御幸一也と文化祭C

 その後、B組の助っ人に駆り出された凪沙はしっかり御幸の残りシフト時間分働かさせられ、ひたすらたこ焼きを焼き続けた。おかげで猫の手も借りたいであろう昼時であろうに、凪沙も御幸もあっさりと解放された。B組の友人たち曰く、

『デートの邪魔はできない』

『馬に蹴られたくねえもん』

『倉持に睨まれそう』

 などなど、様々な理由を口々にたこ焼き二パックを持たされた御幸は凪沙共々家庭科室から放り出されたのだった。露骨に気を回されては妙に恥ずかしく思えるのは何故なのだろう。二人は言葉少なに飲み物を自販機で購入し、屋上へと続く人気のない階段へ向かう。屋上には原則人は立ち入れず、加えて文化祭期間のため、踊り場には近くのクラスの机や椅子が所狭しと並べられている。二人は踊り場の手前の階段を椅子代わりにして、肩を並べて崩れ落ちるように腰を下ろす。

「あ〜〜〜……疲れた……」

「不思議。練習の方がよっぽど走り回ってるのに」

「慣れない分、今日の二時間の方がよっぽどきついって」

「一理ある」

 二人でそんなとりとめのない会話をしながら、つまようじを手に紙パックのたこ焼きを口に運ぶ。伝令役の倉持は文句を言いつつしっかりとその役目を果たしたらしく、ハズレなしのアツアツのたこ焼きを堪能することができた。

「おいし〜!」

「フッツーの材料のフッツーのたこ焼きだけどな」

「風情がないなあ。自分で作ったから?」

「それもある。せっかくならお前が作った方持ってくればよかった」

「私が作ったの、ワサビも唐辛子もモリモリにしたからね」

 どうせハズレなのだからと、凪沙はB組の友人とノリノリで一つのたこ焼きにワサビと唐辛子両方突っ込んだ超ハズレバージョンを錬成していたのだ。もれなく男子生徒たちは引き気味であったが。

「流石にお前が作ったのでも、あれは食えねえわ」

「えー、そこはどんな出来でも美味しい、って言ってくれるところでは?」

「じゃあ聞くけど、お前は俺が作ったロシアンたこ焼き食えんの?」

「……倉持くんはいい仕事したなあ」

「はいそこ、自分のこと棚に上げんなー」

 さっと目をそらす凪沙の頭を、御幸は軽く小突く。愛する人の手作りとはいえ、ワサビやら唐辛子やらがこんもり盛られたたこ焼きは口にしたくはない。人間現金なものである。

「そ、そういえば、お父さんにも、ハズレなしのあげたの?」

 御幸の父は、息子と二言、三言話してから凪沙に一礼して、すぐに立ち去ってしまった。ただ、その手には出来立てのたこ焼き一パックが抱えられていたのを、凪沙は忙殺されている合間にしっかり目撃していた。

「んー、いや」

「え、普通の渡しちゃったの?」

「俺もワサビ抜き作るっつったんだけど、これでいいんだと」

「ひえー。お父さん、粋な人だねえ」

「……どういうこと?」

 もごもごと、たこ焼きを頬張りながら御幸が凪沙を見つめる。きょとんと目を丸くする恋人は、縦にも横にも大きくなった野球部員とは思えないほどに可愛い。と、見えてしまうのは惚れた欲目だろうか。そんなことを考えながら、鰹節がぺたりと張り付くたこ焼きに目を落とす。

「『御幸くんが作った』、『みんなと同じ』、『たこ焼き』がよかったんだよ」

「……?」

 御幸はいまいち要領得ないとばかりにたこ焼きを咀嚼しながら、首を傾げている。ごくん、と太い喉が動くのをじっと見つめていると、御幸は少しばかり苦い表情を浮かべる。

「そういや、お前」

「む?」

「天城だろ、あれ。俺、親父には──」

 困惑したような声色は最後まで続くことはなかった。凪沙はたおやかに微笑むと、しーっ、と人差し指を立てて御幸の唇に寄せる。触れるか触れないかの位置で指を止め、ぎょっと目を見開く御幸を横に、凪沙はすっくと立ち上がる。それから借り物の学ラン姿のままぴょいっと階段から飛び降りて着地する。

「その話は、また明日がいいな」

「なんで?」

「今日は御幸くんと、文化祭楽しみたいから」

 文化祭は二日続く。しかし、御幸は──御幸たちは明日、後輩たちの応援に球場へ向かってしまう。後夜祭までには戻るようだが、二人で文化祭を練り歩けるのは、あと数時間しかない。どうせ種は御幸にだってわかってるはずだ。だったら。

「ね、だめ?」

「……だめなんて、言うわけねーだろ」

 そう言いながら御幸は最後のたこ焼きを口に押し込み、ぐしゃりと紙パックを潰して立ち上がる。軽い足取りで階段を下りてくると、凪沙と肩を並べて立つ。

「行くか」

「うん。まずは腹ごしらえに二年のクラスへ!」

「おいおい、まだ食うのかよ」

「御幸くんこそ足りないでしょ」

「ばれてたか」



***



 それから二人でアメリカンドッグやらトッポギやらで腹を満たしながら、校舎を練り歩く。文化祭のパンフレットを二人でのぞき込みながら、あっちへこっちへと練り歩く。腹が満たされるや否や、E組を冷やかしに行こう、と凪沙は鼻息荒く御幸の引っ張っていく。

「いらっしゃ──うわ、出たわね野球部」

 凪沙の友人が、こちらを見るなり苦い顔をした。ここのクラスは縁日を催しており、いくつかのゲームをチケットを購入することでプレイすることができるようだ。水鉄砲による射的、ストラックアウト、ボールすくいなど、様々なゲームがある。

「はいこれ、ゲームチケット三枚で百円。野球部はストラックアウト禁止だから、近付かないでよね」

「近づくのも駄目なのかよ」

「だめです。アドバイスされても困るから」

「ええー、マネージャーはよくない?」

「うるさいスポーツおばけ」

 辛辣な物言いの彼女は御幸と凪沙にチケットを渡して二人をクラスに押し込んだ。教室はそこそこの賑わいで、店番と思しき女生徒は浴衣、男子生徒はねじり鉢巻きにクラスTシャツという装いだった。

「木島たちいねえな」

「今の時間じゃなかったのかもね」

「まー会う約束してたわけじゃねえしな」

「じゃ、普通に遊ぼっか」

 そうして二人並んで、まずはスーパーボール掬いで遊ぶことに。ビニールプールに水が張られ、色とりどりのスーパーボールが浮かべられている。何人もの生徒や客が遊んでいるからか、波間は自然と荒れ、なかなかのゲーム難易度になっているようだ。借りた学ランを濡らさないように袖を捲る凪沙の横で、店番からポイとボウルを渡された御幸は、物珍しげにポイを眺めている。

「ポイなんか久々に見たわ」

「御幸くんって夏祭りとか行かない人?」

「んー……」

 考え込むそぶりを見せる御幸だが、答えはない。まあ、御幸はあまり夏だ祭りだと浮かれる性質ではないだろうし、意外には思わない。腕前拝見、と二人してビニールプールにしゃがみこんでポイを水辺に近づけた。すると。

「あ」

「えっ」

 べしゃ、と跳ねる水しぶきが見えたのが最後。御幸は間抜けた顔で破れたポイと落ちたスーパーボールを交互に見ていた。

「……え、もう破れた?」

「こっちのセリフですけども」

 まさか初手で破るとは思わず、凪沙の目も丸くなる。苦肉の策とはいえ、趣味・特技に『料理』を上げる男とは思えないほどの不器用っぷりだった。

「こんなすぐ破れるもんだっけ」

「そりゃそんなべっちょり水浸けたらね……」

 御幸は思いっきりポイを水に入れていた。そりゃあ破れもする。まさか、やったことがないのだろうかと凪沙は毒気を抜かれる。

「御幸くん、金魚すくいとかボールすくい初めて?」

「いや、そんなことは……ない、ハズ……?」

 御幸はまたも考え込む。少なくとも即答できない程度には経験はないらしい。そりゃあ、凪沙だって金魚すくいのプロです、なんて自称するつもりはないが。

「なるべく水に浸けない感じで、こう、するっとね」

「ふーん……あ、もっかい」

 凪沙を横目に、チケットとポイを交換する御幸。御幸の負けず嫌い精神にポッと火が点いたのかもしれない。そう思いながら凪沙は軽々とボールを掬ってボウルに入れていくので、今度は御幸の目が丸くなる番だった。

「え、お前こういうのも得意なわけ……?」

「得意、ってほどでもないけど……人並くらい?」

 だが。凪沙のポイはすでに小さな穴が二つも空いているというのに、粘りを見せつつスーパーボールを掬っている。御幸も凪沙の動きに習ってなんとか一つボールを掬うも、ポイの中央には大きな風穴が空く羽目になった。

「……?」

「いや、ポイに欠陥はないからね」

 不思議そうに破れたポイを眺める御幸に、凪沙は笑いを堪えながらその一言を絞り出すので精一杯だった。結局、御幸がボール一つを掬う間に、凪沙は破れたポイで五つのボールを掬い上げたのだった。

 気を取り直して、と二人は射的コーナーに並ぶ。水鉄砲で何メートルか離れた場所に釣られたティッシュの的を狙うという、中々難易度の高いゲームだった。実際、ほとんどの人が的に掠ることさえできていない。

「放物線描くし、普通の射的より難しそー」

「当たっかな、コレ……」

 二人して水鉄砲を渡され、並んで立つ。試しに何発か打って見て、距離感や弾道を確認する。それから立ち位置や角度を微調整。二人はゲームとはいえ、表情は真剣そのもの──そしてファーストヒットは御幸が飾ることに。

「お、当たった」

「狙い撃ちは得意分野だもんね」

「流石に水鉄砲は守備範囲外だって、の」

 そう言いつつ、再びヒット。先ほどの不器用っぷりが嘘のようだ。的に狙いを定め、プラスチック製の水鉄砲を両手で構えるその横顔に心臓がどきりと妙な動きをする。本当に『雰囲気』のある恋人だと、凪沙は意識を的に集中させながらトリガーを引くのだった。

 そうして水が尽きるまで打ち尽くした結果、惜しくも射的ゲームは御幸に軍配が上がった。まだ凪沙の手元にはチケットが一枚残っていたが、不思議そうにする御幸の背を押して凪沙はE組の教室を出る。

「え、まだチケット残ってるだろ?」

「い、い、の!」

 何せ真剣そのものの御幸を見て射的ゲームに並んでいた女生徒たちが色めきだしてしまったのだ。注目を集めているのに慣れているからかさほど気にしたそぶりを見せない御幸だが、放っておくとサインくれツーショットお願いとか言われかねないのを、凪沙はよくよく知っていたのだ。

「それよりさ、C組のお化け屋敷行かない?」

「いいけど、お前ホラー平気だっけ」

「うーん、嫌いではないけど、ってレベル。御幸くんは?」

「亮さんに鍛えられてっからある程度は、って感じ」

「小湊先輩のホラーテロすごかったもんね……」

 親愛なる先輩が、ホラー映画片手に突撃してきたのはいい思い出である。御幸の顔色はいつも通り。おばけが怖いという性質ではないらしい。少しばかり残念だ。そんな御幸も見たかった──は流石に悪趣味だろうか、なんて思いながら二人で軽い足取りで社会科室へ向かう。

 C組のお化け屋敷も中々雰囲気があった。流行りのホラー映画を全力でパロディしているようで、見覚えのあるロゴの看板が二人を見下ろす。受付の生徒はいたって普通の制服姿で、社会科室の中をちらちら見ながら客のコントロールを行っている。二人で百円を払って光量を絞るためにテープが張られた懐中電灯を受け取り、暗闇の広がる社会科室に足を踏み入れる。

「おおー……」

「結構暗いね」

 窓には天幕が何重にも張られており、ほとんど光が入ってこない。まさに光源はこの懐中電灯のみだ。

「何者かが『帰らずの迷路』に宝石を隠してしまいました。三つの宝石を回収して、ここに帰ってきてください」

「はーい」

「宝石は呪われています。お帰りの際は、どうぞお気をつけて」

 そう言って戸を閉める店番。スタンプラリーのようなものなのだろう。宝石を目指してこの暗い教室を練り歩く必要があるようだ。こういったお化け屋敷には珍しく、設定がRPG風だ。お化けはお化けでも洋装なのかもしれない。ただ、足を踏み入れるなりいくつもの視線が向けられたのが分かった。だが、姿はない。暗闇に紛れてあちこちに脅かし役が潜んでいるようだ。

「足元気をつけろよ」

「あ、うん」

 床は段ボールやらタオルやら敷いているのだろうか、踏むたびにでこぼことした奇妙な感触がする。まるで山道でも歩いているかのようだ。歩みを遅くするためなのだろう、中々凝った設計だ。

「うわ、っと」

 柔らかい床、盛り上がった床、ひたすら歩き辛い道に凪沙はバランス崩して御幸の広い背中に鼻をぶつける羽目になった。親しみのある制汗剤の匂いがして、頬が緩みそうになる。だが、脅かし役があちこちに潜んでるのは分かっている、誤魔化すように凪沙は鼻をこすった。

「なんて固い背中……」

「悪いね、鍛えてるんで」

 茶目っ気たっぷりにそう言って、御幸は鼻をこする凪沙の手を取った。かっと顔に熱が集まる。

「い、いいよ別にっ、」

「まーまー、お化け屋敷の定番だろ?」

 それはそうなのだが、脅かし役が虎視眈々と狙いを定めてきている中でイチャつき出すのは如何なものか。だが、御幸は気にした様子はなく右手に凪沙の手、左手に懐中電灯を掲げて歩き出す。心なしかこちらに向けられる視線に仄かな殺気が混じったような気がしたが、気のせいだと割り切って迷路を進んでいく。

「宝石ってこれ?」

「高校生にもなって見ることになるとは思わなかったなあ」

 一つ目の宝石は入り口付近で、特に脅かしもなく見つかった。箱に入っていたのは所謂プールで『宝探し』に使われるような宝石型にカットされたゴム製のボールだ。赤色のそれを凪沙は手のひらで転がしながら、懐かしいねえなんて言い合った。

 だが、平和に終わったのはここまでだった。宝石は呪われている──その設定通り、宝石を手にした途端に脅かし役があの手この手で御幸たちを襲った。足を掴まれる、背中に氷を入れられる、背後で爆発音──恐らく風船か何かを破裂させたのだろう──など、色々な『呪い』が降りかかった。何故かターゲットが全部御幸なのは、『呪い』たちの私情だろうか。意地でも手を離さない御幸も御幸だが。

 それから五分ぐらいうろうろ練り歩いた後、二人の足は止まることに。

「……こっちの道通ったっけ?」

「多分……じゃあ左?」

 二つ目の宝石も比較的簡単に見つかった。だが、あと一つがどうしても見つからない。ただでさえ通常の教室よりも広い教室なのに、段ボールなどで壁を作られ、狭い通路があちこちに張り巡らされている。右に行っては行き止まり、左に行っても先がない。視界は暗く、右も左も似たような段ボールの壁ばかり。どっちから来たのかも分からなくなる上に、定期的な脅かしも襲い掛かってくるのだ。

「なあ」

「ん?」

「ここ、入れると思う?」

 そう言いながら御幸が懐中電灯で照らしたのは足元だ。人一人ギリギリ通れるかどうかのトンネルが空いているが……。

「これ、幽霊用じゃない?」

「やっぱそう思う?」

 脅かし役のトンネルにも見えなくもない。ただ、さっきからずっと同じような場所をぐるぐる回っている二人は怒られ覚悟で腰を落として四つん這いになり、段ボールでできたトンネルをくぐった。スカートじゃなくてよかったと思いながら潜り抜けると──。

「え、あった!」

「マジ?」

 トンネルを潜り抜けた先は人一人立つのがやっとというスペースに、最後の宝石が配置されていた。急いで青色の宝石を掴み、素早くトンネルに潜り込む。その間、御幸は『呪い』との必死の攻防を繰り返していて。

「よし揃った! 出よう!」

「おし!」

 そうして『呪い』の手を振り切って二人は入り口を目指す。暗い迷路だが、入り口付近は何度もドアが開け閉めされるのでその都度光が漏れるのだ。明りに集う蛾の如く、二人は手を繋いだまま狭い迷路を駆け抜けていく。そしてようやく辿りついた入り口から出ようとしたその時──。

「「──!」」

 突如、入り口を塞ぐように立ちはだかる巨大な影に、思わず足を止める二人。大きな影はゆっくりと、凪沙たちを振り向いたその影の顔を見て、二人は感嘆とも取れる息を吐いた。

「おお……これは、確かに……」

「まあ、怖いっちゃ怖いけども……」

「そう思うならもうちょいええリアクションせえや……」

 血糊で真っ赤に染まった衣装、顔にもべっとりと血糊が塗られているその姿はまさしく幽霊なのだろう。ただ、大柄で、坊主頭の強面のその佇まいは幽霊というよりも極道の関係者。幽霊と思しき仮装をする前園を前に、二人は労わるような眼差しで迷路から回収してきた宝石を渡したのだった。

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