遠野の奥深くに位置する、畏が比較的濃い、山の中。イタクはそこで、鯉乙に負けた瞬間を思い出していた。
「……」
勝負、とかけられたのはイタクだった。
あのひよっこで、子供であった鯉乙の真剣な眼差しが、自分を見つめて木刀を向けたあの姿が、頭から離れようとしない。
世話役を引き継いですぐ、鯉乙が自分よりも圧倒的に強いということを身に染みて思い知らされていた。それでも、自分の方が優位に立っていたのは、鍛えあげたかったわけでも、母親の約束を守って欲しかったわけでもない。ただ、自分の思いに素直になりたかっただけなのだ。
我ながら、女々しい奴だと自嘲した。けれど、これだけは譲れなかったのだ。どうしても、抗えない。
負けた瞬間、イタクは考えた。
こいつは、俺に勝ったらどうするつもりなのだろうか、と。何もなければそれに越したことはない。けれども、あいつのことだ。そんなことはないのだろう。きっと、何か事情があるに違いない。
この里の中で、一番強いのは間違いなく鯉乙だ。畏の大きさ、妖力の多さ、技の威力。全てにおいて、この里の妖よりも遥かに上をいく。
イタクよりも弱かった鯉乙が上をいってもなお、イタクは悠々としていた。不思議と、悔しさがカケラもなかったのだ。ただただ、当然のことのような気がしたのだ。あいつはこうでなければ、という酷い偏見の上に、だけれど。
はぁ、と息を吐いた。
────女々しいのだ。俺は。
すでに気がついている。自分が、どんな想いを彼女に抱いているのか。すでにもう、気がついているのだ。
これは、伝えるものではないのだろう。伝えられるものでもないのだ。
きっと、これはずっと胸の内に隠さなければならない。伝えてしまったら最後、彼女の人生を混乱させてしまうかもしれないのだから。
技をかわし、そして交わらせていたあの瞬間は、宝物になる。あそこまで長引いたのはきっと、ずっと染み込んでいた修行からだろう。胸を晴れて言えるのだ。あいつの人生の半分は、俺といたに違いない、と。思わず笑ってしまうほど、自分はすでにあいつにハマっていたのだ。思いもしなかった、あの頃が懐かしい。
最後に入った、あの技は、俺が考えたものだ。あいつに合うだろうと、考えに考えたあの技。
「痛ぇ、なぁ……」
この痣、ずっと体にあればいいのに。