相思相愛の、夫婦岩より強固な二人の間に尾形は立ち入れなかった。
歩く度に小花を振り撒いているような、穏やかな女であった。自らと同じく金塊を求める旅の道中で、名前に惹かれ他者への愛を誕生させたが、有限の人生で心の底から好いた女には既に男がいたのである。
忌々しいその男はよりにもよって杉元だったが、側から見れば自分なぞよりもずっとお似合いで、相応しい男であろうことは間違いなかった。事実、名前の隣を歩む姿に納得したし確実に幸せにするのだろうなとも思った。底が見える清水のように濁りない彼女に、杉元と自分のどちらが釣り合うかなど答えは分かりきっていたのだ。
羨ましさや嫉妬より諦めが優っていた。所詮は愛されたことのない欠けた人間だ。春の木漏れ日のような朗らかさで寄り添う杉元に敵うはずもなかった。
諦めが優っていた尾形と名前の縁を結びつける金塊を巡る旅は大団円で幕を閉じ、杉元と名前はこれから祝福に満ち溢れた未来に進もうとしている。このまま縁を解くのも釈然としないが濁りきった鉛の心をなんとか引きずって別れようとしたのだ。
昨晩、杉元と名前の仲睦まじい姿を目撃してしまうまでは、確かにそうするつもりであった。

無数の星屑を従えた満月は輪郭をぼかしていた。周囲には寄り添う杉元と名前を囲う木々に優しく見守る満月しかない。
杉元は名前へと顔をやれば、名前の瞳は広大な夜空を閉じ込めていた。暗闇で顔がよく見えない中、瞳だけが発色しているようであり、それは異国の宝石のように煌びやかであった。

「何があってもずっと側にいるから…名前ちゃんの残りの人生を俺にください」

粒々した星屑が全体をチカチカ輝かせ、瞳孔より上の満月ははっきりした形で瞳を陣取っている。神秘的に煌めくそれに魅入ったまま、照れ臭い台詞がぽろっと転がった。

「いいよ。あげる」

夜空から杉元を映した名前の瞳は発色していなかった。それでも杉元は名前から視線を引き剥がせなかった。そして、それは尾形もであった。遠く、木々の隙間から身を潜め息を殺してじぃっと、道端の苔の生えた地蔵のように観察していたのだ。
この満ち足りた二人はこれから数えるのも馬鹿らしくなるくらいの祝福を浴びるのだろう。突きつけられた現実に眩暈を起こして背から硬い土に倒れてしまいたかった。

ゆっくり、杉元と名前は一つの塊になった。
それに諦めで覆った感情が割れた。何故名前からの祝福が貰えないのか。彼女からの祝福を受ける相手が自分でないのか。隣に寄り添う存在がどうして杉元なのか。もう一点の濁りもない彼女は杉元に染まってしまう。嫌で仕方ない。
であれば奪ってしまえばいい、と諦めで覆い誤魔化していた中身が浮き彫りになったのである。

翌日、欲を制御できなくなった尾形は番犬が名前の側を離れ無防備になったのをいいことに、致命傷を与えた。
胸の中心を射抜かれた名前は淡い色の着物に血を吸わせて倒れている。歓喜に頬を攣り笑う尾形は片膝を地面について名前を腕に抱いた。指先で折れそうな声音しか発せない名前はそれでも懸命に言葉を繋ぐ。

「ど…うし、て…」
「お前が杉元と幸せになろうとするからだ」
「…さいち」

掠れていたが、遺言は最期まで人生を共にしようと誓った男の名であった。これから末永く祝福を与えるはずであった人物を遺して逝くのはさぞや未練だろう。その気掛かり、未練をこの世に残し無念に蝕まれ生き絶えようとも、尾形にはどうでもいいことである。
昨晩の煌めいてた瞳は濁り二度と発色することはないが、別の形であるとはいえ清らかな名前を濁らせたのは他でもない自分であり断じて杉元ではないのだ。それが身震いするほど快感であった。

いつのまにか戻った杉元の鷲の爪のように鋭利な目つきが、名前と幸せに浸っていた昨晩の満月のようになっている。どうやら絶望の沼に意識が浸かっているらしい。しめしめと尾形は力が抜け切り重さを増した名前の頬に自分の頬をぴっとりくっつけ、何処か陰鬱な喜びを顔で表現してみせた。
奪われるくらいなら殺してでも手にいれたい。そう煽動させたお前達が悪いのだと醜い責任転嫁をした。