「御幸! ちょっくら私とデートしない?」 「なんて?」 バッティングセンターで調査書を受け取って次の日、突如そんなことを言い出す凪沙に、御幸が真顔で聞き返したのは言うまでもない。尤もな御幸の態度に、凪沙はニッコリと笑って御幸の淹れたコーヒーを受け取る。 「昨日、尾行されてるって話したじゃない」 「ああ」 「あれ、瑠夏に調べてもらったんだけど、尻尾掴む前に逃げられてしまったの」 「ふーん」 「なもんで、こっちから炙りだしてやろうかと思って」 「……それで、デート?」 「ええ。まさか瑠夏と歩かせるわけにはいかないし、一人でなんて以ての外でしょう?」 得意げに胸を張る凪沙。理にかなっているような、ないような、だ。ろくな情報が掴めていない今、自らの正体を現してくれるなら願ったり叶ったりである。ただそれがなんでデートに繋がるのか、という話なのだが。そんな疑問に、凪沙は意味深に笑みを深めてポケットに手を突っ込む。そして御幸の目の前に突き出されたのは、千葉にある日本で一番混雑することでお馴染みのテーマパークのチケットだった。 「明日、あなたの言う『哲さん』が、奥様と二人でデートするらしくてね」 「……まさか、尾行する、ふりでもするのか?」 「ビンゴ! 尾行してる方が尾行されてる、なんて誰も思わないでしょう? こっちは真面目に仕事をしている、油断していると向こうに思わせておいて、私たちを尾ける連中を瑠夏に尾行される。尾行の尾行の尾行ね!」 「随分回りくどいことするんだな……」 「瑠夏だってこの道のプロよ。そんな瑠夏を撒くほどの相手だもの、これぐらい手の込んだ罠を仕掛けないと、捕まりそうになくて」 「……なるほど」 その言い分は、まあ、理解できる。東城会なのか蒼炎会なのかは定かではないにしろ、少なくとも半グレ程度のお粗末な尾行ではないと彼女たちは言う。そんな敵を罠に嵌めて情報を引き出したい。それはすなわち、自分が尊敬する先輩の無罪にも繋がる。そのために尾行するのは本意ではないにしろ、一日程度であれば罪悪感も少なくて済む。 「けど、暢気に出歩いてていいのか? 一応、殺し屋に狙われてんだろ?」 「本当に殺しだけが目的なら、昨日の時点で仕掛けてきてると思うわ。尾行してるということは、私たちから何かしらの情報を引き出したいから、そうでしょう?」 「じゃあ、なんで亜門は俺を殺そうとしたんだ?」 「分からないわ。もしかしたら、敵は一枚岩じゃないのかも……」 「……俺を殺したい奴と、まだ情報を引き出したい奴がいるってことか」 「恐らくね。そうじゃなきゃ、辻褄が合わない」 なるほど、と御幸は小さく頷いた。殺したら情報も何もなくなるはずだ。なのに亜門は御幸を殺そうとし、昨日尾行していた連中は手出ししてこなかった。つまり、それは御幸一也を殺したい人間と、御幸一也を利用したい人間が別にいる、ということ。ただそれについては凪沙も許容範囲内だったのか、気難しい表情ではあるが納得したように頷いている。 「今分かってるだけでも横浜の蒼炎会に東京の松金組が関わってる。組織の数だけ目的が違っても、まあ、不思議じゃないわ」 「そういうもんか?」 「組織同士が連携する場合、大抵お互いにメリットが生じる時でしょう? そのメリットの方向性がズレるのは儘あることだわ。組織同士がそのズレを認識してるかどうかは微妙なところだけど」 「じゃなきゃ協力はできない、か」 「球界追放までは共通のシナリオだったのかもしれないわね。だから一糸乱れることなく事が終わった。でも、そこからどうするかまでは契約の範囲外だった。だから各々の組織が独自の目的で動き出している──」 「……何が目的で?」 「そこなのよねえ。あなたを利用する、或いは殺すことで生じるメリットが全然分からない。亜門に依頼した側の目的は『復讐』だとしても、尾行して何のメリットがあるのかしら……本当に分からないわ……」 「じゃあ、尚更外なんか出歩かない方がいいんじゃないか?」 複数の組織が数多の目的で動いていると仮定して、『御幸を殺したい』側の力が強いのなら、無理にもう一方の組織をハメようと躍起になる方が危険だ。素人目にもそれが分かる。けれどそんな浅い考えを見通したように、凪沙の目が光る。 「御幸一也を殺したい人間がいる一方、情報を引き出したい──つまり、御幸一也に生きていて欲しい人間がいる。組織の、そして駒のパワーバランスは前者の方が上だと思うけど──なら、後者は何もせずに指咥えて黙って見てると思う?」 「……」 「私なら前者の邪魔をするわね。組織同士の軋轢を気にするなら、わざわざ尾行する手間かけずとも、さっさと手を引けばいいわけだし。だから、後者の調査をしながら、もし前者が現れたとしても大事ない舞台を用意したの──それが、ここよ」 凪沙は勢いよく、手にしたテーマパークのチケットをテーブルに叩き付ける。御幸でさえ付き合いで赴いたことのある、東京──ではなく千葉にある、日本で一番有名なテーマパークのチケットだった。 「人目も多いし、テーマパークを運営する会社が強大故に、事を起こしては注目を集めてしまうから、後始末も楽じゃない。アトラクションに細工して事故死に見せかけようものなら、それこそテーマパーク側の損失が大きすぎて、痕跡を洗われる。流石の亜門も、こんなとこで大暴れするほど馬鹿じゃない」 「なるほどな。仮に大馬鹿だったとしても、尾行してる連中だって黙ってない、ってことか」 「そう。私たちはあくまで『ユウキ』という人を調査するためにデートするふりをして尾行する。尾行連中は私たちを追いかける。瑠夏はそいつらを尾行する。亜門一派が出てくるようなら──尾行してる連中にぶつける。どう? 上手くいけば、色んな情報が一網打尽よ!」 上手くいけば、の話だろうが、悪くない話に聞こえる。多少のリスクを飲み込めば、御幸たちの背後でコソコソ動き回る連中を全員引きずり出せる。それはすなわち、事件の早期解決に繋がるわけで。リスクさえ、飲めばの話だが。 渋い表情の御幸に、凪沙はにこやかに語る。 「安心して。あなたのことは必ず守る。髪の毛一本だって傷つけさせやしない」 「……随分と自信があるんだな」 「相手の狙いが何となく分かってきたもの、対策はいくらだって講じられるわ。例え、亜門一派相手だろうとね」 先日の焦りが嘘のように、凪沙は実にウキウキとしていた。仕事を『道楽』と豪語するだけある。名探偵は難事件を求めているようなものなのだろうか。 「お前のそういうところ、ほんと理解に苦しむわ」 「あら、あなただって弱い選手を嬲るより、強い相手と戦った方が楽しいタイプじゃないの?」 「……」 確かに、防御率の低い投手を相手取ったり、或いは打率が低迷している打者の裏を読むよりは、手応えのある敵を倒す方がずっと楽しい。その方がもっともっと、高みへ行けると信じられる。スポーツを楽しむ御幸と、殺人事件を楽しむ凪沙。どちらも広義的には仕事を楽しんでいる。けれど、御幸は疲れたようにコーヒーカップを片付けながら「一緒にすんな」と吐き捨てたのだった。 *** そうして次の日、朝も早くから二人は千葉にやってきていた。今日も御幸一也と分からぬよう変装を施された上に──レザージャケットにジャラジャラとしたアクセサリーというどこかパンクロック風の服装だった──、防弾ベストやケプラー製のインナーなどを着せられた。 「これならナイフで刺されたって大丈夫!」 まるで深夜の通信販売のように高らかに謡いながら、インナーにナイフを突き立てる凪沙に御幸はしっかりとドン引きした。だが、事実ナイフはインナーを傷一つ付けなかった。そんな防具を衣服の下に仕込み、御幸は隣に佇む凪沙を見る。 凪沙は、どちらかといえばボーイッシュな格好をしていた。黒髪ショートカットのウィッグとキャップを被り、薄手のジャケットにロングTシャツにダメージジーンズにブーツ。パンクでロック風なそのファッションは、中世的な顔立ちの彼女によく似合っていたし、遠目で見ると少年のようにも見えた。 「よし、行きましょ!」 そうして二人は腕を組んで某テーマパークに足を踏み入れた。ミッションは結城夫婦の尾行──のフリをして、自分たちを尾行している連中を吊るし上げることだ。結城夫妻の数メートル後ろで、二人はあたかも遊びに来たような体でゆっくりと歩き出す。 「今日も尾けられてるのか?」 「バッチリね」 リズミカルな音楽や人々のざわめきで、よほど顔を近づけなければ会話もほとんど耳に入らない。凪沙の慧眼に舌を巻きながら、道端のワゴンに立ち寄る夫妻を盗み見る。 「瑠夏もいるのか」 「ええ、遅れて入ってきてるはずよ」 「……あいつ、入り口で止められたりしてねえ?」 何せ見た目からヤクザ丸出しの男である。反社会的勢力の皆さんは入場お断り、なんて店側が掲げているケースも珍しくはない。けれど凪沙はきょとんとして、スマホを引っ張り出す。 「探偵を舐めてもらっては困るわね」 「と、いうと?」 「変装はお手の物、ってことよ」 そう言いながらスマホの画面を見せつけてくる凪沙。何気なく覗き込んだその画面を見て、御幸は思わずブハッと吹き出した。画面には、確かに瑠夏がいた。屈強な肉体がそれを物語っている。だが、普段のヤクザ風のスーツ姿とは全く違う格好をしていた。肉体の線を隠すような、大きめのパーカーにすらっとしたジーンズにスニーカーという、かなりラフな格好をしている。派手な髪はナリを潜め、モジャモジャの天パに大きな丸眼鏡という、所謂サブカル系というか何というか。とにかく触れるものみな傷付けるような風体ではなく、ムキムキのマッチョがなんとか雰囲気を柔らかくしようとファッションを頑張ってる感がすごい。 似合っていないわけではないのだが、普段の瑠夏を知っているとどうにも笑いが込み上げてしまう。確かに、これならファミリー向けの遊園地を闊歩していても問題はなさそうだ。 「分かってもらえたかしら?」 「ああ。お見逸れしました、だ」 「ありがとう。さあ、二人を見失う前に行きましょ!」 そう言って、はしゃぎながら御幸の腕を引く凪沙。不思議と、こんな状況を楽しんでいるように見える。まあ、彼女が楽しそうなのは今に始まったことじゃない。いつ見てもどこにいても楽しそうな奴だと思いながら引きずられていた。のだが。 どうやら御幸の違和感は、的中していたようで。 「ねえねえねえねえ見て見て見て見てコレコレコレなにコレなんで耳ついてるのなんでみんなコレつけてるのなんでなんでどうしてどうして!!」 ただ、『楽しそう』なんてレベルではなかった。 まるで見るもの全て初めて見るようなハッスルぶり。キャラクターモチーフのカチューシャを売っているワゴンやキャラクターがプリントされた風船を指差して、キャッキャと大はしゃぎで御幸に訊ねてくる。まるで年頃の少女である。目を輝かせてネズミ耳のカチューシャを手に取る凪沙に、ワゴンの店員も微笑ましい表情だ。 「ねえっっ、なんで!?」 子どもだ。同期の子どもに会った時のことを、御幸は思い出していた。よたよたと歩いては、目にするもの全てを指差して、なんでなんでと訊ねてくる。ただ、そんな子どもと違って凪沙は御幸と同じぐらいの年頃のはずだが。 「なんでって……テンション上がる、から……?」 「テンション! そうね、それってすっごく大事なことだわ!」 適当に受け答えする御幸に、凪沙は心底納得したように頷いた。そうして御幸のキャップをひょいっと取ると、頭に重たいネズミ耳のカチューシャを差してきた。 「素敵! 何でも似合うわね、あなた!」 「……ドーモ」 きゃあきゃあ笑いながら、凪沙は手を叩いて大はしゃぎ。今なら箸が転がっても抱腹絶倒しそうだ。人が変わったようにキャーキャー騒ぐ凪沙にどう反応していいか分からず困惑していると、凪沙はリボン付きのネズミ耳カチューシャを頭に差して、鏡を見てまた大笑いし始めた。 「ヤダなにこれ! 私も中々似合うじゃない!」 「……そーだな」 似合うか似合わないかでいえば、多分似合うのだろう。少なくとも、御幸みたいなガタイのいい男よりは、きっと。必要最低限すぎる相槌ではあったが、凪沙は嬉しそうにはにかんでから、ワゴンの店員に向かって財布を取り出す。 「お姉さん、これ買います!」 「ありがとうございます! ごゆっくりお楽しみくださいね!」 「はい!」 「え、いや──」 俺はいらない、そう続けるつもりだったが、凪沙は既に紙幣を店員に渡した後だった。つまり、この頭の上でグラグラしている物を、付けて歩けと言うことらしい。ウキウキとカチューシャをつけ直す凪沙に閉口していると、不服そうな御幸の視線に気付いてフフンと得意げに鼻を鳴らす。 「これもまた変装よ。ご覧なさい、みんなつけてるじゃない」 「そりゃあ──まあ、そうだけど……」 確かに、十代〜二十代の客のほとんどがこうしたカチューシャを身に付け、ポップコーンの入ったバケツを首からぶら下げている。こうした方が『自然だ』と訴える凪沙の言い分はまあ分かる。分かるのだが、どうしても公私混合しているとしか思えないはしゃぎようなのが、少し気になる。 「さあ! 行きましょ! こんな広い場所で、見失ったら事よ!」 そんな御幸の物言いたげな視線を無視し、彼女は御幸の腕を鷲掴みにしてズンズンと歩き出す。思いの他力強いそれを振り解くこともできず、御幸は引きずられるようにして歩き出す。けれど、凪沙はすぐにピタリと足を止める。 「あ! ねえ! あれポップコーンよね? みんな持ってるし、あれも買った方がいいかしら? そうよね、そうに決まってるわ! すみませーん!!」 次はポップコーンを売るワゴンに目を付けた凪沙は、目を輝かせながら御幸を引きずっていく。こいつは一体何しに来たのか。そんなボヤきも無視して、凪沙はウキウキとしょうゆバター味とキャラメル味のポップコーンバケツを抱え、ご満悦な表情を浮かべていたのだった。 |