広間の入り口から、ギルデロイ・ロックハートが大股でこちらに歩いてきた。先ほどと同じで、トルコ石色のローブをひらひらと靡かせて、大股で歩いてくる。どうして今一番来て欲しくない人ばっかり来るの? 神様、私なんかした? 今の今まで本に夢中になってたハーマイオニーは、「キャッ」と小さな悲鳴を上げて、ロックハートを見つめる。見つめるべきは私じゃないの? ハーマイオニー? 「サイン入りの写真を配っているのは誰かな? ああ、聞くまでも無かった! アシュリー、また逢ったね!」 先ほどのことなんて無かったかのように、ロックハートは歯を輝かせながら私の肩を抱いた。あれ? 私、さっきそこそこの脅しをかけたつもりなんだけどな? え、さっきのこと忘れてるの? 鳥頭なの? 馬鹿なの? 「さあ、撮りたまえ、クリービー君。二人一緒のツーショットだ。最高だと言えるね。しかも、君の為に二人でサインしよう!」 「ちょっ、ほんとやめ―――」 私が腕で顔を隠し、コリンがカメラを構えた瞬間、ちょうど午後の授業開始を告げる予鈴が鳴った。コリンはチャイムを聞いた瞬間、顔色を変えてカメラを抱えたまま大広間を飛び出していった。一年生だし、さすがに授業初日から遅刻はしたくないと思ったのだろう。 た、助か──……ってない! まだ私の横には、笑顔を張り付けたロックハートがいるのだ。 「さあ、行きたまえ。みんな、急いで!」 ロックハートはいかにも教師らしく、人だかりに向かってそう言う。周りにいた人たちは、そろそろと授業の準備をして大広間から出て行く。そんな中で、ロックハートは──いきなり私を抱きかかえ上げた。 「(は──はあぁああッ!?)」 あまりにいきなりの行動だったため、声も出なかった。ロンもハーマイオニーもぽかんとしたまま、私を見送った。何よりも私が驚きすぎて、固まった。 奴はそのまま私を抱えて大広間を出て、階段の陰に私を連れて来て、地面に下ろした。地に足が付いて、初めて我に返った。なんだこいつ。セクハラで訴えられてもおかしくないレベルの行動だ。なんてことしやがる、とは言えずに、なるべく不機嫌さを顔に出さないようにしていたら、ロックハートはにこっと白い歯を見せて笑った。 「分かっているとは思いますがね、アシュリー。あのお若いクリービー君から、君を護ったんですよ。もしあそこで君が写真を撮られていたら──」 私の両肩に手を置いて、真面目腐った顔でロックハートは語る。どうせ、今はまだ写真を配るほど君の経歴は大したことはないとか言って、私を見下すのだろう。私を軽んじるのは、自分の経歴が私の経歴に劣ってるからだと無意識のうちにに理解していることに、どうしてこの男は気付かないのだろう。知らず知らずのうちに、この男は墓穴を掘っているというのに。なんと馬鹿馬鹿しい──。 「──君の写真が、どこぞの男の手に渡ってしまう」 「(……ん?)」 「全く、君にはもっと警戒して頂きたいものですな。まだ年若いとは言え、君は立派なレディなんです。いや、彼らも男なんです、と言った方がいいかな?」 ん、んん? ちょっとおかしな方向に話が流れてきた。内心首を傾げる私に向かって、相変わらず自分に酔いしれながら話しているロックハート。その時、その目を見た。いや、見えてしまった。気付いてしまったのだ。ぶわり、と全身の肌が粟立つ。見えてしまったのだ、ロックハートの自信と陶酔に溢れるそのブルーの瞳が、いつにも増して、熱を帯びているのを。ひく、と頬が引きつるのを嫌でも感じる。一歩後ずさるも、そこは石壁で、ひやりとしたものが背中にぶつかる。おかしい、何かが、これは、おかしい。 ロックハートは、そっと私の頬に手を添える。うっとりとしたロックハートのその緩みきった顔を見て、私は初めて身の危険を覚えた。ヴォルデモートに襲われた時でも、車が暴走した時の危険とは訳が違う──これは──こいつは──! 「ああ、アシュリー、君は全く、罪な女性だ。初恋のように甘酸っぱく、それでいて煌めきを放つ顔の下にある、冷たくも気高い美の炎に──私ですら、焼き焦がれてしまったようだ」 「や、あの、」 「美しい花には棘があるとはよく言ったものだ。その炎は、さぞ多くの男を火傷させてきたのだろう。だが、どうか、君という熱で、私だけを、優しく包みこんではくれないか、アシュリー」 こ、こいつ──目覚めやがったー!! ロリコンだセクハラだと心の中で罵ってはいたが、本当にロリコンになってしまうとは予想外だった。あんまりな展開に口を閉ざしていると、ロックハートはウインクをひとつ飛ばして、何も言わないまま私の肩を抱いて、闇の魔術の防衛術の教室へ連れていった。そういえばグリフィンドールの次の時間は防衛術だったか。教室の前まで来て、ロックハートはようやく私を解放した。 「他の生徒に誤解されてはいけないからね」 と、再びウインクした。なんかもう粉になって消えて欲しいとか色々言いたいことがあり過ぎてもはや何も言えないし何も考えられなくなってきた。脳が考えることを放棄している。だって仕方ないじゃないか、身体の年齢は一回り以上年上の男に言い寄られ、肩を抱かれているのだから。つまるところ……疲れましたもう何も考えたくないです。 先にロックハートを教室に入ったのを確認して、私も教室に入る。一番後ろの席にロンとハーマイオニーがいたので、その真ん中に座った。 「アシュリー、大丈夫? 何かあったか?」 「平気よ、大丈夫だと思う。それにしても、酷い目に合ったわ……」 「クリービーとジニーが出会わないことを祈ってなよ。じゃないと、二人でアシュリー・ポッターファンクラブを設立しちゃうよ」 「勘弁してよ……」 「もう数え切れないほどファンがいるし?」 「もう! 茶化さないで!」 ニヤニヤしているロンの後頭部を軽く叩いて、ハーマイオニーに助けを求めようと振り向く。が、ハーマイオニーは教壇に立っているロックハートに夢中のようで、こちらを振り向いてはくれなかった。ハーマイオニー、ワタシ、カナシイ。 授業が始まり、ロックハートが壇上で喋りはじめてからも、ハーマイオニーは奴に釘付けで、私はもうこれ以上奴を視界に入れたくないので机に突っ伏していた。ちらちらとロックハートの視線を感じたが絶対気のせいだ。絶対に気のせいなんだから。しばらくしてテストペーパーが回ってきたが、手にも取らなかった。白紙で結構。落第で結構。ロンは私の態度に驚いていたようだが、テストが終わる頃にはこの態度も当然、と思ったのか何も言わなかった。ハーマイオニーは私たちを気にする余裕すらないらしく、必死でテストに向かっていた。 「(面倒なことになった)」 ドラコや名も知らぬ子たちに好意を寄せられているのとは訳が違う。頭は空っぽだが、ロックハートはいい歳の大人なのだ。つまるところ、私の実年齢と大差が無い。ドラコなどに好意を寄せられているのは、正直『幼稚園の先生と結婚したい!』みたいなノリで可愛いな〜と流せるけど、大人が相手となると話は別だ。私もあれだ、普段子どもで振る舞っているが中身は立派にアラサー迎えてる訳だ。つまるところ、つまるところだ。色々と御託を並べてきたが、言いたいことはただ一つ。 私は──返せない好意を向けられるのが、苦手なのだ。 「(参った……)」 昔っから好きでもない奴に好意を向けられるのは苦手だった。寧ろ、誰だってそうなんじゃないのか。まあ、色んな人がいるだろうし、そこは一般論なんてないんだろうけれど、さ。キャー馬鹿がなんか言ってるー、ぐらいのノリで流せればよかったのだが、あの熱を帯びた目は、確実に本気だった。 特に親しくもないし寧ろ嫌いだ苦手だって思ってる相手からガチ口説かれたんだ。そりゃあ気まずいって言うかやり辛いって思うのは、寧ろ当然なのではないか。や、勿論意識するってことはないけど。そんなことはないけど。だって、だって私はまだ──。 「……」 二度と会えないことは分かってる。仮に、会えたとして、この身体が私だと、どうやったら信じてもらえるだろう。それに、私は死んだ身なのだ。今更何をと思うけれど。十二年も経って何を、と思うけれど。それでもやっぱり、私は“忘れたくない”という選択をしたのだ。 私にはあの人が──“私”には、恋人がいたのに。 「アシュリー! アシュリー! 起きて! 手伝ってくれよ!!」 急に、ロンに肩を揺さぶられて意識をこちらへシフトした。目の前には二十センチくらいの不細工な群青色の妖精が部屋中に飛び回り、部屋を壊したり物を投げたり生徒に飛び付いて騒ぎ立てているという、なんともカオスな世界が広がっていた。寧ろ、こんな大騒ぎに気付かず思案に暮れていた自分の神経に驚いた。そういえば、そんな展開だったかもしれない。本当に、ロックハートってどこまでも救いようのない奴だ。 ……んん、なんだか苛々してきた。そうだ、元はと言えば、全部あいつが私にちょっかいをかけてきたからではないか。あいつが良くない何かを目覚めさすから。ひいては、あいつが器が小さくて嘘つきで愚かだったのが悪いんだ。そうだ、全てはあいつが悪いんだ。何が『君という熱で私を包みこんで欲しい』、だ、馬鹿野郎。ふざけやがって。 「あ、あの……アシュリー?」 「みんな、下がって」 私は杖を抜いた。苛々が胸の内から込み上げてくるのを感じた。ぶわり、と生温かい風が私を包む。杖を天に振り上げる。部屋にいるピクシーの一匹一匹が、全てロックハートに見えて来て、私の腸は煮えくり返りそうだった。 「──イモービラス!!」 その時の私を、ネビルは後にこう語った。 あの時僕は、生まれて初めて“魔女”を、見たのだと──。 |