8

一人自室に戻って私に襲ってきたのは、堪らない後悔の念だった。



「(いい年こいてなんつー恥ずかしいことを……!)」



自分の子どもぐらい年の離れた子に、あそこまで苛立ち、自分の感情を爆発させるなんて。そりゃあ、私だって人の子だ、怒ることもあるしキレることだってあるさ。けれど、けれど、その相手は、その矛先はどれも“大人”だった。二十以上も離れた子に向けるものではない。ああなんて無様なことをしたんだろうと、私は誰もいない部屋のベッドに腰掛け、頭を抱えた。

……でも、二人も二人だ。たかが占い一つで私が死ぬだの死なないだの。そんな生産性のない話なんかするからだ。どうかしてる。人が死ぬってのはそんな可愛い話ではないのだ。誰であろうと死ぬときゃ一瞬で死ぬし、生きる人間は寿命を全うするまで生きるものだ。それを他人がとやかく口出せる領域じゃないってことを、私が―――他ならぬ、私が一番よく知っているのに。



「……死、か」



十三年も前に、一度だけ体験したあの瞬間。正直、記憶が薄れているのか、それとも嫌な記憶を思い出したくないだけなのか、その瞬間の出来事は酷く曖昧だった。呆気なかったことだけは覚えている。辞世の句一つ残せないとさえ思えたかどうか分からないほど、呆気なく“私”は死んだのだった。

そう、“私”は―――死んだのだ。



「……」



ぶるり、と震える身体を両手でギュッと抑える。ダメダメ、嫌なことは、考えるものじゃないな。今は、今にしか出来ないことを全力で。そう決めたじゃないか。だったら迷うな、立ち止まるな、怯えるな、だ。

そう決めて、私は怪物的な怪物の本をトランクの中から引き摺りだした。ベルトも何もしてないが、本は大人しく私の腕の中にいる。背表紙さえ撫でれば可愛いもんだ。いや、ゴメン今のは言葉のあやだ。いくらモフモフしているとはいえ、あんまり可愛くはないな、ウン。

そんな本の上に、ぴょんと飛び乗る黒い影と、チリンと鳴る涼しげな音色。



「にゃあ……?」

「あ、だめだよシュバルツ。噛まれるから」

「にゃあー!」



シュバルツの首根っこを掴んでベッドに下ろしてやる。おもちゃにするには、この本は些か怪物的すぎる、大きさ的には本当に喰われてもおかしくないし。寂しげに鳴くシュバルツを部屋に置いて、私は本を抱き抱えたまま談話室に降りる。

そこには、気まずそうな顔をしたロンとハーマイオニーが。



「……」

「「……」」



思わず、閉口してしまう。い、いかん。こういう時こそ大人の余裕を持ってこちらから頭を下げるべきだってのに、あまりの雰囲気につい呑まれてしまった。だめだめ、こんなことで仲違いしたままは嫌でしょう、アシュリー?



「あ、あの、二人とも、」

「「アシュリー、ごめん!!」」

「ごめんな―――え?」



私が謝罪を言い終えるよりも先に、二人は素早く頭を下げた。茶色の頭と赤色の頭を見下ろすことのできる珍しい光景に一瞬ぽかんとしたが、すぐに我に返って私も謝った。



「いいのよ! 私の方こそ、ごめんなさい!」

「謝らないで! 私たち、あなたの気持ち、全然考えてなかった!」

「自分が死ぬなんて話、されていいもんじゃないのに。僕ら、何にも考えてなかった! で、でも、誤解しないでくれよ。僕らも僕らで、ブラックのこととか、『例のあの人』のこととか、色々思い当るところが多すぎて、つい……」



語尾が弱まっていくロンに、私は思わず笑ってしまった。

……そうだよね、十二年前にヴォルデモートに襲撃されて返り討ち、二年前はヴォルデモートと直接対決に持ち込みながらも生き伸び、去年は秘密の部屋の怪物を打ち倒した。その上今年はそのヴォルデモートの腹心であるシリウス・ブラックが私の命を狙ってると来た。死神が憑いてるとしか思えない星の廻り合わせだ、オカルトをまんまと信じてしまっても不思議はない。



「わ、笑うなよ! 僕、本当に心配したんだぞ!」

「だから言ったでしょう! 《死神犬》だなんて、嘘っぱちだって!」

「嘘かどうかは分からないだろ! 君もいい加減しつこいな! 何が憑いてるのか分かれば、対処の方法だって見えてくるかもしれないってのに!」

「そんな物を妄信するからこうなるのよ。そもそも《死神犬》自体が―――!」

「ハイ、ストップ」



またも口論を始める二人に、私はもう一度割って入った。今度は、心底、穏やかな気持ちで、だ。



「心配は嬉しい。不安をかけさせまいって気持ちも分かった。でもね、今、私が心配で心を不安にさせていることは、記念すべきハグリッドの第一回目の授業を遅刻してしまうかもしれない、ということよ」



ばん、と怪物的な怪物の本を目の前に突き付けると、二人ともまずい、といった顔をした。すぐさま男子寮、女子寮に駆け上がり、ダッシュで本を取ってくる二人。ロンの本はベルトでぐるぐる巻きにされており、ハーマイオニーの本はセロテープで口をピッタリ閉じられている。



「さ、行きましょ!」

「アシュリー、僕らに合わせて走ってくれよ!?」

「冗談、死ぬ気で走りなさいよ!」

「や、やっぱりまで怒ってるでしょう、あなた!」

「怒ってませーん、だ!」



二人の恨み声を背中に、私はいち早く駈け出して、談話室を飛び出した。今一度込み上げてきたごめんという言葉は、少しだけ迷ったが、飲み込むことにした。それはきっと、浮かべられた笑顔に、水を差すようなことはしたくなかったからだろうな、と思ったのだ。

さて、息も絶え絶えな二人を引き摺って、私は禁じられた森の端にあるハグリッドの小屋を目指して芝生を横切っていった。ちらほらとスリザリン生も見えてきて、そういやこの授業はスリザリンと合同だっけ、なんて今更なことを思い出す。



「(バックビークか、何とか出来るだろうか)」



何とか出来るか―――じゃないな、何とかするしかない。決して薄暗い未来が待ってるとは言わないが、やはり面倒事は避けるに限る。なんせ今年は、ヒッポグリフによる逃亡手段なんて、必要が無いのだから。

まあそれは置いといて。今は授業に専念しようか。見慣れた巨体が見えてきて、私が手を振ると、ハグリッドも嬉しそうにこちらに手を振り返した。いつものように、厚手の木綿生地のオーバーを着こみ、足元にはファングを従えており、早く授業を始めたくてたまらない、と言った顔でうずうずしていた。



「さあ、急げ。今日はみんなにいいもんがあるぞ! すごい授業だ!」



その一言に不安げな顔をしたのは、なにもスリザリン生だけでなかったのは此処に記しておこう。

ハグリッドは先導し、禁じられた森の縁を沿って歩いていくので、みんなはゾロゾロとそれに付き従った。やがて私のいつものジョギングコースである、大きな湖が見える丘まで来る。そこには放牧場のような所があり、木の柵でぐるりと覆われていた。



「みんな、此処の柵の周りに集まれ! そーだ、ちゃんと見えるようにしろよ。さーて、イッチ番先にやるこたぁ、教科書を開くこった」

「どうやって」



ドラコは私には見せない、冷たく気取った声を出した。そうしてドラコが担ぎ上げた怪物的な怪物の本は、紐でぐるぐる巻きに縛られていた。他のみんなも、不安げに教科書を抱き上げるが、どれも紐やらベルトやらでふん縛られている。中には大きな袋に押し込んでる者もいれば、何処で入手したのか、大きなクリップで挟んでいる者もいる。

ハグリッドはそんなクラスの様子に、唖然とした。



「だ、だーれも教科書を開けなんだのか?」



がっくりと肩を落とすハグリッドに、誰もが無茶言いやがって、みたいな顔をした。ロンやハーマイオニーでさえ、気まずそうに縛られた本を抱き、縮こまっている。

……しゃーない。ハグリッドの為だ。私は静かに挙手をした。



「うん? アシュリー、どうした」

「―――先生[・・]、私は教科書を開きましたよ」



先生、と呼ぶとハグリッドは酷く驚いたような顔をした。ダンブルドアに見る目が無いのなら、私が、私たちがハグリッドを良い先生に育てればいいのだ。バブリング先生はもう手遅れ感満載だが、ハグリッドは教師一年目。上手く誘導すれば何とかなるだろう、何だかんだ人徳はあるし、ウン。



「(ハグリッド、当てて。あ、て、て!)」



困惑するハグリッドに、私は口パクで訴える。数秒考え込むハグリッドだが、ようやく自分の立場を思い出したのか、ゴホンゴホンと咳払いをして、改めて私に向き合った。



「アー、そうだな、アー、えー、アシュリー。みんなに開き方を教えたってくれや」

「はい、先生。この教科書は背表紙を撫でると大人しくなります。こうして―――このように」



見せた方が早いと実演してみせれば、みんなが、おお、とどよめいた。誰もが驚いたようにセロテープやら紐を解き放ち、噛みつこうとする本の背表紙を恐る恐る撫でる。するとたちまち、巨大な本はブルリと、震えるとパタンとその中身を開いて見せた。



「よし。みんな教科書を開いたな。四十八ページを開いて待っとれ。俺は魔法生物を連れてくるからな。おお、そうだ。アシュリー―――じゃなかった、グリフィンドールに五点!」



お、先生っぽい。グリフィンドールの生徒たちからぱらぱらと起こる拍手に曖昧に笑いながら、のっしのっしと丘の向こうに消えていくハグリッドを見送る。



「アシュリーがそんなに予習熱心だなんて、知らなかったな」



少し間を置いて、意外そうな顔で、大人しくなった本をぱらぱらとめくりながらロンが言った。



「あら、ハグリッドの記念すべき授業だもの。教科書くらいは開こうって努力するわよ」

「私でさえ開き方を知らなかったのに! ね、どこに書いてあったの?」

「どこだったかなァ、この夏、何十冊と本読んでたから……」



そんな雑談を交える向こうで、ドラコが意地悪く笑っているのが見えたので、声をかけようかと一歩足を踏み出すも、それを誰かに遮られてしまう。顔を上げた先には、にやにやと笑みを浮かべたラベンダーとパーバティだった。



「どうしたの?」

「どうしたの、じゃないわ! 聞いたのよ、アシュリー! あなた、レイブンクローの上級生に告白されたんでしょう! しかも廊下のど真ん中で!」

「ばっ! シーッ! シィーッ!」



興奮を抑えきれぬ声でとんでもないことを暴露するラベンダーに、ロンやハーマイオニーだけでなくスリザリン生の何人かさえこちらを振り返った。いずれ広まるとは思っていたが、こんなに早いなんて想定外だぞ!



「その反応! じゃあ、パドマが言ってたことは本当だったのね!」

「ワア、やるゥアシュリー! 年上だなんて! しかもこっぴどくフッたって聞いてるわよ! さっすが、ポッターサマサマは格が違うわね!」

「ヒューッ、アシュリーかっこいー!」

「相手は誰なんだ、知ってる人ー?」

「レイブンクローだろ、そういや朝方妙に騒がしかったし」



お祭り好きのグリフィンドール生はきゃっきゃと好き勝手あれこれ言い始める。ええい授業中だってのに、この手の話は男女問わず変な盛り上がりを見せるのがいけない。



「シーッ! シーッ! 声が大きい! それに授業中よ!」



宥めようとするが、私一人置いて盛り上がる会話は止まる筈もなく。チイッ、情報源はパーバティの双子の妹か。そういやレイブンクローだっけか、ツイてない。こりゃあ明日を待たずして全校生徒に噂が行き渡るだろう。自分の恋心でないとはいえ、こういった風に噂されたり邪推されるのはいくつになっても嫌なものだ。

嫌にニヤついた顔のロンが、私の小脇を突いてくるのでブン殴りたくなる右手をそっと堪えながら、その手を振り払う。



「オイオイ、水臭いぜアシュリー。なんで黙ってたんだよ」

「言える雰囲気じゃなかったでしょ! それに、こういうことを大勢に言い触らすものじゃないわ、そうでしょう?」

「同感だわ。それに今は授業中よ。そんな浮ついた気持ちで授業を受けるだなんて、ハグリッドに失礼よ。今すぐお引き取り願いたいわね」



ピシャリ、と言い放つハーマイオニー。気真面目なハーマイオニーの言葉に、グリフィンドール生はウッと言葉を詰まらせる。おお、こういう時はほんと頼もしい。私も、苦虫を噛み潰したような気分で皆を見回す。



「ほんと、変な勘繰りはやめてね。私、困るわ」

「……ご、ごめんなさい、アシュリー」

「私たち、その、そんなつもりじゃ、」

「……いいわ。言ってしまったことは取り消せないもの」



それに、遅かれ早かれバレるだろうと思ってたしね。申し訳なさそうにする二人の横でつまらなさそうに唇を尖らすロンに蹴りを入れ、ハーマイオニーにありがと、と小声で言った。



「いいのよ。あとで詳しく聞かせてもらうから」



小声でそう返し、ウインクをするハーマイオニー。ちゃっかりしてるゥー。まあ、どのみち今夜辺りにコッソリ話そうかとは思ってたからいいんだけどさあ。

なんて話をしている中で、ハグリッドが丘の向こうから何やらキテレツな生き物を引っ張ってくるのが見え、みんな口を閉ざし、教科書に目を落とした。が、見えてきた魔法生物に誰もが口を開き、ざわめいた。



「どう、どう!」



見た目はグリフォン、ただし身体は馬と鳥、みたいなっ、って感じか。身体の前半分と羽根は巨大な鳥、後ろ半分と尻尾は馬。M.O.M分類では三とケンタウルスよりは低いが、その鋼色の尖った嘴と巨大な鉤爪は殺傷力の高さを窺わせてる。言い伝えによれば、ヒッポグリフとはグリフォンと雌馬から生まれた伝説上の生物とされ、不可能や不調和の代名詞とされる名称とされる―――だっけか。神聖な生き物には違いなさそうだが、ハグリッドがこよなく愛するってだけで、そこはかとなく危険な香りを孕んでいる。

ハグリッドは臆することなくヒッポグリフの群れを首輪で繋いだ鎖で引っ張り、鎖を柵に繋いでみせる。みんながじわりと後ずさったのは、まあ、生物としては当然の反応と言える。



「ヒッポグリフだ! 美しかろう、え?」



嬉しそうに言うハグリッドに、美しいかどうか、私には判断しかねた。鷲の頭部をもつその顔が見るからに凶悪な表情でなければ、そう思えたかもしれない。ただ、その毛並みは見事な物で、翼から胴体に至るまで滑らかなグラデーションを放っている。個体によって色もとりどりで、赤銅色、褐色、栗毛などがいる。

近付いてもいいと言うハグリッドに誰もが尻込むも、私は勇気ある一歩を踏み出して近付いた。うう、近くで見ると結構迫力あるな。そしてでかい。縦二メートル弱、全長三メートル少々と見た。



「まんず、イッチ番先にヒッポグリフについて知らなければなんねぇことは、こいつらは誇り高い。すぐ怒るぞ。ヒッポグリフを侮辱するなんて、絶対あってはならねえ。必ず、ヒッポグリフの方が先に動くのを待つんだ。それが礼儀ってもんだ。こいつの傍まで歩いていく、そんでもってお辞儀をする。こいつがお辞儀を返したら、触ってもいいっちゅうこった」

「お辞儀を返せなかったら……?」

「素早く離れろ。こいつらの鉤爪は痛いからな」



不安げなロンに答えるハグリッド。ますます生徒内の不安の波が広がっていく。ドラコに至っては話を聞いてんのかも怪しい。しきりにクラッブやゴイルになにかコソコソと話しこんでいる。ふっ、やらかそうたってそうはいくか。



「よーし、誰が一番乗りだ?」



誰もが後ずさる中、私は一歩前へ出た。記念すべきハグリッドの授業をおじゃんにしたくはないし、ハグリッドには教師として自信をつけてもらわなきゃいけない。それに何より、私はこの二年でヒッポグリフよりも恐ろしい魔法生物に会ってきたのだ。三頭犬、ドラゴン、トロール、アラコグ、そしてバジリスク―――うん、それに比べりゃヒッポグリフなんて可愛いもんだ。うんうん。



「あああっ、だめよアシュリー! 《死神犬》が憑いてるのよ!」

「あのヒッポグリフが秘密の部屋の怪物より恐ろしいとは思えなくてね」



ラベンダーの忠言を背中に、ひょい、と柵を飛び越える。「スカート!」と怒鳴るハーマイオニーの声が聞こえてきた。すまんすまんと笑いを含みながら、ハグリッドの前に進み出た。



「よーし、アシュリー! バックビークとやってみよう」



嬉しそうな顔のハグリッドの横を通り、鎖から放たれた一体のヒッポグリフの前へ出た。灰色の翼を持ったヒッポグリフだ。誰もが固唾を飲んで私を見つめているのが分かる。

じっと、バックビークの猛々しい目を見上げる。



「目を逸らすなよ、なるべく瞬きもするな」



背後からハグリッドがこそりとアドバイスをくれる。無茶言いやがって。しぱしぱしてくる目の周りの筋肉に力を入れ、何とか持ちこたえる。そしてゆっくりと、深く頭を下げて、ゆっくりとまた顔を上げた。バックビークは動かない。気位高そうな目付きをきつくさせながら、オレンジ色の眼光をこちらに向けたまま。目が乾いて死にそうだ。

そう思ったその時、バックビークは鷲の前足を折り、お辞儀をするように頭を下げてみせたのだ。フゥ、ざっとこんなもんでしょ。



「やったぞ、アシュリー! 触ってやってくれ、嘴とかがええ!」



触るとなると結構勇気がいるなあ。恐る恐る硬そうな嘴を撫でてやると、バックビークはとろりと目を閉じた。あれ、何だ意外と可愛いじゃないか。ヴァイスといいシュバルツといい、生前ペットに縁もゆかりもない人生だったのが惜しまれる、とさえ思えるぐらい、バックビークは大人しかった。

クラスメイトたちはこぞって拍手と歓声を上げた。私に勇気づけられたのか、他の生徒たちも恐々と柵の中に入って、ヒッポグリフにお辞儀をし出した。目を逸らすな、とは存外難しいものらしく、ビビリのネビルは何度やってもお辞儀をしないヒッポグリフに何度も飛び退いていた。みんなが柵に入る頃には、私はバックビークに跨ってその辺を散歩しているくらいだった。バックビークは私を気に入ってくれたらしく、自ら嘴を使って私を背中に乗せてくれたのだ。乗り心地はイマイチだが、人間はともかく、動物には好かれて悪い気はしないもんだな。



「今の君をコリンが見たら卒倒するだろうな」

「……写真はもう勘弁」



嫌なことを思い出させるな、と私はバックビークから飛び降りて、余計な茶々を入れるロンに駈け寄る。ロンはもうお辞儀を成功させたらしく、ハーマイオニーと代わっていた。ハーマイオニーはおどおどしながらも、栗毛のヒッポグリフと練習している。



「ハグリッドの授業、成功したみたいで良かったな」

「そうね。一時はヒヤッとさせられたけど」

「そりゃこっちもさ。ただ、こんなんが続くようじゃ、こっちも身が持たないぜ」

「……そう、ねえ」



M.O.M分類三とはいえ、危険なことには変わりない。無害な魔法生物は他にも山といることを考えると、確かにこんなんが続くようでは命がいくつあっても足りないことになりそうだ。

そんな話をしているうちに、ハーマイオニーがお辞儀を成功させた。ぎこちない手つきで栗毛のヒッポグリフの嘴を撫でるハーマイオニーを見ながら、ようやくドラコが柵に入ってきた。……そろそろ、かね。バックビーク相手に、意外にも難なくお辞儀を成功させるドラコを見守る。



「簡単じゃあないか」



勿体ぶったようにハーマイオニーを見ながら、ドラコは大声で言う。



「グレンジャーにも出来るんだ。簡単だと思ったよ。お前、全然危険なんかじゃないなあ。そうだろう? 醜いデカブツの野獣く―――」



ドラコがそれを言い終えるよりも先に私はドラコを力任せに突き飛ばしていた。ガリッ、と肉の抉れる嫌な音が背中から聞こえ、焼きゴテに押し付けられたかのような熱さと激痛が背骨を震わせた。ドラコがヒーッ、と情けない悲鳴を上げて腰を抜かして地面に転がっているのが、眩む視界の中見える。去年を思えば大したことのない痛みだろうが、痛いものは痛い。赤い血がぱたぱたと青い芝を染め上げていくのを見下ろしながら、私は地面に倒れた。



「アシュリーッ!!」



今にも泣き出しそうな情けないドラコの声と、ハグリッドが怒鳴り声を上げながら鎖を引き摺り回す音が鼓膜を震わす。ぎゃあぎゃあと、クラス中がパニックに陥っているのも分かった。



「し、死んじゃう! 見てよ! あいつ、アシュリーを殺した!」

「死にゃあせん!! 誰か、手伝ってくれ―――誰か!」



勝手に殺すな、と不快な思いを隠さずにドラコを見上げる。地に伏した私からでは、ドラコの顔は良く見えなくなっていた。だが一瞬見えた、あまりにも情けなく、そしてどこかで見たかのような懐かしさを孕んだその膝も笑ってしまいそうな表情に、私は胸に燻ぶる疑問が、ぱちりと弾けていったのが分かった。



「あ―――」



泣きたいのにどうしても涙が出なくて。信じられないとばかりにかぶりを振って、それでも私を見つめることをやめない。まるで何かに取り憑かれたかのように臆しながらも決して目を放さないその光景に、どうも見覚えがあった。

ああ、なんてことはない。いつか見た夢の解答をこんな形で得ただけだ。



『     』



懐かしくも冷たいその声が聞こえた気がして、そっと目を閉じた。ああ、全く。どうして忘れていたんだろう。深く深く意識が闇の底へと落ちていくのを感じながら、忌々しくもおぞましい記憶の蓋に、そっと手を宛がった。ああ、私はとっくの昔に、その答えを得ていたというのに―――否、その答えだってとっくに得ている。脳が呼び起こすまいと封じ込めていたからだろう。誰だって、そう何度も経験したい筈が無いのだ。忘れたいほどの記憶を、呼び起こすなんて。



嗚呼、ましてやそれが自分が死んだ時の記憶だなんて

誰が好き好んで、思い出したいと思うのだ



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