御幸一也は察せられた

 片岡鉄心は野球部名門校の監督であり、また、教師でもある。教師という仕事上、何百人──下手したら千人規模の子どもたちを見てきたと自負している。本当に色々な子どもたちを教えてきた。手のかからない子、厄介な悪童、困った熱血馬鹿、十人十色の生徒たちを教えるのは楽しかったし、そんな彼らが桜を背に巣立っていく姿は何度見送っても胸を打たれるというものだ。

 閑話休題。そんなわけで、片岡もベテランというほどの年齢ではないにしろ、そろそろ若手とは呼ばれなくなってきた頃合いである。それなりに多くの生徒を教育してきたし、それなりに生徒を見る目も養ってきた方だと思う。子どもたちが健やかに学び、伸び伸びと野球をして、卒業した後もこのこの学び舎を思い出せるよう彼らを見守っていく。そうして不安や悩みを抱える生徒には必要とあれば言葉をかけ、守り、育んでいきたいとそう思っている、のだが。

 教員生活数年目。そんな教師としての観察眼は、思わぬ『悩み』を拾い上げてしまった。

「高島先生」

「はい、どうしましたか?」

 太田は部会に出ているため、珍しくこの場にいない。そんな中で英語教師の高島と二人、プレハブで話し込んでいた時のことだ。窓の向こうを歩く野球部キャプテンの姿を見て、思わずそんな声が出た。

「いや、なんだ──最近、御幸を見ていて、どう思う?」

「御幸君、ですか? キャプテンとして、慣れないなりに頑張っているようですが……やはり、攻守共に精彩を欠きますね」

「そう、だな。進んで人の上に立つタイプではない。御幸なりに上手く立ち回ろうと必死なのだろうが……」

 新たにキャプテンに就任した御幸一也は、良くも悪くもキャプテン気質ではないタイプだった。責任感もあるし、ある種カリスマもある。ただ、どちらかといえば参謀タイプというか、主立ってリーダーシップを取る生徒ではなかった。結城哲也という偉大なキャプテンの後を継ぐとなると、面倒見のいい倉持や前園も候補に挙がったが、その中でも結城は御幸を推薦した。片岡もその選択に間違いはないと思っている。彼ならきっと、上手くやるだろう、と。今でこそ不安定さが垣間見えるが、器用な子だ。例え新しい体制になったとしても、きっと──。

「では、天城は──」

「天城さん、ですか?」

 次に口にした名前は、優秀なマネージャーのもの。幾度となく他の運動部の顧問から『あのマネージャーを貸してくれ』と頭を下げられるほどスポーツ万能な生徒である。明るく真面目で、度胸も満点。働き者の彼女にはいつも助けられている生徒も多いだろう。現国の成績がやや悪いのは片岡としても気になるが、授業中も真面目に聞いているし、所謂『手のかからない良い子』の部類である。

 ただ、今言いたいことはそういうことではない。いや、寧ろ口に出すべき話題かどうかも疑わしい。その程度の同様は、片岡にもあったらしい。唸る片岡に、ああ、と高島は納得したように頷いた。

「──やはり、監督もお気づきに?」

 どこかからかいがちに笑むその人に、やはり良く見ていると片岡は感心する。スカウトを任せただけはある、と。

「……高島先生も?」

「そりゃあ、勿論。若造ですが、伊達に教師していませんから」

 高島はどこか自慢げに胸を張る。けれどすぐに、しみじみと噛み締めるように腕を組んだ。

「けど、確かに意外でした。まさか御幸君と天城さんがそういう[・・・・]関係だなんて」

「……そう、だな」

 それについては全く同感である。片岡もまたしみじみと頷いた。

 生徒同士が恋愛関係になる──教師をやっていれば、そんな光景は決して珍しくはない。年の若い教師は生徒たちから恋愛相談を持ち掛けられることもあると聞く。

 そういった事柄には基本的に大人が立ち入る領域ではないとはいえ、恋愛とは古今東西トラブルの元なので、教師としてはある程度アンテナを張る必要があった。人と人が付き合う上でトラブルが無いわけもなく、諍い・不登校・不純異性交遊などなど、数々の面倒事が発生し、教師たちはそれを諫めてきた。

 そんな片岡の言い淀んでいたことを見通したように、高島は自信をもって笑みを湛える。

「あの二人に限っては、心配ないでしょう」

「……そう、だな。御幸と天城なら大丈夫だろう」

 懸念を吹き飛ばすような高島の力強い言葉に、片岡も頷いた。確かに、恋愛に浮かれてトラブルを起こす子どもは少なくない。それでも、御幸と凪沙であればそんな風に浮足立つことはないはずだ。無論、恋愛は良くも悪くも人を変えるし、狂わせる。いくつになっても、何を成しても、だ。だから過信はできないのだが、そのぐらいの信頼はある。何より。

「私事は部に持ち込まないようにしているようだしな」

「ええ、あれだけ余所余所しければそうでしょうね」

 部内恋愛は、まあ、言ってしまえば珍しくもない。部員とマネージャーの恋愛は、こちらも古今東西のお約束である。部内でイチャついて風紀を乱す生徒も過去にいないではなかったが、少なくとも御幸と凪沙は部内にそういった空気を持ち込む気はないようだ。寧ろお互いなるべく接触しないようにしているようで、どこかギクシャクした空気が醸し出されていた。上手く隠しているつもりだろうが──やはり、大人の目にはお見通しだ。

 無論、教師だから生徒の全てが分かる、なんてことはありえない。子どもとは時折大人でも想像が付かないようなことを思考し、行動するものである。教師だからと驕るつもりはない。とはいえ、よくも悪くも御幸も凪沙も素直出真っ直ぐな生徒である。少なくとも、大人の目から見れば『あ、何かあったな』と分かる程度には。

「フフ──ほんと、意外ですよね」

「ああ。御幸はあまり、そういった場所を求めない男だと思っていたからな」

「そういった場所?」

「気の休まる場所、とでもいうのか──隙を見せたがらない奴だからな」

 御幸一也は、片岡鉄心ほどの教師から見ても子どもらしからぬ少年だった。周りとつるまない子どもは珍しくはないし、大人びた考えを持つ子も少なくはない。ただ、上手く言えないが御幸一也はそのどちらでもあり、どちらでもないような、そんな不思議な生徒だった。そのルックスの良さから女生徒に大層人気があり、練習中でさえ声がかかるほどだったが、それに驕る様子もなく、寧ろ迷惑そうに嘆息している姿をよく覚えている。

 このくらいの年の子はモテて嬉しいと考えるものと片岡は思っていたが、色々な考え方があるのだと思い知る。なんにしても、そういった感情に流されないタイプだと思っていたが、どうやら御幸も人の子だったらしい。

 ふふ、と高島が再び笑みを零す。

「だから、私は嬉しかったです」

「……御幸と天城の関係が、か?」

「はい。あの子、一人で抱え込む癖がありますからね」

「そうだな。……ああ、天城であれば、上手くやるだろうな」

 いかにも人に頼らなさそうな御幸と、観察眼において右に出るものはいないマネージャー。二人が仲良く話している姿を見たことはないので、どういった経緯があって結ばれたのかは分からないが、相性はよさそうだと外から見ていて思う。

「でも、そう……あの御幸君が、天城さんを、ねえ……」

「……下手に刺激するなよ」

「そ、そんなことしません!」

 心外とばかりに高島は声を荒げる。生徒同士の関係は繊細なものである。それが恋愛感情であっても、友情であっても変わらない。トラブルにならない限りは、大人が口出す領分ではない。そんなことは分かっているだろうに、高島が嫌に楽しそうな顔をしていたので、つい釘を刺してしまった。

「……何がそんなに嬉しいんだ?」

「あ──いえ、すみません。私、あの子のこと、中学の頃から知っていたので……」

「ああ、御幸は高島先生のスカウトだったか」

「そうなんですよ! あの頃の彼、私より背が低くて、でも生意気で可愛げがなくて、口の利き方も分かってないっていうか……!!」

 高島は拳を握り締めてぶつぶつと言い出す。昔から顔見知り故か、高島はどうにも御幸に舐められている様子。生徒に名前を呼ばれるとは何事かと一度高島を叱ったことがあるほどだ。けれど高島は、そんな恨みつらみが嘘のように穏やかな微笑みを湛える。

「だから、嬉しくて。あの子も恋人ができるぐらい、成長したんだと」

「成長──そうか、それも成長といえば、成長か」

「そうですよ。人を頼らないあの子が、安らげる場所を見出したのですから」

 そういうものか、と片岡は独り言つ。現役時代、そういった感情に振り回されたことがないので、それがいいものなのか悪いものなのかは判断ができなかった。ただ、御幸の性格に限った話なら、確かにそれは成長なのかもしれない。他人を慮ることができなければ、他人と付き合うことなんてできようもない。入学当初から歯に衣着せぬ物言いで同級生どころか先輩たちからもやっかみを買っていた子だ、それができるようになったのは確かに『成長』なのかもしれない。

 しみじみと教え子の成長を噛み締めていると、高島はまたフフッと楽しげに笑みを零した。

「まさか、監督と恋バナする日が来るとは思いませんでしたよ」

「恋、バナ……」

 尤もらしいワードに、やや面食らった。まあ、恋愛に関する話なのだからそう形容するのは正しいのかもしれないが。くすくす笑う高島には申し訳ないが、片岡はボソリと呟いた。

「……古くないか、その言い回しは」

「え!?」

 ショックを受けたように声を上げる高島に、片岡はふうと大きく息を吐きながらブルペンの窓の外を見る。懸命にバットを振り込む御幸に、トスバッティングの介助をする凪沙の姿がそこにある。恋人らしい甘い雰囲気はなく、野球に打ち込む選手と、それを助けるマネージャーの姿にひどく安堵した。

 教師として、健やかに生きる子どもたちを見守ること以上の喜びはないのだから。



***



「──来週からブロック予選だ。気を引き締めて行け」

「沢村君のことも大変だと思うけど……よろしくね、御幸君」

「はい!」

 監督室に、御幸の小気味のいい返事が木霊する。

 秋大会予選も近付いてきても、問題はまだまだ山積みだ。新しいチーム、クリーンナップ、沢村のイップス──全てを抱えなければならない御幸の負担は尋常ではないだろう。それでも、御幸は気丈に振る舞っている。彼なら乗り越えられる、なんて聞こえのいい信頼なのかもしれない。だが、そうでもしなければこのチームが甲子園に行くなんて出来やしないのだと、片岡にはある種確信があったのだ。

「しつれーします」

 その時、監督室をノックされ、部屋の全員が振り返る。そこには、ビデオを片手に携えた天城凪沙の姿があった。彼女には沢村のイップス克服のためにフォームチェックを頼んでいたはずだ。

「沢村くんのフォームチェック、終わりました」

「ご苦労。どうだった、天城」

「正直、分かりません。フォームがあからさまに崩れているわけでもないですし、腕の振りも普段と何ら変わらないと思います。ただ──」

「ただ?」

「無意識に握りや指の位置を変えているのなら、或いは、と」

「なるほど、球威が落ちてるわけじゃねーしな」

「そそそ。ただね、指先までは撮れてないんだよね。過去のビデオも指までは映ってないから、比較しようにもできなくて……」

 ボールを握るふりをしながら語る凪沙に、御幸はなるほどと頷いている。二人でああだこうだと語り合っている。相変わらず、いつ見ても『そういう雰囲気』には程遠い姿だ。上手く隠している証拠なのだろうが、本当に付き合っているのかどうか片岡すら分からなくなる時がある──なんて、余計なことを考えてしまい、かぶりを振る。

「とにかく、沢村については慎重に起用していく。降谷だけで秋・夏は乗り切れん。御幸、頼むぞ。天城もサポートしてくれ」

「はい!」

「勿論です!」

 威勢のいい返事に、頼りになる子たちだと片岡は満足げに頷く。大丈夫だ。沢村は一人じゃない。頼れる仲間に囲まれている。あの気骨なら、必ず立ち上がってくれると片岡も信じている。だから大丈夫だろうと、若者二人が並んで監督室から出て行こうとするのを見送る。

「「失礼しました」」

「ああ。……そうだ、時間も遅いんだ。天城を送ってやれ、御幸」

 別段、何気ない言葉だった。家が近いからと凪沙は遅くまで部に残血がちなので、他の部員に家まで送ってもらっていることも片岡は知っていた。だから、二人をどうこう思うつもりはなく、ただ夜道は危険だからと、それだけの忠告だったのだが、凪沙ははつらつとした笑みを湛えた。

「あ、お気遣いなく! 今日は渡辺くんに送ってもらうので!」

「……御幸じゃ、ないのか?」

 おっと。そう、自分の失言に気付いたのは、凍り付く御幸と凪沙の顔を目にしてからだった。恋人なのだから、送り迎えは御幸に頼んでいるのだろう──そんな先入観が、言葉に出てしまった。迂闊だった。二人ともなるべく関係を隠しているのだから、御幸にばかり送迎させていては不自然だろうに。

「あ──いや、そこに御幸がいるのに、わざわざ渡辺を呼び出すのかと思って、な」

「え、あ、そ、そうなんです!! あの、私の送迎、シフト制なんで!!」

「お、俺っ、これからノリの球受ける約束があって!!」

 冷静に言葉を取り繕う片岡を他所に、畳みかけるように凪沙と御幸が叫ぶ。こういうところが青い証拠なのだが、動揺した二人はそれに気付いていない様子。大慌てで監督室から飛び出していく二人を見送って、片岡は顎の髭を撫でた。

「……いかん、迂闊だったな」

「ぷ、っくく……あの二人、すごい顔……!!」

 素直に反省する片岡の横で、高島は腹を抱えながら必死に笑いをこらえていた。遠くから『監督にバレてる!?』『なんで!?』と御幸と凪沙が困惑気味に叫ぶ声が聞こえたような、そんな気がした。

(先生にはお見通しのお話/2年秋)

*PREV | TOP | NEXT#