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「じゃあ、上から指示されただけで、何のために御幸一也を監視していたかは聞かされていない、と」

「は、はい! そうです! そうなんです! へへっ!」

 事情を知っていそうな『蒼炎会』の男を金で買収し、三人は場所を移動して近くのカラオケ店にやってきていた。スーツ姿三人とチンピラというへんてこな組み合わせだったが、怪しい連中には慣れっこの街なのか、店員は大して動揺もせずに一室に通してくれた。そこで事情聴取と相成ったのだが、残念ながら大した話は引き出せなかった。何故なら、彼は何も知らされていなかったからだ。肩透かしもいいところである。

 そんなチンピラに、瑠夏は意気揚々と腕を捲る。

「……所長、もうちょい締め上げやすか?」

「うううう嘘じゃないですって!! ほんとですって!! 俺もう『蒼炎会』なんかとは縁切りますから!! へへっ!!」

「オメェ、プライドはねえのかよ……」

 熱い手のひら返しに瑠夏も呆れた様子だ。あまりの鞍替えの早さに、御幸でさえ嘘を疑いたくなる。だが、凪沙だけは静かにかぶりを振った。

「残念、嘘は言ってないわ」

「なんで分かるんだ?」

「嘘の有無ぐらい、顔見れば分かるわよ」

「……勘かよ」

「これでも、あなたよりもうんと多くの人間を見てきたのよ? やばい奴も、頭のおかしい奴も、いっぱい、いーっぱいね」

 そう語る凪沙は、この結果に落胆すらしていない様子。寧ろ想定内とばかりに、嬉しそうにクリームフロートを突く──ワンドリンク制なのでやむなく頼んだのだ──チンピラを見つめる。

「末端組織なんかこのレベルよ、真相を掴めるなんて思ってないわ」

「じゃあ何しに来たんだよ……」

「真相に繋がる手がかりぐらいは握ってるでしょう。理由はどうあれ、御幸一也を尾行するよう指示されているのだから」

 凪沙は「さてと」と、さらりと首元の髪を払って、チンピラと向き合う。

「御幸一也を尾行するよう指示を出したのは、件の『キャプテン』?」

「え、ええ……突然、仕事だって言われて……」

「理由は? 誰も何も聞かなかったの?」

「お、俺らそんなデキのいい頭じゃねぇんで……仕事は全部キャプテンが指示出してくれるんです……俺らはただ、それに従ってれば、金、貰えるから……」

 自分の意志など介在しない、まるでロボットのような考えだ。人一人尾行する理由さえ聞かないなんて、御幸には到底理解できない。だが、彼らにとってはこれが普通なのだ。上からの命令を従順にこなすだけで金を恵んでもらえるなら、何だってする。その理由を、疑いもしない。そういう人間が実際にいるのだと思うと、一周回って気味悪ささえ感じる。けれど凪沙は慣れたように柔らかい雰囲気で男に質問を続ける。

「尾行して、何をしていたの?」

「御幸一也がどこで何してるのか監視して、キャプテンに報告してやした」

「それは電話で?」

「へい。文面だと足が付くからと、キャプテンはいつも指示出しは電話で済ますんです」

「用心深い人ね。じゃあ、御幸一也を監視しているだけで、干渉する命令は受けていなかった?」

「へえ……どこで何してようが、報告すりゃそれでいいって……」

「ふうん。じゃあ、彼は今どこで何してるか、ご存知?」

「確か、何日か前から神室町のタワマンに籠ったきり、出てこねえって聞いてます……キャプテンは、どっかの金持ちの知り合いのとこでほとぼり冷めるまで匿われてるんじゃねえかって……」

 その言葉に、ぴくりと凪沙の頬が動く。御幸もだ。どうやら、彼らは監視対象の御幸一也が探偵事務所に足を運び、今は外に出て、自分の目の前に知らないらしい。或いは、瑠夏がそのように買収したのか。何にしても、組織の統制はろくに取れていないらしい。

「なるほどね。それじゃあ、私たちとしては、その事情の知っていそうな『キャプテン』に会いたいんだけど、どこにいるか知らない? 名前は? どんな人?」

「そ、それは……!」

 そこに来て、男は言葉を詰まらせた。不自然に視線を下に向け、まごつき始めるチンピラは、明らかに『話したくない』とばかりの態度だ。流石にこれは御幸でも分かる。瑠夏もまた、そんな男にドスの利いた声で凄む。

「オメェ、『蒼炎会』抜けるって言っただろうが」

「そ、そうなんですけどっ……キャプテンは、その……結構ヤバい人で……」

「ああ? ヤバいって何だよ」

「その……噂じゃ、ヤクザとつるんでるとかどうとか……!」

 凪沙も瑠夏も、『何だその程度か』とばかりに呆れ果てた表情を浮かべる。御幸からしたら全然全く『その程度』ではないのだが、二人にしてみれば日常茶飯事なのだろう。はーあ、と明らかにやる気のない溜息を吐いた。

「そう。あなたが話してくれないんじゃ、仕方ないわ。さっきの二百万はなかったことにしましょ」

「ええ!?」

「瑠夏、彼から二百万回収しておいて。一円たりともまけないから、そのつもりで」

「かしこまりやした」

「そ、そんなあ……っ!!」

「当然でしょ。縁の切れ目は金の切れ目、何の仕事もせずにお金貰おうだなんて、虫のいい人ね」

 半泣きになるチンピラに、凪沙はきびきびと正論をぶつけていく。どういうつもりだと困惑する御幸に、凪沙がちらりと目配せしてきた。

 ……なるほど、なるほど。そうか。最初からそのつもりだった。最初から、これが目的だったのだ。まずは武力で敵わないことを認めさせる。次に、財力で釣る。そして、その情報が引き出せないのなら、与えた金は巻き上げる。武力で抵抗しようにも敵わないことは痛みと共に記憶に叩き込み、それでいて甘い蜜を一瞬与えて奪うという、『上げて落とす』作戦。金と武力、二つの力がなければできない──これが成金探偵の本領らしい。

 案の定、チンピラは目に見えて狼狽し始めた。カラオケは部屋に一つしか出口がなく、そこは瑠夏が鎮座している。凪沙ならば武力でも押し通せるかもしれないが、瑠夏には負けるがそれなりに体躯のいい──実際戦闘力は皆無なのだが──御幸が傍に座している。暴力では不利なことは火を見るよりも明らか。では、与えられた二百万を大人しく返すのか。そうすれば、双方にとってこの関係はなかったことになる。なかったことになるが──。

「お、おれは、おれたちはっ……あんたたちとは、違う!」

 泣きそうな声で、大の大人が──恐らく御幸よりも年上の──何かを訴える。けれど、半泣きの顔を見て尚、心に響くものは、何一つなく。

「あんたらみたいに、マトモには生きていけねえ! 一旦レールから外れちまったら、もうおしまいなんだよ、この日本ではな!! だから、強くて、金持ってる奴についてくしか、できなくて──」

「下らねェな」

 そう、下らない言い訳だ。レールから外れた──何かのはずみであれば、彼もまた被害者なのだろう。それには同情できる。けれど、被害者だからって誰に何をやっても許されるわけじゃない。それとこれは、全くの別問題だ。子供でも分かる道理を、大人が屁理屈を捏ねるさまは何と情けないことか。

 聞くに堪えないとばかりに、瑠夏は男の胸倉を掴み上げる。まるで子どものように軽々と持ち上がる身体に、男はヒィッと息を呑む。

「金を返すか情報を吐くか。テメェに残された道は二つに一つだ」

「で、でも──だけど──っ!!」

「ウチの所長は穏健派だがな、俺がそうとは言ってねえぜ?」

 それが、最終警告だった。拳を握り締めて、振り上げる瑠夏に男は観念したようにがっくりと項垂れた。

「し、知らねぇんだ──名前も……どんな人かも……知らねえ……俺らはキャプテンに会ったこともねえ……!」

「……電話番号は?」

「い、いつも公衆電話からかけてくるんだ、あの人は……だから、個人的に連絡を取る方法も分からねえ……いつも定時に電話がかかってくるから、俺たちはその報告をするだけで……」

「『蒼炎会』のトップなのでしょう? 顔を知らない、なんてことある?」

「ほんとに知らねえんだ!! あの人ぁ、秘密主義者なんだ!! 連絡取れるのは幹部連中だけ!! 俺らみたいな末端には、顔すら見せねえ!!」

「じゃ、あなた用済みよ。瑠夏、死なない程度にやっちゃって」

「ま──待て!! 一つ、一つあるんだ!! あの人に、会える方法が!!」

 無慈悲に命令を下す凪沙に、無言で立ち上がる瑠夏。そんな成金探偵の姿に、顔の前で腕でガードしながら、チンピラは子どものように怯えながらそう叫ぶ。

「あ、明日! ちょうど明日なんだ! 中華街で、やるんだ──幹部会を──そこにはあの人も来るって、聞いてる──俺たちは兵隊として、あるレストラン周辺を護衛する手筈になってて──」

 そう叫ぶ男に、瑠夏と凪沙は顔を見合わせた。ついに手がかりが現れた。御幸でさえ分かった。事が動く、空気というものが。

 凪沙は笑みを引っ込め、真顔で男の目を覗き込む。

「場所は?」

「へ──平安僂」

 その名前には、御幸も覚えがあった。確か、中華街にある高級料亭である。横浜での試合後、御幸も何度か足を運んだ記憶がある。まさか反社会組織の幹部会をやるような場所だったとは思わなかった。もう二度と行くまい。

 そんな御幸を他所に、凪沙はニッコリと微笑んで男の肩を叩く。

「情報どうも。行きましょ、二人とも」

「へい」

「あ、おい──!」

 二人してもう用事はないとばかりに立ち上がるので、御幸も慌てて後に続く。男を一人残してさっさとカラオケボックスから出ようとした時、御幸はほんの一瞬足を止めた。そして、がっくりと項垂れているチンピラを振り返る。

「レールから外れたらおしまいなんて、勝手に決めつけてんじゃねーよ」

「……?」

「見てろよ、御幸一也は絶対にプロ野球選手に返り咲くかからな!」

 そう言い残して、御幸もまた凪沙たちの後を追いかけてカラオケボックスを出る。

 何故あんなことを言ってしまったのだろう。勿論、御幸は端からそのつもりだし、天城探偵事務所のことは信用してるつもりだ、多少は。だから、その未来を疑っていない。何としてでも、あの場所に返り咲くと決めている。けれどそれを、わざわざ口に出した理由は──何だろう。レールが外れたらおしまいと、決めつけられたことが気に食わなかったのだろうか。御幸もまた、今はレールの外れた、いや、外された人間。けれど必死に、元のレールに戻ろうと足掻いている。努力している。もがいている。

 ──だから、証明してやりたかった。おしまいなんて、自分が思い込んでるだけなのだと。

「……なんだよ」

 先を歩いていた二人が、ニヤリと笑んで振り返っていた。何事かと訊ねるも二人は答えず、コインパーキングに止めた高級車まで足早に向かうので、御幸もまたそれを追いかけるのだった。



***



 二人は車に戻るや否や、ワイヤレスイヤホンを耳に突っ込んだ。

「お前ら何してんだ?」

「「盗聴」」

「ホントに何してんだよ……」

 あれほどの暴力が出てきた手前、もはや法に触れるだ何だと咎める気にもならない御幸は、後部座席に身を委ねる。そんな御幸に、凪沙は丁寧に盗聴の理由を説明し始める。

「さっきのアジトと男のジャケットに盗聴器を仕込んでおいたの」

「何のために?」

「平安僂での幹部会が本当に行われるか、確認したくて」

「……あいつの言葉は、嘘だったってことか?」

「いいえ、本当だと思う。少なくとも、今は」

 そうして、助手席からくるりと身を捩って御幸を振り返る凪沙。

「考えてもみて。御幸一也について知ってることは無いかと、怪しい男女がアジトに乗り込んできたのよ。異常事態発生と、幹部会の場所を変更するかもしれないでしょ」

「……そういうことか」

「あの男が口を滑らせた、って『キャプテン』に報告する可能性もあるもの。仮に幹部会が予定通りに行われたとしても、警備が強化されるに決まってる。向こうの動向を把握して、次の行動に備えなきゃ」

「……まさかお前ら、幹部会にも乗り込むつもりか?」

「当たり前でしょ」

「当たり前だろ」

 探偵二人は当然のように声を揃える。分かってたけど。分かってたけども。この界隈に詳しくない御幸だって、自分たちの組織が訳も分からない連中に襲撃されたと分かれば、何をするにも警戒態勢になることぐらい予想はできる。彼らはそれを分かっててなお、殴り込みに向かうつもりらしい。瑠夏の傍に居る方が安全、という理屈は分かるが、付き合わされるこっちの心臓が持たないと御幸は溜息を吐く。すると、凪沙は不思議そうに首を傾げてこう言った。

「あら、見たくないの?」

「何をだよ」

「監督さんを殺してまで、あなたを球界から追放した連中のツラを」

 一瞬、呼吸が上ずった。ああ、そうだ。そうか。数々の暴力と金銭の果てには、『そいつ』がいるのだ。あまりに突飛な出来事ばかりで、肝心なところを見落としていた。何故御幸が球界を追われたのか。理由は分からない。だが、その先にはその理由を持った誰がかいる。そうだ、この探偵たちはいつか辿りつくのだ。理由も分からぬまま御幸を球界追放に追い込んだであろう、犯人に。

 ワイヤレスイヤホンを片耳に引っ掛けたまま、凪沙はニヤリと微笑む。

「行きましょう。あなたには、その怒りをぶつける権利があるのだから」



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