「名前!これを食えッ!」
「アシリパお姉ちゃん、それ…脳ミソ…」
「そうだ!採れたての新鮮な脳ミソだ!さぁ食えッ!」

時刻は連続誘拐犯の三人を名前が射殺してから二日目の昼食前である。スパンと軽快な音を立てて開いた玄関の扉に、得意げな表情をしたアシリパが新鮮な脳ミソを木の匙いっぱいに掬って持っていた。初めて尾形に叱られた衝撃でしょげてしまった名前を励まそうとしたアシリパが尾形家へ乗り込んだのだ。猫のような親子は縦に瞳孔を細め、玄関から目の前に移動したアシリパと突きつけられた脳ミソを見つめる。

「どうした?遠慮することないぞー?」
「私は別に…」
「んー?まさか要らないのかぁー?」
「お父さんが食べたいって言ってた」
「言ってねぇ」

何の動物の脳ミソかは定かではないが謹んで遠慮したい名前は尾形に擦りつけて回避しようとしたが尾形も脳ミソは食べたくないので即答した。アシリパはハァ、と軽い溜息をつく。

「仕方ないな…あーんしてやるから口を開けろ」

匙を押し付けられ唇が歪にぐにゅりと曲がるが名前は強情にも口内への侵入を防ぐ。脳ミソだけは何が何でも食べないという娘の強い決意を尾形はひしひしと感じた。助け船を出してやりたいが飛び火するのは嫌なので関与せずを貫く道を尾形は選んだ。一応、胸の奥で娘には謝るが、そんなことよりも助けて欲しいのが名前の心境である。
そんな一向に食べようとしない名前にアシリパが痺れを切らした。

「いい加減に口を開け名前!」
「あんまり食べたくない気分なのッ!」

アシリパの手首を掴んで匙を遠ざけ、やけくそに叫んだ。それにピタッと動きを止めたアシリパは、これ以上の無理強いをせず、そうか。とだけ言い大人しく尾形家から退散した。これがアシリパ襲来一日目の話である。

二日目もアシリパはやってきた。昨日と同じように家の扉を開けると脳ミソを名前の唇に押し付け、食え。と言う。勿論名前は決死の抵抗を試みる。だがアシリパは昨日のようにすんなりと引かなかった。

「そんなことじゃ大きくなれないぞ!食え!」
「気分じゃないのぉ…!」
「気分じゃなくても食えッ!」
「やだぁー!」
「アシリパ、名前は今何か食う気分じゃねぇから絶対食わんぞ。無駄だ。諦めろ」

顔を背け必死の形相で抵抗する娘に攻防戦を眺めるだけだった尾形は遂に助け船を出した。
昨日は見て見ぬ振りをした癖に。助け船を出すのか遅いんだよ。怨念の篭った視線を浴び、昨日の分の助け船を出すつもりで更にアシリパを窘める。

「そっとして置いてやれ。いつか自分から進んで脳ミソ食べるだろ」

多分有り得んだろうがな。という言葉は脳内で付属した。見た目からして到底食欲をそそられるものではないのだから、名前自ら進んで食べようとはしないはずだ。

「いつかっていつだ!今美味いものを食べなくて名前が餓死したらどうするッ!」
「いやするか。ちゃんと食ってるから安心しろ」
「本当か?本当なのか名前…?ちゃんと食ってるのか…?」
「う、うん。食べてる」
「なら脳ミソも食えるな」

“る”と発音した瞬間、問答無用で小さな口に匙が突っ込まれる。その時、名前の背中に宇宙が広がったのを尾形は確かに見た。

■■■

脳みそを完食した名前の頭をアシリパは撫でる。アシリパの膝の上に乗って全てを諦めたような顔でよしよしと撫でられ続ける名前に同情を禁じ得ない。後でよく吐き出さなかったと賞賛を送っておこう。尾形はそう思った。

「名前は良い子だなぁー。ちゃんとチタタプもできるし脳ミソも食べる…」

アシリパは年下である名前をこれでもかと可愛がっているし、名前も年の割に聡明なアシリパを尊敬し懐いている(ただし、いくら尊敬しているからといっても与えられる脳ミソには拒否反応を示していた)。そんな目に入れても痛くない名前が誘拐犯を射殺したと下山した尾形から告げられたアシリパは、尾形の腕の中で頬の光る筋の痕をそのままに寝る名前の安否を真っ先に心配した。無事だと知るや肩の力を抜いて安堵し、それ以上何も言わずに家に帰る親子を見送ったが、それきり名前はアシリパの前に姿を現していない。
それが気がかりでこうして美味いものを食べて元気になって欲しいと脳ミソを持ってきたのだ。

「次も脳ミソ持ってくるから楽しみにしておくんだぞー…?」

丸一日しょげて家に引きこもっていたばかりにこんなことになったと名前が知れば次からはいくらしょげていても外に出るだろう。それくらい名前は虚空に意識を飛ばしているので恐らくアシリパの言葉は届いていない。
そしてその言葉を聞き逃したばかりに名前はアシリパに生のつくものをたくさん食べさせられる道を辿るのだった。