御幸一也に助けを求める

※モブ男(他中くん)が出ます


































 人の好意が必ずしも好意的に受け取れるとは限らない。恋人である御幸一也を見ていればそんなこと言われずとも分かっているつもりだったし、数こそ少ないとはいえ、自分だってそういった状況に陥ったこともある。しかし、今回こどそれが痛烈に理解できた日はないと、天城凪沙は苦い顔をして乾杯の音頭を取った。

 出会いは、何だっただろうか。真田と同じ科の生徒だと聞いている。友達かと言われると分からないと本人も言っていたが、ゼミか何かが同じらしい。その関係で何度か一緒に昼食を取った。とはいえ、真田の友人何名かと凪沙の友人何名かも交えた、中々の大所帯。そこで一言二言交わしたレベル。自分の話をするのが好きなタイプの男だった。あーこういうタイプかと、笑顔でうんうんと聞き手役を徹したのは真田の顔を立てるのと、波風を立てないようにするため。だが、それが彼にとってのきっかけだったのだろう。何故か事あるごとに話しかけてくるようになった。連絡先を交換したい、一緒に遊びに行こう、飲みに行かないか──名前ぐらいしか知らない相手なのに、こんなにぐいぐい来られて恐怖以外の何を抱けというのか。

『私、恋人がいるから、男の人とは遊びに行かないことにしてるんだ』

 勿論、凪沙だって馬鹿じゃない。好意を抱かれていることは分かるが、直接的に伝えられたわけではない。だからこそ、断り文句は『あなたが嫌いです』ではなく、『恋人がいるから二人きりにはなれない』というもので。当然、普通ならそれだけでも十分な牽制になる。だが、その男──経済科の他中はどうにも人の話を聞かない性質であるらしい。

『またまたそんな』

『ちょっとぐらい大丈夫だって』

『彼氏だなんて、嘘なんじゃないの』

 ぶっ飛ばしてえ、と思ったのは何も一度や二度ではない。どういう立場で物を語ってるのだこの男、と。だが、卑怯にもこの男は凪沙に一度たりとも好意を伝えていない。ただ、執拗に話しかけてきて、遊びに行こうと言って来るだけ。だからこそ、こちらとしてもこれ以上は突っぱねられない。それが腹立たしい。だから二人きりにならないよう友人各位にも取り計らってもらっていた。同じ科じゃなくてよかったと思いながら、今日も今日とて他中の陰がないかどうか、気を張り巡らせる羽目になっている。

「ハー……しんど」

「凪沙ほんと大変だよね、変なのに付きまとわれてさ」

「マジでどういう神経してんだか。凪沙には彼氏いるっつってんのに、聞こえてないわけ、あのバカ」

「そーそー。私らからもしつこく連絡先聞き出そうとしてくるし、ほーんと迷惑」

 友人たちの昼食の場、話題の中心は件の他中である。ここ最近の凪沙はほとんどの時間を友人か、そうでなければ真田と共に行動していた。凪沙が迷惑がっていることは誰もが理解していたので、他中から逃げる為にこうして協力してくれていた。理解のある友人に恵まれたことは幸運だったと言える。

 ぱんっ、と友人の一人が場の欝々とした空気を吹き飛ばすように手を鳴らす。目をぱちくりとさせる凪沙たちに、彼女はにっこりと微笑む。

「ねー、凪沙。今週飲みに行かない?」

「今週?」

「あ、テニスのバイトだっけ?」

「今週はね……えーと、あ、夜は空いてる」

「じゃあ決まり! 作戦会議、もとい鬱憤晴らしよ!」

「作戦会議?」

「いい加減あのバカ何とかしないと、ストーカーになりかねないでしょ?」

 ご尤もである。名案も出ないままずるずると数か月が経過している。本格的に何とかしなければならないとは凪沙も思っていた。

「凪沙、真田くんも呼べないかな?」

「あー、そうだね。聞いてみる」

 他中はもともと真田が連れてきた男だ。学科も同じだし、同性からの意見も欲しいところである。この件については真田も申し訳ないと顔を合わせるたびに平謝りするほどなので、声をかければきっと協力してくれるだろう。スマホを出す凪沙の横で、友人の一人がそわそわし始めた。

「真田くん、来るかな……」

「んー、週末なら大丈夫じゃないかな」

「そ、そっか。そうだよね……!」

「ちょっとあんた何その笑顔。マジで真田くん狙うつもりなの?」

「え、あの話ほんとだったの?」

 友人の指摘に凪沙はスマホから顔を上げた。確かに少し引っ込み思案で物腰柔らかなこの友人は、確かに真田をよく見つめていた。他の友人たちと『実はそういうことでは』なんて予想はしていたが──。

「ね、狙うとかそんなんじゃないよ! さ、さなだくん、ホラ、モテるしさ。私なんか全然釣り合わないし、そもそも彼女いらないーって人だし、そんな、全然、ちがくて、わたし」

 声を裏返しながら必死に弁明する友人に、真田には悪いが応援したくなるのもまた、友人として当然のことだった。ただ、同じく友人である真田を思うとこれでいいのか、という迷いもある。真田はイケメンだ。気さくだし運動神経もいい、モテて当然だ。御幸くんには負けるけどね、なんて凪沙はひそかに思っているが。

 閑話休題。ただ、彼はモテすぎるのが嫌で、虫除け替わりに凪沙のもとに身を寄せていた。今は部活に集中したい、と零している姿もよく見かけたし、だからこそ御幸との関係が良好な凪沙に目を付けたのだ。ただし凪沙だっていつでもどこでも一人で行動しているわけではない。だからこうして、凪沙と友人が一緒にいる中で真田が来て、凪沙の友人たちと言葉を交わすこともあった。彼女たちにも真田の事情は伝えてあるから安心していたが、こういう事故が起こることは想定すべきだったか。真田の事情も考慮すると、友人の恋はあまり主だって応援できない。しかし、友人の恋を黙って枯らすのも忍びなく。

「あ、あの、凪沙、ほんと気を遣わないで! わたし、その、『友達』──ううん、顔見知りで十分なの! 野球、応援してるだけで──満足で……」

 そう言いながら、顔を真っ赤にして俯く友人。ますます応援したくなるいじらしさである。上手くいってほしいとは思うが、そこは真田次第である。凪沙を利用しようという気はないらしいし、そこまで心配する必要はないと判断した凪沙は真田に一報入れる。他中くんの件で相談がある、と。すぐに既読がついて返事が来る。

「『今週はゼミの仲間と飲み会が入ってるから無理』──か」

「け! 誰のお友達のせいで凪沙が付きまとわれてんだって話!」

「真田くん的にも友達だとは思ってないみたいだけどね……」

 他中はあまり同性からも好かれていない性質らしい。真田の人の好さに付け込んで、引っ付き虫のようにくっついてきているだけ、に見える。少なくとも、凪沙から見れば。

「まあいいや。みんなで普通に飲もう!」

「分かった。いつものから揚げんとこね、予約入れとく。十九時でいいよね」

「流石仕事がはやーい!」

「すてきー!」

「かっこいー!」

「へっ、よせやい」

 そんな風に、友人たちとの穏やかな日常が進む。大学に入学して二年、気の置けない友人に囲まれ、バイトやサークルにも精を出し、遠くの地で活躍を続けている恋人とは会える日こそ少ないが順調に付き合いは続いている。時折こうしたトラブルもあるが、この程度些細なものだ。昼食の弁当箱を引っ張り出しながら、提出期限の近いレポートについて友達と額を突き合わせながら、そんな幸福を噛み締めるのだった。

 ──その様子を、熱心に見つめる影があることに気付かずに。



***



「凪沙ちゃん、またねェ〜」

「はーい、また来週!」

 今日のレッスンは主婦層がメイン。親子ほどの年の差がある相手へのレッスンは骨が折れるが、今日もメインコーチと二人三脚で何とか乗り越える。その後は後片付けとレッスンの反省会と生徒一人一人の指導・アドバイスのレポートまとめ、やることは山積みだ。ようやく全ての業務を片付け、シャワーの後軽く化粧をしてから凪沙はテニスバックを背負って待ち合わせの飲み屋に向かう。合コンでもないんだし、とジャージ姿のまま走る。大学とテニススクールと居酒屋、ついでに凪沙の家は全て徒歩圏内にある。何もかもが一か所に集中しているのがこの町のいいところである。

 店の前で待つ友人たちの背中を見つけて、おおい、と手を上げようとして──ぴしりと固まった。なんなら、このままくるりと背を向けて逃げ出そうかと思ったぐらい。

「遅いんだよ、天城──うわお前ジャージかよ、女捨ててんなあ!」

 いる、なんかいる。顔見るなり失礼極まりないことを言い出す何かが。うげ、という表情を隠すことなく晒す凪沙に、件の問題児である他中は馴れ馴れしく声をかけてくる。その背後には、殺気立った友人たちと、それ以上に苛立ちを隠そうともしない真田たちがいた。

「他中、お前先入って席取っとけ」

「予約してっから大丈夫だって」

「いーから、早く、行け」

 珍しく怒っている様子の真田に、他中はひゅっと息を頷いた。このガタイで、顔立ちの良さから凄めば中々の雰囲気だ。他中はいそいそと居酒屋に入っていき、真田の友人たちもそれに続く。残された凪沙の友人たちと真田で、大仰にため息をついた。

「どういう状況?」

「どうもこうもないわよ、あのストーカー! あいつ、今日あたしらがここで飲み会やるって、どっからか聞きつけてたのよ!!」

「で、そんなの知らない俺たちは、ゼミの飲み会の会場、あいつが押さえるっつーから任せたらコレ」

「真田、なんであんな奴とつるんでんのよ!」

「仕方ねーだろ、ゼミで同じ班なんだから……」

 真田も、流石にこれは我慢ならないとばかりの表情。ここまでくると気持ち悪い以上に恐怖すら感じる。どうしたものかと凪沙は思わず苦い顔を浮かべる。

「凪沙、今日は帰る? あいつマジやばいよ!」

「こっちの話全然聞いてないしさ……」

「しかもさっきの言い方何!? 信じられない、失礼すぎるよ!」

 自分を心配し、怒ってくれる友人たち。理解ある友人たちで本当に良かった。せっかくの機会だが、あれが一緒では酒も食事も不味くなりそうだ。凪沙さえいなければ他中は非常に大人しいという。ひっそりと帰った方が自分の、そしてみんなの為にもなりそうだ。だが、真田が一人首を振る。

「だったら俺も一緒に帰る」

「え、なんで?」

「あいつ、天城さん帰ったって知ったら、追いかけてくるぞ」

「まさかそんな、ストーカーじゃあるまいし──」

「ありえない、って言い切れるか? 俺は家まで付いてくると思うけど」

 ──ぞっとする。女子全員が身震いした。ありえる、全然ありえる。おまけに凪沙の家はここから徒歩で帰れる場所にある。家が割れるのは、凪沙にとっても望ましくない。

 だが、ここで真田まで抜けてしまうと、残った他中の処理は誰がするのか、という話にもなる。先ほどのやり取りからも力量関係が分かるように、真田ならある程度他中の手綱も握れる。その真田が抜けてしまえば、残された彼女たち、或いは彼らがあまりに哀れだ。何より──。

「(……好き、なんだもんねえ)」

 友人の一人が、好きな人に近づける絶好のチャンス。凪沙も真田とは友人ではあるが、定期的に飲み会を開催するほどの仲ではない。彼女にしてみれば千載一遇のチャンスを、こんな形で奪ってもいいのだろうか。人の心配をしている場合でないのは百も承知だが。

「……凪沙、彼氏に迎えに来てもらったら?」

 そんな凪沙の葛藤をある程度読んだのか、友人の一人がそんなことを提案した。思わず、真田と凪沙がちらりと横目で視線を合わせる。何故ならそんなことは不可能だと、二人は知っているからだ。

 大学の友人たちとは出会って一年になるが、当然恋人である御幸一也のことは誰にも話せずにいた。『高校時代の恋人で、今は遠くで音楽活動をやっている』──凪沙が彼女たちに説明しているのはこれだけ。御幸がバンドマンにコスプレをしている写真を見せれば、誰もが納得した──真田は人知れず笑い転げたのだったが──。しかし、それは世を忍ぶ仮の姿。今や球団史上数十年ぶりに十代にして一軍にまで駆け上がった天才・イケメンで名高いプロ野球選手、御幸一也その人だ。呼んですぐ飛んでくるような暇人ではない。

「天城さん、帰ろうぜ。あいつ、そろそろ冗談じゃ済まねえよ」

「……でも、」

「でも、じゃねえだろ」

「違う。今逃げたって、あの人ずっと追いかけてくるでしょ。もうあの人のことで色々うだうだ悩むのもう疲れた。嫌だよ、めんどくさい!」

 仮に自分一人が迷惑を被るだけなら、まだ許せただろう。だが現にこうして友人たちも、真田も、そして恐らく真田の友人たちも、他中の行動に振り回されてほとほと参っている。もういい加減、決着をつけねばならない。どのような対応がいいのか、凪沙には分からない。ただいくつか付け入る隙があるとしたら、他中は凪沙の『恋人がいる』という発言を真に受けていないこと。そして、他中の気が大きいのは、いかにも人が良くて気弱そうな凪沙みたいな人間に対してだけ、ということ。

「よし分かった。呼んでみる」

「マジでぇ!?」

「凪沙の彼氏見れるの!?」

「嘘ほんとに!? 見たい見たい!」

「待て待て待て!」

 はしゃぐ友人たちを横目に、ただ一人事情を知る真田だけが焦ったように凪沙の腕を引いて少しだけ彼女たちから距離を取る。信じられないとばかりに真田は言う。

「無茶言うな! イケ捕、今日は横浜で試合だろ!?」

「お、よく知ってるね」

「そりゃ結城サンが言ってたから──じゃなくて!」

「あははっ、結城先輩はほんと後輩思いだなあ」

 一つ上の先輩──元主将の背中を思い出してくすりと笑みを浮かべる。真田と結城がどのような関係性なのかは分からないが、良好な先輩後輩関係で何よりだ。

 そう、これがオフシーズンならまだしも、現在七月の夜十九時。シーズン真っ只中、天気は晴れ、つまり絶賛試合中である。場所は横浜。あとで録画を確認しなくては──じゃなくて。どんなに試合が早く終わっても、東京まで辿り付くのに今から三時間以上かかるだろう。いくら恋人のピンチと言えども、試合を放り出して飛んでくるはずがない。それが分かっているからこそ、不可能な事を言い出す凪沙に苦い顔をするのだ。

「見栄張ってる場合かよ、大人しく帰っとけって!」

「ふふん。真田くん、君は私のことをちょっと見縊っているよ」

「何……?」

 怪訝そうに顔をしかめながら、真田はゆっくりと凪沙の手を放す。確かに、御幸一也を呼び出せれば丸く収まるだろう。他中はお世辞にも『イケメン』と呼ばれるタイプではないし、自分の勝てない相手にはへこへこする人種。圧倒的人生勝利者、とばかりのプロ野球選手と並び立つ姿を見せつければ、流石のストーカー魂もポキリと折れるはずだ。

 凪沙はわざとらしい動作でスマホを引っ張り出した。画面にはメール作成画面。宛先は『御幸一也』。信じられないとばかりに凪沙と画面を交互に見る真田に、凪沙は得意げに笑みを浮かべた。

「かつて私は、『天使』と呼ばれる程度には慕われてたんだよ」

(厄介な人に目を付けられるお話/プロ2年目夏)

*PREV | TOP | NEXT#