御幸一也は初耳

※英文は全部DeepL翻訳なので意味はフワッフワ














 一日中グラウンドを駆けずり回っていると思われている野球部だが、そうはいっても全員が高校生である。昼間は授業やら学校行事に追われている。故に本日、青道生は全員体育館に集められた。『国際平和スピーチ大会』とかなんとかいう、意味も分からぬ英語のスピーチを全校生徒全員で聞くためだ。毎年学校の代表の生徒が何人かが全校生徒の前に立ち、小難しいスピーチを行う。全く興味のない御幸たち野球部一同は、欠伸を噛み殺しながらでかい図体を窮屈そうに丸めて体育座りをする他ない。お経のような英文を聞きながら、早く終われ、眠い、野球やりたい、そんなことを考えていた彼らは、ステージの上に立って原稿を広げる一人の少女に視線を奪われた。

「While we are enjoying peace, wars are breaking out all over the world.」

 まるで海外のラジオから流されるような、流暢な英語を操るのは誰あろう、我らが野球部のマネージャーである天城凪沙だったのだから。

 クラスに数人は野球部がいるほどの強豪校である。百人近くの生徒たちが動揺したのだから、多少はざわつくというものだ。御幸一也もそのうちの一人だった。恋人が今日ステージに立つことも、あんなに流暢な英語を操ることも、御幸は知らなかったのだから。

「天城、あんな英語デキるやつだったのかよ」

「いやあ、初耳……」

 前に座る倉持がちらりと振り返ってくるので、御幸はステージに視線を注いだままそう返す。凪沙の成績は御幸の知る限り、相当偏りのあるタイプだ。理数はそれなりだが現文は赤点ギリギリ、という認識だ。三年間クラスも違うし、一緒に勉強することもあまりないので仔細は分からない。だが、英語については『文法はあんまり』、と話しているのを聞いたことがある。だから英語は──いや、違う。あんまりなのは、『文法』に限った話なのか。それはつまり、文法以外であれば、『あんまり』ということか。

「意外──いやまあ、見てくれ的には『らしい』のか……?」

 倉持がそんなことをぼやく。確かに、凪沙は一見大人しそうな文系少女。窓辺で詩集を読んでいそうな風貌、とよく言われるので、ステージ上でスポットライトを浴びながら滑らかな英語を操る方が『らしく』見える。あれが陸上部と互角のスピードで校庭を駆け抜ける姿の方が異様なのに、御幸たちはそれを見慣れてしまった。だからあんなに知的そうに見える凪沙が、なんだかおかしな光景に見えてしまうのだ。

「Since the beginning of time, the horrors of war have been recognized by all human beings. So why is it that war has not disappeared even in the 21st century?」

 御幸はそこまで英語が得意な性質ではない。英文ならまだしも、すらすらと淀みなく紡がれるスピーチを瞬時に翻訳できるほどの英語力はない。すげーな、倉持と二人でステージで輝く凪沙を見つめる。

「Still, step by step, the number of wars is decreasing. If the number of wars continues to decrease while the number of human beings continues to increase, we can say that it is a definite progress, can't we?」

 聞き慣れた声が、理解できぬ言葉を紡ぐのは少し新鮮だ。聞き入ったところで単語単語しか分からない。けれど。

「Wars are fought between countries, but it is the people who run the country. I believe that changing the consciousness of each and every person will lead to the progress of humanity.」

 堂々と英文を読み上げ、輝かしいスポットライトに負けずに力強く何かを訴えようとする恋人の姿に、不思議と誇らしげな気分が浮かんできて。御幸はほんの少しだけ、このつまらない集会が楽しくなった。



***



「エンジェル先輩すげーっす!! 流石天から遣わされた方!!」

「沢村くん、ほんとそれ勘弁して……」

 風呂上がりの御幸たちが食堂に来ると、いつものように隅でこそこそ仕事する凪沙はあらゆる野球部員に絡まれていた。当然、話のネタは今日のスピーチのことだろう。

「水臭いっすよエンジェル先輩! 何で今日出るって教えてくれなかったんすか〜!」

「代理だったんだよ……スピーチするはずの子が急遽体調不良で欠席しちゃって、私はその子が書いた原稿をそれらしーく読んだだけ!」

「いやいやいや! あんなキレーな英語、俺初めて聞きましたし!!」

「沢村くんは太鼓上手だねえ……」

 鼻息荒く褒め称える沢村に、凪沙はやり辛そうに苦笑を浮かべる。ただ、褒められていないのか凪沙はむずむずとした顔で御幸を見つめてきた。助けを求めるような視線に、御幸は仕方なく彼女たちに近づく。

「おいおい沢村、あんま困らすなよ」

「ハッ!? ち、違いますキャップ決してそんな疚しい意味では!!」

 そう叫ぶなり、沢村はピュッと食堂から飛び出していく。御幸も凪沙もぽかんとした表情でその後姿を見送る。そうして互いに顔を見合わせて首を傾げる。

「……俺、そんな怖い顔してた?」

「いやぁー、普通だったと思うけど……」

 怯えた様子の後輩は、どうやら御幸が気を悪くしたと勘違いしたのだろう。流石に今のはそういうつもりではなかったのだが。傍にいた倉持は他人事だと思ってゲタゲタ笑っている。

「御幸オメー、どんだけ心狭いって思われてんだよ!」

「そゆことでかい声で言うのやめてくんない?」

「風評被害! 風評被害!」

 カップル二人で抗議の声を上げる。それを聞きながら肩を震わせる二年・三年、上級生が騒ぐのを見て委縮する一年生という、いつもの光景が広がっている。そんな中で、食堂が再びガラッと開いた。高島だ。凪沙を見つけるなり、きびきびとした足取りでこちらへやってくる。

「天城さん! 今日はほんとに助かったわ、ありがとう」

「いえいえそんな! お役に立てて良かったです」

 軽く一礼する凪沙に、高島は心底安堵したような顔で何度もお礼を告げる。なるほど、高島は英語教師である。今日登壇予定だった生徒の代わりを見繕ったのは彼女だったのだろう。

「礼ちゃん、天城ってそんな英語できんの?」

「ええ。ヒアリング能力なんかは学年一だと思うわ」

「へー! そんなに?」

「いやいやそんなそんな……」

 凪沙はますます照れたように椅子の上で縮こまっていく。運動神経を褒められた時は得意げな顔をするのに、この反応は珍しい、と御幸は思った。

「確かご家族に英語圏の方がいるのよね?」

「はい、伯母がシンガポール人なんです。だから私の英語力ってシングリッシュ寄りなんですよね……」

「シングリッシュ?」

 聞きなれない単語に訊ね返すと、凪沙はこくりと頷いた。

「シンガポールって公用語が英語なんだけど、現地語と混ざって独自の言語体系になっちゃったんだよね。基本的に英語なんだけど、なんだろうな……アジア訛り? っていうのかな、なーんかちょっと勝手が違うんだよね……」

 とはいえ、英文を読み上げること自体は何ら問題はないようで、英語のクラスを受け持っていた高島はそれを知っていた。故に、ピンチヒッターとばかりに凪沙に白羽の矢が立ったのだろう。しかしながら、恋人の思わぬ特技をこんな形で知ることになるとは。伯母がシンガポール人──それも初耳だった。

「でも、高校生には十分すぎる英語力よ。海外で暮らしても、困らないでしょうね」

「どうでしょう……日常会話ぐらいなら、まあ……」

「それでも十分すげーって。けど、天城ってそんな英語の成績よかったっけ?」

 御幸の記憶する限り、凪沙の英語の成績はそこまで飛び抜けていなかったはずだ。寧ろ渡辺塾では率先して渡辺にノートを借りていたような。御幸も倉持も首を傾げていると、追い打ちをかけるように凪沙は首を振る。

「オーラルだけだよ。ライティングは全然」

「んでだよ」

「あんなに話せるのに?」

「じゃあ聞くけど、二人とも日本語話しながら助詞だの接続詞だのって意識する?」

 途端に口を紡ぐ御幸と倉持に、ほらねとばかりに少女は肩を竦める。そんな凪沙を見てか、傍で食事をしていた白州と川上が首を突っ込んでくる。

「しかも天城、英語のノートは全部筆記体で書くからな」

「おかげで勉強するためにノート借りた奴ら、みんな泣いてたよ」

「筆記体の方が楽だし……人に見せるつもりでノート取ってないし……」

 引き気味の笑顔を浮かべて目を逸らす凪沙。クラスが同じ故か、そんな情報も彼らにとっては周知の事実らしい。確かにあれだけの英語力があるのだからとノートやプリントを借りて全部筆記体だったら、膝から崩れ落ちそうだ。おまけに凪沙は自他ともに認めるほどの癖字の持ち主。彼女からは英語のノートは借りないようにしよう、御幸は心に誓った。

「けどよお、身内が外人だからってあんな英語上手くなるもんか?」

「まあ確かに。親ならまだしも伯母だもんな……一緒に住んでるわけじゃないんだろ?」

「うん、伯母夫婦は今オーストラリアに住んでるはず。正直そこまで交流があるわけじゃないんだけど、父親が『身を守るために』って……」

『『『身を守るため?』』』

 凪沙のその一言に、話を聞いていた誰もが首を傾げた。将来のためとか、或いは国際的な人材に育てるためとか、そういう理由で英語を教える親が多いとはいうが、『身を守るため』とはどういうことなのだろうか。ちょっと毛色の違う理由に全員が不思議そうにしていると、凪沙はどこか遠い目を見ながら開いていたノートをぱたんと閉じた。

「不審者に絡まれた時……英語でまくしたてると相手が怯むって、父が……」

『『『……』』』

 中身は強気なスポーツおばけと名高い少女も、一見小柄で大人しそうな文学少女。御幸たちの目の届かぬ場所であれこれ不快な目に遭っていると本人から、或いは梅本、夏川たちから又聞きしている。ただ、武力で敵わない相手に対する処世術を身につけねばならないほどだったとは。

「お前、絶対一人で帰ろうとすんなよ」

「うーん……I'm very aware of that」

 落胆した凪沙が何と返したか、正確に聞き取った者は高島以外誰もいない。しかし、意外な特技の裏にそんな並々ならぬ事情があったのかと、御幸だけでなく誰もが同情した。マネージャーには優しくしよう。女の子は守らなきゃ。不審者ぶっ殺す。青き少年たちはそれぞれ思い思いの考えを胸に、山盛りの白米をかき込むのだった。

(意外な特技のお話/3年夏)

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