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「ハーマイオニー、いる?」



三階の女子トイレに辿りついた。かすかに、啜り泣く声がしたが、声をかけても返事はなかった。マートルが住みつくだけあって、ここのトイレに人気は無い。最も、そのマートル自身はどこかに散歩中なようだけど。



「せっかくのハロウィーンよ? 楽しみましょうよ」

「あ、あなたには友達が、お、大勢い、いるでしょ! その人たちと、た──楽しんでなさいよ! わ、私なんか……友達の居ない、私なんか、放っておけばいいじゃないっ!」



私の声に、ハーマイオニーは泣きながら叫び返した。しゃくりあげ、悲しげな声のハーマイオニーに、胸が締め付けられる思いだった。やっぱり、今後の為とは言え、人一人を傷つけるのは、心苦しい。それでも必要な傷と割り切れるほど、私は人として壊れていないらしい。

ハーマイオニーの啜り泣きが途絶えるまで、私はひたすら黙した。その間何度もチャイムが鳴ったが、私はハーマイオニーが閉じこもってる小部屋の前に腰を下ろし、トイレのドアに背中を預けた。



「八つ当たりだって、分かってるわ」



どれくらいそうしただろうか。少し落ち着いてから、ハーマイオニーは言った。まだ、涙声だ。



「美人で、人当たりよくって、有名人で、何やっても上手に出来て、そのくせ完璧すぎずに抜けてるとこもあって、いつだって、余裕があって、大人っぽくて、かっこよくって、」

「うん」

「あなたが──あなたがっ、羨ましかった」

「うん」

「あなたみたいに、なりたかった」

「うん」

「でも、私、わた──私、あなたに勝てることなんて、何一つ無くて」

「うん」

「規則を守ることは、正しい事じゃないの? 間違っていることを指摘することは、おかしなことなの? どうして、いつもいつも、私はこうで、あなたはそうなのかしら。私だって、意地悪をしてるわけじゃないのに」

「うん」

「勉強だって、大変だわ──知ったかぶりって言うけど、みんな、だって、頑張りたい、もの。あなたに、唯一、勝てるかも、しれない、こと──だもの」

「うん」

「どうして──上手く、いかないのかしら」



それだけ言って、ハーマイオニーはワアッと泣きだした。今まで詰め込んできた物を、全部吐き出すように。洗い流すように。嗚咽と共に、吐露した。彼女の、心の声を──そうだね、大人ぶっていても、君はまだ十二歳の女の子。友達がいなくて、さぞ寂しかっただろう。君は真面目すぎるから、他の人の価値観の違いに、ただ失望しかしなかっただろう。

私は、何も言わなかった。ただハーマイオニーの泣き声を、聞いていただけだった。トイレの個室に背中をもたれて、その場にしゃがみ込んでいただけだった。



「……どうして、ここに来たの」

「ハーマイオニーと、仲良くなりたいから」



その問いには、間髪入れずに答えた。ハーマイオニーの嗚咽が、止まる。しゃくりあげているのを、無理矢理にでも堪えて、言葉を続けた。



「どう──して」

「理由って必要?」

「だって、私──私なんか、どうして、」

「なんか、なんて卑下しないで。私は私の意志で、あなたという素敵な人と仲良くなりたくて此処でずっと待ってるの。じゃなきゃ、スネイプやマクゴナガル先生の授業サボってまで此処に居ないわ」



確かに、これからの為にハーマイオニーは必要不可欠な存在だ。加えて、私はハーマイオニーのような堅物タイプとはあまり相性が良くない──だろう。それでもただ、今のハーマイオニーの思いを聞いて、自分の中で何かが芽生えるのを感じたのだ。自分の為に、未来の為に、十全な生き方をしたいと思った私の信念とはまた別に、何かが生まれるのを、確かに感じたのだ。

それを、手放したくなかった。



「アシュリー……」



個室の鍵がガチャリと開き、ハーマイオニーが出てきた。髪はいつも以上にボサボサで、目が腫れ、真っ赤になっていた。頬には涙の痕がついていた。それでも、彼女はおずおずと、笑って見せた。



「せっかくのハロウィーンなのに、そんな顔は台無しよ?」

「……どうせ、あなたしかいないもの。それとも、嫌いになる?」

「まさか。女の子は、泣き顔だってキュートだもの」

「あなたって、おかしな人ね」

「そうかしら」



二人で、くすくすと笑いあった。ハーマイオニーは笑っている、とても、安心した顔で。ハンカチを差し出すと、ハーマイオニーは黙って受け取り、涙を拭う。たったそれだけのことなのに、胸をぽっと暖かく照らしているように思えるのが、不思議だった。

そこに、とんでもない悪臭が漂ってきた。排水溝と腐った卵をごっちゃにしたような、そんな臭い。次に、声だ。低い、耳障りな唸り声。そして、巨大な何かを引きずる、音。音も臭いも、どんどん近づいてくる。ハーマイオニーの表情が、びしり固まり、私も、生唾を呑んだ。背筋が、ひやりとした。

そして“それ”が、女子トイレに現れた。



「「──ッ!!」」



見知っていても、恐ろしい光景だ、と思った。巨大な身体は天井まであり、身体に反して頭は小さい。きっと脳みそがつまってないアホウなんだろう、つるっつるに違いない。象のように堅そうな灰色の肌に、ゴツゴツとした足、手が異様に長く、手にした棍棒は完全に地面を引きずっている。トロールは、私とハーマイオニーを見た。きっと、脳の無いなりに何かを考えているのだろう。私は杖を引き抜いて、ハーマイオニーをトイレの個室に押し込んだ。



「ちょっ、」

「頭を抱えてしゃがんで! インペディメンタ!」



杖から光線を飛ばし、トロールの皮膚に炸裂するも、目に見えた効果はなしだ。皮が厚過ぎるのか、呪文が浸透していない。この調子じゃ、失神呪文も効かないだろう。私が力不足なのもあるが。

するとトロールは、攻撃されてやっと敵意を感じたのか、手にした棍棒を、大きく振りかぶった。



「ハーマイオニー、頭をしっかり低くしてて!! プロテゴ・マキシマ!!」



トロールが棍棒を振りまわしたのと同時に、盾呪文を放つ。が、私のバリアは、バリーンッ、とトロールの棍棒によって砕かれた。マジかよ、三頭犬より強いのか……それとも、私が集中して無かったのか。どのみち、今の私程度の呪文では、防ぎようが無いのか。無力すぎる。

トロールは、バリアを砕き、そのままバキバキバキ、と木製のトイレの壁が木っ端みじんにしていく。私はすかさず、横跳びに避ける。普段ブラッジャーを見慣れている、ひいてはボクシングをやってた私にとって、こんなとろくさい攻撃をよけるのは容易だった。が、洗面台が容赦なく粉砕されたのを見て、冷や汗が背中を伝った。冗談じゃない、あんなの喰らったら、ひとたまりもないぞ。ギャーッ、というハーマイオニーの声が聞こえたので、木くずの下で、とりあえず生き伸びていることが分かった。



「や、やーい、ウスノロ!」



そこに、ロンがやってきた。流石相棒、愛してる。

ロンは破壊された洗面台のパイプやら木くずやらを小さな頭に投げつけている。トロールは、痛みは感じないらしいが、ロンの存在に気付いた様で、小さな脳みそで私とロンと、どちらを先に仕留めようか考えているようだった。その隙に、私は唱えれるだけの防壁呪文を唱えた。



「プロテゴ……プロテゴ……プロテゴ……プロテゴ……」



重ねれば、重ねるだけこの呪文は強くなる。二重、三重に防壁呪文を重ねてから、もう数発妨害呪文と失神呪文をぶつけると、トロールはもう一度、私に向き合う。ちょっかい出す方から片付けようと決めたのか、トロールはのっそりとした動きで棍棒を振り下ろした。ガァァアアアアンッ、と耳を塞ぎたくなる音がして、バリアのおかげで棍棒は大きくはじかれた。

大きくよろけ、隙だらけになるトロール。その隙にハーマイオニーがロンに向かって叫ぶ。



「ロン! ビューン、ヒョイよ!!」

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」



弾かれ無防備になった棍棒はトロールの手からすっぽ抜けると、空中に高く上がって、ゆっくり一回転してから、持ち主の脳天を直撃した。ボグッ、という鈍い音と共に、トロールはふらふらしてから、ズズーンッ、と地響きのような音を立てて地に伏せた。倒れた衝撃に、私たちもふらついた。

少しの静寂の後、トイレの壁の木くずの下から、ちょこんとハーマイオニーが顔を覗かせた。



「これ……死んだの……?」

「いや、ノックアウトされただけだと思う」



ほっと一息ついてると、ばたばたばたっ、と足音がして、マクゴナガル先生、スネイプ、クィレルが飛び込んできた。クィレルは引っくり返ったトロールを見て、ひーひー言ってへたり込んだ。スネイプは読めない顔をしていたが、一方でマクゴナガル先生はカンカンだった。うわすごい、般若みたいだ。こんなに怒った先生は初めて見た。



「一体全体、あなた方はどういうつもりなんですか。殺されなかったのは運が良かった……ですが、寮に居るべきあなた方が、どうしてここに?」

「先生、私のせいなんです!」

「ミス・グレンジャー!」

「私がトロールを探しに来たんです。私……一人でやっつけられると思って……で、でも無理で……殺されそうなところを、アシュリーとロンが助けに来てくれたんです……私、もう殺される寸前だったんです……」



ロンと二人で目を合わせた。ハーマイオニーが、あの、ハーマイオニーが、先生に対して真っ赤なウソをついてることが信じられない、とばかりのロンの顔だった。マクゴナガル先生は、ハーマイオニーの弁明を聞くと、大きなため息をついた。



「ミス・グレンジャー。なんと愚かしいことを。たった一人で野生のトロールを捕まえようなどと。グリフィンドールから五点減点です。あなたには失望しました。怪我が無いなら、グリフィンドールの塔にお帰りなさい」



ハーマイオニーは「失望した」という言葉に応えたのか、とぼとぼとトイレから出て行った。マクゴナガル先生は、今度は私たちを見た。



「先ほども言いましたが、あなたたちは運が良かった。でも、野生のトロールと対決できる一年生はそういないでしょう。一人、五点ずつ差し上げましょう。ダンブルドア先生にもご報告しておきます。帰ってよろしい」



この悪臭から逃れるために、私とロンはとっととトイレから飛び出した。そういやスネイプ、脚怪我してたな、私らよりよっぽどえらいことになってたけど、誰も何も言わないのだろうか、なんて思いながらトイレから出て、ロンと二人で話しながら寮に帰った。



「一人五点は少ないよな」

「正確には、五点しか稼いでないけどね。にしても、もうちょっと加点してくれてもよかったんじゃないかしらね。私たち、相当凄いことやったと思うわ」

「トロール相手に無傷だぜ? パーシーだってできないよ」

「全くだわ」



二人で、グリフィンドールの談話室へ戻って行く。談話室では、中断されてたハロウィンパーティの続きをやっていた。生徒たちがやったのだろうか、談話室もハロウィンの飾り付けがされており、テーブルにはパンプキンパイやローストチキンなどでにぎわっている。助かった。日中ずっとトイレに籠ってたから、お腹空いてるんだよねえ。

扉をくぐったすぐ脇に、ハーマイオニーが一人ぽつんと立っていた。私は笑った。ロンは気まずそうに目を逸らした。ハーマイオニーはぽっと顔を赤らめた。私は、二人の肩を叩いて促し、食べ物を取りに行った。パンプキンパイを頬張りながら、三人で「ありがとう」と零した。

きっと、言葉なんかいらなかっただろう。これが、共通の経験を得て、お互いを好きになるって奴なのかな。そうだったらいいな。だって確かに、こんな私の中にも“何か”が芽生えたのだ。

確かに。

確かに──だ。


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