ハイ・ティーにはご用心

※if ポタ主が親世代に生まれてたら

※細かいことは気にしたら負け

※詳しい設定は『灰から生まれた黒薔薇の嘆き』にて





























時は1975年11月3日。それは、シリウス・ブラックが十六歳の誕生日を迎えた朝のことである。



「……おい」

「ハッピーバースディ、我が友パッドフット!! いやあ、寝起きの君も死角なくハンサムなのがとんでもなく面白くないわけだけども、今日ぐらいは目をつぶってやろうじゃないか! そう、何たって今日は君の誕生日、即ち君が主役の一日なわけだ!! 僕は紳士の国の子どもだからね、相手を慮ることに関しては右を出る者はいないわけだからね、そこんところは悪戯っ子を名高い僕でもしっかり弁えているとも! とはいえ紳士然とする相手は選んではいるけどね、主にエヴァンズにだけ―――おいおいしっかりしてくれたまえよ友よ、空でさえ君を祝福せんと晴れ渡っているというのに、何だい何だい、スニベルスも裸足で逃げ出しそうな顔しちゃって!」

「朝からお前のマシンガントークに付き合わされるこっちの身にもなれ」



いや、そんなことが言いたいんじゃない、とシリウス・ブラックは起き掛けの頭を何とか起動させ、ベッドの上で胡坐をかいた。向かいのベッドにステージのように立ちながら朝も早くから熱弁をふるう親友を見上げながら、はあーっ、と大袈裟にため息をついてから―――彼は親友たち一人一人を睨み付けた。



「何だこれは」

「何ってそりゃあ」

「見て分かるだろう。……ぶくくッ」

「リ、リーマス、笑っちゃダメっ……ぶフッ」



しれっと言い切るのは恐らく戦犯と思われるジェームズ・ポッター、笑いを取り繕おうとはしているが恐らくジェームズの提案にノリノリで参戦したであろうリーマス・ルーピン、王には長い腕があり目も耳もあるとばかりにただただ従順だったのだろうピーター・ペティグリュー。そんな心許せる親友たちに囲まれ、自分の誕生日を祝われているはずのシリウス・ブラックの表情はただただ暗い。しかしその表情に反し、カーテンも閉め切られたこの部屋はピカピカチカチカと明るく照らされている。いや、照らされているという言い方には語弊がある―――自分が、そう、シリウス・ブラックそのものが、この部屋を照らす光源となっているのだ。

自身の頭やら首やら手足に巻き付けられた、マグルで言う“電飾”のせいで。



「ンだよこれ!? 引っ張っても取れねえし、お前ら一体何しやがった!?」

「ハーッハッハッハ! 悪戯完了だ、シリウス! いやー、君もバッカだねえ! この時期にリーマスから紅茶を貰うなんてさ!! 満月が近くなって寝不足気味なこいつがハイ・ティーに『生ける屍の水薬』を入れてること、忘れてたのかい!?」

「丸太のように眠るってのはまさに君のことを言うんだろうね、全く羨ましいよ。まあ、おかげで君はキッカリ十時間、目覚めることなく身動ぎ一つ取らなかったわけだから、僕らとしてもとってもやりやすかったけどね……ぶフフッ」

「リーマス、もっと堪えて……。で、でも、あんまりにも動かないからあと五年は起きないかもとかジェームズが言ってたんだよ……ちょっと心配してたんだけど……ぶ、無事に起きれて良かったね、シリウス!」

「いいわけねーだろ!!」



彼らの名誉のために言っておくが、友人たちの可愛い悪戯は別段受けるのは初めてではない。寧ろ自分だって寝ている友人たちに率先して仕掛けるクチだ。だから、いつもならしてやられたと、あるいはその体質から満月が近づくと情緒不安定な上に寝不足が続くリーマスが自分で淹れるハイ・ティーに『生ける屍の水薬』を混ぜることを失念したこと、あるいはそのリーマスが淹れる紅茶が実家から取り寄せたというパイナップルを加えたカモミールティーを物珍しさに一口貰ってしまったこと―――あれやこれやが重なったことを悔やみ、次は倍にして返すと意気込むところなのに、今日ばかりは、そしてこの身に施された悪戯ばかりは、そうも言っていられなかった。

シリウスの頭やら手首足首には、電飾のようにピカピカキラキラチカチカと七色に発光する細長いモールが巻きついており、まるで―――マグルの雑誌に載ってたのを見たことがあるのだが―――全身がディスコボールのようだった。ローブを着たまま眠らされたせいか、ローブのあちこちには『私が主役』『みんな祝って』とデカデカと描かれたバッジが縫い付けられており、極め付けにはローブの背中いっぱいに『今日は私の誕生日』と蛍光色に光る文字で大きく描かれているのだ。



「どうすんだよ、こんなにしちまって!」

「いいじゃないか、シリウス! これで君は今日一日、君が生を受けたことをたくさんの人から祝ってもらえることだろう! 羨ましいことこの上ないじゃないか、ねえ、みんな!!」

「ホントだよ。シリウス、君、まるでマグルのクリスマスツリーみたいで素敵だよ……ぶフッ」

「リーマス、顔。顔、隠して。シリウスすごい顔して睨んでる」



白々しすぎて寒気がするジェームズに、あと三秒もすれば爆笑のあまり呼吸困難になるのではないかと思うほど口元を押さえて震えるリーマスを、隠すように向きを変えようとするピーター。ああ、全く、他人事だと思って笑ってやがる、そう思うと一等苛立ちが募った。この付き合いも早五年、己が災難を知らぬはずがないというのに。



「―――俺は、祝われたくねえんだよ[・・・・・・・・・・]ッ!!」



だから、ずっと誕生日を隠してきた。だというのに、その努力を粉々にしてしまった三人に、シリウスは頭がくるを通り越して、頭を抱えたくなったのだ。

突然だが、シリウス・ブラックはモテる。そりゃあ、大層モテる。その自負もある。シリウスは同年代の中では一、二を争うほど頭がよかったし、忌々しいことだが家は名家でその嫡男、ジェームズたちとは『悪戯仕掛人』なんて持て囃されるぐらいには人気を買っていたし、何より背が高くてハンサムだった。『そりゃ、性格に目をつぶれば此れほど良案件もないだろうしね』なんてリーマスに嫌味を言われるぐらいには、女性の夢や理想を束ねたような男だったのだ。そりゃあモテた。とんでもなくモテた。一時はそれを鼻にかけていたこともあった―――それは否定しない。調子に乗って、イロイロと、本当にイロイロと、思い上がってたこともある。言い寄ってくるきれいな女の子は、好きでもないのに付き合ったりもした。面倒だと思えばすぐフッた。そしてすぐに新しい女の子とデートした。そのせいで、シリウス・ブラックは『見た目がよければワンチャンあるのでは』なんてが巷説が跋扈し、随分色んな子に言い寄られた。それを良しとしていた。それは認める、己が非であることも含めてだ。

しかし、そんな日々はすでに黒歴史と化した。何故ならシリウスは、この人はという女性を見つけたのだ。替えの利く誰かではない。彼女でないとだめなのだと思える、女性に巡り合えたのだ。奇しくもそれは親友の想い人の姉で、親友共々相手にされない日々を送っているわけで―――正直、ジェームズと違って嫌われてないだけ自分はマシだと思ってはいるが―――。とにかく、あれこれ他の子に言い寄られて自惚れていた日々は終わったのだ。これからはただ一人の相手に振り向いてもらいたいと、告白は全部キッチリ断るようにしたし、勿論言い寄られてもいい気にならず、寧ろ迷惑だと断言した。自分のやることなすことベラベラ喋るのもやめたし―――この辺ジェームズはまだ治っていないが―――、“隙”を作らないよう気を張ることにも徹した。おかげで告白は少しずつ減っていったし、個人的に女の子から声がかかる回数も減った。いい調子だと、あとは彼女に振り向いてもらえれば―――と、思ってた矢先に、これだ。



「今まで徹底して隠し通してたってのに、何てことしやがるお前ら!! ンなことしたら、前みてえに声かけらたり、俺のためとか言いながら『愛の妙薬』入りの菓子押し付けられたりするだろうが!!」

「ハハハ、そりゃ羨ましいことだ! まあ安心したまえよ! だからこそ今日[・・]仕込んだのさ!」

「当日なら『愛の妙薬』入りのクッキーやケーキは用意出来ないだろうからね」

「と、とにかく、今日一日はその魔法解けないようになってるから!」



おめでとうシリウス、と三人声を揃えて隠し持っていたらしいクラッカーを引き抜いた。たちまちドカンと大砲が打たれたような爆音が三発続き、部屋はモクモクとした白い煙に包まれた。慌てて窓やドアを開けるも時すでに遅し、三人は影も形もなかった。



「―――あいつらァアアアア〜〜〜ッ!!」



七色に光るモールに照らされ、色とりどりの煙が漂う部屋の中、シリウス・ブラックの怒声はグリフィンドール塔に長々と響き渡ったのだった。そしてそれは、シリウス・ブラックの苦難の一日の幕開けとなったのだった。





***





怒涛。その一言に尽きる。

こんなド派手な格好にされてしまい、本音を言えば今日一日授業をサボって部屋に引き籠りたいところだが、今年はOWLもある。いくらシリウスとて休むことは憚られた―――何よりサボると宿題が倍増される―――、そんなわけで彼はピカピカチカチカ光る身体を引き摺って寮を出る羽目になった。そこからの記憶は曖昧だ。大広間に無事辿り着けたかも朧気だった。わあシリウス今日誕生日なのねおめでとうきゃあシリウスこっち来て一緒に朝食でもどうかしらちょっとシリウスは私たちと話してたのよ何よそっちこそ出しゃばらないでよふざけないでこのブスなんですってもう一度言ってみなさいよなどなどなどなど、大広間に一歩足を踏み入れるだけで女生徒に揉みくちゃにされた挙句勝手に乱闘騒ぎをおっぱじめる始末。朝食を諦めて慌てて廊下に逃げ出すも、行く先々で女生徒に捕まり引っ張られ取り合い騒ぎに発展し、その日一日、シリウスは時間通りに教室に辿り着くのでやっとだった。おまけにスネイプを始めとしたスリザリン生にも馬鹿笑いされた。あいつらにも後で手痛い仕返しをしようと、心に決めたのだ。

当然、この騒ぎの元凶をとっちめようともした。しかし、自分は一歩で歩くたびにこの騒ぎ、対し向こうは忍びの地図+透明マント+この城の隠し通路を余すところなく知り尽くした悪戯仕掛け人が三人、到底捕まえられるはずもなく。結局、シリウスは今日一日の食事を諦め、三階の男子トイレ―――隣の三階女子トイレは、かの有名な『嘆きマートル』が住むだけあって、人通りが少ないのだ―――に籠城することでなんとか一日を乗り切ったのだった。そうして、すきっ腹を抱えたまま、消灯時間を大幅に過ぎた廊下を細心の注意を払いながらグリフィンドール寮に帰還したのだった。日付が変更するかしないかぐらいの時間になっても、ピカピカチカチカ発光することをやめない身体が、寮に帰る道すがら誰にも見つからなかったことだけは、今日一番の幸福といってもいいだろう。



「クッソ……あいつら覚えてやがれ……ッ!!」



盾の呪文始めとしたあらゆる防護策を敷いて眠りこけているであろう三人を思いながら悪態交じりに談話室へと続く穴へよじ登る。とにかく、腹が減った。そして疲れた。復讐の算段はまた後日立てるとして、今はただ眠りたかった。ああ、談話室に食べれそうな菓子があればそれをつまもうか。今日一日何も食べていないんだ。この際、苦手な砂糖菓子だって構わない。そう思いながら談話室に入る。談話室には誰もおらず、暖炉はすでに火を落とされていて、燃え尽きた薪が時折崩れる音が聞こえるだけだ。杖を振って暖炉に火を灯して辺りを見回しても、今日に限って食べれそうなお菓子はどこにもない。ガックリと肩を落とし、もう寝るかと男子寮へ続く階段を振り返った時―――。



「……お」



暖炉の傍、一番人気のふかふかのソファの傍のサイドテーブルの上にグリフィンドールのロゴが入ったティーセットが鎮座している。そして三段トレイの下段に、スコーンが数個残っていた。無いよりましだとシリウスは心浮き立ち、そのサイドテーブルへと近づいていく。

すると、どこかで嗅いだようなパイナップルの香りが鼻腔を擽った。

その瞬間、誰もいなかったはずのソファに、アシュリー・エヴァンズが現れた。



「―――、え、は、はあっ!?」



見えなかった、なんてレベルじゃない。確かにそこにはいなかったはずなのに、ゴーストも真っ青なぐらい突然現れた。あまりの驚きにシリウスは数歩後退り、別のカウチに太ももを強打するはめになった。痛みに顔を顰めながら彼女を見る。間違いなく、アシュリー・エヴァンズだった。見間違えるはずもない。己が思いを寄せる相手なのだから。

しかし、彼女はそのアーモンド形のエメラルドグリーンの瞳を閉じ、腕を組んでソファに身を沈め、すやすやと寝息を立てていた。いつもは無表情というか、表情の変化に乏しい強張った表情も、眠ると幾分か和らぐようで、双子の妹によく似ていると、初めて思った。彼女もまた、シリウスと同じように“隙”を作らんと、常日頃から努めているような、そんな女性だった。けれどいつだって余裕があって、けれどその実、一辺の隙もなく、大人びた横顔が緩やかに笑んで世界を見守る、そんな眼差しを好ましく思っていた。そんな彼女が、無防備に寝顔を晒して談話室のソファに座しているという事実に、しばらく状況が飲み込めないでいた。

だが、サイドテーブルのティーセット。それが全てを物語っていた。



「(パイナップルのカモミールティーか……)」



それは奇しくも、昨日シリウスが口にしたものと同じ紅茶。その体質から満月が近い時期は寝不足がちなリーマス・ルーピンが実家から送られてきたカモミールティーに『生ける屍の水薬』を混ぜているものに、他ならなかった。誰かさんに騙されたのか、それとも自分と同じように興味本位でつまんだのか、そればかりはシリウスの知り及ぶところではないが、他の生徒の誰よりも早く起きトレーニングに励み、夜は誰よりも早く自室に戻る彼女が、ただでさえ安眠効果の高いカモミールティーにそんな劇物が混じったものを一口飲めばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。

しかし、だったらなぜ、彼女は今の今までこんなところで眠っていたのだろう。他の誰か―――特にシスターコンプレックスがちな妹―――が、起こしてやればよかったのに。いくら子どもとはいえ、学生とはいえ、もう身体は大人のものに近付いている。誰がいるとも限らないこんな場所で居眠りなんて、危険だと誰も思わなかったのだろうか。いや、そんな馬鹿な話があるか。あの妹が、姉のこんな姿を放っておくわけがない。

けれど、その疑問もすぐに解決した。男子寮へ続く階段の方で、何やらカサカサと音が鳴ったのだ。そちらに目をやると、そこにはでっぷりとしたネズミが銀色の大きな布のようなものを咥え、寮の階段をよじ登っている姿があった。



「( お 前 ら か よ ! )」



偶然か意図か、そればかりは定かではない。けれど、不運にもリーマスの『生ける屍の水薬』入りの紅茶を飲んでしまったアシュリーを見たジェームズたちは、彼女を透明マントで隠していたのだ。そして自分が帰ってきたのを見計らって、一番小さな生き物に変身できるピーターが透明マントを引っ張った。そうして気付かれないように寮に戻る―――そういう算段だったのだろう。

全ては、彼女に思いを寄せる自分のために。



「(だからって、どうしろってんだよ!)」



自分もだが、彼女はとにかく忙しなく一日を過ごしている。朝は早いし授業は一コマもサボらない。空いた時間は図書室に駆け込んでいるし、夜は誰よりも早く眠る。妹と違い規則破りには寛容で―――これは地図を持ってる自分たちしか知らないだろうが―――何の用があるのか、一人で禁じられた森へ出向いていることも多々あった。それを掘り返すほどの仲ではないのが歯痒いが、とにかく彼女は基本的に勉強は出来るが大らかで優しく、多くの友人に囲まれている。何より、血を分けた双子の妹であるリリー・エヴァンズのガードが固く、二人きりで話す機会なんて数えるほどしかなかった。

それが今や、眠りこけているとはいえ深夜の談話室で二人きり。意識するなという方がどうかしている。一歩、二歩とアシュリーに近付いてみる。流石、“生ける屍”を冠した薬なだけある。彼女はぴくりとも動かず、寝息を立てたまま。何をしたって起きる気配はなさそうだ。

そう、何をしたって―――。



「……おい、アシュリー。起きろよ、風邪引くぞ」



が、そんなつもりはサラサラないシリウスは、彼女の肩を揺すぶって名を呼んだ。決して、そんな度胸がないとかチキンとかそういうわけではない、断じて。彼女を好いているのは本当だ。その身体に触れたいと思ったこともあるし、抱きしめたいし、キスをしてみたい。そんな欲望がないとは言わない。けれど、こんな騙すような形で彼女に触れても何の意味もないことぐらい、分かってる。寧ろ、バレた時を思うと―――ただでさえマトモに相手にされていないのに―――妹共々、嫌われてしまっては敵わない。それくらいの損得勘定は持ち合わせている。

だからこそ、シリウスは心を無にしながら、無防備に眠る彼女の肩を揺さぶった。しかし、薬が強力なせいか中々起きない。参った、自分では女子寮には入れないし、このまま彼女を置いていくのも忍びない。どうしたものかと思いながらアシュリーの名を呼び続けると、ようやっと、彼女は眩しそうに眉をしかめたのだ。



「ん、なに、リリー……もう朝……―――あ?」



ぱちり、そんな音が鳴りそうなぐらい、アシュリーのエメラルドグリーンの瞳が見開かれた。彼女の目に、自分はどう映っているのだろう。少なくとも、ピカピカチカチカ光るこのローブを眩しいと感じたに違いない。アシュリーの瞳は自分を見つめ、暖炉の上にある壁掛け時計に目を滑らせ、そしてサイドテーブルのティーセットと飲みかけの紅茶が入ったティーカップを見つめ、はあーっ、と大きくため息をついた。



「ルーピン……いや、ポッターか……?」

「……多分、両方。リーマス、最近寝不足で紅茶に『生ける屍の水薬』を入れてんだよ」

「それはまた……睡眠薬にしては随分な劇物を……」

「そ、それくらいないと効き目がないって、リーマスが」

「なるほど……珍しい匂いの紅茶だと思ってつい、油断したぁ……」



恐らくだが、リーマスに騙すつもりなど毛頭なかっただろう。だからこそ、アシュリーもアッサリ騙された。自分だってそうだ。リーマスはただ自分のために淹れた紅茶を飲んでいただけだ。横から一口掻っ攫った自分に非がある。そしてそれを利用しようとしたジェームズにも、だ。

とはいえ、アシュリーは怒った様子もなく、ソファの上で大きく伸びをして、肩を軽く回した。どれほどそうして座っていたのかは分からないが、ゴキ、バキ、という音が彼女の華奢な肩から響いたのだ。



「助かった、起こしてくれてありがと」

「や、別に……あいつらのせいだろうし……」



こんな時でも礼儀正しくお礼を忘れないアシュリーに、少しだけたじろぎながらボソボソと言った。余裕だ、どこまでも。決して自分を乱さない。そんな彼女だからずっと目で追っているのだが、こうして彼女の冷静さを目の当たりにすると、さっきまでギャアギャア怒り狂っていた自分が恥ずかしくなってくる。



「あ」

「え」

「ブラック。誕生日おめでとう」



突然、アシュリーは、サラっとそんなことを口にした。まさか彼女から祝われるなんて思ってもいなかったので、飛び上がりそうなほど驚いた。それが顔に出ていたのだろうか、彼女は不思議そうな顔をして首を傾げ、シリウスが身に纏っているモールやらバッジを指差した。



「誕生日、違う?」

「あー、いや、合ってる。ああ、うん、サンキュ……」



他の千人万人の女の子からのお祝いよりも、プレゼントよりも、彼女の何気ない一言の方が嬉しく思うなんて、恋は病だなんてよく言ったものだと思う。そして、そんな彼女にスマートにお礼も言えない自分が、心底情けなく、みじめだと思った。

そんなシリウスに、アシュリーは苦笑した。



「聞き飽きてるだろうけど、他に気の利いた言葉が思いつかなくてさ」

「あ、飽きてるわけじゃねえよ……ただ、どう反応していいか分かんねんだ」

「うん?」



君が、とアシュリーは少しだけ驚いたようにそのエメラルドグリーンの瞳を大きく開いた。綺麗な目だな、とシリウスは他人事のように考えた。宝石のようで、暖炉の火に照らされて、どこかの写真集に載っていた夕日の沈む海辺を思い出した。

が、すぐにそんな考えを振り払い、下手なことを口走ったことを恥じた。けれど、アシュリーは珍しく自分に目を向けて、続きを促すようにこちらを見上げている。普段はこんなに話さないのに。普段は、こんなに自分に視線を向けないのに。シリウスは情けなさと何とも言えない恥ずかしさを覚えながら、なんとか口を開いた。



「俺、昔から『お前なんて生まれてこなければよかったのに』って言われてたから……誕生日とか、祝われた覚えもねえし。だから、今みたいに祝われんのに、あんま慣れてない、だけだ」



言ってから、大して親しくもない彼女にこんな身の上話を振るなんてどうかしてる、と思った。だが、言ってしまったものは仕方がない。それに、少なくともその言葉に嘘はなかった。

昔からそうだ。レギュラスの方がいい子、お前なんて産まなければよかった、この失敗作―――実の親から、親族から、弟と比較されてはため息をつかれるだけの日々。鬱屈した屋敷の中で、惨めで、息苦しい思いばかりした。従姉妹のアンドロメダや叔父のアルファードだけが自分の味方で、それでも屋敷に一緒に住んでるわけじゃなかった。誕生日を祝われたことだって、数えるほどしかない。それがホグワーツに入って一転した。親友たちが、祝いの言葉を投げかける。数多くの女の子たちから、そして好きな人から、自分の生誕を祝う言葉が贈られる。そんな日々をもう五年も経たのに、未だに慣れない。むず痒いというか、気恥ずかしさもある。だからこそ、今朝みたいに悪戯交じりに祝われるのは、シリウスにとって気が楽であった。勿論、その行いを許すかどうかは話は別だが。

アシュリーはしばらく黙って、シリウスを見ていた。いきなりこんな話をして、引かれただろうか。何とも言えない沈黙が、二人の間を流れていく。さっきの発言を取り消せるなら金貨百枚は出せると、この気まずい空気の中でシリウスはそう思った。やがてアシュリーは不思議そうにこちらを見つめたまま腕を組んだ。



「……あれほどたくさんの女の子たちから祝われても?」

「あんなの……俺と話すための、ただの口実だろ」

「そりゃ、一理あるかもね」



そう言いながら、アシュリーは組んだ腕を解いた。その右手には、彼女の杖が握られている。それをこちらに向けるものだから、流石にギョッとして後退った。杖を握らせた彼女はジェームズでさえ叩きのめすほどの実力だ。やはり顔には出てないだけで怒っているのだろうか。慌てるシリウスを他所に、アシュリーは小声で何かを呟いた。

彼女の杖からは白銀のリボンのようなもので編まれた小鳥たちが数羽飛び出してきた。鳥たちはチチチと囀りながらアシュリーとシリウスの頭上を軽く旋回すると、シリウスのローブ目掛けて飛んできた。襲われるのかと腕を前にガードすると、小鳥たちは腕を器用に避けて飛び、シリウスの身体中に張り付いた七色に光るモールやらバッジやらを嘴に咥えたのだ。目を丸くする間もなく、小鳥たちはシリウスの身体からモールやバッジをあっさりと引き剥して談話室の天井付近まで飛び立った。背中に縫い付けられていた『今日は私の誕生日』という文字も器用に解き、そうして全身身軽になったシリウスをそのままに白銀の小鳥たちはシャンデリア付近で糸やモールやバッジを嘴に咥えながらぐるぐると旋回し、そのスピードはだんだん上がっていく。ついに七色に光る巨大な輪にしか見えなくなった時、それが徐々に収束していき―――やがて一つの球体になったかと思うと、それは音もなく弾け飛んだ。その瞬間、天井いっぱいに虹色の花火が相次いで咲き誇った。赤、青、黄色、緑と、色を変えながら光、弾けて、きらきらした光の小さな粒が粉雪のように降り注ぐ。

なんて美しい魔法だろうと―――純粋に、そう思った。



「私には詳しいことは分からないけれど」



驚きながら、アシュリーの顔を見た。光に照らされ、艶やかに彩られた彼女の横顔はとても美しかった。アシュリーは静かに杖をしまい、天井を見上げたまま続ける。





「生まれてこなければよかった命なんて、この世に万に一つもありえないんだよ」





そう語る彼女の瞳は遠く、どこまでも遠くを見つめていた。それが自分に向けられた言葉なのかどうかも分からないぐらいに、彼女の面差しはどこまでも達観していた。けれど、それでも構わないと、思った。何だっていいとさえ、思えた。彼女が自分の誕生日を祝ってくれた。その生を、肯定してくれた。それだけで十分だった。今は他に何も望むまいと思った。一歩、進んだかどうかも分からない。けれど、こうした奇跡が少しずつ、募ればいいと思った。そうしていつか自分の隣で彼女が笑ってくれる世界が、あればいいと思う。それを手に出来るか、その場所へ行けるのか、それは分からないけれど。自分はただ、彼女に振り向いて欲しいだけだ。

ただ、それだけだ。



「……ありがとな、アシュリー」



アシュリーは、こくりと頷くだけで返事はしなかった。けれど珍しく、微笑んだような気がした。今はその笑顔だけで十分だと、シリウスはぬるま湯のような幸福に浸ることにした。



翌日、珍しく夜遅くまで部屋に戻らなかった姉を心配した妹へ、匿名志望のタレ込みで『ジェームズ・ポッターがアシュリー・エヴァンズに『生ける屍の水薬』を盛った』と情報が入り、何も知らず陽気にやあエヴァンズおはよう今日も輝かんばかりの美貌だねと嘯く親友の顎に、リリー・エヴァンズのプロ顔負けのアッパー・カットが叩き込まれることになったのは、また別の話。



「どうしてだい!? 昨日美味しい思いをさせてあげたのに、そりゃないだろう!!」

「うるせえ!! それとこれとは話が別なんだよ!!」





*END*

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2017/11/3 Sirius Black生誕記念。


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