5.5

フラメルの横顔からは、今まで見たこともないほど冷たさを感じた。俺自身に殺意を向けられたわけでもないのに、背筋まで凍り付いたのかと思った。ホムンクルスとはいえ、生きた人間にしか見えない女を、今この場でぐしゃりと捻り潰してしまっても全く動じなような、態度。初めてだ、フラメルのこんな顔を見るのは。いつも自信満々というか、人を食ったような態度ではあったが──なんだよ、こいつ、人に対して、こんな、こんな顔も、できるのかよ。

怖いという感情。そりゃあ知らない訳ではないけど。それでも、『殺されるかもしれない』なんて恐怖、身近にあるはずもない。俺でさえ、言葉も出なかったのだ、女の恐怖は想像に難くない。



「わ、私は、」

「あ?」

「私、その、」



対する女は、完全に怯え切っているのか、先ほどの勢いは夢だったかのように口籠っていた。そりゃそうだ。こんな巨漢が自分の頭を鷲掴みにして脅しかけてきてるのだから。

随分長く、女は言葉らしい言葉を発しなかった。あー、だの、うー、だの、何か話そうとはしているようだったが、それを言語にして伝えることはなかった。恐怖に屈しているのだからそれも当然──いや、待てよ。本当に屈しているのなら、どうしてこいつは何かを発そうとしているのだろうか。死に対する圧倒的恐怖を前にしたら、俺みたいに、声も出ず、震えるもんじゃないのか。なのに、こいつは。

五分ほど女の唸り声を聞いた後、フラメルは静かにほーんと鼻を鳴らした。



この手合い[・・・・・]は、俺の専門じゃねえな」



行くか、そう言いながらフラメルは女の首を持ったまま俺の肩を握り潰さんばかりに掴んだ。何すんだ、と声をあげるより先に、背面に倒れるような浮遊感が襲い、視界が反転した。

はっと、目を見張った時には、俺の家だった部屋ではなく、見慣れた──ジェームズ以外の奴とこの部屋に来るとは思わなかったが──ホグワーツ城の校長室に俺たちは立っていた。しかも俺、ホグワーツの制服を着ている。なんだこれ、いつの間に。ていうかなんで校長室に。状況が飲み込めずにあたふたする俺を他所に、フラメルは「よう」、と気兼ねない様子で挨拶を一つ。校長椅子に座ってにこやかに微笑む、ダンブルドアに向かって。



「これはニコラス。共連れにしては、随分珍しい面々じゃのう」

「アルバス、頼むわ[・・・]。魔法省がたった今連行しそうになった犯罪者だ」

「なんと──」



フラメルはそう言いながら、手にした女の首をずいっと突き出した。事情を知らない奴が見たら完全にイカれた光景だ。当然と言うべきか、ダンブルドアはほんの少しだけ焦ったような表情を浮かべて立ち上がった。女とダンブルドアの視線がばちんと絡み合った。

瞬間、フラメルの殺気が子供だましと思えるぐらいの冷気が、俺たちを襲った。ダンブルドアのあの小さな目が、女の首を凝視していて、俺やフラメルがいることに気付いていないかのようだ。まるで獲物を前にした獣のように、ダンブルドアの目は眼鏡の奥でギラついている。そんな目を向けられているのは俺じゃないハズなのに、俺の肺はギュッと縮み上がり、指一本動かせなくなるほどだった。

だが次の瞬間、ダンブルドアの表情が歪んだ。まるで軽い電撃を浴びせられたかのように、眉間に深い皴を刻み、枯れ枝のような拳を握っては放すを繰り返す。



「おい、アルバス。まさか防がれたってのか」

「どうやら優秀な閉心術士のようじゃ」

「おいおい、俺はこの手合いは不慣れなんだ。何とかしてくれよ」

「抵抗するならやむを得まい。《真実薬》を用意しよう」



フラメルとダンブルドアは、平時の穏やかさが嘘のように物騒な会話を、何でもないように平然と連ねていく。会話を聞くに、ダンブルドアは女に対して開心術を仕掛け、女は閉心術で対抗したのだろう。完全に不意打ちだっただろうに、開心術を防ぎ切った女にも驚いたが、無抵抗の相手に躊躇いなく開心術を仕掛けるダンブルドアの方が、より得体の知れない人間に見えた。普段の、何を考えているか分からない、飄々とした姿を知っているからだろうか。

いや、違う。そんなダンブルドアが豹変するぐらいの事なのだ。この首だけになった女は、手足をもがれて尚、ダンブルドアにここまでの警戒をさせるほど脅威なのだ。そりゃそうだ。何十年と時を逆巻いてきた女。自分の肉体を持たずに俺が創ったホムンクルスに取りついた女。そして、俺の名前を知っていた女。

俺を助けようとした、女。



「──生徒、です。未来の。ホグワーツ生。いずれは錬金術を学ぶことになります」



そこで初めて、女がハッキリとした意見を俺たちに述べた。

ダンブルドアもフラメルも、女の首に注目した。先ほどの怯えはまだ内在しているのか、唇は震えているが、その黒い目はしっかりとダンブルドアを見据えている。言葉に詰まっていた先ほどとは打って変わって、途切れ途切れながらも力強く語られる言葉は、不思議と嘘や偽りを感じさせない。



「私は、あなた方の味方になる人間です」



そうして女は、初めて『未来』を口にした。しかし、それは証拠も根拠もないような、表面上の言葉。口だけなら何とでも言える。信用に値するモンじゃない。そんなことは分かってる。

なのに、何故。



「(良かった──なんて、思えるのか)」



理由が分からない。だけど確かに、俺はほっとした。女が敵じゃない、その可能性もあるのだと、俺は心底安心したんだ。何でだよ。たった一回、助けられたくらいで情が移ったのか。そもそも、俺だってクラウチたちを引き留めてフラメルを呼んでやっただろ。借りは返したはずだ。なのに、どうしてこの素性も分からないような首だけ女が自分たちの味方かもしれないと、そう思うことが俺の安堵に繋がるんだ。訳の分からぬ感情の整理もつかないまま、女は恐る恐るといった体で話を進める。



「えーと……ま、まず、信じて欲しいとは言わないけど、ひとまず念頭に置いてもらいたいのですが、わ、私は、意図して、未来から来たわけではありません。何故、自分がここにいるのかも分かりませんし、どうやってここに来たのかも、分かりません。えーと、それを踏まえてなんですけど──」



そこで、女は一回言葉を区切った。そして、意を決したように続ける。



「今、西暦、何年ですか?」

「あ?」

「い、言ったでしょう。私は、目的があって、ここにきたわけでは、ない、のです。み、未来のことを話すことが、どれだけ、危険か、ご存知の筈。そ、それに、あなたがたが、今の私からどれだけの情報を、その、知り得ていたのか、私は、知らない」

「……随分余裕なもんだな。俺らはたったの五秒で、お前の首をぺしゃりと潰してやることもできるし、その無防備な首を《真実薬》で漬けてやることもできるんだぜ?」



女の言うリスクは、俺でも理解できる。だが、フラメルはその程度のリスクは屁でもないのか、鼻で笑っていた。その知的探求心から不老不死の肉体を得た男だ、奇跡とも呼べる未知の前に、ただでは引かない様子だ。だが、そこは女も気丈だった。人の好さそうな、虫も殺せなさそうなツラしてるのに、かのニコラス・フラメルに対抗せんと、堂々と返答する。



「分かってるはずです。未来を口にすることの、影響が如何ほどか。それとも、私の口を無理やり割らせてみますか。どんな未来が待ち受けているとしても、未来を変えないというのなら、話は別ですが」

「へえ。例えば、どんな未来が待ってるって言うんだ?」

「──あなた方の大切な人が、生きていけない未来、とか」



それが、どこまで本当か読み取ることはできない。自分の言葉に真実味を持たせるために仰々しく言っているようにも聞こえるからだ。だが、少なくとも女は笑っていなかった。怒り、悲しみ、怯え──たった数時間の間に、あらゆる表情を見せた女が今、まるで仮面のようにのっぺりとしたツラで俺たちを睥睨している。その落差に、薄ら寒気を感じた。俺たちの待ち受ける未来は、そんな世界なのかと、一瞬でも錯覚してしまうほどに。

そして女は「意図してこの時代に来たわけじゃない」と言って、口を閉じた。後は、こっちが質問を答えるかどうかだ。ちらりとダンブルドアを盗み見る。開心術を使った時ほどじゃないが、険しくも気難しい顔だ。対してフラメルはと言えば、やはりどこか楽しげに女の首をプラプラとさせている。流石にこの二人を差し置いて出しゃばるわけにもいかず、二人の回答を待つ。

ややあって、口を開いたのはフラメルの方だった。



「一九七六年、七月一日、ついでに今は十時と少しだ」

「七十六年──うっ」



フラメルは、真実を述べた。女はそれを繰り返すように呟いたその時、また身の毛がよだつような寒気が襲い、女はぎゅっと顔を顰めた。まただ、ダンブルドアが開心術を仕掛けた。やはり、ダンブルドアたちは女のことを、これっぽっちも信用しちゃいないんだ。だが、今回はすぐに攻撃の手を止めたようだった。女はすぐに眉を顰めながら、どこか挑発的に口角を吊り上げて見せたのだ。



「……いいですよ。覗けるものなら、覗いて下さいませ。私とて伊達に、閉心術の訓練を積んでいません」



そんな女の挑発に乗るほどダンブルドアたちも馬鹿じゃないだろうが、その言葉には少なからず驚かされた。閉心術なんて、ホグワーツじゃ決して習わない。訓練を積むのは、それこそソレを生業にする奴らぐらいだ。俺だって、ダンブルドアに開心術を向けられて抵抗できる自信はない。だから、この女が味方であれ敵であれ、普通のどこにでもいる魔女ではないことだけは、揺るがぬ事実となりつつあった。

そうして女は、自分が俺たちの敵じゃないことを証明したいと言い出した。そんな方法があるのかと思ったら、『親しくなければ知らないことを知ってる』なんて言い始めるから、こんな空気じゃなかったら笑い飛ばしてるところだった。いやいや、そんな子どもじみた符牒で、俺たちの信頼を勝ち取るつもりか、この女。女が真面目腐った顔で言えば言うほど笑ってしまいそうになる。だめだ、そんな空気じゃない。流石にそこまで何も察せない俺じゃない。ちゃんと真面目に話を聞いてるように取り繕って──。



「──グリモールド・プレイス最上階、シリウス・ブラックの部屋。永久粘着呪文を使って張り付けたポスターの柄、どう?」

「ぶハッ!?」



たのに、女がそんなことを言い出すんだから、笑いとか驚きとかそういうモン全部吹き出してしまった。女の言う通り、この夏飛び出してきた実家の俺の部屋には、確かに永久粘着呪文を使って色んなものを張り付けていた。あいつらへの嫌がらせの数々。あの陰気臭い家の中で、ああいうポスターが張り付けられているのは、俺の反逆心が肯定されているような気がして、少しだけスカッとした。

だけど、なんでこいつが、そんなこと──!?



「な、なんでお前、俺の家、知っ、ポスター、えっ!?」

「……恨むなら、口の軽い未来の自分を恨みなよ。えーと、グリフィンドールカラーのバナーやタペストリー、マグルのオートバイの写真、あとジェームズ・ポッターやリーマス・ルーピンから送ってもらったマグルの女性の水着──」

「待て待て分かった分かった!!」



ハッタリじゃない、こいつは完全に知ってる[・・・・]

こいつが未来から来たって話は今更疑っちゃいない。あんだけ魔法省の連中が押し寄せてきたのだから、嘘ではないのだと思う。だけど、俺、今、初めて心底ゾッとした──いや、焦った? 驚いた? 自分でも言語化できない感覚に、無意識のうちに胸元をギュッと掴んだ。そこは不自然なほど、鼓動が早い。だってそうだろ、知ってるはずがない。このことを知ってるのは、家の連中か、こいつの言うように、ポスター集めに協力してくれたジェームズたちだけだ。そりゃ、家に出入りしている連中はごまんといる。生涯二度と足を踏み入れぬと誓った家だ、こいつの生きる未来じゃどんな悪党が出入りしてるか分かったもんじゃない。あっち側の人間なら、俺の部屋に足を踏み入れることもそこまで難しくは無いはずだ。

だが、あっち側の人間はポスターの出所までは分からないはずだ。そこまで知ってるということは、俺か、或いはジェームズたちから見聞きした、と言うことに他ならない。つまりそれは──いや、早計過ぎるのか。だけど。



「信じる信じる!! だから黙れよ!!」



女の言葉は、俺の叫びによって何とかかき消すことに成功した。あー、クソ、顔あっつい。部屋の温度が急激に上がったみたいだ。どっと押し寄せる疲れに肩を落としていると、女が勝ち誇った笑みを浮かべているのが見えた。むかつく。そしてその背後で、呆れた視線を寄越すフラメルも見えた。



「粘り弱ェなあ、ブラック」

「う、うるせえよ!」



噛み付くようにフラメルに言い返す。まさか首だけになった女から、そんな言葉が出てくるなんて思わないだろ。

でも、一つ分かったことがある。こいつの最初の反応見て薄々は気付いてたけど、この女は未来の俺たちと随分懇意らしい。どういう関係か知らねえけど、ちょっと顔を見知った程度の奴に話すようなことでもないしな。だったら、この女は俺の──或いは俺たちの、何だったのだろう。



「それから……ニコラス・フラメル」

「お、次は俺か。俺はブラックみたいにチョロくはねえぞ?」



俺はもう陥落したと判断したのか、女はターゲットをフラメルに切り替えた。自分で言うのもなんだが、フラメルの言う通り、この二人は俺なんかとは比べ物にならないぐらいの手強さだろう。特にフラメルなんかは殆ど歴史の表舞台に登場しない。生きながら古の歴史書に名前が載るような魔法使いだというのに、だ。そんな奴の個人情報なんか、本当に知ってるというのか。



「魔法生物好きの奥様には頭が上がらないとか」

「……そんで?」



なるほど、ペレネレ・フラメルか。俺も会ったことはないが、魔法生物好きが高じてありとあらゆる生物を生み出した生体錬金術の創始者、フラメルの妻。フラメルがホムンクルスを研究するきっかけを作った魔女だ。頭が上がらない、というのは俺も初耳だ。けど嘘か真か、フラメルは挑発じみた笑みを浮かべるだけだった。

だが、女もそこまでは許容範囲だったらしい。えーと、と少し躊躇いがちに口を開く。



「ヒッポグリフとヒッポカンバスを掛け合わせて馬を産ませるような大層良いご趣味をお持ちだとか」

「アルバス。こいつは俺たちの味方だ。信じよう」

「どの口が粘り弱いっつった!!」



確かに耳を疑うような発言だったが、あっさり手のひらを返したフラメルに、俺は掴みかかった。こ、こいつ、人のこと散々チョロいだの粘り弱いだの言っておきながら、秒で意見を変えやがった。だが、フラメルはどこ吹く風だ。女も、まさかこの程度で勝負を決するとは思わなかったようで、訝し気な表情だ。



「ほ、ほんとに信じたんです……?」

「俺ァ別に、お前を疑ってるとは一言も言ってねえぜ?」



白々しくもそんなことを言ってのけるフラメルに、俺は閉口した。よく言う、ダンブルドアに開心術までやらせたくせに。相変わらずニタニタと笑みを浮かべながら、この場を楽しんでるようなフラメルに、女もどこまで自分の信頼を勝ち得たのか、計り知れないとばかりのため息をついている。

けど、正直俺自身、こいつがフラメルの──正確にはペレネレのことだが──歴史書にも書かれていないような個人情報を知ってるとは、正直考えてもみなかった。だってそうだろ。俺にとっては違っても、本来フラメルは教師ですらないんだぞ。ホグワーツで教鞭を取っているという事実を、ホグワーツ生の何パーセントが知ってるんだ──流石にジェームズたちは俺の口から喋ったが、それでも授業内容は絶対喋るなって脅されてたし、フラメルの人間性なんか話題にすら上らない──、ともすれば教師でさえ、知らない奴がいるかもしれない。そもそも、ホグワーツ史上最初のフラメルの生徒は俺だぞ。錬金術の授業の開講は過去何度か起こったらしいが、フラメルがホグワーツに来ることになったのは友人であるダンブルドアが校長に就任したからだ。それまでは、それこそ法の目を掻い潜る必要性もないほどに慎ましやかに生活をしてきたような夫婦だ。

じゃあ、何故こいつはフラメルのことを知っているのか。答えは一つ。この女は本当に、錬金術を学んだと言うこと。それはつまり──この時代よりずっと後の世界で、女は、ダンブルドアやフラメルの目に止まる程度には優秀だったということ。

そして何より、未来に生きる爺さんたちの目が耄碌していなければ。

こいつはきっと、俺たちの敵ではないということで。



「──さて、わしにはどのような秘密があるのかね?」



ダンブルドアの、柔らかな声に意識がすっと引き戻された。

そうだ、次はダンブルドアの番だ。俺の想像通り、こいつがダンブルドアや他の教師たちの目に止まるような、俺と同じ存在だったとして。そんな女は、ダンブルドアの秘密の何を知るんだ。それは、純粋な好奇心。野次馬精神ともいうのかもしれないが、かの偉大なる魔法使いとされるダンブルドアを唸らせる、自分自身の秘密。親しくなければ伝えないような情報だ、気にならないはずがないだろ。

女は、俺やフラメルとは違い、随分と長考していた。最初こそ差し出し物がなくて焦っているかと思ったが、そうじゃない。その表情はどこか沈鬱で、その迷いは女の口を少し開かせてては、また閉じるを繰り返させた。その素振りからは、俺やフラメルなんかよりもずっと、女がダンブルドアに懇意なのは容易に察せられる。迷いが出るほど、女はダンブルドアの何もかもを知ってるってことだろ。益々、女の正体が分からなくなる。未来の人間なんだろ。もしかしたら、俺よりずっとずっと若い世代の魔女かもしれないってことだ。そんな奴が、百年以上生きるダンブルドアと旧知の仲ってことが、ありえるのだろうか。だとしたらこいつ、本当に何者なんだ。

数分沈黙を守った女は、ようやく重々しく口を開いた。



「みぞの鏡に映るもの──きっとあなたは、厚手の靴下一枚と答えるでしょうけど」

「……?」



女の言ったことは、俺には全く理解できなかった。みぞの鏡とやらにも聞き覚えはないし、それに厚手の靴下が映るのも意味が分からない。だが、理解できないのは俺だけだと、フラメルやダンブルドアの顔を見てすぐに察した。フラメルはそのグリーンの瞳を大きく見開いていたし、ダンブルドアに至っては不自然なほどに身じろぎ一つしなかった。女が敢えて分かるように告げなかったことは理解できたが、それだけで何が伝わったのか分からないことには少しの苛立ちを覚えた。まるで自分だけがのけ者にされているかのような空気感が、たまらなく不愉快だった。なんでこう、こいつの行動はいちいち鼻につくのか。



「信じてください。私は敵じゃない。私を、未来に帰してください」



そして俺だけを除け者にする奴が、懇願するようにそんなことを宣う。いい気はしない。ちっともだ。だが、それと『この女が敵じゃない』事実は別だ。それは、それだけは、疑いようもない真実として、俺は不思議なほどすんなりと受け止めていた。だけど、気に食わない。気に食わないのに、女は俺の知らない未来の世界で、俺やフラメル、ダンブルドアと懇意らしい。それが信じられないし、何なら腹立たしくさえある。女に対しても、未来の自分に対しても、だ。未来の俺は、なんでこんな奴と親しくしているのだろう。肝心なことは何一つ話さないような女を、どうして。

そんな俺の想いが伝わったかのように、フラメルが動いた。



「そうさなァ、結論から申し上げると──だから[・・・]?」

「──ッ!!」

「てめぇの言葉には何の信憑性もない。確かに、俺たちの何らかの秘密を握ってるのかもしれねえが、それがイコール俺たちの味方だと、どうして証明できる? それこそ、開心術なり《真実薬》なり行使すりゃ、情報なんかいくらだって抜き取れるだろ。未来を変える気はない? ヘッ、口だけなら何とでも言えるんだぜ、お嬢ちゃん」



挑発するようにせせら笑うフラメルは、正論という暴力を女にぶつけていた。おかげで少し、女や未来の自分に対する理不尽な怒りがすっと収まった。そうだ、この女の言葉には何の信憑性もない。何でそのまま信じてしまったんだろう。情報なんかいくらでも抜き取れる──フラメルの言う通りだ。馬鹿正直に信じ込んだ自分が情けないと思う反面、それは違う、と声をあげる自分がいた。どうしてそう判断できるのか、言語化できないけれど。何故か。

しかしそれは、フラメルも同じなのだと気付いた。口では突き放すように言ってはいるものの、フラメルはからかうように言葉を紡いでいる。つまり、本心から女を敵視しているわけじゃない。こいつが何かと敵対する時は、それこそ殺すかどうかをするだけだ。俺の部屋に、いた時のように。だが今は違う。可能性を羅列して、苦渋に滲む相手の顔を見て楽しむだけの“余裕”があるんだ。

案の定と言うべきか。フラメルは、それじゃ面白くねェ、とにんまりと笑った。



「お前を殺すのは容易い。蚊よりも簡単に殺してやれるさ。だが、それじゃあ、つまんねェだろうがよ! 時間旅行者──それも、何十年分と遡ってきた、前人未到の魔法の生き証人。おまけにそんな奴の魂が、俺の指導の元錬成したホムンクルスの中に入ってるって!?

こんな面白そうな実験体、逃す手はねえよなあっ!?」



フラメルのことは一年通して理解してきたつもりだったが、つくづく教師として信じがたい精神だ。未来から来た魔女、ホムンクルス体に定着した魂だけの存在を前に、魔法界全体を揺るがす危機よりも面白さを優先するなんて、正気とは思えない。いや、正気だったら『ホムンクルスに魂を移植させて子どもを作れる身体になろう』、なんて思わないか。俺だけでなく女も、ダンブルドアさえ口を挟めないでいる中で、フラメルは一人ガハハと大笑いするだけ。



「信じてやるよ、女! だから、お前を未来の世界とやらに帰す実験、俺にも参加させろ!」


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