陸 [ 155/156 ]
人魚を水槽から出してしばらく、下半身の魚だったはずの部分は人間の体に擬態し、流石に裸の女を1人残す事は同性として可哀想に思ったのかベルベットは地下にいたかめにんを捕まえて服を仕立てるように頼むと人魚を置いて一行は本来の"目的"を成し遂げた。
色々ハプニングがあったが事は済んだ。ロクロウは後でとっちめるとベルベットは内心思いながら再び地下通路に戻ると、ちょうどかめにんに仕立てを頼んでいた服が出来上がったらしく、白い水着をベースにしたような服を身にまとった人魚は何処か遠くを見つめてぼーーー、としていた。
それを見たライフィセットはおずおずと人魚へ声をかける。
「えっと……君の名前は?」
「……………?」
「わから…ないの?」
首を傾げる事しかしない人魚に少し前の「僕」みたいだ、とライフィセットが呟く。すると後ろで様子を見ていたロクロウが何も喋らない人魚代わりにさらりと質問に答えた。
「こいつはエリアスだ。俺は勝手にリアって呼んでるけどな」
「知り合いか?」
「応!ここで再会出来るなんて奇妙な縁もあるもんだな」
そしてロクロウはさらりと「こいつがさっき言った許嫁だ」と告げてニコニコと効果音が着きそうな程笑顔でエリアスという人魚の肩を抱き寄せた。
「え!!?ロクロウの許嫁って人魚だったの!!?」
「言ってなかったか?海であった所で約束したんだがこいつはいろんな海へ行ったり来たりしててなあ、会える確証がなかったがこんな所で会えるなんてな」
「…それはお主が勝手に約束を押し付けた、とも言うのでは無いのか?」
「いや、同意だよな?リア?」
「………いい、なずけ……、?」
「なんだ忘れたっていうのか?」
「ねぇロクロウ、これは忘れたと言うより……」
「忘れさせられた」んじゃ……ライフィセットが悲しげに目を伏せた。先程、エリアスは自分の名前すら答えられなかった。アイゼンも何も言わないがエリアスのその状態を見るに間違いないのだろう。かつてライフィセットが"そう"だったように彼女もまた感情と記憶が抑制されてしまっているのではないだろうか?
ライフィセットが言いたい事を察したのか、ロクロウは呆気からんと「なるほどな」とだけ呟いた。
「だがリアがリアである事は変わらんだろ」
「…昔みたいに話せないのに?」
「関係ないさ。リアってことが大事だ………ただまあ聖寮のやつに腹が立たん訳では無いがな。それに戻らない可能性が無いわけではないんだろ?ライフィセット、お前のようにな」
「う、うん……」
人魚、のことはよく分からないが聖隷のように元々は感情のあったのだろう。ロクロウが「昔はあんなにうるさかったのにな」と少し寂しげにエリアスの頬を撫でるので戻るといいな、とライフィセットは改めてエリアスへ自分の名を名乗った。
「僕はライフィセット、よろしくね」
「…よ、ろしく……」
「……ちょっとあんたもしかしてソレ、連れていく気なの?」
「?、当然だ。それとも何だ?赤子同然になってしまった俺の許嫁をここに置いていけって言うのか?」
「そこまでは言わないけど…足でまといはごめんよってことよ」
かめにんにでも預けとけばと、冷たく言い放つベルベットに「オイラを巻き込まないでくださいっす…」と、おずおずと逃げようとするかめにんを尻目に当の本人はふあ、と欠伸をした。
「一先ずここからの脱出が先だろう。そいつの事はうちの船員にでも預けておけばいい」
「おっアイゼンは賛成してくれるみたいだぞ?」
「利点があるとは思えないけど?」
「人魚は船乗りには通称海の女神とも言われてる。死神が乗っているんだ。女神を乗せたら均一になるかもしれないしな」
「お主の悪運が覆せるものなのかのぅ…」
一先ず、連れていく、という事で話がまとまりライフィセットはほ、っとみんなにバレないようにため息を吐いた。せっかく助けたのだ。出来れば、仲良くしていきたい。ロクロウに引かれて走るエリアスの背中を見て笑みを浮かべた。
パサパサ
脱出の為に地下通路をかけていく。走る、いや歩くことにも慣れていないのかあどけない脚で着いてくるエリアスの腕を引いていたロクロウは動く度に揺れるエリアスの長く伸びた髪の毛をじっと見つめた。
「髪……元の長さに戻ってるな」
「ん…?そうなの……?」
「ああ。昔バッサリと切られたんだよ……そう言えば"俺の"は無くしてしまったんだよなぁ」
「?」
「うん、そうだな。よし、リア、少しじっとしてろよ?」
出口である梯子が見えてきた。先にアイゼンが上がっていく。続いてマギルゥ。ベルベット、ライフィセットと上がっていってエリアスを支えるようにロクロウも地上に出た瞬間、ロクロウは小太刀を構えてエリアスへ振りかざした。
「ロクロウ!!?」
明け方前、辺りには誰もいない広場にライフィセットのその、悲鳴だけが静かに木霊した。
「かみ、」
ぱらぱらと落ちていく青緑色の髪の毛にライフィセットがこれ以上大きな声を出さないように口を抑える。アイゼンやベルベットもロクロウの奇行に目を見開いている。マギルゥは何も声をあげなかったが静かにロクロウ睨みつけていた。
そんな皆の視線を感じ取ったのかロクロウはなんでもないように笑った。
「安心しろ。髪の毛だけだ」
「ん………」
「だからってあんた……」
監獄から脱走して今まで。短い付き合いだが共にいたベルベットは未だにその行動を読むことが出来ない夜叉の業魔に少し動揺の乗った声色で話しかける。
「昔約束したからな。髪が前と同じ迄伸びた時、俺が奴を倒していたら嫁にしてやるって」
「ヨメ………?」
「応!約束、だ。ランゲツの人間は恩を忘れない、約束を違えない。だが俺はアイツに負けてしまったままだ。ならこうするしかないだろ?」
あと俺がコレが欲しかったんだ。地面に落ちた青緑の髪の毛の束を愛おしいそうに拾い上げてそれを懐にしまうと、ロクロウは肩当に着いた飾り紐を取り、変わりにこれを、とエリアスの首に巻き付けていく。
「指輪、はまだ用意出来ないからなぁ。これで待っててくれ」
ロクロウの奇行にも何も言わずにエリアスはただ頷く。首に着けられた真っ赤な紐が揺らしながら「わかった」と呟いただけだった。
「……まるで呪いだな」
「?」
着けられた紐を撫でる人魚にアイゼンはそれ以上の口を噤んだ。