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 荒船哲次が天城凪沙と知り合うのは、必然だったといってもいい。

 荒船がボーダー施設の外で初めて彼女を見かけたのは、金曜午後の映画館の中だった。働き方改革だなんだと、最近の映画は金曜封切りが多い。話題のアクションホラー映画のシリーズ最新作も例に漏れず金曜日の公開だったが、ボーダーの防衛任務に曜日も働き方改革も関係ない。だが、どうせ見るならネタバレの可能性が低い公開日に見たいというのが映画フリークというもの。シフトの調整までして来たのだ、ついでに他の話題作もさらっておこうと、3本ぶっ続けで映画鑑賞に浸るべく足を運んだ荒船は、同じ映画館の同じスクリーン内に天城凪沙を見かけたのだ。彼女は自分より2列ほど前の中央の席を陣取っており、一人ポップコーンを頬張っていた。一人でいることから、映画が、もしくは映画の原作になったゲームが、或いはどちらも好きなのだろうかと分析するも、答えとなる決め手はない。だが、同じボーダー所属とはいえ、学校も違うし、ポジションも異なるし、話したこともない。特に声をかける必要性のないと判断した荒船はそのまま彼女の後頭部から目の前の巨大スクリーンに集中させたのだった。

 シリーズ通してアクションはまあまあだったな、と思いながらスクリーンを出て、もう一度入場する荒船に、映画館スタッフはにこやかな顔でチケットを切る。次は女性が主役の西部劇で、主演女優以外に話題性がないせいか、スクリーン内の人は先ほどよりも少ない。しかし、そんな中でまたも先ほど見かけた後頭部が自分の視界の中に映った。やはり一人で、今度はホットドッグをかじっている。そこで初めて、天城凪沙は映画が好きなのだろう、と判断した。ボーダー隊員は忙しい、任務があれば昼夜関係なく未知のテクノロジーの結晶を手に戦う。学生なら尚の事、やること成すこと山積みだ。ならばオフの日に自分の好きなことをまとめて消化してしまおうという効率的な行動かもしれないと、喋ったこともない彼女に対する好感度が勝手に上がった。何故なら荒船もまたそう考えたが故に、映画ハシゴなんて真似をしているのだから。

 そして本日3本目の映画を見に別スクリーンへ行けば、ついに天城凪沙は隣の座席に現れた。が、荒船は別段驚きもしなかった。ボーダーとはいえまだお互いまだ高校生、22時以降に出歩けば補導されるのが世の中のルールであるのなら、時間いっぱいまで楽しむためにトワイライトショーまで滑り込んでくるのは、容易に想像できた。席も狙ったようにど真ん中のやや後方、きっと自分と同じようにネットで予約してきたに違いない。ただ、様々な作品がある中で、3本中3本とも被ったのには笑えたが。

「あの、荒船君だよね?」

 けれど、ついに数えるほどしか人のいない場内で、隣に座った天城凪沙にこっそりと声をかけられ、あまつさえ名前を呼び当てられたことには、荒船も驚かされた。詳細は荒船の知り及ぶところではないが、彼女は元々A級5位だか6位の隊に所属していたが、訳あって隊が解散したと聞いている。そのままどの隊に所属することもなく、黙々と個人ランク戦に入り浸る彼女の背中を知らないアタッカーはいまい。荒船とて、数か月前までは同じポジションだったのだから。

「そうだけど、なんで天城俺の名前知ってるんだ」

「前からよく此処に来てるなあって思ってた人がボーダー入ってきたら、そりゃー覚えるよね」

 意外にも、凪沙の方が先に捕捉していたようだ。でも話しかけるのも何かなと思って、とはにかみながらストローに口をつけて飲む凪沙に、確かに、と荒船は頷く。とはいえ、流石に隣に来てしまえば、なまじ顔も名前も知っている相手だけに、素知らぬ顔を貫く方が気まずい。凪沙が何も言わなければ、荒船から話しかけに行っただろう。

「友達、映画にお金かけないからさ。ボーダーに同志がいるんだなあ、って」

「ああ、数か月待てば300円で見れるだろ、みたいな」

「そうそう! でも違くない? やっぱ映画館で見たくない? あとネタバレ踏んだら嫌じゃない? みたいな」

「分かる。それに、自宅で4DX見れんのかよって言ってやりてえ」

「そりゃ自宅は自宅の良さがあるけども、それはそれ、的な」

 ぽんぽんと出てくる映画好きあるあるトークに、互いが「本物だな」と判断するのにそう時間はかからなかった。ほどなくしてCMが映画マナーに切り替わるにつれて、二人の言葉はぴたりと止む。そうして映画を堪能し、席を立つ頃には彼らの携帯には新しい連絡先が追加されていたのであった。

 それから見たい映画があれば互いを誘い、見た後はファーストフードコートやファミレスなどで映画感想で時間を潰す、というルーチンが日常に追加された。荒船は主にアクション映画を、凪沙は主にヒーロー映画を好んだ。どちらも派手に建物が爆発し、胸をすくようなバトルがあり、ラストはハッピーエンドという共通項があったため、そもそも見たい映画が被っていたことも大きい。一人ひっそり見ても素晴らしい映画が、同じ視点で物を語る相手がいるだけでこんなにも視野が広がることを、荒船は初めて知った。凪沙は荒船の好むどんな映画も断らず誘いに乗り、目を輝かせてやれあのシーンがよかっただのあの監督は分かってるだのと語らうだけで自然と笑みがこぼれた。時には同じ映画を何度も見に行くために映画館に足を運ぶ二人を見て、誰もが口を揃えてこういうのだ。荒船と天城って付き合ってんの、と。

「いや、付き合ってねえけど」

 そのたびに荒船は弧月で一刀両断するかのように否定した。もはや照れや焦りは一切ない。最初こそ動揺の一つぐらいしてみせたものだが、何度も何度も聞かれれば慣れもしてくる。行きつけのお好み焼き屋に行けば必ずと言っていいほど交わされるそのやりとりに辟易の一つも覚えてくる頃だが、荒船をオモチャにするネタとしてこれ以上ないと考えているのか、主に同世代からの追求は留まるところを知らない。現に今もまた、食堂で同じ隊の穂刈と食事をしている中で問われた言葉なのだから。

「似たようなもんだろ、あんだけデートしてんだし」

「映画見て飯食うだけだぞ。しかもファミレスとかで」

 ファミレスやバーガーショップで夜摂るにしては些かカロリーの高い食べ物を腹に詰め込みながら、あのシーンがあのセリフが魅せ方が解釈がと、語り合う二人の間に浮いた空気は一つもない。確かに色気のない、と穂刈が呟くが、まだ引き下がらない。

「もうちっとマシな店行けばいいだろ、デートらしく」

「上映後じゃ開いてねえんだよ。あんま遅いと補導されるし」

「真面目か。なら昼間行けよ」

「任務と学校があるだろ」

「土日は空いてないのか」

「最近の映画は金曜封切りなんだよ」

「というか荒船」

「んだよ」

「否定しないのか、デートらしくするってとこ」

「……」

 ニヤニヤと、からかうような笑みを浮かべる穂刈に、荒船は黙秘権を行使する。これ以上突けば蛇が出ると踏んだのか、スナイパーらしく危機を察知した穂刈がそれ以上問い詰めることはなかった。

 確かに、彼女との関係を否定するのに今更照れも焦りもしない。だが、意識したことがないかと言われればそれはNOだ。同世代の、それも趣味の合う相手。誰もが太鼓判を押す美少女ではないにしろ、同じものを見て笑い、同調し、時には涙できる相手だ、目を引かない訳もなく。穂刈や村上、影浦たちから散々突かれずとも、異性として見たことがないとは言い切れなかった。

 けれど、それが荒船と凪沙の関係を一歩進ませる理由にはならなかった。確かに気の合う相手だろう。しかし、それが相手に恋だ愛だという欲を抱く理由にはならない、というのが理論派荒船の結論だった。天城凪沙にとっての良き友人、荒船にはそれ以上の立場を求める理由がないのだ。故に彼女がどんな男と楽しげに笑い合っていても嫉妬はしないし、太刀川や米屋といったトップクラスのアタッカーたちにランク戦の個人ブースに引き摺られていく姿を見ても、荒船が抱いた感情は「こっちが飯食い終わるまでに終わっとけよ、上映間に合わねえぞ」だった。それをそのままぶつければ、凪沙は3秒でケリつけると意気込み、太刀川はつまらなそうな顔をしたのだったが。

「荒船、お待たせー!」

 そうこうしているうちにこちらの食事の終わりを見計らったように、凪沙が食堂に駆けつけた。一人でいる所を見るに、どうやら太刀川を振り切ってきたようだ。

「あ、ポカリやっほー。悪いね、荒船のお守りしてもらって」

「大したことない、気にすんな」

「おい誰が誰のお守りだコラ」

 言いながら、空になった皿をトレーに乗せて荒船は立ち上がる。またねポカリ、と手を振る凪沙と並んで荒船はトレー返却口まで向かう。

「というか、よく太刀川さん振り切って来れたな」

「いやー、風間さんが通りかからなかったら危なかったよ」

「風間さんを犠牲にしてんじゃねえよ」

「取引だよ取引、人聞き悪い。週末の任務のシフト替わることを条件にね」

「また任務入れたのか」

「稼げる時に稼がないとね」

 趣味にお金がかかって仕方ない、へらりと笑う凪沙に、俺より貰ってるだろとは言わず、そうだな、と頷く。二人して足早になって駅前の映画館へ向かう。今日の映画は凪沙の希望によるスパイアクションものだ。同じ監督が手がけたヒーロー作品が面白かったので是非にという誘いを、断る理由などなかった。二人して映画館につくなり、片方が二人分のパンフレットを買いに並び、もう片方が飲み物や軽食などを買いに行く。そうして劇場内に入り、パンフを片手に楽しみだと鼻息荒く語る彼女との間に、やはり年頃の男女らしい空気は流れない。

 そして映画が終わった後、そこにはあまりの素晴らしさに天を仰ぐボーダー隊員の姿が。

「私、明日から二宮隊に入る」

「俺はイーグレットが傘に換装されるよう加賀美に頼むわ」

 こんな子どもじみた発想でさえ、本気で語らえるのだからつくづく貴重な相手だと思う。興奮冷めやらぬ二人は、帰り道の寒風でさえ厭わず鼻を赤らめながら心打たれたシーンを口にしては噛み締める。いつもなら二人で24時間営業のバーガーショップなどに駆け込むところだが、今日はそうしなかった。珍しく、凪沙は用事があるので早めに帰りたいのだという。ならば仕方ないと、物分かりの良いふりして残念に思う程度には彼女を気に入っていることは事実だ。

 すると突然、凪沙から荘厳なクラッシックが流れてきた。どうやら着信音のようだ。

「ごめん、出ていい?」

「ああ」

 第九を着信音にする奴初めて見た、と思いながら立ち止まって携帯を引っ張り出して耳に当てる凪沙を見る。

「あ、うん。平気。なに、急ぎ? え──!は? ウソ、マジ!? なんでもっと早くに──ピザどーすんの! ……うん、えー、じゃあまだ戻って来てもないってこと? 分かった、次いつになるかは早めに教えて。私、任務とかで夜いない日結構多いから。……ん、大丈夫。平気。あ、ピザ代は後で請求するから。うん、うん、分かった。じゃあね」

 ぽん、と画面をタップして携帯をポケットにしまい、重々しいため息をつく凪沙。

「どうした?」

「んー。兄貴が寝坊してフライトに間に合わなくなって、帰国が伸びたって連絡。もー、サイアク。帰ってくると思ってピザめっちゃ頼んだのに」

「兄貴、海外にいんのか」

「そ。おれもハリウッドでメガホン取るんだーつって、アメリカ行っちゃったの」

「すげえ。じゃあ、天城の映画好きは兄貴の影響か?」

「そんな感じ。で、久々に帰ってくるって言うから、二人でB級映画のノンストップ上映会でもしようかと思ってたの。そしたら本人が帰ってこれないみたいで、たった今頓挫したってトコ」 

「なるほど、だからピザか」

「やっぱピザとコーラは外せないかなって」

 口ぶりは強がっているが、しゅんと眉尻を下げる凪沙はどこか寂しそうだ。今の電話口からも兄妹仲の良さもうかがえたし、よほど楽しみにしていたのだろう。仕方ないから今日は一人でピザパーティ、と笑う凪沙が突然立ち止まったことに気付くのに、荒船は数歩ほど凪沙の先を歩く必要があった。

「……天城?」

「荒船、今からうち来ない?」

 そんな突然の誘いに、荒船の思考は一瞬凍り付いた。脳裏を駆けるのは、彼女と肩を並べた日々と、穂刈たちに散々からかわれた声。凪沙はこちらが動揺してしまうほどに真面目な顔だった。真っ直ぐこちらを見る目は、スクリーンに集中している時の顔そのもので、ピザは奢りか、なんて茶化せるような雰囲気ではない。

 何故なら彼女は。彼女の家は。

「おまえ、一人暮らし[・・・・・]だろ。意味、分かって」

「流石に分かってるよ」

 へらり、と力なさげに笑う凪沙の意図がまるで分らない。第一次大規模侵攻時に、彼女の母親は死に、父親は《近界民》に攫われたと聞いている。兄がいるのは初耳だったが、そんな彼女はボーダーの仮設住宅に身を寄せていることは知っていた。だからこそ、その誘いにどんな意味が込められているか深読みせざるを得ない。彼女は馬鹿ではない。男女の距離感をはき違えるような性分ではないはずだ。そうでなければ、この半年間何もなかったことに説明がつかない。二の句が継げない荒船に、凪沙は一歩近づいた。

「だから、確認したい[・・・・・]

 確認したい──間違いのないかなど、物事をはっきりさせたい時に使うその言葉選びに、荒船は益々混乱した。試したい、という言葉であれば、まだ彼女の誘いの意図を理解できたかもしれない。彼女が荒船との関係に何を求めているか判断付かない中で、荒船を『試したい』のであれば、謂わば男女仲に発展したいかどうか、荒船にその気があるのかどうかを見定めたいのだろうと、結論付けたであろう。だが彼女は『確認したい』と言った。

 的確な答え、彼女の狙い、考えても考えても辿り着けないままに荒船は言葉を失ったまま。

「散々からかわれてるのは、荒船だけじゃないんだよ」

 そう言って、答え合わせとばかりに凪沙は笑った。

「ポカリも太刀川さんも、何なら当真や村上にもカゲにもゾエにも凜ちゃんにも荒船と付き合ってんのか好きなのかどこまでいったのかって散々聞かれてさあ、まあ、意識しない方が土台無理な話だよね。多分だけど、荒船も同じように思ってんじゃないかな」

「あ、ああ……」

「でもさあ、じゃあ好きなのか?って思うと、そこが分かんなくてさ。荒船とは一番気が合う友達だとは思ってるし、頭いいし、私とは違う戦い方してるなーと思って尊敬もしてる。じゃあ好きなの? キスしたいのか、セックスしたいのか。荒船に欲を抱いてんのか、ってとこがどーしても分かんなくて。恋人になるにあたって肉体接触したいかどうかが私の中の恋と友情の線引きにしてたから、その境界線が曖昧なのがずっとモヤモヤしてて」

 荒船の疑念を、そっくりそのままトレースしたかのように言葉にする凪沙に、動揺や驚きよりも感心が前に来た。荒船も同じだ、気の合う友人=恋をしているとならない理由の一つに、凪沙の言うように『肉欲がない』からだ。

「だから、確認したい。私にとって荒船がどういう存在なのか。私のテリトリーにやってくる荒船に何を思うのか。荒船は私にとって良き友人なのか、それとも恋人になりたいような人なのか、ハッキリさせたい。あと、Lサイズのピザを4枚も注文したので消費するのを手伝ってほしい」

 ちょうどいい機会だし、と照れも恥じらいも見せない凪沙の言葉に、フッと肩の力が抜けたのが分かった。

「……4枚は頼みすぎだろ」

「成人男性の食欲舐めたらイカンよ。で、来るの、来ないの」

「恥じらいゼロかよ」

「へへ、それもよく分かんない。でも、きっと荒船も同じモヤモヤを抱えてるんじゃないかな、とは思った。私たち、似た者同士だし」

 似た者同士──それが映画の趣味だけの話ではないことは、よく分かった。しかし、厄介なことになったと思う。まだ、荒船が好きだから、などという下心があればよかったのに。お互いがお互いに何を抱いているか分からないので、パーソナルスペースに呼び込んで実験してみよう、というのが凪沙の狙いのようだが、発想が極端すぎる。これで片方が変な気を起こし、片方がその気にならなかったら大惨事だ。荒船が前者で、凪沙が後者だった日には、もはやそれは強姦と化す。こいつその辺分かってるのか、と睥睨する荒船に、凪沙はにぱっと笑うだけだった。

「はっきりさせよ、荒船。私、この関係に名前が欲しい」

 邪気なく笑う笑顔と、真理を追究する鋭い言葉との落差。散々の沈黙の後、ああ、と頷いた荒船は思い知る。こんなの、最初から負け試合じゃねえかよ、と。

 たった一言で境界線が浮かび上がってしまうなんて、反則だ。


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