YOI見て、DAYSみて、ALLOUT見てる日々です。そして、夏目。
コメント、送る場所も設置しない臆病者です。 よく発見出来ましたな、というここでコメント送ってくれる方、ありがとうございます。 ちゃんと読んでます。返事もしないですいません。
表にコメント場所を置くと、以前とは違って、悪意あるコメントが紛れるようになりました。 (殊更わたしに嫌がらせをしているのではなく、いわゆるそういうのをやりたがる人のコメントです。) ポジティブに捉えると、そういう人も紛れるくらい色々な人が見に来るようになったんだなって事ですが、 わたしは割りとそういうのに左右されてブッツリ全て消したりするタイプなので、 自衛策でコメント置き場作ってません。すいません。
でも、そういう人たちはわざわざ探してまでこんなところで書き込まないので、 裏を返せば、ここまで来る人たちはそれだけの熱意があって書いているのだな、 という前提を敷いて読んでます。そして、それは安心につながっています。 ありがとうございます。
なんだかんだ知らない間にサイトは2年目になって、 同人ではあるけれど、お話を書き始めて2年経ったんだな、という感慨深さがあります。 もっと長い間書いている人(プロではなく)はたくさんいるのでしょうけれど、 自分としては割りと真面目に書き続けているので、珍しいことです。 特に長く続けようとか考えているわけではなく、書きたいから、の気持ちは変わりません。 書き始めた頃に比べると、熱は少なくなっていますが、でも、それが特段、マイナスになったということもないです。 良くも悪くも、諦めがついたというか。 嗚呼、ただ書きたいだけなんだな、と。
前は、評価が欲しかったし、ランキングは1位になりたいし、コメントは欲しいし、褒められたかったです。 それが今はもうなくなった訳ではないけれど、あの時ほど、それに対して執念は燃やしてないです。 どれだけそう思っても、無理なことは世の中ある。 例えば、版権に負けたくなくて、pixivで1位になりたいとか、 ゾクゾクと引き抜きでプロデビューしていく人を見て、わたしだっていつかは、とか そういうのを前は持ってたけど、今はないです。
果たして、それ(諦め)が良いのか悪いのかはわからないし、 そう思っていた時のほうが、今より面白いものを書けていたのかもしれないけれど、 今の自分にそれはないのだから、諦めました。 でも、もしかしたらまた同じように熱が生まれるかもしれないし、 その時はその時の勢いで書けばいいな、という。 ただの日和見。
未だ、人格思春期は治療できるに至ってないです。クズのままです。 性格は相変わらず破綻しております、けれど、凡庸の域は出ません。 もう自分に才能を期待できる歳ではなくなりました。 このくらいの歳相応、ないしは以下の才能(才はないが)しか持ってないです。 1000人いたら誰か1人が「好きです」と言うような話しか書けないことも気付きました。 そしてわたしはその1人のために書くこともできないし、 1000人を振り向かせたい話を書く能力も、そのための努力も、 もっと言うと、そういう気持ちもないのです。
そういうわけで、近頃は、悪く言えばやりたい放題やってます。 好きなやつだけついてこい、みたいな。独りよがりといいます。 まあ、アマなのですから、それでいいんですけどね。
書いてて、意識が高いだとか、なんか色々言われて来ましたけど、 彼女たちからしたら、今のわたしはどう映るのでしょうかね。 意識が地にめり込んだのでしょうかね。 人間性を否定してきた彼女とかは、今、わたしをどう見つめるんでしょうかね。 相変わらず、それっぽいことだけ言ってるクズ野郎だ、と唾を吐き捨てるんでしょうかね。
なんでもいいんですけどね。
恩師に「あなたはひとりでも楽しそう、悲しいことも楽しそう」って言われた過去があります。 暫く経って、改めて、なるほど、そうだな、と実感する日々です。
そして現在のわたしが思うことは、 そのうち時代がわたしの追いつく、ゴッホもゴーギャンも生前は評価されなかった。死んでからがスタートだ。 ということです。
現世での評価を諦めた結果、後世における評価を求め始めるという形而上クズになりました。 どうです、すごいでしょう。成長を感じます。退化もまた進化、退化もまた成長。
天才って早死してますよね。 なのできっとわたしは早死するのです。そして皆がわたしを評価することでしょう。 そもそもですよ、みんなが「いいね!」なんてしてる思想、わたしは3年くらい前から言ってました。 どれだけブログとかで叫んでも、誰も見もしなかった、これが現実です。
世の中は永遠に「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」なのです。 それに嘆くのはもうやめ、わたしは「誰」になることに決めたのです。 そして失敗しました(いまここ!
死んで評価されるか否かは、シュレーディンガーより絶望的な理論です、わたしには。 でも、其のほうが楽しいしね。
わたしのお話で救われる人がまだいる(まだって変だけど)ことに、 驚きを感じています。ありがとうございます。 1000人を救うことは出来ないし、そもそもわたしは1000人を救おうとも、 救うための能力も、努力も、そういう気持ちもないけれど、 わたしが好き勝手やったものに、救われた人がいたことを知った時、 それに対し感謝する気持ちは、わたしの中では当たり前のように、自然に湧き上がってきます。 独り善がりにやってたって、感謝されたら嬉しいに決まってる。 大袈裟なことではなく、ありがとうと言われたらそりゃ嬉しい、ありがとう。
今世でも来世でもなく、後世に期待しててくださいよ。 ぎゃふんと言わせてやるんですよ。ふふん。
……2016/11/03 15:55
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