灰から生まれた乙女の祈り

※if ポタ主がダーズリー家ではなくシリウスに育てられていたら

※細かいことは気にしたら負け

※一応コレの続きで読めるようにしてたり















































あれから──十年が経った。

アシュリー・ポッターはダーズリー一家に預けられて、育つ。ここまでは、予定調和。私の知る原作に忠実な、展開である──はず、だったのに。



「んんーっ、いい天気」



朝、目が覚めて、ぐっと伸びをする。ベッドから降りてカーテンを開けてみれば、外はまだ薄暗いが徐々に明るい光が差し込み始めたのが目に見えて分かる。今日もジョギング日和、なんて呟いて、Tシャツと短パンと運動しやすい格好に着替えてから、ドレッサーの前で身だしなみを整える。そして部屋を出て、この家の住人を起こさないように静かに階段を下りてから、階段下の物置を横切り、洗面所で顔を洗う。冷たい水を顔に浴び、タオルで拭いてぱっと顔を上げれば、もはや見慣れた“アシュリー”が、鏡から私を見つめ返す。

髪の毛は、誰に似たのかくしゃくしゃの黒髪。髪は昔は伸ばしてたけど、今はショートボブにしている。額には薄ら稲妻形の傷があり、それを隠すように前髪を整えている。瞳は勿論、アーモンド型のエメラルドグリーン。視力は現在良好なのでメガネはしていない。顔はママに似ているように思えるほど、客観的に見ても美人だと思う。これは人生得できそう。未だに己の顔に慣れないまま、私は美しい顔に苦笑を湛える。おお、こんな顔まで綺麗だ。美人てスゲエな。



「髪もママに似ればよかったのになあ」

「──想像できないな、そんなアシュリーの姿は」



とんと、私の両肩に乗る温かい手。はっと目を見張ると、鏡には何年見ても衰えることのない端正な男の顔。グレイの瞳が、優しく弧を描いて鏡越しに私を見つめている。



「シリウス! レディの身支度中よ!」

「お前が独占してるのが悪い」

「悪かったわね! 誰かさんに似たこの髪の所為よ!」



相も変わらずブラシの通りの悪い髪を梳かしながら、文句を零す。そりゃ、シリウスに文句言ったところで仕方ないんだけども、彼はどうにも私とパパが似てる姿を喜ぶ節がある。レディ的には嬉しくないのだと、何度言っても聞きゃしないんだからこの男は。そんな私に、シリウスはあしらうように鼻で笑う。



「朝からカリカリするなって。ホラ、いいから行ってこい」

「言われなくともー。ったく、私に合わせて早起きする必要なんてないのに……」



なにせ今は時間にして、朝の五時。日課のジョギングだ筋トレだに精を出す私と違って、シリウスに早朝から活動する義理はない。だというのに、髪をまとめて一つに縛る私を、彼は毎日見送ってくれるのだ。



「いいんだ。お前がうちを出る。貴重な時間だ、見届けないとな」

「何が貴重よ。二日に一度は見れるでしょ」



全く、と私は親馬鹿シリウスの発言を聞き流し、玄関へ向かう。



「──おはよ。それと、いってきます」

「ああ。気を付けてな」



手を振るシリウスに、過保護だなあと思いながら、シリウスの家を飛び出す私の口元は情けないほど緩んでいた。もう十一歳になるというのに、私もいい年してファザコンなんだろうか、なんて思ってしまうほどに。

──アシュリー・ポッター、私の名前。ジェームズ・ポッター、リリー・ポッターの間に生まれた子ども。生き残った女の子。名前や性別はどうであれ、生き残った子どもが辿るべきは、魔法嫌いのいとこの家に引き取られ、虐められ、蔑まれ、惨めな生活を送るのだと思っていた。けれど、何故かそうはならなかった。その要因の一つが、名付け親であるシリウス・ブラックが、アシュリー・ポッターを引き取ると言い張ったことだと思う。

何故彼が復讐よりも私を選んだのか、それだけは分からない。けれど彼は、パパやママが死んだあの日、バイクを飛ばして壊れた家から赤子だった私を連れ出した。ハグリッドが担うべき役割を、彼が全うした。そうして私はダーズリー家に預けられるより先に、ダンブルドアの元に届けられた。愛の守りを強固にするためダーズリー家に預けるべきと主張するダンブルドアを、シリウスが叩き伏せたのだ。



『俺が彼女の名付け親だ!! アシュリー・ポッターの名付け親だ!!』

『俺が守る!! 俺が育てる!!』

『約束したんだ!! 俺が──約束なんだ!! だから!!』



彼はあの日、ダンブルドアに向かってそのように叫んでいたことを、十年も前だというのに酷くハッキリ覚えていた。赤子ながら、凄まじい執念を見せるシリウスを見て哀れに思ったものだ。彼はきっと、責任を感じているのだと。自分が秘密の守人を変えなければ、愛する人は誰も死ななかったのにと。だからこんなにも必死なんだと。

そんな必死さに、ダンブルドアも心折れたのか、或いは説得は無理と諦めたのか。私の処遇は、私の知る原作に大きく逸れた形になったのだ。



『アシュリーは一週間のうち、四日はダーズリー家で過ごす。しかし三日はシリウス、君の手で育てるといいじゃろう。アシュリーの親権はあくまでダーズリー夫妻にあり、シリウスはあくまで君を預かる後見人。そうすれば愛の守りが崩れることなく、君は一年の半分を名付け子と過ごすことが出来るじゃろう』



ダンブルドアの解説を聞きながら、赤子の私は冥界に連れ去られたコレーかと突っ込みたくなった。が、実際そうなったのだから驚きだ。週の四日はダーズリー家で寝泊まりし、週の三日はシリウス邸で過ごす。私の中身が大人で、かつ原作知識がなければ、まるで意味の分からない子どもの育て方だとグレててもおかしくないでしょ、これ。よくまあ教育者がゴーサインを出したもんだと呆れたものだ。実際、私は二つの家を行き来しているので、家庭関係に問題があるのではと、学校で噂されるほどだ。勉強にスポーツに力を入れ、誰が見ても品行方正の美少女を演じていなければ、最悪虐められていたぞ、ほんと。子どもってこういうとこ無神経で残酷なんだから。

引き取った側のダーズリー一家も、よくまあそんな無茶な子育てを了承したものだと、私は感心していた。まあ、彼らの場合、杖を持ち、魔法を操る得体のしれない相手に強く出れなかっただけなのかもしれないが。おかげで原作以上に、私は腫れ物扱いだ。ダドリーやバーノン叔父さんは私を怖がって近寄ることも話しかけることもしないし、ペチュニアおばさんに至っては私なんかいないものとして扱う。話しかけても返事することはないし、私が差し出す手紙や新聞を受け取ることもない。ほんと、私の中身が成人してて、おばさんたちがどれほどパパやママを敵視して、魔法を嫌って、無茶な子育てを命じられてるかって知らなきゃ、道を踏み外していたんじゃないだろうか。とはいえ、ダーズリー家は元々金持ち。週末は外出や旅行も多いため、実際ダーズリー家で過ごすと言っても、私の役目はもっぱら留守番だけ。あとは部屋に引き籠って本を読むなり勉強をするなりバーベルベンチプレスに取り組むなりしていれば、四日などあっという間に過ぎる。あとの三日は、ちゃんと私を愛してくれる人の元で過ごせるのだ。



「(ハリーの立場を思えば、贅沢すぎるってもんよ)」



余談だが、私が何をしたのか、どうしてパパやママが死んだのか、自分たちが何者なのか、といった真実については三歳の誕生日を迎える前に子守歌代わりに言い聞かされ、家でも魔法が飛び交うのを目の当たりにして育った私は、原作の知識があろうとなかろうと、自分の正体を知ることとなった。まあ、根っからの純血家で育ってきたシリウスに、今更マグルのふりして生きろなんて、甚だ無理な話だったのだろう。おかげで物心つく前から、私は魔法を学ぶことが出来た。入学前から、七年生でも知らないようなえげつない呪いを覚えてしまったのも、シリウスの教育の賜物といっていい。『例のあの人』──生き残ったい女の子の宿敵を倒すため、好きでもない勉強や運動を続ける私にとっては、これ以上ない家庭環境だったと言える。

今日もプリベット通りをぐるりと数周してからシリウス邸に戻ってシャワーを浴びる。髪を乾かしてキッチンに戻る頃には、ベーコンを焼くフライパンを持つシリウスと、紅茶のティーポットを手に目を擦るリーマスが、私を出迎えた。



「おはよ、リーマス!」

「ああ、おはよう、アシュリー」

「桃の匂いがするわ。今日はピーチティー?」



トーストの焼ける香ばしい匂いと、モーニングティーの華やかな香りの中に、仄かに桃の匂いが混じっていた。どれどれとポットを開けようとした私の手を、リーマスが優しくペチリと叩く。



「コラ、まだ蒸らしている最中だろう」

「それはそれは、失礼しました」



事、紅茶に関してはキッチンの守護者であるシリウスでさえ敵わない。ティーポットの番人と化すリーマスが手際よくモーニングティーを用意する姿を何の気なしに見つめるこの朝の時間が、私は好きだった。

リーマス・ルーピン。彼もまた、シリウスの動きにより運命を変化させられた人だ。彼はシリウスの、パパやママの学友で、親友で、狼人間だ。その性質から働き口がなく、『例のあの人』が私によって退けられた日から、その日暮らしで生きてきたリーマスをこのプリベット通りに連れ込んだのは、他でもないシリウスだった。貴族であり、親族がみんな死んだため莫大な遺産を相続したシリウスは働く必要がないどころか、サッカーチームほどの人数を養うことだって容易だったようで。親友の忘れ形見を二人で育てるのだと、ダンブルドアや魔法省に根回し、危険だとごねるリーマスを説き伏せた。その手腕はそれは見事だったと、当時二歳だった私が生き証人となったわけだが。とにかく、血の繋がりもない三人が一つ屋根の下で暮らすため、シリウスはどんな手をも使った。おかげで概ね彼の満足いく生活が十年と続いたわけだが、傍からすれば兄弟にも見えず親子に見えない私たち三人は大層奇異に見えたらしく、噂好きのご近所さんは『シリウスとリーマスがデキていて、養子が取れないためにダーズリー一家に預けられているアシュリーを半ば強引に引き取って育てている』と思い込んでることを、シリウスは知らない。

まあ、彼だって私もよく知る味方。シリウスほど過保護でないにしろ、私を慈しみ、愛してくれる人には違いない。寧ろ、私に関しては些か過保護になりがちなシリウスの手綱を引いてくれるストッパーでもあるのだ。シリウスとリーマスと共に暮らすことに、私は何の文句も不満もなかった。それこそこの十年の間、たった一度だって。そりゃ、些細な喧嘩や口論ぐらいは日常茶飯事だけれど、それでも彼らは、死んでしまったパパやママに代わらんと溢れる愛情を注いでくれたのだ。感謝こそすれ、不満など起こりえるはずもないのだ。

なんて回想を、アッサムの芳醇な香りが私の意識を現実に引き戻す。



「今日はアッサム?」

「ニルギリとのブレンドさ。実は、シリウスが面白い物を持ってきてくれてね」



そう言ってリーマスが取り出したのは、木箱だった。ティッシュケースほどあるそれはマホガニーでできており、古めかしいが艶々と輝きは褪せていない。ドーム型の蓋には獅子を模った金の装飾が施されており、獅子の瞳には大粒のルビーが埋め込まれている。高価なものだということは分かったが、一見だたの骨董品にしか見えないそれが一体何なのか、私にはさっぱり分からなかった。



「これ、なあに?」

「ティーキャディさ、私も実用品としては初めて見た。流石、七百年と続いたブラック家。今やアンティーク品でしかない演出道具が、生活実用品として利用できるのだから、驚きだよ」

「実家の整理の際に見つかってな。我が家に生まれた者は尽くおぞましい人種ばかりだったが、調度品の趣味については、フム、些か評価を改める必要がありそうだ」



そんな七百年も続くご立派な名家の当主が、今やキッチンでベーコンを引っくり返していると知ったら、ブラック家の人々は何と言うだろう。ま、死人に口なし──魔法界においては必ずしもそうとは限らないけれど──、私の興味は顔も知らぬシリウスのご先祖様よりも、目の前の箱に吸い寄せられていた。

ティーキャディ、要は茶葉を入れる箱だが、私も本物を手に取るのは初めてだ。アンティークショップに行くと、たまーに見かける程度の、まさしく歴史上の遺物。リーマスの言うように、今やほとんど実用品としては使われず、お茶会の雰囲気造りに使われるぐらい、実際茶葉を仕舞って使う人なんてほとんどいないだろう。英国に紅茶がもたらされた時代に作られた茶葉の容器だ、気密性の低さから酸化が進んでしまい、紅茶の命である香りが失われてしまうからだ。しかし、此処は何千年と続く魔法界。マグル界では骨董品と化した遺物でも、魔法界じゃ現役バリバリらしい。だが、それとリーマスとの会話に、何の関係があるのだろう。しかし、不思議に思いながら箱を開けてみたその瞬間、私はその答えを知る。



「うわーっ、すご!」



思わず、感嘆の言葉が漏れてしまった。箱の内面積は、その外観から想像もできないほど魔法で拡張されており、何百という小部屋に分かれており、それぞれの部屋に茶葉が仕舞われていた。箱の中央には何も入っていない、クリスタル製のボウルのようなものがはめ込まれており、そこで茶葉をブレンドするのだと分かった。



「すっごい! これでリーマスのオリジナルブレンドが飲み放題ね!」

「だろ? もっと早くに発掘するべきだった」



シリウスも実に惜しいことをしたとばかりに肩を落とす。家に苦い思い出しかない彼は、あまり実家に帰りたがらない。私も何度か連れて行ってもらったことはあるが、暗く、じめじめして、如何にも闇の魔術を好んでいますとばかりの内装で、好きにはなれなかったのだから仕方ない。今日からその素敵なティーキャディを楽しめばいいと、私はリーマスの淹れるピーチティーが蒸し上がるのを待つ。リーマスがその間にヘレンドのターコイズプラチナのティーカップを取り出す。うっかり割ってしまわないか、私とシリウスが視線を鋭くさせている間に、私たちの心配は杞憂だと言わんばかりに彼はソーサーとカップを並べる。

しばらくして、生クリームを混ぜたミルクをカップに注ぎ、その次に蒸らし上がった紅茶を静かにカップに注ぐ。その後で、シリウスがカットしてくれた桃をカップの縁に添えて、完成だ。



「いい匂い!」

「匂いほど甘すぎないのもいいな」

「君でも飲めるものでなければ、不公平だからね」



こうしてシリウス邸の朝は、リーマスの紅茶と共に始まる。運動の後でお腹ぺこぺこの私は、朝食をかきこんでいく。そういえば、とシリウスはカップを手にくしゃりと笑んだ。



「お前、昔からミルクイン・ファーストだよな」

「え? 先に入れた方がいいんじゃないの?」



違ったっけ、とばかりにトーストの皿から顔を挙げると、シリウスは虚を突かれたような顔をした。一方でリーマスは少しだけ吹き出しながら、私に耳打ちする。



「アシュリー、シリウスはほら、カップをケチる必要のない身分だからね」

「それ、魔法界じゃあんま関係なくない?」



所謂、ミルクイン・ファースト派かミルクイン・アフター派かという奴だが、魔法界でそれはご法度ではなかろうか。一昔前のミルクイン・ファースト派の主張としては、昔の陶磁器のカップは熱のせいで割れることもあったため、先に冷たいミルクを入れておくことで、紅茶を冷ましてカップが割れるのを防いでいたとか何とか。アフター派はそれをカップを買えない貧乏人の浅知恵と罵り、両者の溝は埋まることなく戦いは現代においても続いてる。だが、杖一つでカップのヒビぐらい直してしまうような魔法界に、やれ先入れだ後入れだなんて論争があったなんて驚きだ。

まあ、魔法界にしろマグルにしろ、貴族階級が色濃く残っているのだ。そんな取るに足らない習慣一つもマウント合戦の恰好の的なのだろう。“私”の生まれた時代では、化学的にはミルクイン・ファーストの方がより美味しく紅茶を頂けるのだと結論が出たらしい。が、ぶっちゃけ誤差の範囲だ。目隠しして鼻つまんで飲んだ紅茶が、ミルクが先入れなのか後入れなのか利き分けることの出来る人間が人類の何パーセントいることやら。

しかしシリウスはバツの悪そうな顔でふくろうが運んできた日刊予言者新聞で顔を隠す。



「……後入れが、一般的なものだと、ばかり」

「どれだけ取り繕っても、生まれは隠しきれないものだね、我が友」



リーマスは面白がるように、しかして慰めるような優しさを以てそう言った。

──シリウスは、自分の生家を憎んでいた。それこそ、子守歌代わりに聞かされたほど。あいつらは家族ではなかった。人ではなかった。人を人と思わないクズばかりだったと、彼はいつだってそう語る。
けれど、その家で培ってきた何もかもさえ憎んでいるというのに、あの屋敷で育てられたという事実が、間違いなくシリウス・ブラックという人を形成するのに一役も二役も買っていることを、彼はあまり認めたがらない。故に、紅茶の淹れ方一つとっても他の家と違うことに、シリウスは未だショックを隠し切れないのだろう。あれほど逃げ出したかった屋敷に、まだ囚われているのではないか、と。そんな生家を見限って、更には自分以外の直系の家族は死に絶えたというのに、シリウスの歪んだ憎しみだけが、彼を未だにグリモールド・プレイスに縛り付けているのだから、何とも救い難い話だ。

故にシリウスは私との時間を大事にしたがる。そうやって築きたいのだ、正しい家族像を。自分が間違っていると思う家族の在り方を、私と過ごすことで上書きするために。そんな気持ちが分かってしまうからこそ、私は良き家族に甘んじるのだ。



「ま、どっちでもいいじゃない。そ、れ、よ、り! 午前中は薬草学の勉強教えてくれるって約束でしょ? その後は筋トレ! 今日のはシリウスにも手伝ってもらう必要があるメニューなんだから!」



湿っぽい話はおしまい、と私は食器を浮遊させて片付けながら言う。時間は有限だ。私はもうすぐホグワーツに入学する。即ち、こんな美味しい空間で好き勝手勉強できる時間も、あと少ししかないということ。で、あるならば、過去のことでいちいち凹んでる場合ではない。使えるものは何だって使う、それが名付け親であっても。全てはそう、私やみんなが生き残るために。

そんな私を他所に、シリウスは頬杖ついたまま、ニッとはにかんだ。



「……だな。食器の後で椅子やテーブルも片付けないとな」

「そうね。浮かせておくと怖いし、どっかに仕舞わないと……」

「なるほど、そのうちに私が皿洗いをすれば──」

「「リーマスは座ってていい」」

「……ありがたいんだけど、あんまり嬉しくはないんだよね」



一日一回は何か割ってる男に、キッチンを任せるほど私たちも腑抜けてはいない。いくら名付け親が底知れぬ金持ちであったとしても、一つうん十万とする食器類が地に落ちる様と言ったら、何年経っても寿命が縮まる思いだ。そりゃあ、腐っても我々は魔法使い。杖一振りで傷一つなく修復できるとはいえ、幾度となく見るも無残に破壊され、床に亡骸を晒すヘレンドのカップの姿は、あまり見たくない光景である。





***





「ところで、さあ、ずっと、聞き、たかった、んだけど!」

「あー、なんだ、急、に」



勉強も終わり、日課の筋トレに励む私に付き合って腕立てを続けるシリウス。パパやママと同い年とはいえ、私からしたらまだまだ若きアラサー。この程度で音を上げるほど老いてはいないようで何よりである。

そんな中、私は長年の疑問を何でもないように口にする。



「いや、なんで、私のこと、引き取、ったのかな、って」

「そりゃ、お前、俺は、名付け親で、!」

「でも、選べた、道は、それだけじゃ──なかった、でしょ」



シリウスの動きが、不規則に止まる。そんなシリウスに私のプッシュアップの動きも鈍る。彼の顔を視なくとも分かる、呼吸のブレ。

今更過ぎる疑問は、今だから問いただせることもある。そう、私は近々、ホグワーツに入学する。即ち、この家をしばし離れることになる。その前に、どうしても聞きたかったのだ。どうして彼は、復讐する道を選ばなかったのか。無論、道はそれだけじゃなかっただろう。あれほど渋るダンブルドアを相手に、諦める道だってあった。私は原作通りダーズリー家で育ち、彼は自分の人生を生きるなんてことも出来たであろう。けれどそうしなかった。それは何故。いっそ、原作の内容が私の知ってるソレと丸っと異なっているのなら、『まあハリー・ポッターもアラサー女子に取り替わってしまったからな』と納得できた。けれど、原作通り私のパパとママはあいつに殺され、ダーズリー一家から恐れられる反面、ネグレクトとも取れる育てられ方をしたし、リーマスは狼人間に噛まれて人間の輪の中で生きることを諦めかけた。プリベット通りに他に魔法使いや魔女はいないし、たまにそれらしい人たちを見かけても握手を求められたり仰々しくお辞儀されたりするだけ。

そう、彼だけだ。シリウスだけが、私の知る流れを大きく捻じ曲げた。だから私は一年の半分近くをこの家で快適に過ごし、リーマスはこの家で何の不自由もなく暮らし、バーノンおじさんやペチュニアおばさんは私の背後にいるシリウスを恐れて、私の髪を丸刈りにすることも、ダドリーのお下がりの洋服を着せることも、勿論階段下の物置部屋に押し込めることもしなかった。シリウス・ブラック一人の動きで、私の生活はこんなにも好転した。それには感謝してもし足りないぐらい。けれど、たった一人の行動がこれほどの影響力を持つことを知った私は、恐ろしくもあり、嬉しくも思った。生き残る為、私はあらゆる研鑽を積んだ。であるならば、私はこの先何一つ取り逃すことなく生き残ることが出来るのではないかと。

故に、彼の何が私の知る道を変えたのか、知りたかった。どんな覚悟を持ったのか、或いはどんな天啓を得たのか。“道”を選んだその瞬間がどんなものなのか、私は知っておきたかったのだ。



「シリ、ウス?」

「……」



シリウスは何も言わない。その端正な眉が何を彩っているのか、私には分からない。聞きにくいことだ、だから十年もの間、黙していた。けれど、私は旅立つのだ。自分に用意された戦いの場に。私が生き残るためにフィールドに置き去りにするであろう命を、何一つ取りこぼしてたまるか。そうだ──シリウス。他でもない、私が失うはずだった十年を慈しみ、守り、育んでくれた人。あなたが私にしてくれたように、私もまた、自らの意思を以てあなたがいる未来を選びたい。だから、



「……何も、特別なことは、ない、さ」



肌をちりりと焦がすような沈黙の後、シリウスが腕立てを再開させながらそう言った。案外そんなものなのだろうか、と私もリズムを合わせるように肘を曲げてゆっくりを身体を水平に近づける。



「それに、選ぶ、までも、なか、った」

「どゆ、こと?」



かはっ、とシリウスは抑えきれない笑みをそのままに、そんなことを言う。



「お前と、出会って、俺の進む、道は──ただ一つ、だ」



そんな熱烈な愛情に、私の胸の中に感動やら感謝やらがどうっと込み上げた。それと同時に、何てかっこいい人だろうと、まさしく御伽噺のヒーローのような存在に打ちひしがれそうになった。あらゆる道から、私を選んだのではない。シリウス・ブラックにとって、アシュリー・ポッターが全てだったのだ。故に他の何にも惑わずに、彼は十年かけて今日に辿り着いたのだ。その迷いのなさと、純粋な愛情が嬉しかった。それと同時に、少しだけ、ほんの少しだけ悲しくなった。私はきっと、こんなきれいなヒーローにはなれないだろうと、筋張ったこの手が血に染まる未来を、予見していたから。

戦いは、続く。七年にも渡る、命と命のやり取り。勝てる道筋が見えていようとも、私は決してハリーのようにはなれない。選べる道はきっと多い。迷いもするだろう。進む道のりの長さと多さに、私はさぞ苦悩と後悔に苛まれることだろう。けれど、せめてシリウスにとっての私がそうだったように、この人はと思える大事な人たちぐらいは、何一つ未練など残さず救いたいなと、思った。あれやこれやと御託を並べるより先に手が足が、そんな人たちを守るような人間で在ればいいなと、私は願ってやまないのだ。

例え、どんな手を使ってでも──だ。



「……あのさ、君たち。いつまでやってるんだい」

「「え?」」



そんな覚悟を胸に抱いたその時、呆れたようなリーマスの声が私とシリウスを呼びかけた。ああ、いけない。回数も忘れて話し込んでしまった。



「もう五セット終わってたの?」

「ああ、とっくにね」

「だったら早く言えよ。……ホラ、降りろアシュリー」

「分かってるよ、っと」



そう言いながら、私は床で腕立てしているシリウスのから降りる。いやあ、始めてやったけどメッチャ腹筋にクるなこれ。正しいフォームを意識すればするほど、キツい。つまり、体幹もみっちり鍛えられるってこと。筋トレなんか一人でやるもんだと思ってたけど、これは、ウン、考えを改める必要があるな。

腕立てに付き合ってくれるというシリウスに腕立てをしてもらい、私は彼の上に乗っかる。シリウスの両足首を掴み、自分の足はシリウスの広い背中に乗せて支えにする。そうして二人で息を合わせてプッシュアップを三十回、五セットというアクロバットなトレーニングを行っていた。シリウスは私の全体重という負荷がかかり、私は不安定な足場でフォームを保つために余分な負荷をかけられる。勿論、二人のプッシュアップのタイミングがバラければ、却ってトレーニングとしちゃ非効率。腕立て伏せ──単純な筋トレに見えて奥が深い。こんなやり方もあるのかと、私は「アクシオ!」と、筋トレの雑誌を魔法で寄せる。



「じゃあ次はどれにしようか……あ! ねえこれすごくない!? まずシリウスが私を肩車して立ち上がって、私の足首掴む。私はそのまま逆さまになってシリウスと背中合わせになる。そのまま腹筋だって! ヤッバイこれ絶対楽しいよ!」

「俺、棒立ちする以外にやることねえじゃねえか」

「ポージングすればいいんじゃない? ほら、腕のココんとこ効きそう」

「前やったストレッチの方がいいな、二人でやってる感じがして」

「座って手を繋いで開脚前屈するやつ? シリウス、ほぼ九十度だったじゃん」



ペアストレッチもいくつか試したが、シリウスの身体が硬すぎて三分と持たなかった。そもそも、シリウスとの体格差が激しすぎて、背中合わせで手を繋ごうとしても腕は届かない、足の長さが違うから歩幅も合わないなどなど、全然トレーニングにならなかったのだ。そうして二人であれでもないこれでもないと、額を突き合わせるように雑誌に覗き込む。

そんな私たちを、リーマスはいつも奇妙な顔で見つめるのだ。怒っているようにも見えるし、困っているようにも見えるし、或いは気まずそうにも見えるような、そんな筆舌尽くしがたい表情で。



「リーマス、どうかした? 随分酷い顔よ」

「いや、その──なんというか君たち、その、何とも思わないのかい?」

「「?」」

「距離感というか、その……」



距離感、と私とシリウスは雑誌から顔を上げて互いに顔を見合わす。彼我の距離数センチ、ちょっと頭を傾ければキスできるぐらいの距離。ううん、確かに近いというか、パーソナルスペースが合ってないようなもの、と言われれば『確かに』と頷けるほど。ただ、シリウスとはもう十年もこんな感じなのだ、今更何を思うことはない。そりゃシリウスはかっこいいし、私も外見はともかく中身はいい年した大人、この顔にトキメキを覚えたことがないわけでもないが、それも十年も見てれば流石に慣れもする。おかげさまで、映画やドラマを見ている時、



『この俳優さん、かっこいい……』

『は? 俺よりも?』

『張り合わないでよ、ハリウッドスターと』



なんてやりとりが、もはや日常茶飯事と化してるほど。まあ、張り合える顔をしてるのは事実なんだけどね。それでも、私にとってはご飯を食べさせてくれたりおしめを変えてくれたり服を着替えさせてくれたりと、“親”でしかないシリウスに対して親以上の感情やトキメキが生じることはなかった。その反動か、どんなにかっこよくてセクシーな異性を見ても心に波風一つ立たなくなった。慣れというのは恐ろしいものである。

リーマスの言い分が理解できないとは言わないけど、本当の親を失った私たちは、どのような愛情を以て接するのか分からない。どうせこの先、真っ当な普通の人生など望めないのだ。だったら私たちは、私たちの振る舞いたいように振る舞うだけだ。リーマスは、そんな私たちに何を思ったのだろう。大袈裟なぐらいため息をつくと、まあいいか、と肩を竦める。その時、玄関の方でフクロウが一声鳴いた後、カタン、と郵便受けが鳴る音がした。



「ホグワーツからの手紙かもしれないわ!」



私も十一歳になった、つまり九月からホグワーツ生だ。何年と待ちわびた手紙がようやく来たのだと、話の内容も忘れ、私はシリウスとリーマスを残して玄関の方へと飛んでいった。



「……何というか、シリウスも人が悪いというか──」

「やったー!! ねえ、ホグワーツからの手紙! 来てた!! ねえ見て!!」



分厚い黄色がかった封筒に、エメラルドグリーンのインクが綴られた手紙を手に部屋に戻った私を、シリウスとリーマスが笑顔で出迎えた。ハリポタ読者だったら誰もが夢見る、ホグワーツからの手紙が今、私の手の中に。校章を模ったシーリングワックスに指を滑らせ、私はごくりと息を呑む。ようやく、私の戦いがスタートするんだ。此処から七年、絶対に勝ち続ける。私は何一つ負けないし、私は誰一人失わない。シリウス、リーマス。私の家族、死する運命にある人だって関係ない。私が失いたくない人は、どんな手を使ってでも救ってやる。犠牲が出たって構いやしない、この手を何度死で穢そうが知ったことか。それが私の、アシュリー・ポッターの決めた道なのだから──。

ふと、誰かに呼ばれた気がして、振り返った。振り返った先にはシリウスがいる。我がことのように喜んでくれるだけ。何だ気のせいかと、私はリーマスと一緒に手紙を開封し、入学案内と教科書のリストを広げてはしゃぐだけだった。





「──馬鹿言え。こいつの方が、よっぽど悪辣だ」





シリウス・ブラックの切なくも喜びに満ちた囁きは、誰の耳にも届かない。

きっと、__年後までは。だーれにも。





―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
100万ヒット記念リクエスト、或人さん・頃音からいただきました、
『ハリー成り代わり主がダーズリー一家ではなくシリウスに引き取られていたら』および
『夢主とシリウスのもどかしいイチャイチャを、やきもきしながらデバガメするリーマス』、でした!

難産だった……!!ifのお話は設定から練るので大変でしたが、楽しかったです。
もどかしいイチャイチャってなんだろうね。難しいもんです。
デバガメの意味をはき違えてる気もするけれど、これでお許し下せえ。
これが限界です(目ぐるぐる

一応、本編でとあることが起こらなかったら・・・・・・・・こんなお話になる、
という気持ちで書きました。この辺の種明かしは何年後かには出来るのかななんて。
ただ、このお話を読んでその辺が分かるようには書いていません。
(あまり露骨に書きすぎるとまだ書いてない本編ネタに絡んでしまうので。)
だからこれはif物語として、楽しんで頂けると嬉しいです。

リクエスト、ありがとうございました!


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