「というわけで進路変更をしました!」 「おおー」 ぱちぱちと、やる気のない拍手を送る御幸に、凪沙はふふんと胸を張る。先日、御幸は自らの道を定め、凪沙はそれを応援し、傍にいると決めた。とはいえ互いに学生の身分。ひとまずは口約束だけに落ち着き、二人で生きるために何が必要かと凪沙は考えた時、真っ先に思い当たったのが自身の進路であった。御幸はもう進む道を決めた。ならば次は、凪沙の番だ。 夏休みも残りわずか、後輩指導もそこそこに溜まっていた夏休みの宿題を片付ける、という名目で御幸は凪沙の家を訪れていた。日付上は平日のため両親共に仕事で不在という魅惑的な誘いを跳ね除け、なんとか宿題を片付けていく二人。何だかんだ御幸は勉強が不得意ではないし、凪沙も文系科目以外はさほど不得手ではないため、互いの知識をカバーし合えばワークブックは見る見るうちに埋まっていったのだった。そうして休憩がてらの雑談中、凪沙はそんな宣言をしたのだった。 「第一志望は、結城先輩と同じM大学です!」 「結構レベル高えな」 「高いよ! 一応模試は受けてたけど普通にD判定だったよ!」 「でも行きたいんだ。なんで?」 「行きたい学部が結構珍しくて、ここかクリス先輩の大学ぐらいしかなくて……」 「クリス先輩W大だっけ。哲さんとこより厳しいだろ」 「そゆこと。他はもっと偏差値下がって、親があんまりいい顔しなくてさー……一応滑り止めがN大だけども。ほんとは女子大に行きたかったんだけど、行きたい学部がないんだよね。短大ならあるんだけど、やっぱ四年制の魅力には抗い難く……!」 古今東西、受験生の悩みの種は尽きることはない。凪沙の親は特別教育熱心というわけではないが、姉が高校を中退しているため、どうしても凪沙に期待が向いてしまうのだという。金を出すのは親だ、せめて親が喜ぶレベルの大学に行きたいと考えるのは当然のことだった。しかし凪沙が一番行きたい学部は関東圏でも十校あるかないかという珍しい学部らしく、あまり選択の余地がない。短大や専門学校という道もなくはなかったが、勉強だけでなくバイトやサークルにも精を出したいと願う凪沙の第一志望は四大になった。 「へー、女子大、行きたかったんだ」 「ほんとはね」 「なんで?」 「三年間、男子ばっかの野球部に身を捧げてきましたからね。大学くらいお守りから解放されたい! 女友達がたくさん欲しい!」 「──で、ほんとのところは?」 「……想像、ついてるんでしょ」 にたにた笑いながら麦茶を煽る御幸に、隣に座る凪沙は唇を尖らせる。分かってはいるけれど、どうしても凪沙の口から言わせたい。凪沙はしばし言い淀んだ挙句、ふいと視線を外した。 「……共学よりは、出会いないし、御幸くんも安心するかな、って」 「ほーんと、いい彼女だよ、お前」 ぐりぐりと頭を撫でまわす御幸の機嫌はすこぶる良い。凪沙自身にその気はなくとも、相手側はどうかは分からない。凪沙はこの豪胆な性格と運動神経に反し、見た目は非常に大人しそうな文系少女といった体。それこそ、『ちょうどいいから』と、目を付けられるようなタイプ。それを自覚しているあたり、彼女の賢さに御幸は満足げに頷くも、凪沙自身は不満げだ。 「私、これでも自分がどう見られてるのか自覚してるんだよ」 「へえ、意外」 「だって道歩いてるだけで国籍性別年齢問わず道聞かれるし、変な宗教勧誘されるし、不審者に遭遇したことだってあるんだよ……これまでの人生、何度も何度も……!」 「お、おお……」 「一方でお姉ちゃんは歩いててもナンパぐらいしか声かけられないって言うの!! 分かるよお姉ちゃん美人だしね! でも多分これそういうことじゃないなと! お姉ちゃんめちゃくちゃ気が強そうに見えるからね! つまり! 私は! 舐められていると!!」 力説する凪沙に、まあそうだろうなと御幸は思ったが流石に口にしなかった。凪沙の姉に会ったことはあるが、宗教勧誘なんか鼻で笑いそうな強かさが見た目から発せられていた。対して妹の方はいかにも気弱そうで、優しく、人の話を永遠にうんうんと聞き入ってくれそうなオーラがある。どんな目的があろうと、声をかける方も相手を選んでいるのだ。どうしても困ったことがあったら、姉と妹の二人なら御幸でも後者に声をかけるだろう。 「そういうわけで女子大がよかったんだけど、学部がないので共学です」 「まあ、そこは学部や学力優先だな」 「……ごめん、ね?」 「いいって。そんだけ危機感持ってくれてんなら」 世の中には女なら──弱そうなら──何だっていい、といういかれた連中もいるのだ。『自分にはそんな魅力はない』と危機感なく歩かれるよりは何倍も安心できるし、信頼できた。そんな話をしながら、凪沙は大学のパンフレットをぺらぺら捲る。大御幸もパンフレットや冊子を見ながら、ニッと笑う。 「こういうの見てっと、進学も考えたくなるな」 「大学生の御幸くんも見たかったなあ」 生活サイクルはだいぶ違うだろうが、それでも一緒のキャンパスで勉強をしたり、遊んだり、まだまだ『学生生活』を謳歌したかった、という思いはある。御幸にも、凪沙にもだ。だが、それはきっと、叶わぬ『夢』のお話だ。 「でも、もう決めちゃったんだもんねえ」 「まーな。進学だと尚更金かかるし」 「出世払いで有り余るんじゃない?」 「それでも四年の差はでけーよ」 「プロ人生も、長くて二十年そこそこだろうしね」 「だろ? だったら、一年でも長くプロで野球やってたい」 「おおー、インタビューモードの御幸くんっぽい!」 「インタビューモードの俺って何だよ」 一年の頃から取材を受けていた御幸は、場数を踏むうちに取材受けのいい言い回しが得意になっていたらしい。けらけらと笑いながら、以前のインタビュー内容を思い出していると、少し照れくさそうに御幸が自分の膝をぽんぽんと叩く。 「ん」 「んー?」 「こっち」 御幸は、多くは語らない。ただ膝上を指し示すだけ。少しばかりの逡巡の後、凪沙はのろのろと御幸の膝の上に腰を下ろす。すかさず腹部に手が回され、ぎゅっと背後から抱き寄せられた。 「どうしましたか、御幸くん」 「……別に?」 「寂しんぼですか」 「デートでイチャついて悪いかよ」 「悪くない!」 破顔する凪沙を、御幸は強く強く抱きしめる。晒された首元に顔を埋めれば、それだけで凪沙がくすぐったいときゃあきゃあ騒ぐ。 「来年からは、こういう機会も減るだろ」 「入寮は一月だっけ」 「指名もらえりゃな」 「もらえないなんてありえないでしょ!」 「だといーけど」 「そしたらこんな風に遊べなくなっちゃうねえ」 「だからこの数か月、めいっぱい充電する」 充電、と凪沙が繰り返す。これから先、こうして会う機会さえ少なくなる。プロ野球選手のスケジュールは凪沙も、御幸でさえ分からない。だが、学校へ行けば毎日のように会える今とは比べ物にならないほど『機会』は失われるのは、火を見るよりも明らかだ。だから、ただの御幸一也でいるうちに、二人でできることをしたい。 「そだね。一回ぐらいは普通に外でデートしてみたいな」 「一回でいいのかよ」 「お互い忙しい身ですし。御幸くんは、お出かけするの好き?」 「あんま考えたことねえけど、天城と一緒ならどこでも楽しいって」 「どうしたの御幸くん。インタビューモード抜けてないよ」 「こらこら」 からかう凪沙の首元をべろりと舐めると、えっちだえっち、と騒ぐ。そのまま首から肩にかけてのラインに唇を寄せる御幸に、ついに我慢の限界と凪沙はぺちんとその頭を叩いた。 「隠せないから、夏場はダメです!」 「いいじゃん、見せつけてやれば」 「そういうわけに──ちょ、こらっ、みゆ、ン」 制止の声も聞かず、キャミソールの肩紐を引っ張って、ちゅう、と吸い付けば、わあわあ言っていた少女の声音が途端に色香を纏う。唇を離せば、そこだけ真っ赤に色付く。 「相変わらず綺麗につくな」 「つけちゃだめだって……ンモ〜……」 「そりゃそんな格好されたら、なあ」 「すけべ」 「健全な反応だって」 首元に舌を這わせながら、むき出しの太ももに手を滑らせる。ぎゅっと縮こまるように堪える横顔が、世界で一番愛おしい。逃げ出さないように腹部にしっかりと腕を回しながら、太ももからゆっくりと胸元に手が伸びる。むにむにと、その形を堪能するように揉むだけで息が上がってくる。はあ、と漏れた吐息は、外気よりもなお熱い。下腹部から徐々に熱を帯びだす御幸に、凪沙もまた気付かないはずもなく。 「お尻……その、当たって、る、んです、けども……」 「当ててんの」 そもそも凪沙は胡坐の上に座っているのだから、体勢上そうならざるを得ない、なんて御幸はいけしゃあしゃあと笑みを孕む。熱の籠った息をふっと背中に吹き付ければ、凪沙はビクンと震えて、か細い背中が弓なりにしなる。 「っ、ひゃ、ン」 「じゅーでん、だめですか」 これから先、少なくとも『約束』の五年を経るまでは、会うことさえ難しくなるのは二人とも承知の上だった。一分一秒でも傍に居たい、繋がっていたい、睦み合っていたい。人間として真っ当なな欲望と、御幸一也としての思いがそんな激情を生み出す。ただの御幸一也でいられるのは、あとどれくらいだろう。自分で選んだ道だ。彼女を巻き込んで、だ。後悔はしない。けれど、今だけは、ただの少年の我儘を。 「──思ったより、慣れるの早かったね?」 そんな我儘に、少女は挑戦的に応える。その言葉の意図に気付いた御幸は、堪え切れない笑みを零しながら小さな身体に覆い被さる。にやりと笑んだ生意気なその顔が、いつまで続くか見物だと思った。 (進路を決めるお話/3年夏) |