御幸一也とお出かけ

コレの前のお話














「じゃあ行こっか、御幸くん!」

「……なあ、ほんとにこの格好で出歩くわけ?」

「え? なあに? 男に二言は?」

「……ねえ、けど、も」

 得意げな凪沙を前に、御幸は何も言えずにホールドアップして見せた。

 今日は二人が付き合って初めて、デートで外出する。付き合って一年も経つのにと誰もが驚くが、デート自体は──数こそ少ないが──こなしている。ただ凪沙の家に入り浸ることが多く、あまり外に出かけたことがなかっただけで。外に出かけるなんて、せいぜい出先でばったり出くわすとか、キャッチボールしに公園に行くとか、その程度だ。それが普通のデートでないことぐらい御幸も理解していた。故に、一日ぐらいは学生らしく思いっきり外で遊ぶと決めたのだ。きっとこれが『最後』になるだろうと分かっていた。だから。

 受験勉強で根を詰める凪沙と、ドラフト会議を経てプロ入りを決めた御幸は、部活を引退しても丸一日オフを作るのは難しかった。だが、ようやくこぎつけたデート日。凪沙と行ったささやかなゲームの負けた罰──『眼鏡オフで過ごしてほしい』という凪沙の要望──は、『身バレ防止のための変装』に転じ、気付けば凪沙の姉の手によって、御幸は『ちょっと過度なファンがついていそうなベーシスト』と化していた。凪沙の姉はバンドをやっていたのだろうか、何故かベースケースやら派手なノンホールピアスやら黒髪のウィッグやらを御幸に押し付けてきたせいで、コスプレ同然の格好で出歩く羽目になってしまった。天城姉妹は似合う似合うと褒め称えてくれたが、正直ちょっと恥ずかしい。凪沙の姉が用意した革ジャンにダメージジーンズにショートブーツ、鬱陶しいぐらいのシルバーアクセサリーは実にそれらしいが、御幸の趣味じゃない。確かにこういうファッションに憧れた時期もあったが、いざ身に着けると気恥ずかしさが勝る。おまけに愛用している眼鏡も取り上げられ、度の入ったカラーコンタクトを強いられているのだ。慣れないなんてレベルじゃない。落ち着きない御幸だが、凪沙はここ一番で興奮しているのだから手に負えない。

「何でも似合うねえ、御幸くんは」

 恥ずかしいことこの上ないが、凪沙はどこかうっとりするように御幸の格好を褒め称える。そうなると罰ゲームだと飲み込む他ないと思う程度には、御幸は凪沙に甘かった。行こうぜ、と凪沙の手を引く御幸を、彼女の姉は微笑ましげに見送ったのだった。

 二人で駅まで向かう。木枯らし吹く季節だが、繋がれた手は迸るほどの熱が宿っている。こうして明るいうちから二人で並んで歩くのはとても珍しい。今ですらこうなのだから、この先はもっともっとその機会は失われていくだろう。けれど、彼女はそれでもいいのだと、この手を取ってくれたから。

「で、最初はゲーセンだっけ」

「うん。御幸くんをもっかいこてんぱんにしたい」

「お前そんなに性格悪かったっけ?」

 生意気な少女の頬をぐにっと抓れば、幸せそうに微笑んで「まあね」と告げる。その笑顔が好きだと、心底思った。だから、御幸は今の自分の格好は潔く忘れることにしたのだった。

 デートプランは二人で考えた。やりたいこと、行きたいところ、二人で話し合い、たった一日のデートをより良いものにしようと努めた。最初は凪沙の希望でゲームセンターへ向かった。御幸と違って凪沙はゲームも得意だ。そのゲームに負けた結果、御幸は今こんな格好をしているわけで。繁華街に着いて、近くのゲームセンターに足を踏み入れる。四方八方から様々な音楽が襲い掛かり、目がちかちかするような色とりどりのクレーンゲームにたじろぐ。困惑する御幸の腕を、今度は凪沙が引っ張っていく。

「クレーンゲームって金の無駄じゃねえ?」

「風情がないねえ。そりゃ際限なく使ったらあれだけどさ」

「絶対買った方が安いだろ……」

「まあまあ、たまにはいいじゃないですか」

 無粋なことを言い出す御幸を丸め込み、凪沙は意気揚々とクレーンゲームに硬貨を投入する。御幸にしてみれば、入手できるかも分からないのになけなしの小遣いを投入するメリットがまるで分からない。それでも真剣にガラス越しの獲物を見据える恋人の真剣な横顔を見てしまうと、何も言えなくなってしまう。しかも。

「よおし、取れた!」

「マジかよ……」

 たった数コインであっさりとクレーンはぬいぐるみを掴み取るのだから、彼女に対して『金の無駄』なんて忠告は杞憂だったと御幸は思い知る。ぽす、と景品取り口に落下したゆるキャラのぬいぐるみを抱きかかえ、Vサインをする恋人のなんと逞しいことか。

「御幸くんもやる?」

「いや……そんな上手くできる気しねーわ」

「多少運は絡むけど、コツ掴めば楽勝だよ!」

「無理無理」

「ここはキャッチャーの腕の見せ所では?」

「別問題って分かって言ってるだろ、お前」

「バレた?」

 そんな話をしながら、ゲームセンター内を二人で練り歩いては目についたゲームに飛びつく。二人で太鼓型のリズムゲームに興じたり──二人ともリズム感がないため、どっちつかずの散々な結果になった──、満面の笑みの凪沙にプリクラコーナーに引きずり込まれたり──バンドマン御幸一也が永遠となった瞬間だった──、パンチングマシーン相手に日ごろのストレスを発散したり──凪沙の腰の入ったパンチ力には、近くを通りかかった大学生と思しき集団が絶賛していた──などなど、何だかんだゲームセンターでのデートを大いに満喫した。

 その後は手頃な価格のイタリアンを堪能し、午後は御幸の希望で駅ナカのファッショエリアへ赴いた。「服がない」と苦い顔をする御幸の衣服を見繕うためだ。

「けど、私服なんかそんな着ないでしょ?」

「だからってスーツかジャージしかないのも問題だろ」

「それなら、お金入ってからにしたらいいんじゃない?」

「高校卒業もしてないのにブランド物着こなす方が角立つだろ」

「あー、それもそっかー……」

 人付き合いだって立派な仕事のうち。どこへ行くにもジャージ姿では流石に常識を疑われる。いつかまとまった時間が取れたら買い物をしたいと常々思っていたところ、凪沙はそれに快く付き合ってくれるという。助かる。ファッションセンスなど培ってこなかった御幸にとって、これほどの救世主も他には居まい。

「とりあえずざっと見て回ろっか。御幸くんはどんなのが欲しいの?」

「特にねーんだよな……天城のセンスに任せるわ」

「いっちばん困る回答きたぁ……」

 それでも凪沙は前向きに御幸の腕を引く。目についた服屋に入って手頃な価格の服を手に取って、やれシンプルが一番だとか色はこっちの方が似合うだとか色々言われるも、自分のことながらよく分からない。とりあえず凪沙が「これ似合いそう」と言った衣服を抱えて試着室へ入る。だが、ここからが問題だった。

「天城、やばい」

「どしたの」

「白いジーンズはケツ入んないし、グレーのジャケットは腕がきつい」

「しまった、その問題もあったか……」

 そう、俗に言われるスポーツ選手の服装のダサさの最たる理由、それは一般人離れした肉体のせいで普通の服が入らないことにあった。下半身など限界まで鍛え上げたせいで、太ももや尻周りがぱっつぱつだ。下半身に合わせると脹脛周りがだぼだぼになってしまい、どうにも格好がつかない。上半身は細身な方だが、それでも上背に合ったジャケットに袖を通したら二の腕で引っかかるし、胸回りもきつい。スポーツ選手がTシャツやパーカーを愛用するわけである。

 試着室の外にいる凪沙は代わる代わるサイズ違いの服をカーテンの隙間から差し入れて、御幸はそれを身に着けてはきつい苦しいと呻く。ついにはげっそりした顔で凪沙が試着室に首を突っ込んでくる。

「もうスーツみたくオーダーメイドした方が早くない?」

「匙投げるの早すぎだろ」

「こんだけ試して一着しか入らないんだよ、匙もぶん投げたくなるでしょ……」

 結局、六着も試着室に持ち込んでおいてワイドタイプのスラックスしか入らなかった。とりあえず恋人のセンスに全幅の信頼を置いているので、商品片手にお会計へと進んだ。「お兄さんムッキムキっすね〜」という、ノリの軽い店員に見送られ、早くもぐったりした様子のカップルは店を後にしたのだった。

 それから二時間ほど、あちこちの店に入ってはこの四肢に見合った衣服を探して歩き回った。根気よく探し回れば一店舗で一着ぐらいは御幸に合う服が見つかったが、それでもなんとも効率の悪い買い物だろう。絶対にオーダーメイドの方がいい、とげんなりする凪沙だが、それでも、これが似合うあれがいいと何度も何度も太鼓判を押してくれた。恋人に褒められて悪い気はせず、何だかんだ御幸は買い物を楽しんでいた。それでも流石に疲れが溜まり、二人して紙袋を抱えてフードコートの傍にあるベンチにどかりと腰かけた。

「いやー、買った買った」

「わりーね、荷物持ちまでさせちゃって」

「いいよ、軽い物ばっかだし」

 ジャケットやら靴やら買うとどうにも荷物が増えてしまい、見かねた凪沙が荷物持ちを買って出てくれた。女に荷物を持たせるなんて、と一瞬躊躇ったが、「並んで歩けないから」と荷物を強奪する彼女の漢気に負けて、なるべく軽い荷物を持ってもらった。

 ベンチに紙袋を置いてぐっと伸びをする凪沙を見下ろす。そういえば、ここまで御幸の買い物ばかりで、凪沙は一度も財布を取り出していないことに気付く。

「お前は? なんか買わねえの?」

「私は別にいいかなあ。特に欲しい物ないし」

 ふるふると首を振る凪沙に、今更ながらどこか申し訳なさが募る。デートのセオリーなんか漫画やドラマでしか知らない御幸だが、こういう時に決まって男がヒロインに何かを買ってあげていたような気がする。そういえば、先ほど凪沙が物欲しげに見ていた店があった。ちょうどいい。

「ちょっと待ってて」

「お手洗い?」

「そんなとこ。荷物よろしく」

「はいはーい」

 凪沙は特に疑いもせず、ベンチに座って携帯を取り出す。チャンス、と御幸は足早にその場を立ち去り、先ほど凪沙が食い入るように見ていた店まで戻る。そこはワッフル屋だ。店の周りには同じ年頃の男女が手のひら大のワッフルを手に談笑している。そこら中にワッフルの甘い匂いが充満しており、先ほど店の前を通った凪沙が一瞬目を煌めかせたのを御幸は見逃していなかった。こういう時、買うのは食べ物ではなくアクセサリーでは、と思う程度の知識は御幸にもあったが、凪沙は腕時計以外のアクセサリーはあまり身に着けないし、何が必要かも分からない。だから、これでいいのだと少年は判断したのだ。間違いなく、彼女は喜んでくれるだろうから。

 そこそこに並んでいる列に加わり、甘ったるい香りに包まれて御幸は一人待つ。程なくして順番が巡ってきて、プレーンとチョコフレーバーを一つずつ購入する。一分もしないうちに「お待たせしました!」と弾けるような笑顔の店員にワッフルを二つ渡される。まだ温もり残るそれを早く凪沙に届けたい。その思いで彼女の待つベンチへ急ぐ。人込みの向こうに見える彼女は、まだ携帯に目を落としたままでこちらに気付かない。

「よ、お待た──」

 ワッフルを手に、そう声をかけようとして足が止まった。ベンチに腰掛ける凪沙の正面に、男が二人いる。タブレットを手に、熱心に凪沙に話しかけている。だが、凪沙は涼しい顔で携帯から目を離さない。

「ちょっとでいいのでご協力頂けませんかねえ?」

『I'm slammed.』

「あ、じゃあ、この場所知ってますか? 此処まで行きたいんですけどお」

『You should go and ask the police officers at the police station.』

「ねー、さっきからなんて言ってるんですか?」

「かっこいいっすねえ、俺らにも教えてくださいよー。プリーズプリーズ!」

『How pushy he is!!』

 真顔で目も合わせないまま、流暢な英語であしらっているのが目に見えて分かる。凪沙が何を言っているのか、御幸には分からない。だが男たちも同様のはずだ。あれだけ人当たりのいい凪沙が顔も見ずに冷たくあしらうということは、ナンパかアンケートか宗教勧誘か定かではないが、その類だろう。けれど、連中は一歩と引かず凪沙の前から退かない。カッと頭に血が上る。

 相手にではない。自分自身の失態に、だ。

「──俺の連れに、何か用?」

 男たちの背後に立ち、自分でも驚くぐらいドスの利いた声が喉から飛び出た。ぎょっとして振り返る男たちの目に、殺気立った御幸一也がどんな風に見えているか、想像に難くない。ただでさえ仕上がった肉体を持つ上に、今の御幸はどこからどう見てもパンクをかじったバンドマンのそれ。一般人に威圧感を与えるには、十分すぎた。

「あ、い、いや……」

「ちょっと道迷って……はは……」

 飛び抜けて上背がある方ではない御幸だが、殺気立った男相手に流石にやり合う気にはなれないらしく、二人組はそそくさと立ち去っていく。残された凪沙は驚いたように目を丸くして御幸を見上げている。

「ど、どしたの?」

「悪い、一人にすべきじゃなかった」

 かしずくように凪沙の前でしゃがみ込み、その愛しい顔を覗き込む。彼女は目をぱちくりとさせたまま御幸を見つめている。なんでそんなに怒っているのかとでも、言わんばかり。

 町で歩いているとよく質の悪いキャッチやセールスに絡まれる──天城凪沙を知る人間であれば、一度はその話を本人の口から聞かされ、誰もがそれに納得する。何故なら凪沙本人がよく笑い話の種にしているからだ。中身はバリバリの体育会系の彼女だが、一見すると大人しげな文系少女。御幸には一生訪れることのない、『弱者的立場』から逃れられずにいる。よくあることだと笑い話にする彼女を知りながら、何故一人で待たせてしまったのだろう。こうなると、予測できたはずなのに。

「あ、ああ。うん、さっきの? 平気平気、いつものことだし」

 気にするなとばかりに穏やかに微笑む恋人は、いっそ胸糞が悪いほど“普段通り”だった。その立ち振る舞いから、こんなことが彼女にとっては日常であるのだと、思い知る。

「アンケートかセールスか知らないけど、今日のは酷かったなあ。こっちは英語で話してんのに、日本語でゴリ押ししてくるんだもん。私の声、聞こえないような周波数だったのかな?」

 こうして、からからと笑い話にしようとする。こちらを気遣っているだけではない。本当に、彼女にとってこんなおぞましい出来事が当たり前で、日常で、笑ってしまえるほどの『当然』であることが、腹立たしさを通り越して悲しかった。

「……御幸くん?」

 だから、彼女にとってはこの程度で黙りこくる御幸の方がよっぽど奇怪に映るのだ。瞬きを繰り返す瞳が徐々に不安げに揺れるのを見て、もう我慢の限界だった。

「平気じゃなくて、いい」

「御幸、くん?」

「こんなこと、『いつも』にすんな」

 ぽろりと零れた御幸の言葉に、凪沙は一瞬傷ついたような顔をした。御幸だって、本当はこんなこと言いたくなかった。この先何度でも、こうして一人でいる彼女をつけ狙う馬鹿が現れるだろう。なのにこれから先、いつ何時も彼女の傍にいてやれない。こうして守ることもできない。そんな彼女に、『平気なふりをするな』など──ああ全く、どの口が言えるというのか。平気なはずがないのだ。他でもない被害者である彼女が、どうして気丈に振る舞うのか。どうして意地でも平気なふりをしなければならないのか、その理由を、御幸が汲み取れないわけもなく。

「……悪い」

「ううん、いいの」

 さらりとした否定だった。けれど、凪沙の綺麗な目が真っ直ぐに御幸に向けられている。まるで、今の今まで眠っていて、突如目を覚ましたかのような、澄んだ瞳だった。

「御幸くんの言う通りだよ。あんなの、平気じゃない」

「天城……」

「ほんとに嫌だった。早くどっか行って欲しかった」

 淡々と語られるものの、どれだけの嫌悪感が募っていたか、その苦々しげな表情だけで痛いほど伝わる。そんな状況を作り出したのは、ただデートだからと浮かれた自分。胸が締め付けられるような思いで彼女の言葉を聞き入れる御幸に、凪沙はふわりと微笑む。

「だから、助けてくれて嬉しかった」

 ありがとう、そう言って彼女は御幸の手から冷え切ったワッフルを奪い取る。あ、と間抜けな声を上げる御幸にくすくす笑いながら、ワッフルに齧りつく。

「美味しい! そっちのはプレーン?」

「……そう、だけど」

「いいね! あ、結構甘いけど、御幸くん食べれそ?」

「こんくらいは、ヘーキ」

「よかった。ここのワッフル好きなんだあ。ありがとう、御幸くん」

 にこにこと、いつも通りに笑いながらワッフルを堪能する凪沙。その顔を見ていると、腹の底に燻っていたモヤがするすると溶けていく。これ以上、問答は不要だと暗に言われた。だから、御幸も自己嫌悪を飲み込むことにした。せっかくのデートなのだ。何なら、高校生活最後のデートかもしれないのだ。入寮まであと二か月ちょっと。受験が忙しくなる凪沙と、入寮の為に周りよりも一足早く退居の準備が必要な御幸。こんな風に顔を晒して遊び回る日は、もう訪れないかもしれない。

 だから、二人は並んで甘ったるいワッフルを食べながら、取りとめのない会話の後、デートを続ける。カラオケに行き、帰り道に特に理由もなく雑貨屋に寄り、夜ご飯を食べる。帰りの電車から西国分寺の駅まで、そこからいつものように彼女の家に送り届ける。その間一秒だって無駄にしないよう、全力で楽しんだ。全力で笑った。全力で、この時間を慈しんだ。いつかこんなこともあったのだと、再び二人でデートに行ける日を夢見て。

 今度は、しっかりとその小さな手を握り締めたまま。

(初めてお外デートに行くお話/3年秋)

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