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とある、女の話をしようか。



物心つく前から、私には前世の記憶があった。

私は、日本人だった。黒髪黒目、背はちょっと高め。料理が下手な母さんと、旅行が大好きな父さんがいて。三つ下の、妹がいた。喧嘩もしたけれど、家族仲は良かった方だった。そんなどこにでもある、普通の家庭だった。

小学校中学校高校大学と、順々に卒業して。色んな経験を経て、得た。友達もたくさんいた。みんな馬鹿ばっかだった。それでも、楽しかった。仕事をしていた。とても有意義で、充実して、楽しかった。恋人もいた。我の強い人だったが、私たちは共に愛し合っていた。そんなどこにでもある、普通の生活だった。


けれど、私は終わってしまった。

死んでしまったのだ。その時の記憶は、あまり鮮明に思い出せないが、確かに死んだ。多分、車かなんかに轢かれたんだと思う。死ぬほど痛かった。……まあ実際死んでしまったので、この表現もどうかと思うが。あーあ死んじゃうのか、うわまじかもっと生きてたかったな、なんて、世の偉人のように辞世の句一つ残せないまま。私は確かに、この世を去った筈──だった。


でも気付いたら、私は生まれ変わってた。くしゃくしゃの黒髪で、メガネをかけた男の人と、赤い髪の毛の、とても美しい女の人に抱きかかえられていた。赤ん坊となった私を、その二人が。あれ、私、赤ん坊になってる。なんて気付いて、びっくりして、慌てた。けれど、赤ん坊になった私は喋ることも出来ず、自らの足で立つことも出来ず、未熟な手はロクに物を掴むことも出来ない。意思を伝えるには泣くしか手段が無く、何故か一日中眠くて寝ていることしか出来ない。そんな無力な存在になってしまった私は、どうすることも出来ないまま、赤ん坊として過ごした。私は、アシュリーと呼ばれていた。その響きといい、おぼろげながらに見える両親の顔といい、日本人には生まれ変わらなかったようだった。おかげで両親が話す英語と思われる言語がサッパリだった。日本人の語学力なんて、そんなもんよね。

その頃の記憶は、とても曖昧なものだ。何せ一日中寝ているので、憶えていることの方が少ないのだ。それでも、おしめを変えられたりおっぱい吸わされたりと散々な目にあったことは憶えていた。けれど、けれど──生まれ変わったという非現実的な経験をしたけれど、幸せに暮らしてた。私は、私たち家族は、幸せだった。憶えていることは少ないけれど、それだけは確かに言えることだった。


けれどそんな幸せは、長くは続かなかった。両親が謎のフードを被ったよく分からない男に、殺されてしまったのだ。訳の分からない英語でも、一年も聞いていれば流石に何となく意味は分かってくる。父を殺し、母を殺そうとする男は、私を差し出せと言う。私を殺せるなら、母には手を出さないと言う。怖いとか、悲しいとか、そういうことを考えるには私の脳はまだ発達していなかったらしく、ただ本能的に泣きながら、母に抱きかかえられていた。

その時、一年しか経ってないが、この世に生を受けて、親子となってからたった一年しか経過していないが、確かに私の母だった人が。私を、幼い私を抱きしめて、啜り泣いて、懇願するのだ。



「この子だけは、殺さないで」



母と、呼んでいいのか分からない。だって私の母は“お母さん”で、この人ではない気がしてならなかった。それでもこの人は、命に代えても私を守ろうとしている。母が、子供を、守ろうとしている。嗚呼、ばかなことを思ったものだ。この人は、確かに私の“母親”だったのだ。そんな当たり前なことを、今になって分かったその瞬間、ママは、死んでしまった。嫌というほど緑の光に包まれて、断末魔は耳の奥まで貫いて響き、それでも私を想いながら、ママは絶命した。ああ、死んでしまった。次はきっと、私の番──私の番が、来る。

いや。否。私はこの光景を知っている。子供の頃──赤ん坊が何言ってんだって話だけど──読んだじゃないか。あの世界的有名な、あの児童書の展開に、ソックリじゃないか。私は男の子でもなくハリーという名前でも無いけれど、この展開を、この続きを、

私は、知っている!



「アバダ・ケダブラ!!」



そう叫んだ男は、次の瞬間目も開けていられないほど眩い光に包まれ、全てが吹っんだ。家が、木が、私の周囲にあるもの全てが塵と消えた。残ったのは、倒壊した家の二階に、辛うじて原形をとどめたベビーベッドと、その傍らに寝そべっているアシュリーだけ。


ああ、きっと、私の額にはあの稲妻が刻まれているのだろう。でもきっと大丈夫。私は形はどうあれ、ハリー・ポッターではないのだから。彼は彼の運命を全うした。それがあの児童書となったのだろう。でも私は違う。私の名前は、アシュリー・ポッター。きっとシリウスが名付けてくれた、私だけの名前。未来の出来事が分かるのはありがたいけど、それは知識として頂こう。彼に引き摺られる人生だけは歩まない。そう、心に決めたのだ。

ああ、なんだかとても眠い。ママとパパが死んだのは悲しいけど、無力な私は、今は眠ることしか出来ない。起きたら、意地悪で名高いいとこのおうちにいるんだろうなあ。悲しいけれど、悲しんでも前には進めないのだから。私は、悲しみを忘れずに、悲しみを背負い、悲しみと共に、前に進もう。前に進み、戦い続けるのだ。

私はもう、死にたくないのだから。





そう、これはとある女の話



とある女が、十七年に渡る戦いを描き綴った寓話



それは──とある女が、十年の歳月を経てから始まる物語


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