軽蔑に近い顔をするのではないか。
右手が着物の合わせを手繰る。確かあの時は立ち直るのに一週間ほどを要した。

「それこそ、英雄だと信じていた者が実はしょぼくれたこそ泥だったような衝撃だった…」
「……………」

だが、そういうことではないのだ。と僅かに語調は強くなる。

「それを補って余りある信念があの方達にはあった」

所詮それは一端であり、“彼ら”というもののほんの一かけらだ。

「嫌な部分には目を瞑るってことか?」
「聞こえの悪い言い方ばかり選ぶのはお前の趣味なのか?」

ため息交じりに零すが、やはり返事はない。
嫌な部分というより、もっと広い視野でもって物を見ねばと思った気がする。あの時の自分が好きと嫌いを秤にかけたのかは定かではないが。

「……真っ白なものなど無いだろう。嫌な部分や駄目な部分が一つもない人間などいない。もしも全てが愛おしいなどと思えばそれは幻想だ。目の前にいる人間に自分の理想を重ねただけのな」

一端を見て嫌いと論じるのは息をするように簡単だ。
だからこそ、

「一つ絶対的なものがあれば、所々が黒く染まっていようと想いは変わらないのではないか?全てを知って、それでも手を伸ばしたいと思ったものこそ価値があると私は思っている」

そう感じたからついて行くのだ。刀をさらに血に染めようとも。あの目が見据えた“時代”を見たいがために。

また風が吹く。青い葉が一枚、地へ舞い落ちる様を見つめ、黙っている隣の男へと顔を向けた。
男は思わずたじろいでしまう程にじっとこちらを見つめていた。目はそのままに、口に浮かべた笑みだけが深くなる。
この暗い目が、時折酷く胸の内をかき回す。
人目を避け奥深くへ仕舞い込んだはずのドロリとしたものも、この目には見えているのではないかと。

「俺は白より黒の方が好感が持てるぜ」
「それはお前が歪んでいるからだ」

切れ味もよく切って捨てた佐久楽に何を言い返すでもなく男が目を逸らしたことに、ほんの少し安堵を覚えた。

「第一、お前にもそういう相手が一人くらいはいるだろう」
「いや。いねえな」
「――あぁ。だからそんなにねじくれたんだな。かわいそうに」
「………」

あっけらかんと言い放てば、その唇がようやく弧を描くのをやめた。ついに一矢報いたと愉快になる。言われっぱなしでたまるものか。

「まぁ、そういった相手がいないのなら、これから見つける楽しみがあるってことだけどな」

得意げに胸を張るその横で、また男の右手がその黒々とした髪を撫でつけた。

「………お前はいいな」

ぽつりと、男の口から捩じれも捻くれもしていない言葉が出たことに、佐久楽はぱちりと目を瞬いた。打てば響く素直な反応に男がにたりと笑う。

「それだけ頭に花咲かせてりゃさぞ毎日楽しいだろう」
「頭に…花……」

繰り返してから、佐久楽は一度その両目を閉じ、落ち着けと自身に言い聞かせようとして、しかし一つも唱え終わらない内に勢いよく目を見開いた。

「あぁ!あぁ!楽しいとも!ここのところは朝から晩まであの方を眺めていられてすこぶる幸せだ!」

ひくりとどころか盛大に口を引きつらせ笑い飛ばした。もはややけくそだ。
お前はどこまでもと言い募る佐久楽の伸びた人差し指を避ける男は、笑いを収めようともしない。

「おい」

割込んだ声に振り返ると、いつの間に戻ってきたのか千鳥格子の男が立っていて、入れと呆れ顔で顎をしゃくった。


/


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -