A.くそくらえ

コレの続き















 多分、自分が好きになった人は最高に男を見る目があったのだろう。尤も、それが報われるとは、限らないわけだが。

「ぐすっ、ひぐっ、うぇえっ、えぐっ」

 まるで幼子のように声を上げながら、けれども誰も見つからないように校舎から遠い遠い柔道場の裏手の茂みの中でひっそりと、膝を抱えて泣くその女を見つけるのは決して難しくはない。何か悲しいことがあったら、彼女はいつだってここで泣いているのだと、御幸一也だけが知っているから。

「片思い期間三年だっけ? お疲れさん」

「み゛ゆ゛き゛〜〜〜!!」

 手にした卒業書でぽんと背中を叩けば、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔がこちらを振り向いた。甲子園で敗れた時でさえこんな泣き顔は晒さなかったのだから、恋の力とは凄まじいものである。

「あ、あの゛ねっ、ゾノ、ね」

「はいはい」

「も゛、好きな゛子、いる゛って──わ゛ああああんっ!!」

 びいびい泣き喚くマネージャー、いや、元マネージャー。同じ部活の前園を好きになって、三年の月日が流れた。つまりそれは、前園の惚気やら相談やらを御幸が引き受けてから三年の月日が流れたこととイコールである。そうまでして貫いた恋が報われないことを、憐れに思わなかった訳ではない。それでも、御幸とて慈善事業家ではないのだ。

 卒業式に告白すると息巻いていた彼女の願いが成就しないことを知っていながら、御幸は何食わぬ顔で隣に腰を下ろす。

「だから引退したらさっさと告っとけっつったろ」

「受験期にフラれたら大学にもフラれるかもじゃん〜〜〜!!」

 何度となく聞いた言い訳。御幸としてはさっさとフラれてほしかったのだが、まさか卒業式までもつれ込むとは。何故なら前園は同じクラスのバトミントン部の副部長に熱を上げていることは、部員の誰もが知っていたのだから。きっと、隣で泣き喚く彼女以外は。

 教えてやるべきか、気付かせるべきか、さっさと玉砕させるべきか。ドラフト指名がかかり、高校に通うどころではなくなってしまった御幸に、選択肢はないようなものだった。結局彼女が一番傷付く形で終わってしまったのかもしれないが、申し訳ないがそこまで慮っている余裕はなかった。色々な意味で。

「元気出せって。男なんか星の数ほどいるだろ」

「ゾノは一人だけだもん〜〜〜!!」

 傷心に浸け込んでやろうとほくそ笑んでいたのに、今のところそんな隙さえ与えてくれない。酷い女だと、何度思ったかは分からない。それでも、誰にも見せなかった恋のためになく彼女の横に居られるのは、御幸一也だけだ。だから、まあ、今日までは我慢するつもりだった。

「……最後なんだし、まあ、気が済むまで泣けば?」

「そ゛う゛す゛る゛〜〜〜!!」

 そうして彼女はひとしきり泣いて、泣いて、泣き喚いた。その涙に乗って三年分の恋も流されてくれと思いながら、御幸は拙い手つきで彼女の背をさすった。彼女は嫌がりもせずにただ成すがまま、わんわんと人気のない茂みの中で泣き続けた。これが最後だと、御幸も自身に言い聞かせて。

 そうして散々涙を流して、ようやく落ち着いてきたのだろうか。彼女の嗚咽は徐々に間隔が長くなっていく。ちらり、と携帯で時間を確かめる。ドラフト一位に指名がかかった御幸には、本当に時間がないのだ。だというのに、しゃくりあげる彼女に『俺にしておけ』の一言も言えないのだから、彼女の遅々とした恋愛模様を笑えるはずもない。

「……ありがとね、みゆき」

 すると、彼女はぽつりとそう零した。すん、と鼻を啜る彼女の目は真っ赤で、梅の花のようだと思った。昨日訪れた大寒波でほとんどが地に散ってしまったそれを踏みしめたまま、御幸はこくりと頷いた。

「みゆきが、色々、ぐち、聞いてくれたから、割と、元気にやれてた」

「そりゃ何より」

「みゆきと、ゾノの話、したの、すごく、楽しくて──幸せだった」

「……そりゃ何より」

「ほ、ほんとだよ! 御幸相手だから、私も安心して話せてたんだし!」

 ずびずびと鼻水を啜る彼女に、お、と思わず身を乗り出しそうになった。ようやく機運が巡って来たかと。三年も待たせやがってと思ったその時、真っ赤に腫れた目をそのままに、彼女はようやく御幸が慣れ親しんだ明るい笑顔を浮かべた。

 なのに。

「わ、わたし、御幸と友達になれて、よかった!」

「……」

「男女の友情、ちゃんと、あるよ! あったよ!!」

「……、……、……あ、そ」

 どす、とナイフで刺されたような気分だ。御幸の心情など露とも知らぬからこそ出る言葉なのだろうが、流石に今のは応えた。誰が友達だ、誰が、と、肩を揺さぶってやりたいところだ。けれど前園にとっての彼女がそうだったように、彼女にとって御幸もまたただの友達で、よきチームメイトでしかなかったのだろう。酷い女だ。彼女の男を見る目は認めるが、自分の女の見る目のなさを今日ほど呪った日はない。

「──って、御幸こんなとこにいちゃだめじゃん!?」

 すると彼女はたった今思い出しましたとばかりに立ち上がった。ぐしぐしと目元をこすり、スマホをちらりと見て悲鳴を上げた。

「だってっ、キャンプ抜けて卒業式来てんでしょ!?」

「まーな。そろそろ戻んねーと」

「貴重な青春の終わりをなんで失恋女のために使うかなこの人はっ!! ああもうっ、帰ろ帰ろ!!」

 先ほどまで子どものように泣いていたのに、彼女は大慌てで御幸の背中をグイグイと押し始める。誰のせいだと言いたい気持ちをぐっと堪えながら、御幸は軽く頷く。時間が無いのは本当だ。何より、付け入る隙がなさすぎる。時期を改めなければ。覚えてろと悪態をつきながら、御幸はようやく立ち上がる。

「お前さあ──」

 けれど、ほんの少しぐらい。意趣返しの一つでも。これから先、御幸には自由な時間がほとんどなくなるのだ。せめて爪痕の一つぐらい。そんな思いで、馬鹿面で見上げてくる女を見下ろした。

「お前さ」

「な、なに」

「俺──俺が」

「うん」

「なんだって、こんな」

「う、うん?」

「俺──こんな──こんな、に」

「?」

 けれど、いざ泣きはらした顔を見ると、怒りやら苛立ちやら期待やら、そんなものが混ぜっ返された感情が吹き飛んでしまう。御幸が伝えたい言葉は、数分前まで思い人のために泣いていたその人にかける言葉としては、きっと、あまりに乱暴すぎるから。

「あー……」

 馬鹿だ。大馬鹿だ。彼女も、そして自分も。不毛な恋のために三年も注ぎこんで、ようやく巡ってきたチャンスに尻込みして。一体何をやっているのだろうと、御幸だって涙ぐみたくもなる。

 ──それでも願うのは、好きな人が笑っていること。願わくば、自分の隣で。だから。

「……今は、それでもいーや」

「?」

 自分のことで、困らせたくない。悲しませたくもない。傷つけたくもない。彼女はもう十分に困って、悲しんで、傷付いているのだ。だからこんな真似、だめだ。彼女のためにも、何よりも自分のためにもならない。

 だからって諦めてやるつもりは、毛頭ないが。

「友達、なんだろ? 泣くなら一人で泣かずに、俺呼べよ」

「え、いや、無理でしょ、プロ野球選手なんだから……」

「俺が野球選手になったら、友達やめんの?」

「ま、まさか!!」

「じゃあいいじゃん。約束、一人で泣かねえって」

「そ、そんな泣き虫じゃないけどお……」

 けれど、差し出された小指に、彼女は恐る恐る小指を絡めた。ぺきりと折れてしまいそうなその小指に触れるのが精一杯だなんて、沢村達が知ったらどんな反応をするだろう。笑い転げる後輩たちの顔を思い浮かべて、なんとか自制心を保つ。

「約束、な」

「う、うん!」

「絶対、一人で泣くなよ」

「泣かないよ! てか泣くことないよ!」

「またフラれても?」

「なんでフラれる前提なの!?」

「冗談」

 次は、ないから。その一言をぐっと飲み込んで、二人は人知れず指を切る。子どもみたいだと笑う彼女に『次』が訪れないよう、御幸は次の策を講じるので頭がいっぱいだった。

 全く、男女の友情なんてくそくらえだ。



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