ただ、"好き"なだけ



「今日、僕に君の時間をもらえないかな」


朝、会って開口一番に告げた僕のお願いに彼女はとても驚いているようだった。大きな瞳をパチパチと瞬かせて、まるで珍しいものでも見つけた子供のような瞳が、僕を捉えている。
今までだって放課後誘ったりもしているのに今さらなにを驚くと言うのだろう。そしてまだ答えをもらえないということは、ダメ、なんだろうか。



「無理にとは言わないから、用事があるなら断ってくれていいよ」

「ううんっ、大丈夫!…予定なら、空いてるから!」

「あ、…なら良かった。いきなり誘ってしまったから迷惑かなと思ったんだけれど…日野さん、ありがとう」



今日という日を君と過ごしたかった。
けれど迷惑ならキッパリ諦めよう、そう決めていた僕にとって。首を大きく左右に振って予定は空いてると笑ってくれた日野さんを見て、ただそれだけでなんだか心があたたかくなった。
この先、君との時間がなくなってしまってもいい。今日だけはどうしても、大好きな君との時間がほしかった。それが叶おうとしている現実(いま)がすでに僕の幸福の始まりだった。







◇ ◇ ◇ ◇



いつもより長く感じた放課後までの時間。
いつになくソワソワと焦りのようなものを感じながら授業を終えた。それは日野さんも同じみたいで何処か上の空だった。瞳が重なりあう瞬間も頬をリンゴのように紅くした彼女はすぐ目を逸らす。けれどそれが嫌じゃないのは、窓越しに映るその表情がまるで僕を意識してくれているかのように見えて、これは願望だろうと解っていても嬉しくて仕方がなかった。
帰り支度を済ませると隣にいる日野さんに声をかけると笑顔で頷いてくれて二人並んで教室を出た。



「今日は僕の誘いを受け入れてくれてありがとう、日野さん」

「ううんっ、わたしの方こそ、誘ってくれてありがとう、…すごく嬉しいよ加地くん」



ふんわりと日野さんが微笑んでくれる。
嬉しいと言ってくれている、それだけで僕の心は深く深く満たされていくのが解る。君に出会い、君に憧れ、君に恋をして僕はどれほど幸福をこの心に宿しただろう。泣きたくなってしまうほどに、僕の心には日野さん、君への想いでいっぱいなんだ。今日という日を君と過ごせるなんて僕はほんとうになんて幸福なんだろう。
一緒にいられればそれが幸福である僕は、いつも通りに彼女のいきたい場所を聞き、美味しいカフェで他愛もないことを語り、笑いあう。変わらない日常。でも今日は僕にとって特別な日。


隣に並んだ日野さんはいつも以上に笑顔が多い気がした。それは僕の勘違いなのかもしれない。
浮かれすぎていると自覚している僕は今日に限ってうまく思考が働いてはくれないから、それはやはり僕の勘違いなのかもしれないけれど。
そして帰り道、暗くなった道をやっぱり肩を並べて歩く。隣にいる日野さんはソワソワと視線を彷徨わせていて小さい声でなにか言っていた。



「日野さん、どうかした…?」

「…っ、え!
あ、ううん、どうもしないよ!?」

「そう?
何かあるなら相談に乗るよ、僕でよければ」

「えっと、なんでもないんだけどっ…その、」

「…日野さん?」

「どうして、今日、誘ってくれたのかな、って…考えたりして」

「…実は迷惑だった…?」

「そんなことないよ!
迷惑なわけない、嬉しかったのほんとうに!
だから驚いちゃったんだ…加地くんすごく人気なのに…わたしを誘ってくれたから」



ああだから、彼女はあんなに驚いていたのか。
けれど彼女への問いの答えなど簡単なことだ。
僕は日野さんがいいし、日野さんじゃなきゃ、ダメなんだ。他の子じゃダメなんだよ、だって僕が好きなのは、君なのだから。



(それに、君に好かれなきゃ意味がない)

(酷いかもしれない、でも)

(君以外に好かれたって、嬉しくないんだ)



「僕は君じゃなきゃダメだった」

「…え」

「今日だけは、日野さんと一緒にいたかったんだ」

「加地くん、…それ、って」

「ふふっ、ごめん、こんなのワガママだって解ってはいるんだけど。でも、今日という日は…日野さんじゃないと意味がなかったんだ」



僕が加地葵として姓を受けた日だから。
君という存在に出逢うために生まれた僕だから。
だからね、君じゃなきゃなにも意味などないんだ。大袈裟だって思われてるかもしれないけど、それくらい、僕にとって特別だ。日野さんはやっぱり驚いているのだろう。大きく瞳を見開いて、次の瞬間破顔した。
はにかむように微笑んだ日野さんはもう一度、「嬉しい」と呟きをこぼす。そして手提げバッグから碧色のリボンががついている綺麗にラッピングされた袋を渡された。



「…お誕生日、おめでとう、加地くん!」

「……え」

「菜美がね、教えてくれたの。今日が加地くんのお誕生日だって。だから、…そんな特別な日に誘ってくれて驚いたけど、すごく嬉しかった」

「ひの、さん…」

「プレゼント、時間がなくて気に入ってもらえるか解らないけど…でも、加地くんのこと考えて選んだから」



ああ、神様。
僕はなんて、幸福者なのだろうか。
今日という日を一緒に過ごせるだけでもこの上ない喜びだというのに。僕のためにプレゼントを選んでくれた。貴重な彼女の時間を僕のために費やしてくれた。それが嬉しくて、幸福で、渡されたプレゼントごと気づけば日野さんを抱き締めてしまっていた。小刻みに震える手で抱き寄せれば、拒絶されるかと思ったのとは裏腹に日野さんはそんな抱擁を受け入れてくれて。優しい優しいソプラノが音を奏でるようにもう一度、「お誕生日、おめでとう」と言ってくれた。
誰にも教えてなかったのに、新聞部のあの彼女には隠せなかったらしい。けど、天羽さんは他の誰でもなく日野さんだけに伝えてくれたことに感謝しきりだ。



「あり、がとう…日野さん、ほんとうに嬉しい」

「わたしこそ、ありがとうだよ」

「僕、…日野さんに出逢えてよかった。
大袈裟かもしれない、でも、僕は…君に出逢うために生まれたんだ」



君に憧れて。
君に恋をして。
君の奏でる音をより輝かせるために。
そして、君を愛するために。


今日という日を僕は忘れないだろう。
そして願い続けよう。
来年も、再来年もずっとずっと。君とこの日を過ごせますようにと。






(君を愛する、そのために)




>>>あとがき







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