少々年季の入った町外れの一軒家を訪ねた鶴見はごめんくださいと戸を叩いた。人が在宅している気配は無いが、一応の礼節としてやっておかねばなるまいと思ったのだ。当然ながら返事はない。もう一度戸を軽く叩く。やはり返事はなかった。
さて、どうしたものか。探しへ行こうにも何処へ行ったのかとんとしれぬ。いや語弊があった。この家の少女は、暇さえあれば近隣の森で銃を撃っている情報を鶴見は所有していた。
そこら辺の森を銃音を頼りに探せば見つかるだろうが、肝心の鍵になる銃声がしないのでしらみ潰しに探索せねばならず、中々に非効率的なもので行動に移し辛いのだ。

「可哀想な子なんです。ああして稀にしか帰って来ない父親を待ちわびているんです」

立派に蓄えられた顎髭を指の腹で撫で、尾形名前という少女について集めた、近場の住民の総評を記憶の大海原からほじくる。端的に言ってしまえば、健気に父親の帰りを待つ可哀想な少女、であった。
帰らない父親を待つ日々に慣れっこになった名前の姿は、どうやら寂しさを隠し気丈に振る舞っているように映るらしかった。実際の所、父親がいてもいなくても、帰ってこようが帰ってこまいが名前にはどうでも良いことであった。衣食住さえあれば事足りるのだ。それでも銃を飽きず空へ木々へ大地の彼方へ向けているのは、名前の人生を彩らせる趣味であるからという訳ではない。
続けている目的が褒められたいという欲求から、銃の腕を磨くことにすっかりすり替わってしまっただけである。

「誰ですか」

物思いに耽っていれば、座敷わらしのようにひっそりと目当ての少女が背後に佇んでいた。その幼い体躯に不釣り合いの銃を携え、石つぶてほどの大きさの手に鳥が首を鷲掴まれている。無愛想な顔に、あの山猫の子供であるという証が二つ自己主張していた。
言わずもがなその特徴的な底知れぬ瞳と、光というものがとんと似合わない独特の雰囲気である。子供らしい暖かな太陽の陽射しの下よりも、煙たい白檀が充満した仏間にいる方が美しいというなんとも稀有な少女だ。喪服であれば尚良い。

「君は尾形上等兵の娘さんかね?」

戸を叩いた時のように返事は返ってこなかった。不審がる名前の返ってこない返答を待つことなく鶴見は言葉を続けた。

「父君が亡くなられた」
「…そうなんですか?」

名前は大して喚かなかった。このぐらいの歳の子供であれば取り乱して縋ってきてもいいはずだが、けろっとしている。親が死んだというのに薄情な態度ではなかろうか、とは鶴見の思考は及ばない。それほどまでに尾形百之助という父親は、娘を放ったらかしにし過ぎていたのである。極端なこの反応の薄さは至極当然のものであった。

「息を引き取る前に尾形上等兵が告げてきたんだ。遺していく娘には身寄りがないと…長年尽くしてくれた部下だ。頼みの一つくらい聞いてあげたくてね」
「そうなんですね」
「私と一緒に暮らすことになるが、それでもいいかな?」
「はい。わかりました」

寝床も食事も衣服も生活に必要なもの全て保証してくれる鶴見に着いていかないわけがなかった。拍子抜けにことが運んだ鶴見は速やかに名前に荷物を纏めさせ、もう二度と戻らぬがらんどうの家を後にした。

鶴見に引き取られてからの名前は、鶴見にとって邪魔な人間を片っ端から排除しているので、血飛沫を浴びることがザラにあった。
仕立ての良い、白を主体とした着物に体をつつんだ名前のふっくらした餅のように白い柔肌に斑点する赤は芸術だ。殺しの過程で纏わせた着物にも赤が付着してしまうことがあるが、鶴見はその芸術性に免じて寛容であった。

「なんて美しい」

顔に飛散した血が名前を引き立てる。これほどまでに血の映える少女がいるだろうか。
地面が見えぬ程に狂い咲く、曼珠沙華の群れに放り込めば、西洋の耽美な宗教画みたくそれを見た人物を――人は選ぶが――誑かしてしまえそうだ。
血溜まりや数多の積み重なった死体がより一層名前を引き立てることを胸を張って演説したい気分だった。どうだ、彼女は殺しを重ねれば重ねるほど魅惑的になっていくぞ。私の見解は間違っていなかった。語彙が消滅してしまう美しさを自分だけしか知らないのは勿体ないが、大っぴらにすると不味いので致し方ない。
丸々太った月が、微弱ではあるが薄ぼんやり発光していた。その真下の馬車に血の斑点をべっとりと体半分に付着させた名前を乗せた鶴見は、顔を見せなさいと隣に黙座する名前を自分の方へ顔を振り向かせた。

「どうして血を浴びた君は誰よりも美しいんだ…」

右頬から斜めに横断する血は前髪にまで届いている。勢いのよい大きな血飛沫は、上へ向かうにつれて細々と形が変貌していた。シミひとつない白い肌に、最も映える暗闇でも溶かせない装飾品である。
この人工的につけられた血は、名前自らがつけたものである。自然につくこともあるが、鶴見に請われてつけることも多々あった。肥えた鶴見の審美眼を名前は満足させられるのだ。

「もっと血を浴びた方がいいですか」
「それは魅力が半減してしまうから頂けないな。物事には程々が一番、ということがある」
「…勉強になります…あの、鶴見さん。私のお願いを聞いてください」
「その稀有な美しさに免じて聞いてあげようじゃないか…言ってみなさい」

べっちゃりと前髪を額に貼り付けた名前は、暗闇をものともしない血に負けぬほど赤く薄い唇を動かした。

「父を愛せるかやってみたいんです」
「ほほぅ、どうやって」
「父を殺して愛してみようと思います」
「…君の父君は死んだ。死んだ人間をどうやって殺すのかね?」
「嘘つき。本当は生きてるの知ってます」

闇に浮いた紅が愉快に踊る。
どう尾形の生存を知ったのか、疑問を封じて誑かされるのもまた一興であろうか。実父の血に染まった名前を想像しただけで脳汁が滴り落ちるのであるから、そうなのだろう。宗教めいた誘惑に、鶴見は乗った。