6.5

「つーわけで、アルバス。コイツ捕獲──じゃねえや、保護しようぜ」



初手で人の首へし折った奴とは思えないほどアッサリと、フラメルは女を信用することにしたようだ。とはいえ、ヒト扱いする気がない辺り、フラメルらしいといえばらしいのだが。女も、まさかこんな理由で信用されるとは思っていなかったようで、ダンブルドアの様子を窺っている。だが驚くことに、ダンブルドアもまた、険しい顔をしつつも静かに頷いてみせたのだ。



「隔てはせぬよ。わしの生徒じゃ、未来であろうと過去であろうとな」

「いや、まあ、それは嬉しいんですけど……拍子抜けっていうか……」



ダンブルドアらしい台詞に、首だけの女は困惑しがちに視線を宙に漂わせている。こちらがアッサリ信じたせいで、逆に向こうの猜疑心を煽っているのかもしれない。ダンブルドアはそう判断したようで、尤もらしい理由を続けた。



「この学校にいる生徒の殆どは、錬金術の開講自体を知らぬまま、何事もなく毎日を過ごしておる。君が錬金術の存在を知っていることそのものが、わしやバスシバの目に留まった証拠じゃろう」



そう言って、此処に来て初めてダンブルドアはいつものように穏やかに微笑んで見せた。

俺が予想した通りだった。錬金術の受講に、必要な要素は二つ。一つ、当然それだけ優秀だということ。魔法薬、薬草学、そして古代ルーン文字学という、錬金術を学ぶに必要な科目全てに秀でており、その上でバブリングの婆さんの推薦があって初めて開講される。そしてもう一つ、錬金術を悪用しない程度の、人間性だ。

金を生む秘術、命の神秘を暴く禁忌、錬金術を学ぶと言うことはそういうモノに触れるということだ。当然、フラメルだって馬鹿じゃないし、よく知りもしない学生を信用しないからこそ、俺に錬金術で学んだことを他言することを禁じた。けど、それだけだった。フラメルは俺に錬金術で学んだことを授業外で行使することまで禁じたわけじゃない。だから俺は一人きりであれば錬金術を如何様にも利用できる。ホムンクルスを錬成して軍隊を作ることだってできるし、直接学んではいないにしろ、非金属から貴金属を錬成するのも難しくはないだろうし、悪戯に活かせそうな技法だって数多く散りばめられていた。それだけの知識が俺には備わっているし、それを活かすだけの地頭はあると自負している。

だが、当然ながら俺はそんなことはしないし、今後もするつもりもなかった。だって、俺一人でしか活かせない知識なんて、一体何の役に立つんだよ。ジェームズ、リーマス、ピーター、あいつらに何一つ話せないような魔法を行使しても、つまんねえだけだ──とにかく、俺もまた錬金術を悪用しないと、ダンブルドアやフラメルに判断されたから、たった一人で授業を受けているわけだ。この女もまたそうだというのなら、少なくともその人間性は『悪』ではない、と言い切ってもいいのだろう。勿論疑念は残るが、少なくとも俺も二人の考えに異論はなかった。



「……でも、」



殆どうわ言のような否定が女の口から洩れる。だが、その先は紡がれない。何を堪えているのだろう。俺にはちっとも分らない。けれど、切なげな黒い色が、控えめに俺に向けられ、ギョッとした。その目には、今にも零れそうなほどに涙が湛えられていた。そんな顔されて、俺、どう言っていいのか分からなくて、後退った。

けど、言わなきゃならない。俺だって、こいつを。



「……俺は、信じるって言った。それだけだ」



そうだ、俺の口でちゃんと信じるって言ったんだ。確かに怪しい奴ではある。正直いけ好かないとさえ思う。すぐに信頼していいか、まだまだ不安は残る。ジェームズたちしか知らないようなことを知っていたとしても、フラメルの言うように情報なんかいくらでも引き出せるし──ジェームズはともかく、リーマスやピーター辺りに一服盛るのはさほど難しくはないだろう──、魔法省の連中が殺気立つ程度には危険人物だ。だが、敵じゃない。例えこいつの存在自体が危険だとしても、例えこいつに“誰か”を彷彿とさせる不快感を覚えたとしても、こいつの中身自体は決して俺たちに危害を加えるつもりはない。俺は、そう信じることにしたんだ。

そんな俺に何を思ったか、フラメルはニタニタ笑いながら女の首を持ったまま、反対の手で俺の頭をばしばし叩いた。



「助かるぜ、ブラック。人手は多い方がいいからな」

「はあ? 何言って──まさか、俺まで手伝えってのか!?」



一瞬何を言い出したのか分からず、脳裏でフラメルのセリフを繰り返してしまった。『人手は多い方が』──つまりそれってそういうことだろ。だがフラメルは、何を今更とばかりにすっ呆けた顔だ。



「ったりめーだろ。お前のホムンクルスだろうが、責任取れ」

「あいつが勝手に取り憑いてきただけだ!」

「お前は事の第一発見者。事象の研究にあたるってんなら、目撃情報は必須だろ。なんたって未知の実験だ、人手は多いに越したことはねえが、そこらの人間に声かけまくる訳にもいかねえしな」



いやまあ、確かにそうだけども。魔法省でもごく一部の魔法使いしか携われない時間旅行の神秘を暴こうぜ、なんて手あたり次第に声をかけまくって、あれこれ周りに吹聴されては錬金術の秘匿された神秘を暴かれかねない。そう、魔法省に喧嘩を売ってまで女を守ったのは、そういったリスクを回避するためだ。一方で俺は女の第一発見者にして、フラメルの二番弟子。顎で使うのに、これほど適した立ち位置もいない。フラメルの好奇心に巻き込まれるのは、避けては通れないだろう。そりゃあ、俺だって気にならないと言えば嘘になるけどよ……。

そんな俺を他所に、フラメルは我が物顔で校長室の机から羊皮紙とインク、派手な羽根ペンを引っ張り出す。来客用のソファにどかりと腰を下ろすのを見て、俺もまたそれに倣うように斜め向かいのソファに腰かけた。



「色々と身の上話を聞きてえところではあるが、まず情報の整理がしてえ。お前らの記憶が新しいうちにな。可能な限り、今朝の出来事を正確に話してみせろ」



まずはブラック、とフラメルに視線を投げかけられた。今朝見たもの、怪しい点、気付いた点などを洗いざらい吐くよう言われ、俺は視線を斜め上へ持っていく。数時間と経過していないのに、もう何年も前の遠い日の出来事に思えてならない。それでも俺は鮮明に、記憶の限り言葉にしていく。



「まず昨日……汽車で家に帰って、そのまま家出した」

「おいおい、お前まだ未成年だろ」

「こんな時代だ、親がいなくて一人で暮らしてる奴なんか山ほどいるだろ」



思わず言葉に熱が入ってしまうところが、子どもなのだと暗に指摘されたような気がして嫌気が差す。こんな時だけ大人面するところは、嫌うとまではいかないが、こいつを苦手に思ってしまう部分の一つだった。そりゃ、六百歳相手に大人も子どももねえだろって、理屈は分かってるのに。



「……どうだっていいだろ。それと今回のことは無関係だ」



半ば睨むようにフラメルを見れば、大して気にした様子もなく俺に続きを促すだけ。ふと、いつの間にかテーブルの上に置かれた女の首と目があった気がして、不自然じゃない程度に視線を逸らして話を続けた。



「それで、家も金も準備していた俺は、荷物とホムンクルスが入ったトランク一つで家を出て、リンデン・ガーデンズへ向かった。俺の親戚が確保してくれた家だ。ロンドンに帰ってすぐ家を出たから、着いたのは夜中の二十二時とかだった。でも、その時ホムンクルスには何の異常もなかったと思うが、確認はしてない。疲れてたし、その日はそのまま寝た」



俺の言葉が一言一句漏らさず、羊皮紙に綴られていく。途中、ホムンクルス体を持ち帰る危険性について女の首が口を挟んだが、俺は構わず話を続けた。



「で、朝起きた時にこいつの検温と脈拍を確認したけど、異常はなかった」

「何時ぐらいだ」

「七時……八時にはなってなかったと思う」

「ほーん。そんで?」

「そしたらいきなり、ホムンクルス体が発光し始めた」



ぴくり、とフラメルの眉が動いた。だが、口を挟む気配はない。



「最初は蝋燭と同じぐらいだった。けど、徐々に目も明けてられないぐらい光が強くなって、何が起こったか全然見えなかった。ただ、音──いや、声、声が聞こえた。けど、ぼそぼそ言ってて何言ってんのか分からなくて、そんで気付いた時には、こいつが」



俺の名前を呼びながら、現れた。そう続けた。女の話が全部本当なら驚きに値しないことだが、つい数時間前の俺にしてみれば、全く未知の出来事だった。ただでさえ謎が多い魂のないホムンクルス体が、見ず知らずのアジア人の全裸の女に変質したのだから。けれど、俺に危害を加える素振りは見せず、俺と同じようにただただ混乱する女、その挙動不審な姿に、俺はある仮説を立てたのだ。



「あー……多分、だけど、こいつ、たぶん、死んでる」



死んでいる。けれどこいつは、此処にいる。それがどれだけおかしなことか、どんなスクイブにだって理解できるはずだ。そりゃあ、右も左も分からないようなクソガキなら、親に問いかけたのだろう。『どうして死者は蘇らないのか』と。何百年も前に没したゴーストだっている、千年前の偉人が今尚口を利くような絵画だって腐るほどある。死者が我が物顔でこの世界をうろつくことに、俺たちは何の違和感も抱かない。けれど。大人たちは口を揃えて言う。それは見かけだけ、まやかしの姿なのだと。魔法は決して、人を蘇らせることはないのだ、と。

俺だって子どもの頃は、そんなクソガキの内の一人だった。壊れたティー・カップは杖を一振りで元に戻るし、風邪を引いても薬を一飲みするだけでたちまち回復した。でも大人は、龍痘で死んだ父方の曾祖母は戻ってこないという。石の棺に収められ、土の中に埋められるその姿に、心底ぞっとしたのを幼いながらに覚えている。弟なんかは、『どうしてこんなひどいことを』なんて泣きながら母親ごねてたっけか。そうして俺たちは他人の死を見て初めて、魔法は決して万能ではないと知るのだ──だから、死者が此処にいるなんて世迷言、寝ぼけてでもなきゃ口にしない。だけど。

俺の仮説に、フラメルハッと鼻で笑う。そうだよな、俺だってそうしたいぐらいだ。



「死んでる? 何故そう思った?」

「……器だけの肉体に、引き寄せられる悪いもんがいるって、あんたが教えたんだろ。だからそう思った。あと、硝子に映った自分の顔を見て、妙にびびってたんだ、こいつ。だから、最初はゴーストか何かだと思ってたんだ」



空の器が突然満たされたのだ。そうなりゃ、必然的に“中身”が入った、そう考えるのが自然だ。その中身がまさか、未来の顔見知りだとは夢にも思わなかったが。

とにかく、女の正体について自分なりに仮説を立てているうちに、魔法省の連中が何かを察して駆けつけてきた。『機密保持法』と『時世維持法』を破った罪でアズカバンに連行するだのと騒ぐ連中に、何故か女が我が身を挺して俺を守ろうとしたことまで話した。



「ほーん、守ろうとした──つまり、この時点でブラックが逮捕される未来を、こいつは知らなかった。だからなりふり構わず阻止するつもりだった、そんなところか」

「……お好きに捉えて、どうぞ」



フラメルの仮説に、女は苦々しげな面持ちで返した。まあ、そんなところだろうな。じゃなきゃ、意味もなく未来から来たという女が取る行動にしては、あまりにリスクが高すぎる。俺がフラメルを呼んでなきゃ、こいつは今頃《吸魂鬼》の餌食だ。



「しっかし、よくまあ俺を呼ぶなんて思いついたよな。抜け目がないっつーか、悪知恵が働くっつーか、アルバス、お前の生徒らしいよ」

「そうとも。入学当初より我が校の管理人や森番の手を焼かせる、優秀な生徒じゃからの」

「……ソリャ、ドーモ」



素直に褒められている気はしない。優秀なのは自他ともに認める。そこいらの生徒を束にしたって俺には敵わないだろうが、その分罰則を受けた回数も敵わないだろう。聞けば俺たちが入学した頃は、上級生たちに退学届を出す前に卒業できるかどうかのチキン・ゲームとまで言われていたらしい。ハッ、連中の観察眼は《レタス喰い虫》以下だな。俺たちがそんなヘマするかっての。

ともかく、そんなこんなで俺はフラメルを家に呼びつけた。そしてこっからはフラメルの屁理屈で魔法省の連中を追い払って、今に至る訳だ。



「なるほどな──そんじゃ、次はお前の番だ」



意外にもフラメルは、俺の供述に言及することなく女の首に向き合った。マホガニー製のテーブルの上に乗せられた女の首が、神妙な面持ちで瞳を伏せて、肺もないのに息を吸っては吐く。そして光を通さない黒い目が、真っ直ぐにフラメルに向けられた。



「──今朝、私は銃で撃たれて死にました」



掴みで言えば、それは最大限のインパクトだった。ダンブルドアもフラメルも、一瞬で女の話に引き込まれた。そう感じた。俺は『ぴすとる』というものがどういうものだったか、思い出す必要があった。魔法史の教科書の注釈にあった。確か、マグルの武器だ。俺たちにおける杖のようで、それでいて『殺害』にのみ特化した、野蛮な道具だと。

それから女は、何かを堪えるような顔で話し始めた。心臓を撃ち抜かれて間違いなく死んだこと。気付けば俺が目の前にいたこと。記憶にある俺の姿と違うことに混乱しながら言い合っているうちに、クラウチが乗り込んできたこと。連中の話から、自分が過去に来てしまったことを悟ったこと。それからは俺の話の通りだと。フラメルはそれを全て羊皮紙に書き綴り、女の話が止まるとその羊皮紙を舐めるように上から下まで目を通す。



「ほーん。まあいいや。いくつか質問するぞ」

「答えられるものなら、いくらでも」

「お前、何年後の未来から来た」

「……何十年か後。それ以上は、言っていいか分からない」

「フラメル。少なくともシリウス・ブラックを知ってる時代に生きた人間だ。俺の顔見てすぐ名前を言い当てた」



女の細やかな誤魔化しに何故か苛立ち、俺は素早く口を挟んだ。女の首からは咎めるような視線が一瞬飛んできたが、すぐにフラメルに視線を戻した。下らない抵抗だ。少なくとも女は俺が生きている時代、どう多く見積もっても百年より先の人間じゃないだろう。俺がこの肉体を捨てていなきゃ、の話だが。フラメルを見ながら思う。まかり間違って、俺もフラメルと同じようにホムンクルスになっている可能性だって、否定はできないわけだしな。



「次だ。お前の時代は、何十年と時を逆巻くことが容易なほどに魔法技術が進歩していたのか?」

「この時代でだって、時は何十年だって遡れたはずです。その後無事で済まなかっただけで。でも、安全が保障されている範囲でという意味でなら、せいぜい数時間が限度だったはず。身近に《逆転時計》を使った経験がある人がいましたから、情報は確実かと」

「ほーん、数時間[・・・]

「す──」



女の言葉に俺が驚き声を上げようとしたその時。俺の喉からは掠れた息しか漏れ出さなかった。思わず喉を押さえる。やっぱり、声が出ない。クソ、黙らせ呪文か。こんなことも、女に知らせるべきじゃないってことか。流石、世界最高峰の魔法使い。迅速な黙らせ呪文のおかげで女は俺が声を上げたことに気付いていないようだ。

けど、俺の驚きは普通の反応だと、声を大にして反論したい。できねえけど。だって、俺の知る限り、《逆転時計》を使って遡れる時間は『数分』が限界の筈だ。けれど女は事も無げに『数時間が限度』と言った。つまり、《逆転時計》──時間旅行が進歩している。俺たちは、それを知らなかった。女は今、『俺たちの知るはずのない未来』を口にしたのだ。それがどんな影響を及ぼすか分からないが、確かに俺たちは今、未来を開示された。そりゃ、女の言うことが全て本当だと仮定すれば、だが。こんなことにブラフを張る理由も分からない。

──改めて、こいつの危険性を知らしめられた気がした。漠然としたそれが、ようやく実体化したような感覚。こいつを野放しにしてはいけないと、魔法省の連中が躍起になる訳だ。自覚もないままに、こいつは未来の情報をポロポロと零してしまうんだ。



「次。お前、何故死んだんだ?」

「だから、銃で撃たれて」

「心当たりはねえのかって意味だよ。それとも、見ず知らずの人間に銃で撃たれたのか。アジアってそんな治安悪ィのか」



俺が黙らせられているとは知らずに、女とフラメルの問答は続く。その口ぶりから、その『ぴすとる』とやらは、魔法使いの杖のように広く普及されているものではないと知る。少なくとも、治安の悪い場所にしかないような物。よく分かんねえな、マグルって。それは規制でもされてんのか。殺害のための道具だし、俺たちで言う『禁じられた呪文』みたいな位置づけなのかもしれない。

女は質問に対して、イギリスだって治安は悪いと苦言を呈した。それもそうだとフラメルは頷き、続けた。



「次。お前、なんで『死んだ』って分かった」



なんだそりゃ。フラメルの言葉を聞いた時、真っ先に思った。何でも何も、『ぴすとる』とかいう道具で殺されたんだろ、そいつ。だったら別に不思議は──待てよ。



「(自分が死んだと、何故自覚できる?)」



自分が死んだって、分かるもんなのか。流石に俺も死んだことはないし、それを経験したいと思ったこともない。そうだ、確かに不自然だ。死んだらどうなるか誰も分からない。意識が唐突に途絶えるのか。それとも霊魂のようにある程度はその場に留まるのか。それは死んだ者にしか分からない。フラメルほどの面の皮の厚さがあっても、そこいらのゴースト捕まえて『死んだ時どうだった?』なんて聞けまい。そう考えれば、益々分からなくなる。なんでこいつは『死』んで、更にはホムンクルス体に定着したことに対して、これほどまでに冷静に分析できるのか。

女は、随分呆けた顔をしていた。まるで、何故地球に酸素があるのか聞かれたような、そんなきょとんとした表情で。



「それは……ええと、はい。そうですね。言って、伝わるものではないかと、思いますが……そうですね、解ったとしか、言えません。あの、身体の内側から、朽ち果てていくような感覚は……」



どこか他人事のような、それでいてどこかゾッとするような真実味を帯びた言葉だった。視線を少し上に向け、まるで回顧するように語る女に、俺はある仮説がふっと過った。いやでも、まさか。いやでも、此処まで来て、『ありえない』はナンセンスか? でも、まさか、そんなこと。

フラメルは深くは追及せず、死んでからホムンクルスに憑依するまでのタイムラグを確認していた。女はあまり記憶がないと言い、身体が上手く動かなかったと語る。それは魂が器を形作るから、器が魂に馴染むまで時間を要する所為らしい。フラメルは、あるある、と、俺たちには一生分からない共感を漏らす。



「次だ。お前のそれ[・・]は、体質なのか?」

「体質? 何のことです?」

「惚けるなよ、クソガキ。お前──処女[ハジメテ]じゃねえだろ」



──踏み込んだ。奇しくも俺の仮説は、当たったらしい。

女は雷に打たれたような顔で凍り付いていた。何故見抜かれたか、そんな顔だ。だが、話を聞いていれば、その不自然さに気付かないはずもない。そう、この女はきっと、死ぬのは初めてじゃない。そんなのありえないと言いたいところだが、今日だけでいくつの『ありえない』を経験したと思ってるんだ。もう、今日は何だって“アリ”だ。



「答えは単純だ。死に慣れすぎ[・・・・・・]てんだよ、お前。自分が死んで、『今朝、死にました』なんてのうのうと述べられる奴なんて、頭イッちまってるか、薬キメてるか、そうじゃなきゃ回数を経て慣れた奴だけだろ」



確かに、不自然な点は複数あったが、やはり一番は『死』を言語化できる程度に語った点だ。俺もそこが引っかかった。だって、想像もできないぞ。自分が死んで、その後に『自分』が続くなんて。フラメルの言うように、『慣れている』としか思えない。つまりこいつは──一度や二度じゃなく、何度も。何度も?



「──ってのは、ただの勘なんだけどな。解るさ。俺らみたいなモンはな」

「え、」

「お前だって視えたんじゃないのか。『存在』としての、不安定さ[・・・・]が」



フラメルの言葉に、女はハッと息を呑んだ。



「バブリング、先生──」

「やっぱ視えるか。あのバアさん、身近ないい例だもんな」



視えた? 不安定? 一体何の話だろう。此処に来てさっぱり分からない会話をしだす二人に、俺はちらりとダンブルドアに視線をやった。驚いたことに、ダンブルドアもまた、その眉間に深い皴を刻んで、二人の会話を理解しようと思考を張り巡らせているようだった。



「あのバアさんは不治の病に侵されてる。本来なら何十年と前にくたばってておかしくない肉体を、ルーン魔術によって無理やり繋ぎ止めている」

「いや、それは俺も知ってるけどよ」

「より正確に言えば、肉体から乖離するはずの魂をルーン魔術で繋ぎ止めることで、肉体を『生命体』として強引に稼働させてんだよ」

「なっ──」



思わず言葉を失った。フラメルは、ほらな、とばかりに肩を竦める。



「分かるだろ? あのバアさんは、生きている方が不自然なのさ。だから、俺たちみたいなモンには、その綻びが視えちまうのさ。まるで、縫い糸がほつれた洋服みたいにな」



フラメルが何でもないように淡々に語るのを、俺は開いた口が塞がらないままに聞いていた。バブリング婆さんが不治の病を患ってるのは、ルーン語を履修してる奴はみんな知ってる。あんだけゲホゲホ言いながら血ィ吐いてんだから。跡継ぎを見つけるまでは死なないというセルフ・ギアスによって、婆さんは壊れかけた命を永らえさせている、それさえも周知の事実。けれど、それほどまで危険な状況なんて、知らなかった。信じられるか。あの婆さん、俺にあれやこれやを学ばせるために掘り起こしてきたルーン語の石碑を抱えて全力疾走してくるぐらい元気じゃねえのかよ。

いや、いや、今は婆さんの事よりも、この女ことだ。『綻びが視える』と、フラメルが言った。なんだ、俺たちには見えない。ただの女の首だ。婆さんだってこの二年、文字通り手取り足取りルーン語を叩き込まれたが、フラメルの言う『綻び』なんか視えなかった。

女も同じ疑問を抱いたのか、眉を顰めながら口を開いていた。



「……理屈は、分かります。でも、俺たちみたいな、モン、って、」

「一度でも、死から逃れたことがある者じゃな」



女の疑問は、今の今まで口を噤んでいたダンブルドアが回答した。



「そういうこった。あの手この手で“死”から逃れていくうちに、俺たちは“死”を感覚的に理解できるようになった、と推測している。だが、お前はきっと、死に向き合ってこなかったんだろ。だから、バアさんみたいに分かりやすい奴にしか反応できず、自分がどういう状態なのかも視えていなかった。だが、俺には丸見えだぜ、お嬢ちゃん。

お前には、いくつもの魂が混在してるってな」



思わず、ハッとして女の首を見る。当然、俺は死に目に遭ったことなんかわけだから、そこにはただ顔面を蒼白にさせる女の顔しか見えない。だが、フラメルには何かが視えている。いくつもの魂が混在してるってどういうことだ?



「魂は器を形作る。未来の俺が教えてやったんだろ? ただの人間の肉体なら、魂の形に器が引っ張られることはないが、残念ながらお前の今の器は変幻自在のホムンクルスだ。おかげで俺の目には、お前の顔が二重にも三重にもダブって視える瞬間がある。緑の目に黒髪、白人の女が視える時もあれば、黒髪に紅い目をした顔の男が視える時もある」

「──ッ!?」

「無論、それは俺が、言うなれば『魂の綻び』が視えるから気付けた、ほんの一瞬の変化でしかない。アルバスやブラックたちみたいな、“死”に触れたことのない奴には、お前はただのアジア人にしか見えないだろうよ」



女の顔はどんどん血の気が引いていく。けれど、フラメルの猛攻は止まらない。



「さあて、もう一度聞くぜ、お嬢ちゃん。視たところ、死んだのはハジメテじゃあなさそうだ。お前は死ぬと別の個体に生まれ変わるのか? 記憶を引き継ぐのか? 何故今回はホムンクルスに入り込んだ? 過去を遡るのも、転生に付随して発生するのか?」



チェックメイトをかけるフラメルは、見たことのないほど興奮していた。

フラメルの話を聞きながら、俺の胸には一つ疑問が芽生えた。女は何度も死んでは蘇った。時には白人の女として、時には男として、時にはアジア人として、こいつは生きて、死んだ。恐らく、フラメルの言葉は図星だったんだろう。要は、『一つの魂がいくつもの肉体を経た』ってのが、女の現状だと分かる。そこで疑問だ。女の始まりがどこか知らないが、始まりの魂は一つだったはずだ。けど、フラメルの言葉だけだと、『別の人生を生きた魂の集合体』みたいに聞こえる。だってそうだろ、フラメルは、女の魂がいくつも視えると言った。それってつまり、肉体が変化するごとに魂が新しく創られるってことなのか? 正直、疑問に思うところはそれ以外にも腐るほどあるってのに、今の俺には無性にそこが引っかかった。けれどそれを口に出すことができないのが、口惜しい。くそ、ダンブルドアかフラメルか知らないが、余計なことしやがって。こんな空気じゃなきゃ、舌打ちの一つでもしていたところだ。

仕方なく、俺はその疑問を脳裏の片隅に止め、他にも聞きたいこと、感じたことを列挙していく。幸いなことに、女の首を見ていたら疑問なんか湯水の如く沸いてくる。何かを決めあぐねているような顔をしている女が沈黙を破る頃には、俺の脳には数メートルのレポート張りの疑問が列挙されていた。



「……過去に遡った経緯は、分からない。ホムンクルスになったことは初めてだし、そもそも私が此処にいること自体、想像だにしなかった。故に、それ以外の質問には答えることができない」



静かに、女は明確に拒絶を示した。驚いた、なんてレベルじゃない。フラメルもダンブルドアも、虚を突かれたような顔をしていた。いや、だって、そうだろ。だって、こいつ、馬鹿じゃねえの。こいつが肯定せずとも、フラメルはこいつの真実を掴んでいる。今更フラメルの考察が全て嘘だったなら、とんでもない役者だ。今更黙秘を貫くなんて、無駄な抵抗もいいところだ。

けれど、女の首は言葉を撤回しない。



「何故なら!! 墓まで持ち込むと決めた秘密を、最初に暴いてくれた人たちがいた!! 私は彼らに、その秘密を打ち明けることができなかった!! ひとえに、私の弱さが故にだ!! そして彼らの信頼に泥を塗りながら尚、私は何事もなかったかのように、彼らと何年もの時を過ごした!! 何年もだ!! 何故か分かるか!!

いつか全てが終わった時に話すと、まだ見ぬ未来に約束したからだ!!」



校長室の壁にびりびりと響くほどの声量で、女が叫ぶ。クラウチから俺を庇う時とは違う。悲痛さの中に、女の明確な歓喜が見え隠れしている。思わず目を見張った。女は、笑っている。自分自身の愚かさを自覚しているかのように、堂々と。こんな味方もいないような状況で、こんな弱味を握られていながら、首だけになった女は一人、くしゃりと笑んだ。



「すみません、先約が入ってるんです。約束を果たす日は、断じて今日ではない」



挑むような女の横顔に──酷く、目を奪われた。


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