6

「……連中、どうやらスケジュール通りに幹部会を実行するようで」

「『蒼炎会』の幹部クラスがどれほどの地位か分からないけど、リスケが難しいぐらいスケジュールがカツカツみたいね。まあ、こちらとしてはありがたいけど」

 盗聴の結果、結局幹部会は明日の十八時から平安僂で行われることに変更はないらしい。ただ、警備体制は強化されるようで、昨日ボコボコにしたチンピラたちが招集されているらしい。ワイヤレスイヤホンからは、どたばたと忙しない足音が断続的に漏れてくる。

「ったく、忙しないことね……いいわ、情報収集は他の連中に任せて、瑠夏は準備を進めてて頂戴」

「へい」

 そう言って、瑠夏は車を発進させる。その横に座る凪沙は、どこへやら電話を始める。

「──こんにちは、便利屋さん。ええ、仕事ヨ。チャンネルはいつもの。そう、『蒼炎会』の連中の動きが知りたいの。……ええ、ええ。報酬はいつもと同じ金額で送金しておくわ。うん、ありがとう。助かるわ。じゃあ、定時報告よろしく」

 そうして電話を切る凪沙を何とも考えずにぼんやり眺めていると、その視線に気づいた女が振り向いて微笑んだ。

「こういう雑務はアウトソーシングに限るわ。盗聴した情報をこっちに共有するよう、別の便利屋に仕事を頼んだの」

「探偵の次は便利屋ね……神室町には色々な奴がいるんだな」

「どこにでもいるわ。あなたの目に入らないだけ」

「……そうか。そういうもんか」

「そういうものよ」

 そう言いながら、小型のノートパソコンを開き、膝の上で操作を始める凪沙。車に乗りながらも忙しない女である。

「ああ、御幸は少し休んでいて。どうせ今日はもうやることないんだし」

「……これからどこに行くんだ?」

「私の知る限り、横浜で一番安全なセーフハウスよ。今晩はそこで一晩明かして、明日は平安僂に殴り込みってわけ!」

 そうして連れて行かれた先のコインパーキングで車を止め、三人で川辺近くのとあるバーに向かう。『サバイバー』と看板を掲げたそのバーは、一見するとどこにでもあるバーにしか見えない。二階建てで店内は広々としており、薄暗い部屋の隅にグランドピアノが設置されている。客は殆どおらず、カウンターの向こうで店主と思しき男がグラスを磨いているだけだった。

「ハァイ、マスター! 今晩ちょっと休ませてちょーだい!」

「……またお前か」

 だが、どこにでもあるバーと思っていた御幸だが、バーのマスターの姿を見て息を呑んだ。顔に大きな傷があるバーテン姿のマスターは、どう見ても筋者だった。厳めしい顔付きに、刃のような鋭い眼光。何より、あの瑠夏が腰を四十五度折って頭を下げているのだ。

「お久しぶりです、マスター!!」

「分かったから早く上に行け。他の客に迷惑だ」

「はいはーい」

 凪沙は軽く返事をして、呆ける御幸の腕を引いて二階へ向かう。いくつもの部屋があるが、凪沙は勝手知ったるとばかりにドアを開けて部屋に入る。凪沙のマンションほどではないにしろ、普通の部屋だ。

「見ての通り、此処のマスターは──まあ、腕が立つわ。だから横浜に出張する時はよくここを利用しているの。愛想のない人だけど、いい人だから大丈夫よ」

 御幸を安心させるように肩を叩く。だからってすぐさま信用できるかどうかはまた別問題なのだが、彼女は意にも介さずテキパキと荷物を広げていく。

「あなたはゆっくりしてて。私たちは平安僂に忍び込むための準備を進めておくから。食事はマスターに頼めば作ってもらえるし、お風呂は部屋の奥。ああでも、窓は開けないことをオススメするわ」

 そう言いながら、テーブルにいくつものノートパソコンを広げて『仕事』を始める凪沙。瑠夏も慌ただしく部屋を出たり入ったりしており、明日の支度に忙しいらしい。一人取り残された御幸は、手持ち無沙汰になる。仕方なくスマホに手を伸ばす、だが──。

『人殺し』

『球界の恥』

『裏切り者め』

 誹謗中傷は、何も見ず知らずの他人から発せられるものではない。知人友人、チームメイトでさえ、こんなメッセージを寄越すのだから、やってられない。今更傷付くほど繊細ではないにしろ、無実とはいえ信頼していた人たちから心無い言葉を投げかけられるのは、やはりいい気はしない。

 御幸はスマホの電源をオフにして、目を閉じる。ただ、仮眠しようにも、昼間のあれこれが脳裏を過って、まだ眠れそうにない。

「……俺、飯食ってくる」

「あ、私も冷麺欲しい」

「俺のも頼む」

 立ち上がる御幸に、凪沙と瑠夏がそう呼び止める。

「……冷麺?」

「この店、冷麺しか出ないのよ」

 メニューが偏り過ぎている。だが、文句を言えるような立場ではないので、財布を片手に御幸は一人で一階へ向かう。一般客がいたら面倒だと店の様子を窺うも、今日はもう店じまいにしているらしい。店内にはマスター以外誰もいない。階段付近で身を潜める御幸に気付いたのか、強面のマスターがこちらにちらりと目線を寄越した。

「あんな強面が店出入りしてちゃ、こっちも商売あがったりだからな。今日はもう店閉めたから安心してくれ──御幸一也、だったか、あんた」

「……知ってるのか、俺のこと」

「俺だってテレビぐらい見る」

 グラスを磨きながらさらりと返す男の口元には、フッと笑みが浮かんでいる。笑うと傷が歪み、柔らかな雰囲気の中にも迫力が滲み出してくる。親しさは感じないが、確かに悪人ではなさそうだ。腹の虫が鳴る前に、マスターに用件を告げる。

「……あの、天城たちが、冷麺食いたいって」

「ああ、分かった。準備するから、待っていてくれ」

 そう言って、マスターはテキパキと鍋を用意する。見かけはお洒落なピアノバーなのに、冷麺を湯で始める姿には違和感しかない。

「あんたも災難だな」

 すると、ザルを取り出しながらマスターはそんなことを言い出した。

「あの女探偵が動いているってことは、災難が起こった、もしくは今から起こるってことだ。大方、あんたの野球賭博の真相を探ってる──そんなところだろ?」

「……よく知ってるな。あいつらとは長いのか?」

「男の方は昔ちょっと、な」

 つまり、やはりこのマスターも筋者なのだろう。或いは、だった、のか。何にしても、先ほどの口ぶりでは凪沙の方が親しげだったので、その回答は意外だった。

「あんた、天城とはどういう関係なんだ?」

「ああ、なんてことはない。あの小娘には、店を出すに当たって出資してくれた恩があってな。おかげで、頼られると断れねえ」

「どんだけ金持ちなんだよ……」

「プロ野球選手だって目じゃないぞ、あいつの資産は」

 自分で『成金探偵』と名乗るだけあって、資金は潤沢らしい。まあ、決して悪いことではない。金を悪用している素振りは無いわけだし。気まずさに耐えかねてバーカウンターの椅子に腰を下ろす御幸に、マスターは話を続けてくれた。

「……まあ、どういう縁があったにしても、あの小娘に依頼したのは正解だ。あの探偵は頼りになる」

「やっぱ、その筋じゃ有名なのか?」

「ああ、どてっぱらに穴が開いても敵に齧りつくような女だからな」

「……比喩表現、だよな?」

「いいや、事実だ」

 どう反応したものか分からず、御幸は乾いた笑いを浮かべる。まあ確かに、敵のアジトに正面から乗り込むような女である。腹に風穴の一つや二つこさえていても不思議ではないが……。

「おら、お待ちどお」

 どん、と洒落たバーカウンターに冷麺のどんぶりが三つ並ぶ。中々に美味そうだ。どうも、と軽く頭を下げてお盆にどんぶりを並べる御幸に、マスターは肩を竦める。

「普段野球は見ねえが……あんたが復帰したら、応援の一つは寄越してやるさ。だからさっさと、あの探偵連れて帰ってくれ」

「……俺が復帰すると、思ってるのか?」

「それが依頼なんだろ? なら、あの小娘はそれを叶えるだけだ」

 マスターは静かに瞼を伏せながらそう言った。その柔らかな口調に、ドクン、と心臓が脈打った。全身の血潮が熱く巡っているのが分かる。けれど、それをおくびに出さないよう、御幸はニヤリと小さく笑んだ。

「球場が近くにあるんだ。どうせなら、直接応援に来いよ」

 御幸の言葉に、マスターはイエスともノーとも言わなかった。なので御幸は黙って一礼し、お盆を抱えて二階に戻っていくことにした。

 あのマスターは御幸の罪の有無ではなく、あの女探偵が動いているから、御幸の球界復帰を確信している。奇妙な信頼だと思った。けれど、スマホに心無い言葉を投げかけてくる連中に比べれば、遥かに真摯だ。凪沙とあのマスターは金で繋がった縁だというのに、御幸が七年かけて築いた絆よりもずっと堅牢なものに見えるのは、何とも皮肉な話であった。



***



 翌日の夕方、御幸は何故か燕尾服を着るよう命じられ、更には眼鏡と金髪ウィッグを被せられ、凪沙が押す車いすに乗せられて中華街の平安僂に来ていた。凪沙はいつものように赤スカーフに黒スーツ姿だったが、瑠夏の姿はない。

「あいつは?」

「大丈夫、瑠夏は別ルートから忍び込ませるわ」

 御幸はゴリゴリに変装しているため、一見御幸かどうかは分からないだろうが、凪沙は変装すらしていない。堂々たる佇まいで、凪沙は車いすを押して平安僂へと入っていく。御幸の記憶と変わらず、いかにも高級な中華料亭のような眩い内装。エントランスホールは広く、何人かのスーツ姿の男性が談笑している。そんな中で、凪沙は颯爽と受付に向かって挨拶をする。

「こんにちは」

「招待券をお願いします」

「どうぞ」

 そう言いながら、彼女はスーツの胸ポケットから手紙を取り出して差し出した。招待券とはなんだ。この作戦を何一つとして聞かされていない御幸は、椅子の上で目を白黒させる。受付はそれを受け取り、そしてちらりと御幸に目をやってから、リストのようなものに何かをかき込んだ。

「鈴木太郎様でいらっしゃいますね。こちらが名札となります。開始まで、今しばらくお待ちください」

 きびきびとそう告げて、受付横の大きな扉を指し示す。凪沙は甲斐甲斐しく『鈴木』と書かれた名札を御幸の胸に付け、凪沙はにこやかに微笑んで車いすを押して大扉をくぐる。

 扉の先はエントランスよりも更に広いパーティ会場だった。立食形式のテーブルに、何人もの男がいる。女は少なく、片手で足りるかどうかというレベル。みな三十代ぐらいだろうか。男はガタイが良く、いかにもスポーツマンといった様子。誰も御幸たちに訝しむことなく、寧ろ会釈をする人がいる始末。凪沙は慣れたようにテーブルからワイングラスを二つ取り、会場の隅っこに移動する。人気がないことを確認してから、御幸は小声で話す。

「……誰だよ、鈴木太郎って」

「実在する方よ。ちょっとお願いして、招待券を譲ってもらったの」

「マジかよ……そいつを演じろって言われても無理だぞ」

「大丈夫、日本語話せない方だから」

「は?」

「在日韓国人二世なの。戸籍は日本人みたいだけどね。ただ、家じゃ日本語を教えていなかったみたい。だから普段は通訳がいるんだけど……そもそも、この集まりに来るのも久々みたいだし、話しかけられることはないと思うわ」

 それもまた入念な調査の賜物だろうか。彼女はきっぱりとそう告げる。そうか、と御幸は呟いて、グラスを手にウィッグの隙間からパーティ会場の客の顔を一人一人睨む。この中に、御幸を陥れた誰かがいる。その場で殴り掛かるような怒りはないにしろ、何の恨みがあってこんなことをしたのかは、知りたかった。だが、客の顔を見ても全く覚えはない──まあ、半グレの幹部会なのだから、覚えがある方が問題なのだが──、見ず知らずの顔ぶればかりである。

「……半グレっていうから、もっとヤバい奴の集まりかと思ってた」

 ぽつりと零れたのは、どうでもいい独り言だった。パーティ会場らしくみな正装しているが、どれもこれも『普通』の人だった。飛び抜けた美男美女がいるわけでもなく、かといって瑠夏のようにあからさまな筋者がいるでもなく、誰もが知るような有名人がいるでもなく。普段はスーツを着て仕事をしていますとばかりの──それこそ、球場に足を運んでいそうな、一般人ばかりのように思う。これが本当に半グレ集団の幹部会なのだろうか。

 そんな御幸に、凪沙はどこか寂しげな表情で肩を竦めた。

「ね、半グレの語源、知ってる?」

「グレてる、じゃねえの?」

「それも正解」

 凪沙は軽くウインクをする。

「ただ、意味合いとしては『灰色』が近いみたい」

「灰色?」

「そう。表の世界で生きていながら、裏の世界にも片足を突っ込む。どちらの世界にも顔が利いて、どちらの顔も無意識のうちに使い分ける連中よ」

「……じゃあ、こいつらは普段、真っ当に生きてるのか?」

「そうよ。会社で働いて、店を構えて、結婚もして、子どももいる人もいるでしょうね」

「なのに……人殺しに加担してる……?」

「全員が全員かは分からないけどね。ただ、少なくとも何の罪もない元プロ野球選手を尾行して、それについて調べ回る探偵に暴力を揮うことを厭わない集団に所属しているのは、確かね」

 凪沙がきっぱりと告げた、その時だった。入口の方でわあっと歓声が上がって、二人して視線を向けた。その光景を見て、御幸はグラスを落としそうになった。いや、実際驚きのあまり、グラスからは手を放してしまった。そんな御幸の反応を予想したように、凪沙がそのグラスをキャッチしてくれたのだ。

「半グレたちは自分たちのまとめ役を会長とかリーダーとか社長とかいうけど、『キャプテン』って表現はあまり聞かないわ。だから調べてみたの、『蒼炎会』の実態についてね」

「お、まえ──なんで、黙って──!」

「実態はまだ掴みきれてないけど、今日の集会のことは分かったわ。昨日のチンピラは『幹部会』だと言っていたけど、今日の集会はね、正しくは『同窓会』だったのよ」

 同窓会。同じ学校を卒業した者同士が集まる懇親会を差す言葉。であるなら、全てが繋がる。此処に集まる連中のことも、言語に壁のある『鈴木太郎』がこの幹部会の招待状を受け取ったことも、『キャプテン』という呼称も、そして何より、御幸一也を追放するだけの理由もまた、全て、全てが通ってしまう。

 たった今歓声と拍手と共に現れた男だけは、御幸にとっても馴染み深い顔だったから。

「あお、さん──」

「『蒼炎会』はね、横浜商科高等学校野球部OB会の別称だったのよ。そして、そのまとめ役は、野球部一の出世頭にして当時の『キャプテン』。蒼葉優斗──東京・神宮スパローズの現正捕手──あなたが追放されてから、後釜になった男よ」

 蒼葉優斗は御幸の記憶と相違ない爽やかな笑顔を、半グレ集団に振りまいていた。



*PREV | TOP | NEXT#