御幸一也はデートしたいJ

 どんな時でも十一時には眠くなるし、どんな疲れてても朝五時には目が覚める。習慣は彼女とのお泊り階程度では抜けきらないらしい。部屋は真夜中と変わらないぐらい真っ暗で、辛うじて腕の中に天城の安らかな寝顔が見えるだけ。寝てても幸せそうとは恐れ入る。流石、幸せ上手。

 昨日の夜はセックスして、もっかい風呂入って、ベッドに潜り込んだ。天城を腕に抱えながら、あれこれとりとめのない話をしているうちに眠くなって、どっちが先かは分かんねえけど、崩れ落ちるように眠りに落ちた。普段はアイマスクしてるのに、そんなの忘れるぐらい爆睡してたらしい。横に人がいる状態で、狭いベッドで寝れるのかとか、一瞬考えたけど杞憂だった。寧ろ、普段以上に質のいい睡眠が取れた気がする。

「(さて……どーすっか)」

 普段なら、起きて早朝のランニングに向かうのがルーチンワーク。ただ、人んちに泊まりに来てまでするか、という気持ちが半分、天城の寝顔をこのまま見ていたい気持ちがもう半分、ついでに天城を起こしたくない、という気持ちもあり。すぴすぴと幸せそうに眠る天城からは何かこう、マイナスイオンだとかそういった癒しの波動が出てる気がする。これを起こしてしまうのはあまりに酷だ。ずっと見てたい──あ、そうだ。

 枕元に携帯を置いといたので、身体を動かさずにそれを手にできたのは幸いだった。携帯開いて滅多に使わないカメラ機能を起動する。暗いのでフラッシュモードにする。起きるかこれ。いや爆睡してるっぽいし大丈夫か。はいチーズ。と、ボタンを押すと、『カシャッ』と思いの外でかい音が鳴って、眩いばかりのフラッシュが焚かれた。想像以上の音と明るさに、流石の天城もパチッと音が出そうなぐらい綺麗に目を見開いた。

「うわっ、」

「え、あ……おはよ……?」

「お、おはよ」

 忘れてた。こいつも普段五時起きだった。しかも寝起きはいいタイプだな、これ。ぱっちり覚醒してますとばかりの目が、俺と携帯を交互に見て、きゅっと釣り上がる。

「何撮ってるのー」

「え、や、写真撮るって話だったし?」

「そうだけど……なんでよりによって寝顔……」

「いやでもすげー幸せそうな顔撮れたぜ」

「どれどれ」

 興味深々とばかりに携帯を覗き込もうとする天城に、画面を見せる。まあ、普段自分の寝顔なんか見る機会ないもんな。だが、お気に召さなかったのか天城の顔はきゅっと顰められる。

「えー……なんか気の抜けた顔……」

「飯食ってる時もこんな感じだったけど」

「うっそお」

「これ保存していい?」

「こんなんがいいの……?」

「うん。これがいい。なーんか癒されるわ」

「御幸くんがいいならいいけどさ……はずかし……」

「よっしゃ」

 ありがたく保存させてもらう。すげーしんどい時もこの写真見たら悩んでたこともどうでもよくなりそうだ。天城は目をこすりながら、ぐっとベッドの中で伸びをする。

「五時かあ……もー起きる?」

「んー……二度寝しよっかな」

「おおー意外。てっきりロード行くと思ってた」

「今日ぐらいは、な」

「ん、そっか」

 幸せそうにはにかむ笑顔を、腕に抱く。幸せ。俺、世界一幸せな気がしてくる。なに、彼女いない奴って『これ』味わえねえの? 人生損してるとは言わねえけど、価値観一変するだろ。そう思いながら、『俺たちは野球が恋人』と豪語する連中の顔が浮かんだ時、そういえばもう一つ懸念点があったことを思い出した。

「……それに、この辺走ってたら自宅通い組と鉢合わせしそうで怖えーわ」

 この家は青道まで十分の距離にある。自宅通い組とうっかり鉢合わせしてしまった時、お前電車も動いてないのに何してんだ、って言われたら他に言い訳のしようがない。後輩ならまだしも、先輩に見つかるとヤベエ。哲さんとかこの辺に住んでるみたいだし。同じこと想像したのか、天城もアーと苦い声を一つ。

「結城家の人は結構な頻度で見かけるねえ」

「あー、やっぱり」

「兄弟揃って近所のスーパーで米担いでるよ」

「哲さんも買い物行かされたりすんだな……」

 と言いつつ、尊敬する前キャプテンが米担いでスーパーを出入りする姿は不思議と容易に想像できてしまう。やっぱ天城家の周辺は危険だ。ロードは家帰ってからにして、今日は天城と過ごすことに決め、野球や練習のことはシャットアウトする。今日は、デートなんだから。

 天城がじっと俺を見る。流石に二度寝しようって時に眼鏡はしてられないので、俺はその視線に耐える他ない。

「なんか、意外だったなあ」

「何が?」

「お泊りって、もっとこう、ドキドキするもんだと思ってたから」

「俺も。……まあ昨日ヤること散々ヤったしな」

「それは、うん、そうだね、あるかも、しれない……」

 そこは照れるのか。相変わらず照れるポイントがよく分かんねえ奴。可愛いからいいけどさ。そんな話をぽつぽつしてるうちに、天城の瞼が徐々に重くなっていく。とろんとした眼差しを見てるうちに、俺もだんだん眠くなってきた。腕枕してる方の手で、頭を撫でるように髪を梳くと、気持ちよさそうに腕にすり寄ってくる。こういうところが犬っぽくて可愛い。あー、可愛い。あったかい。幸せ。天城のぬくもりと匂いに包まれながら、俺もまたうとうとと眠りに落ちていったのだった。



***



 次に目を覚ましたら九時だった、ほぼ十時間ぶっ通しで寝たことになる。久々にこんなに寝て、スッキリとした目覚めを迎えた。今日は真っ当なデートをしようと、遅めの朝食を取りながら天城が見たがっていた映画を見る。デートらしく、と言う割に天城が用意していたのはアクション映画だった。まあ恋愛映画とかはあんまり趣味じゃないし、こういう見どころが分かりやすい作品の方がありがたいけど。綺麗にハッピーエンドで終わった映画の話を交えながら、時計を見るともう十一時半だった。

「お昼食べれそう?」

「全然いける」

「オッケー、お昼はこの不肖天城凪沙、作らせていただきます!」

「お前沢村節大好きだな」

 その言い回しされると馬鹿っぽい後輩の顔がちらついて嫌なんだけど、天城は妙に気に入っているらしい。よいしょと立ち上がる天城は、ローテーブルに広げたお茶とお茶請けを片付けてお盆に乗せる。

「じゃあ本でも読んで待っててー。できたら呼ぶから」

 ごゆっくり、と微笑む天城。その腕を反射的に掴んでしまい、きょとんとした顔が俺を見る。

「ん?」

「あ、いや、見てたいんだけど」

「見てたいって……作るのを?」

「そう」

 家でデートするってなって、飯は天城が作るって話に決まった時、密かに決めていた。『料理する天城の姿を見る』、って。

「特に面白みはないのですが……」

「見たい」

 俺は譲らない。天城は少し考えるそぶりを見せるが、すぐ頷いた。変な人、とくすくす笑いながら立ち上がる天城からお盆を奪い、俺も立ち上がる。

「なんでまた?」

「なんでも」

「えー、そこをなんとか」

「見てみたいから。以上」

「なにそれ」

 天城は不思議そうにしているが、実際俺はその問いに対する明確な答えを持ってなかった。何となく、見たい。天城が料理してるとこを。その理由が、うまく説明できない。天城は特に気にしないことにしたのか、適当な話しながら一階のキッチンへ向かう。こういう時、こいつが深く考えない性格で良かった。エプロンを纏ってキッチンに入る天城を、カウンター越しに見守る。

「んで、何作んの?」

「内緒。当ててみて」

「りょーかい。何か手伝えることあったら言って」

「はーい」

 手をひらひらさせながら答える天城。勝手の分からないキッチンにいたところで俺は邪魔になるだけだと、天城から直々に立ち入りを禁じられた俺は冷蔵庫から食材を引っ張り出す天城を見ることしかできない。材料は玉ねぎ、にんにく、鶏肉、ベーコン、パプリカ、それからキャベツ。野菜はさっと洗って慣れた手つきで切っていき、鶏肉は丁寧に皮を剥している。みじん切りのにんにくと玉ねぎをフライパンで炒めれば、それだけで食欲をそそる匂いが漂ってくる。

「慣れてんね」

「得意料理ですので」

 多分洋食だろうけど、まだ全貌が見えない。ぱちぱちとフライパンが油の弾ける音と、相変わらずリズムの取れない鼻歌が妙なハーモニーを生み出していて、見ているだけで心が安らぐ。だが、天城はもう一つ小鍋を用意して、切ったベーコンとキャベツを炒めはじめ、鼻歌が徐々にかき消されていく。てきぱきと切った材料を炒めていく天城を見ていて、ようやく腑に落ちた。この姿を、見たかった本当の理由。

「(そっか。俺、家で人が料理作るとこ見たことねえんだ)」

 親父はあまり料理が上手な方ではなく、いつも総菜を買って米とみそ汁を用意する程度。こうして野菜や肉を切って炒めて、なんて作業は物心ついた頃から俺の仕事。そうか俺は、こうして料理が出来上がっていく様を、見たかったのか。それも色んな人の為じゃない。俺の為に作られる、料理を。

 天城は黙々と米を炒め、ワインとコンソメとサフランを混ぜたスープとトマト缶を米に注ぐ。トマト缶のもう半分は隣の小鍋に注がれ、水を足して塩コショウを振って蓋をする。忙しなく動き回る天城は俺がそこで見ていることなんか目もくれず、料理に集中している。冷蔵庫から材料を取り出すたびにエプロンがくるりと翻り、結ばれた髪の毛がふわりと揺れる。そうだ、俺は、ずっと、こんな光景を。

 すると冷蔵庫から海老と水の張ったボウルに入ったあさりを引っ張り出した天城が、にこりと微笑む。

「もう分かった?」

「……パエリア?」

「正解!」

 もうしばしお待ちを〜、なんて言いながら具材をフライパンに放っていく天城。にんにくとサフランの利いた、すげーいい匂いがしてくる。米を蒸らしている間に、トマトとキャベツのスープも出来上がっており、アボカドをカットしてバジルで和え、ちゃきちゃきとした動きでレタスに盛り付けていく天城を見ながら、思う。

「(──こいつの所に、帰りてぇな)」

 まだ十七のガキの妄言だ、と人は言うだろう。だけど、あと一年で俺は世間一般的には結婚できる年になって、恐らくこのまま故障がなければプロからの声がかかるだろう。哲さんみたいに大学進学も考えてない訳じゃないが、多分高校卒業後の進路はほぼ一つ。そしたら俺は社会人だ。あと一年で、俺は自分の身体で金を稼ぐようになる。だから、自分の考えが時期尚早とはあまり思わない。

 この先の人生、俺が家に帰った時に『おかえり』と出迎えて欲しいのは天城だ。そして天城が家に帰った時は、『ただいま』と俺に言って欲しい。お前の為に料理を作りたいし、お前の料理は俺が食べたい。なあ、俺がおかしいのか。初めてのデートで、浮かれてるだけ? キスして、セックスして、その先の人生まで想像しちゃう俺が、天城のこと好きすぎるだけ?

「──いよぉし、できた! 御幸くんそこ拭いて鍋敷き置いて!」

「あ、ああ。はいはい」

 そんな中、鼻息荒くフライパンに取っ手を二つつけて持ち上げる天城の指示通り、テーブルを拭いて鍋敷きをテーブルの中央に配置する。キッチンからフライパンを持った天城が駆け込んできて、どんとテーブルにパエリアがぎっしり詰まったフライパンを置く。満足げな天城がふふんと笑って、俺を見上げた。

「なに?」

「んー、御幸くんがいるなあ、と」

「そりゃそうでしょ」

「そうなんだけどさ」

 ミトンしたまま天城が俺の傍に立って、じっと見上げてくる。流石に先ほどまで考えていたあれこれが見透かされるのは恥ずかしく、どうか何も悟るなと聡いこいつを前に念じていると、天城は少しだけ寂しげな表情で微笑んだ。

「まだ二十四時間しか経ってないのに、御幸くんが家にいることに慣れちゃったなあ、と」

「──!」

「明日から御幸くんが家にいないんだと思うと、寂しくて」

 そんな可愛いこと言われて嬉しくない男がどこにいるんだ。気付けば天城を抱き寄せて、ぎゅうと力いっぱい抱き締める。昨日と違ってにんにくとサフランの匂いしかしない。すげー美味そう。天城は慌てた様子もなく、ミトンをしたまま俺の背に手を回して抱き返す。

「寂しいねえ」

「……ん」

「でも、しょうがないよ」

「分かってる、けど、さあ……」

「今日はまだ続くんだから、楽しまなきゃ」

 腕の力を少しだけ緩めると、にこにこした天城の顔が俺を見上げた。今日はまだ、か。なあ、天城。“次”のことは考えちゃだめなのか。来年、再来年のことは、約束できないのか。なんて、言える権利は俺にはない。俺だって、今の生活を続けていく中で天城とこうして時間を作ることがどれだけ難しいかは十分に理解してる。だから天城は、敢えて触れないのかもしれない。そりゃあ、俺だってどうなるか分からない。俺一人のことならある程度は予測できても、自分以外の誰かの人生を含めた先のことなんて、分からない。だけど。

「ご飯、食べよ。お腹空いちゃった」

「……だな」

「御幸くん見張ってるからさー、つまみ食いできないの辛かったよ……」

「別に見張ってた訳じゃねえよ」

「そうなの? すっごい見てくるから監視されてるのかと」

「ちげーって。人の料理するとこが珍しかっただけ」

「ふうん? まあ楽しそうだったし、別にいいんだけども」

 そうして二人でテーブルを挟んで座る。パエリアと、トマトスープと、アボカドのサラダ。ザ・洋食。普段和食ばっか作る我が家では、物珍しい献立だ。どれ食っても美味くて、フライパンの中身はみるみるうちに消えていく。作り甲斐あるなあ、なんてケラケラ笑う天城を見て、やっぱりこいつがいい、と思ってしまう。これから自分の人生を生きていく中で、抱き締めるのもキスするのもセックスするのも、おかえりと言ってもらうのもただいまと言うのも、料理をするのも料理を作ってもらうのも、天城がいい。

 天城凪沙、だけがいい。

(初デート編 完/2年冬)


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