24.5

九月一日。毎年のようにトランクを引き摺って九と四分の三番線へ向かう。いつもと違うのは、グリモールド・プレイスからでもなく、かといって漏れ鍋でもなく、ゴドリックの谷からでもなく、ロンドンから出発したという点か。朝食は極めて簡素に済ませた俺は一人でここまでやってきた。あいつは編入準備があるとかで、フラメルに連れていかれたからだ。汽車で何時間も揺られる御身分ではないらしい、全く羨ましい限りだ。

なので俺はこうして、いつものように列車の最後尾のコンパートメントを確保した。ここは俺たちの、謂わば特等席。こうしてりゃ、手紙なんか送らなくとも、いつもの顔ぶれが集まるからだ。そう思って本を読んで時間を潰すこと数十分、見慣れ過ぎた顔がひょっこりと現れた。



「おいおい早いな、君。新入生でもあるまいし」

「うるせーな。やることなくて暇だったんだよ」

「そうかい。まあ、魔法が使えないんじゃ仕方ない、か」



杖をひょいっと振ってトランクを荷台に詰め込みながら、ジェームズ・ポッターはくしゃくしゃの髪をキザったらしくかき上げた。本人曰く『俺の真似』らしいが、そんな鼻につくようにやってねえっつうの。しばしばそんな悪態をついていると、コンパートメントの戸がガラッと開いた。



「ごめん、遅くなって!」



そう言って現れたのは、結局この夏一度も顔を合わせることのなかった親友。年の割に小柄で、そのくせ横にはでっかくなって。鼻の尖ったその顔は、いつ見てもこいつの《動物もどき》にそっくりだ。

ピーター・ペティグリュー。たかだか二ヶ月ぶりだってのに、もう一年は会ってなかったように見えた。



「何してたんだよ。もう汽車出ちまうぜ、ワームテール」

「しょうがないでしょ、両親が中々離してくれなくて……」

「やれやれ、どいつもこいつもいつまで新入生気分なんだか」

「……このご時世、だしね」



どこか暗い顔でそんなことを呟くピーターを、俺は責めることはできなかった。ホグワーツは世界一安全だ。例えどんな連中が襲ってこようと、生徒は無事だ。だが、両親は? ホグワーツの外で生きる魔法使いたちの安全は?

《闇祓い》の親の名前が日刊予言者新聞に載って泣き叫ぶ生徒だって、去年見かけた。汽車で見送るのが、子どもと会える最後の時間かもしれない。そう考える親だって、少なくないのだろう。だから。



「──おっとっと、ちょっと急用を思い出したので、先にくつろいでくれたまえ」



そんなことを言いながら列車の窓からひょいっと駅に飛び降りるジェームズを、俺もピーターも笑いやしなかった。だが、あと三分で汽車は出ちまうのに、大丈夫かあいつ。呆れながら列車の外をぼんやり眺めていると、荷物を片付けたピーターが俺の斜め向かいに座る。



「シリウスは? 見送る人、いないの?」

「おい、たった二ヶ月で目の前の人間のツラも忘れちまったのか?」

「じょ、冗談だよ……」

「ったく、その冗談も、三度目になる身になれっての」



窓枠に頬杖を突きながらピーターを睨めば、すぐに日和る。ジェームズやリーマスと違ってごちゃごちゃ面倒を言わないのは、こいつの数少ない利点だ。チッ、と舌打ちして膝の上の本を片付けようと立ち上がったその時、出ていったはずのジェームズが窓からニュッと入り込んできた。



「そういえばさ」

「うおっ!?」



何食わぬ顔で普通の会話をしだすジェームズは、身を捩りながら無理やりその巨体を窓枠にねじ込んでコンパートメントに潜り込む。横着な奴だ。ただ、シーカーやってるだけあって長針ではあるが痩せ型のジェームズは窓枠程度、大した障害にはならなかったらしい。俺だったらぜってえこんなとこくぐれねえけど。



「我が友、ワームテールよ。なんで手紙出してくれなかったんだい?」

「い、言ったじゃないか、休暇中はノルウェーいるって!

「手紙くらい出せるだろう? リーマスが肝冷やしてたんだぜ」

「だって、嵐呼び鷲[フレスベルグ]便って高いんだよ……」

「向こうじゃそこかしこでフレスベルグ飛んでんのかよ」

「毎日ストームの連続で、ふくろうもロクに飛べないんだってさ」



苦々しく語るピーターに、なるほどとジェームズは笑った。確かにふくろうが生息していない地域じゃその地域に生息している魔法生物を運送に使うと聞くが、にしたってもうちょっと適した生物がいるだろ。大体、イギリスだってふくろう生息してねえのに……。



「まあ、そういうことなら仕方ねえけどよ」

「リーマスは心配し過ぎなんだよ。大体、海外まで『例のあの人』は活動してない──よね?」

「まあ、今のところ被害報告はイギリス国内だけみたいだけど……」

「今はな。グリンデルバルドだってブラジルだのアメリカだので活動してたって話じゃねえか」



俺の答えは、ピーターの不安を煽るには十分すぎたらしい。真っ青な顔で俯くワームテールに、ジェームズは俺の脇腹を小突いた。だが、俺は否定も取り繕いもしなかった。だって、本当のことだ。連中の活動拠点がイギリス国内だけだなんて誰が決めた。流れる血にこそ意味があるのだと思っているような連中だぞ。連中の目の届かないところが海外だなんて、楽観視できるもんか。

沈黙が漂う中で、汽車は汽笛を鳴らしてゆっくりと滑り出す。未だにリーマスの姿はない。あいつはお偉い監督生様だから、俺たち問題児には考えもつかないような立派な仕事があるのだろう。車内販売で飯や菓子類を買い込んで待つこと二時間、リーマスがへろへろとコンパートメントに倒れ込んできた。



「よう、お疲れ親友」

「君らねさ……人避けの呪文を使ってるなら先に言っておいてくれよ……最後尾に来るたびに用事を思い出して、先生方のところに戻る羽目になったんだけど……」

「悪い悪い。この色男は、どうにも少しばかり人目に付きすぎるんでね」



悪びれることなくジェームズが言い、リーマスに蛙チョコレートを投げる。いつの間にそんな対策をしてたのか、こいつ。どーりで今年は我が物顔で話しかけたり妙な視線を向けられたりしないわけだ。お優しい親友の気づかいに感謝だ。

リーマスは蛙チョコレートのパッケージを破りながら、珍しく得意げな顔で座席に腰を下ろした。



「まあでも、おかげでビッグニュースを持ち帰ることができんだけどさ」

「ビッグニュース、ねえ」

「珍しいね、リーマスがそんな風に言うの」

「ああ。何しろ、ホグワーツ史上前例のない事態だからね」

「そのニュース、教える気になったら起こしてくれ」

「まあまあ、急かさない急かさない」



軽口を叩き合いながら、みな視線はリーマスに向けられる。興味津々とばかりの顔は、ジェームズが悪戯計画を思いついた時の顔とおんなじだ。それを見て、全身が温かい湯に浸かったような感覚になった。

ああ、俺、やっと帰ってきたんだな。そう実感したのだ。ホグワーツ城に行かなくとも、俺にとってこの場所こそが、きっと、生みの親を捨ててでも戻りたかった場所なのだと──。



「なんと、ホグワーツに『編入生』が来るんだって!」



座席から転げ落ちるかと思った。



「編入生! 確かに、聞いたことないな」

「だろう? しかもその人は六年生、つまり、僕らの同級生が一人増えるってわけだ」

「へえ、すごい! どんな子? 男子? 女子?」

「海外育ちのの女の子だって聞いたよ」

「ふうん。でもなんでまた、このご時世にホグワーツに?」

「さあ、そこまでは流石に。僕みたいに、ささやかな[・・・・・]事情があったのかも」

「なーるほどね。ダンブルドアなら、巨人が入学しても驚かないさ」

「巨人かは定かじゃないけどね、ただスラグホーン教授曰く、『NEWTレベルの編入試験』を突破した才女らしい。もしかしたら、君たちと話が──シリウス、聞いてる?」

「あ、ああ。聞いて、る。勿論、聞いてる、とも」



予想外の存在がこんなところで示唆されて、おかげで素知らぬ顔を取り繕うのに全神経を費やす羽目になった。くそ、人が感傷に浸ってる時に、どうしてあいつの存在を思い出さなきゃならないんだ!



「──なあ、パッドフット」



しまった。一番不味い奴が一番不味い顔してる。どこか意地悪げに歪められたジェームズの口元を、これほど憎らしいと思ったことはなく。



「君、知ってたんじゃないのかい。その、『編入生』のこと」



ほらきた。ほら出た。言うと思った。いつかこうなると思った。だが、まだ新学期が始まってすらいない、ってのにこれはまずい。バレたら消される。記憶を。

リーマスもピーターもアッと驚いたように息を呑んで、穴が開くほど俺を見つめる。そんな重大な情報を、どうして秘密にしていたのか、そんな顔だ。ジェームズもジェームズで、妙な沈黙を貫く俺を酷く訝しんでいる。やばい。どうにかして誤魔化さねえと──そうだ!



「……先学期、バブリングの婆さんが言ってたんだよ。『腕利き』に会えるかもしれねえ、ってな」



勿論、大嘘だ。先学期にはあいつの影も形もなかったのだから。けど、我ながらこの嘘は使えると思った。何故ならこいつらは誰も古代ルーン文字学を取ってない。婆さんもそこらの生徒と談笑するほどの愛想もないし、事実あいつは──認めるのは癪だが──ルーン語学力のみで言えば、俺より優れている。だったら……!



「勘違いすんなよ、編入云々は俺も初耳だ。だけど、学期末にそんなこと言われりゃ、そういうこともあるかも、とは思うだろ」

「じゃ、なんで僕らには教えてくれなかったんだい?」

「冗談よせよ、親友。あのバブリング婆さんの目に留まるような奴だぞ、イカれてるに決まってる」

「そもそも、そういう情報を生徒に漏らしていいのかなあ……」

「まあ、あのバブリング女史だしね」



よし、よし。いい感じだ。アンドロメダのアドバイス様様だ。あいつは色んな意味でイカれてるのも嘘じゃないし、バブリングの婆さんが『そういう』魔女だってのも周知の事実。下手に『編入生なんか知らねえ』と惚けるよりは、上手く誤魔化せたに違いない。おかげでジェームズの追及は止まり、顔も知らない編入生の話題で持ちきりとなったわけだ。



「突然六年生に放り込まれるんだ、少なくとも馬鹿じゃないんだろうね」

「かもしれないね。ただ監督生は、慣れないホグワーツで困ってるようなら助けてあげるようにって通達があってね」

「ふうん、だから君も知ってたのか。男子生徒じゃなくてよかったよ、全く」

「エヴァンズ、面倒見良いもんねえ」

「うわあ、どんな子なんだろう、楽しみだなあ」

「下らねえ夢見る前に婆さんの顔を思い出すことをお勧めするぜ、ピーター」



何でここに帰って来てまであいつの話をしなきゃいけないんだ、下らねえ。そう思いながら窓の外を眺める。滑るように変わっていく景色をこうして眺めるのは、あと片手で数えるだけになったのだと思うと、代わり映えしない景色もどこか貴重なもののように思える。

……そうか、あと、三回なのか。



「もう、六年になるんだな、俺ら」



たった六年。いいや、俺にとっては人生で最も輝かしい六年だった。それがあと少しで終わってしまう。車窓の景色のように、移ろって、無くなって、変化していく。そうしていつか至る未来で、俺はあいつと会う。その時、こいつらも傍にいるのだろうか。変わらず俺の横で、馬鹿話して笑っているのだろうか──。



「なんだい、そんなに汽車が好きとは知らなかったよ」



ジェームズは意外そうに目を丸くしているのを、ガラスの反射越しに見る。鋭いんだかそうじゃないんだか、だ。



「別に、卒業してもホグワーツ特急に乗れるだろう? 教師になるとか、車掌になるとかしてさ」

「ブッ……シリウスが教師!? それこそ、『下らない夢』のお話じゃあるまいし」

「どうしてだろうな、お前からのそこはかとない悪意を感じるのは」

「先生かあ。シリウスよりは、リーマスの方が合ってると思うけどなあ……」

「ピーター、僕は君たちのお守りだけで十分なんだよ」

「おいどういう意味だそれ」

「それにほら、無理やり降りることはできなかったけど、無理やり乗るのはまだ試してないだろう? リベンジマッチには持ってこいだと思わないかい?」

「こんなこと計画する親友がいるんだから、こうも言いたくなるよ、ほんと……」



肩を落とすリーマスを、三人でげらげらと笑い飛ばす。まあ、変わんねえか、俺たちは。十年でも二十年でも、こうして馬鹿笑いができる未来を、俺は容易に描ける。

ったく、なんで俺、ここ最近こんな[・・・]なんだろうな。あいつのせいだろうか。未来を示唆する、あいつと長い時間過ごしたせいだろうか。だったら、リセットするいい機会だ。流石にホグワーツでは、あいつと一日べったり、なんてことはない。科目がいくつか被ってるのは多少目を瞑るにしても、俺にはこいつらがいる。だから、大丈夫だ。すぐ戻る。

俺にはちゃんと、『帰る場所』があるんだから。


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