どうせ敵わぬ恋ならば

 多分、自分が好きになった人は最高に男を見る目が合ったのだろう。それが報われるかどうかは、別の話だろうけども。

「み゛ゆ゛き゛〜〜〜!!」

「はいはい、今日は何だよ」

 クラスメイト兼同じ部活の女子マネージャーが、今日も今日とて教室にやってくる。御幸は隠し切れない笑みを漏らしながら迎えれば、彼女は机に突っ伏したままこう言った。「ゾノ今日もかっこいい」、と。

「お前いつもそればっか」

「悪かったね、語彙力皆無で!」

「そういう意味じゃねーって。他に言う事ねーのってこと」

「これ以上のこと口にしたら全部漏れ出しそうで怖い」

 そう言って青ざめる彼女は、一年の頃からずっと野球部の前園健太に熱を上げていた。けれどそれを、御幸以外の誰にもバレたことが無いのだという。仲のいい梅本や夏川でさえ、その淡い恋を知らないらしい。曰く、『バレたら死ぬほどからかわれるから』とのこと。ならもう少し上手く隠せと気付いた段階で苦言を呈したが、少なくとも引退するまではそういうのは隠し通したいという考えのようで、彼女は誰かにこの秘密が漏れることを非常に恐れていた。

 まあ、隠したい理由はそれだけじゃないのだろうが。

「いい加減、当たって砕けたら? 脈ないの分かってるだろ」

「砕けて退部しても許してくれるならいいけども」

「そういう士気が削がれるのはちょっとなー」

 マネージャーの一人が途中で辞めるなんて、部員の士気にも関わるし、マネージャーたちの負担も増える。百害あって一利なし。キャプテンとして見過ごせないと釘を刺せば、「だから見てるだけにしてんの」と頬を膨らます。そういうところは実に女の子らしいと思うのだが、どうにもこのマネージャーは思い人に『女の子』扱いされていない様子。

 元々竹を割ったような性格で、物をハッキリと言い、はつらつとした彼女が梅本共々『青道野球部のオカン』という扱いをされるのは、別段不思議じゃなかった。更に彼女は女子にしてはかなり身長が高く──少なくとも倉持とどちらが大きいか目視で分からないレベルである──、輪をかけて女の子扱いから遠のく存在でもあった。本人も本人で、その肥大化するコンプレックスを覆い隠すように開き直ってよき男友達のように振る舞ってしまい、案の定本命の男にもそう思われるようになったのだから、自業自得な気もするが。

「私が部活辞めたら、ゾノもちょっとは気にしてくれるかなあ……」

「あいつのことだし考え過ぎて打率に影響出そうだから、マジで勘弁」

「そういう単純なとこも好きぃいい……」

「それ多分褒め言葉じゃねえからな」

 そんなわけで、前にも後ろにも進めない同級生をなんとか部に繋ぎ止めるのが、キャプテンである御幸の仕事だった。一昔前の自分なら辞めたいなら辞めろといっていたかもしれないが、状況が状況である。ましてや相手はあの前園である。絶対知恵熱出るほど考え込むに決まってる。これは世のため部のため、御幸は心を殺してまで彼女の愚痴を聞くようになったのだ。

「実際のとこ、上手くいく気はするけどな」

「無理無理。完全に友人止まりなんだわ。この間ぱんつ見られたけど『女子は寒そうやな』で終わった私の気持ち考えたことある?」

「お前なあ……手段ぐらい選べよ……」

「人を痴女みたいに言わないでくれます!? 階段登ってた時にたまたま見られたの!!」

 それは何よりである。女に見られなさ過ぎてついに実力行使に出たのかと思った。ブーブー文句を言う彼女に、御幸は笑いながら窓の外を見つめる。

「友人止まり、ねえ」

「え、待って友人ですらないとか言う? このままゾノとの美しくも儚い友情をよすがに生きていこうと思ってた私にトドメ刺さないで」

 悲観モードに入ったらしいこの少女を止められるものはいない。ウジウジと机の上に指でのの字を描く彼女のつむじをちらりと見て、はあ、と深い溜息が零れる。

「男女間の友情って、あんの?」

「……え?」

 それは純粋な疑問でもあり、残酷な問いでもあった。御幸の知る限り、男女の垣根を越えた仲なんて存在しない。そりゃあ、他のマネージャーたちを恋愛対象に思ったこともないが、だからといって『友人』とも思ったことはない。同じ部活の、同じ仲間。そんな感覚だ。

 すると彼女はびっくりしたように目を丸く見開いた。

「え、待って。御幸って私らのこと何だと思ってんの」

「お前らは──なんだろ、仲間、みたいな?」

「そりゃどうもなんだけど、それって友達とは違うわけ?」

「友達って……プライベートな領域まで踏み込める間柄、って感じじゃねえ?」

 それが御幸の思うと友情と仲間の線引きだ。だから他のマネージャーたちとも顔を合わせれば楽しく会話もできるし、時には冗談交じりでじゃれ合うこともあるだろう。だが、どこかに遊びに行くだとか、プライベートで連絡を取るだとか、そんなことはしたことないし、したいとも思わない。まあ別に男相手にも似たようなことが言えるので、単に御幸の『友達』が少ないってだけなのかもしれないが。

「うーん、一理あるような、ないような」

 彼女も納得したように、けれどどこか難しい表情で腕を組む。しかし、すぐさまあの人懐っこい笑顔でパッと笑ったのだ。

「でもそれで言ったら、やっぱ私ら友達じゃん」

「……ええ?」

「だって私はプライバシー曝け出しまくってるわけだし?」

 はい論破、腹立たしい笑みを浮かべて彼女はそう結論付けた。いい加減にしてほしい。はあ、と御幸はまた溜息をついて、再び窓の外に視線を投げる。


「俺はお前のこと、友達だって思ったことないけど」


 静かな溜息に、窓が白く曇る。雪も降ろうかというこの時期の窓際は、隙間風が本当に寒い。ふるりと震える御幸はただじっと、窓に反射する彼女の顔を見つめる。きょとんと目を丸くするその顔を、ただの一度でも前園相手に見せていたのなら未来は違っていたかもしれないのに、彼女はこちらの考えなど気にも留めないでにんまりと腹立たしい笑みを浮かべるのだ。

「またまた〜、御幸ったら素直じゃないんだから〜」

 そう言ってどついてくる自称・友人に嘆息しながら、御幸はただ無心に窓の外を見つめる。雨と雪の混じった灰色の雲が、グラウンドの頭上を埋め尽くすまで。

「恋愛って難しいなあ」

 独り言のように零すその人に、蹴りの一つでも入れたくなった。

 ──誰にも吐露すまいと決めたその秘密を、どうして御幸一也ただ一人が見抜いたのか。少しは顧みてくれればいいものを。



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