誰かから、だめだ!なんて言われたことはない。

向上心がバカみたいに強すぎて、意識も阿呆みたいに高すぎて、自滅するタイプなのは昔から。

自分の過去の作品を読み返して、エッ!わたし天才では!?て自画自賛することもある。
読んだ人は、非常に礼儀やマナーのなっている人が多いので、わざわざ文句を言いにわたしに来たりしない。苦手だなと思ったら、読むのを辞める健全さがある。すごくありがたい。なので、嫌な思いなんてこの数年間、両手に収まるかな?程度。喉元過ぎれば笑い話になるものもあるし。

なので、誰かがとかじゃなくて、躓いてる理由は常に自分にある。

本を出さない自分の不甲斐なさに、他人と比べて落ち込んでたので、同人誌はなんとか作った。やっぱり紙は好きだ。儲けたいと思ってる人の方が趣味だから少ないかもしれないけど、私も同じで、自分のために作ってる。欲しかったというのもあるし、紙は憧れだから。なので、そこをクリアしたのは自分の中ではすごく成長に繋がったと思う。

すると、今度は、他の人(これって誰よって思うけど、わたしが内包してしまった他者の眼差しでしかない。被害妄想の塊とも呼べる)は誰かと一緒にやったり、リクエストに答えたり、イベント出たり企画したりしてるのにな、とか思い始める。
ただ、自分は少なくとも今のところイベントに出る予定はない。わたしの話を好きだと言ってくれる人と、面と向かってお話をできるならば私はしたいと思うし、会ってみたいけど、やっぱりそれはやめにする。というのも、自分が見えてしまうので。わたしという存在はあまり気にしないで欲しい。気にかけてくれることはありがたい.けど、もしそのせいで話がうまくよめなくなったら絶対嫌。わたしの名前なんか知らずに、この作品いいな、って、作品のことだけ知っててくれたらいい。それが多分最も幸せ。いいなと思ってたら、それが同じ作者だった、程度でわたしを認知?してくれたらラッキーかな。

とにかく、イベントには今後も出ない。これは折り合いがついてる。

企画とかに参加だけど、これはリクエストとかに近いと思う。アンケートをとって、今回、本当に勉強になった。最も嫌なこと言われるかなと思ったら、何百もあったのに、誰も酷いこと言わなかった。びっくり。あんな面倒くさいアンケート答えてまで嫌がらせする暇はないか。あはは。

でも、あの面倒なアンケートを一生懸命答えてくれた人たちに、少しでも報いたいというか。趣味であろうがなんであろうが、そこはわたしの性格の問題というか。
褒め言葉沢山あって本当に元気出た。その褒め言葉の中に、ヒント沢山あった。改めて、そうだよね、と思う意見もあった。格好良くいうと、見失いかけてた姿勢みたいなのを、改めて再発見した。ありがたい。

そんで、そう考えると、企画とかリクエストは、わたしの姿勢に合わないのかも。もしくは、わたしの姿勢にぴったりならやれるけど。企画は賛同するから参加するからいいとして、リクエストはそうなるとわたしが書こうと思ったものと、その人が見たかったものが一致しただけ、だから、変な話、リクエストじゃなくない?みたいな。説明面倒くさい。とにかくそういうこと。
だから、これはもう諦めよう。というか、またちょっと気楽に捉えようと思った。


次に誰かと〜とかだけど、まあこれは仕方ない。わたしソロ派だからな。
同人誌の作成も、多分ほとんどの人がそう?かもしれないけど、自分も、作詞作曲オール俺、みたいな。何から何までオール俺でやった。誰かと作ったらもっと素晴らしくなるかもしれないけど、うん、いいやこれは。
だから、装丁とか、紙にしたときの構成とか、なんもかも、自分でやらなきゃ。みんなこれをやってる。すごい。自分は今からスタートした。センスはあまりないけど、やれるだけやるね。


あとは、力量。もっと美しい文章が書きたい。もっと、伝わるものを書きたい。そのために、表現力も、語彙力も、まだまだ全く足りてない。趣味だけど、プロとおんなじくらいの力を身につけたい。目標にするのはタダだし。
でもプロの人の努力は全然違うよね。だけどさ、文に限らず、表現者って、わりとドラマティックな人生を送ってる人も多いよね。そういう人にしか書けない何かってある。そういう映画があったな、名前なんだっけ、最近の。それはわたしもそう思った。映画では、だからドラマティックに自分がなるけど。
わたしもそれは感じてて、だけどわたしは凡庸。わたしはプロじゃないし、誰もわたしのこと知らない。本を好きな人がわたしの話読んだって、たかが文章って思われちゃう。プロの足元にも及ばないなって。
だけど、凡庸な自分が、もしめちゃめちゃ高みまでいけたら、カッケーし、それってむしろすごいじゃん。だから、わたしは凡庸さを難易度だと思うことにする。ドラマティックな人たちはリアルの難易度が高いでしょ。わたしはリアルの難易度が低い代わりに、趣味の難易度がエキスパートなの。力量が平凡だから、相対的に難易度が高くなる。でも、わたしは音楽ゲームはエキスパートが好きだし、ゲームは難易度高い方がいい。趣味はゲームと同じ。だって趣味だもんね。
今まではコンプレックスだったけど、今後は、この平凡であるというコンプレックスを強みにしよう。昇華するぞ。みんなはすごい、わたしはすごくない。すごくないわたしがすごくなった方が、すごいんだ。
見返してやるぜ〜〜



……2020/05/19 11:45 





実力がない


……2020/05/07 20:14 






多分わたしみたいに孤独抱えて書いてる同人作家たくさんいると思うけど
言えるのは、気持ちわかるよ、だけだ

わかる、わかる
でも好きだからやめないけどね
でもしんどいね…
ちょっとくらい認められててえもんなあ
一位!とかなりたいよね、なんの一位か知らないんだけど
すごい!とか言われたみたいよね、まあ何がすごいのか良くわかんないんだけど
でも好き!て言われるのが一番幸せなんだろうな
知らんけど

生きる気力ないよう
死ぬ気もないけど
このまま書き続けて何になるんだろわたし
疲れた…しょんぼり…人も喜ばないしわたしもかなしい
楽しくて書くけど、みんなは楽しくないのかな知らんけど
いや楽しい人は楽しいと思うけど
わたしが今の名前と違う名前で書いたら誰も読まないこと知ってるからね
だからわたしってそういうもんなんだ
才能はないと思うけど、それにしても、まじでないってこと、少しもないってこと
結果世の中そんなもんなのか
何をやったかじゃなく誰が言ったかかのか
誰が言ったかで承認満たしてる自分が情けないです


……2019/12/28 23:37 






ありがとうございます。


隣の芝生はちょー青いです。青すぎる。
あの人すごいな、ちょー人気じゃん、みたいに思うのと多くて心折れちゃう。
いろんな人と仲良い人とか見つけると、すげーみたいな。
絵師さんとも仲が良くて本も出してみたいなのとか見ると、まじすごすぎてどんどんやってくださいって思う。

自分は出来ないので。
人と交流できないクソクソ野郎なので仕方がないのです。というかダメなんです。人と交流したくないんじゃなくて、例えば誰かと仲良くなって、その人がこんな話が好き!書く!とか言ったら、もし仮に真似する気が微塵もなくても、似たような話を書いちゃったときに、やばいぱくりとか言われたらどうしようとか思うし、他の人の話とか読んで、インスパイアされちゃって似たような話とか書いたら、それこそ大問題だし

孤独なら、もし仮に似てしまったとしても、それは世の中の集合記憶がなした話なので誰にでも起こりうるでしょ??って言えるけど


だからいつまでもボッチでやるしかねえんだな
自給自足だ
でも誰かが感想くれたり応援してくれたり絵を描いてくれたりするから楽しくやれてるんだ
相互じゃないかもしれないけど、私からしたら相互みたいな気持ち、わたしは少なくともみんなに片想いしてて、もしみんなが、わたしに片想いしてるなら両方思い
でもわたしこういう距離感好き、だから読んでくれる人たちのわたしへの距離感好きです

他の人みたいにうまくやれないクソクソうだつあがらない系人間だけど、ゆっくりやるかなねえな
本当はすごくなりてえー
でも無理だあ…才能も努力もないもん
かなしい



……2019/12/28 23:31 





なんかわたし自身の作品って、死後なんでしょうけど、オワコンって感じなんですかね
ごく一部の人は気長に楽しんでくれているけど
昔から人気な人とか、最近人気?な人とかがたくさんいて、書きたくて書いてるけど、雰囲気的に、もう求められてない気がしている
求められてないから書かないというタイプではないからそこは問題ないけど、書く書かないとは別の気持ちとして、ちょっと悲しいみたいなのは残る、それはそれ、これはこれ
数人でも読んでくれる人がいるから掲載はするけれど、もう潮時?なのかなみたいな
そのうち掲載もしなくなるのかな。Twitterもそろそろ消そうかなとか。
読む人がいるから掲載してるけど、いないならあとはもうわたしが書くだけだし
書いてた先に何があるんだろう、もうよくわからないや
書きたくて書くなら掲載しなくてもいいじゃんって思うんだよな、それもその通りなんだよな
でもどうせなら読んでほしいなとか思う気持ちがあるから出すのかな、なんかよくわからない
わたしはなんで掲載してるんだろう、よくわからない…悲しい


……2019/11/24 21:03 



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