壱 [ 150/156 ]
タチの悪い悪戯だ。いや、こうして死にかけているということは悪戯所か殺意すら感じてくる。
そう、思いながらオレは無駄に晴れて雲ひとつない青空を見上げた。ジリジリと皮膚を焼く日差しが尚更体力を奪っていって本格的に「ヤバい」と感じる。だがどうしようもない。なぜならここから逃げられたらとっくにやっているからだ。
「あっつ……」
視界を覆うように腕で空を煽ぐ。だがそれは何も意味もない。ゆらゆらゆら、揺れているのは俺の視界か単なる波のせいか……そんなことまで曖昧になっていく。
そう、ここは海の上。周りには青、青、青!!空も嫌味なぐらい綺麗な青で自分と自分が"乗せられた船"以外は青しか存在しない世界に来てしまったくらい周りには何も無かった。
「腹……減った……」
ここ2日間何も食ってないせいで体力がもうない。だがこの船には釣竿などというものが備えられてある訳もなく、俺のその言葉を発すること事態が無駄だった。この船は漁船などの大型の物ではなく、人が一人、二人のせられたら充分な大きなの小舟だ。
漕ぐものもなければ、あったとしてもその体力がもうない。俺はこんなところで死ぬのか?アイツらの思い通りに?冗談じゃねぇ。
「意地でも……帰って仕返ししてやる……」
ぐーーーー、広大な海に鳴り響く音を無視して体を起こす。そうだ、俺は帰らなければならない。シグレの名を次ぐのは俺なんだ。アイツらの好きにさせてたまるか………
せめて近くに島でも見えれば、と辺りを見渡す。すると「生きてた!」と自分以外いない船のはずなのに後ろから声が聞こえてきた。やばいな幻聴まで………と思いながら声のした方へ振り返るとそこには
「子供……?」
褐色の肌を惜しみなくさらけ出してる裸の女が海の中から船を覗き込んでいた。女の姿にも波の中から姿を出しているという状態にも悲鳴を上げそうになるが一先ずその腕を掴んだ。女が溺れている、と思ったからだ。
「なななななんだお前!!どうやってこんな所に…!」
「いやそっちこそなんでこんな所に?えっ遭難?」
「なっ……そそんなわけないだろ!ていうかそれはこっちのセリフだ!」
いいから掴まれ!!そう言っても女は掴んでいる俺の手を振り払うように身をよじる。この船は本当に小さい、そんな中暴れたら……そりゃ転覆するわけで
「おわっ!!」
「えっちょっと!!?」
やばい。俺はそこまで泳げない。ましてやこんなに深そうな所なんて以ての外だ。船を、船を戻さないと!!潮が染みてろくに見えない視界の中でバタバタと手足をもがきながら動かすがだんだん呼吸が苦しくなってきた……時だった。
「落ち着いて、大丈夫だから」
「!!」
海の中、なのにその声は澄んで聞こえてきた。
その声とともにそっと抱えられる様に体が浮上していく。その最中ごぼっ、思わず口に残っていた残りの空気を吐き出してしまった。
そして、その苦しさの中視界いっぱいに広がったのは海とは違った、「青」
俺はその正体に気づいた瞬間、小船の上に戻された。
まともに呼吸が出来るようになり、入り込んだ海水に噎せる。形振りも構わず口から鼻から色んな水が出る中後から再び「大丈夫?」と声をかけられた。
数分もすればまともに呼吸ができるようになったので、顔を上げるとやはりそこには上半身だけを波の上から出してこちらを心配そうに見る女がいた。
ここらの海は透明度は高く、穏やかな流れもあってその女の下半身が魚の形をしている事が見えた。
つまり、この女は
「ゲホッ…!ッゲッホ………っ人魚………?」
「ここで出会ったって事は内緒ね」
しーーー、と人差し指を口に寄せて微笑むその姿は普通の人間にしか見えない。人魚、という存在は御伽噺のものだと思っていた為何度も瞬きをしてそこに居るのは人魚である事を確認する。今度は船が傾かないようにそっと近づいて見ても死にかけた俺の見せた幻覚でもない事がわかった。
「初めて見た……」
「そりゃ簡単に姿を見せる種族じゃないからね。それで少年よ、改めて何してるの」
「ぐっ……好きで遭難してるわけじゃない!」
誰が好き好んで死にかけるか。今の状況を招いた「奴ら」に改めて殺意がわく。そうだ、人魚に会った所で今の状況は変わらない。波の音以外何も聞こえない静かな空間に俺の腹の音が響くと人魚は俺を何度も見て「しょうがないなー」と言いながらパシャパシャと船を押し始めた。
「……助けてくれ、なんて言ってない」
「そんなにお腹鳴らして海をさ迷っていた人間が言う言葉じゃないよそれ」
「む………、」
「ほら、何処からきたの?なんで1人?」
子供を諭すように聞いてくる人魚に若干苛立ちを感じたがこいつの言うことは事実だ。それに、ずっと一人だった状況で久方ぶりに人と話せた事もあって、若干不服だがここは人魚の問に答えることにした。
「……島流しだよ。……悪質な虐めの延長戦ってわけだ。まあまさかあいつらも島流しもどきでここまで遠出に出るとは思ってなかったんだろ」
「シマナガシって?」
「知らないのか?仕方が無いから教えてやる」
「いや別にいいけど」
「つまんねー女だな!」
島にいた女達より可愛げがない。……いや、あいつらは俺たちの家に媚を売ってるだけか。…話がそれた。人魚はどうやら助けてくれる気がある様で俺の話を聞きながらも船を後から押していく。
……たしかに今は助かる方法はこの人魚に頼る他なかったので小さく、「……助かる」と呟いた。
「別にいいよ。初めて話した人間が死ぬのは見たくないし」
「初めてって……ああ滅多に姿を見せないとか言ってたな」
ぱちゃん、静かに水が跳ねる音だけがやけに耳に残る。「多分あっちにしまがあったはず」…と若干頼りない人魚の言葉に今は縋るしかない。
「変わった服着てるし、向こう側にある島の人?」
「これか?着物って言うんだ。たしかにここらでは俺たちの島でしか着てないって聞いたことあるな……見たことあったのか?」
「うん、たまーーにね。漁業?に出る人達が海の中から見えたことがあって」
ならばこの人魚の「あっちかもしれない」は若干信じてもいいだろう。
そのまま当たり障りのない会話をしているとようやく陸地が見えてきた。間違いない。俺の故郷の島だ。
他の島達とは違い、異文化を築いている……ってたしか母さんも言っていた為遠目からでも見間違えるはずもない。
人魚に船を押されて、30分ほどだった気だろうか?案外遠くなかったんだな、と少し拍子抜けするがどの道人魚がいなければ俺一人でどうにでもなる距離ではなかった。改めて礼を言うとはにかんで気にしないでと人魚は笑う。
「ここまで来たらもう大丈夫だよね?」
「…ああ。……その色々ありがとな」
「なんだ、普通にお礼言えるじゃん」
「うるせー!」
「今度は気をつけるんだよ」
「島流しは気をつけるもんでもないからな……」
青緑色の髪を揺らしながら人魚は、そろそろ人に見られてしまう。と俺でも足がつくような岸まで船を動かしてそのまま海へ帰ろうとするのを俺は慌ててその手を再び掴んだ。その拍子に、船からも落ちる。
待てよ!、そう呼び止めたつもりだが足がギリギリつく、ってだけの海に為す術もなくまた溺れそうになるが意地でも掴んだその手は離さなかった。バシャバシャと波をかき分けて人魚の顔から目をそらさない。
「ちょっと、また溺れるよ」
「うぷっ……いいか!ランゲツ家の人間は恩を借りたままにしねぇ……!!」
「現在進行形で助けてるけど……」
「うっ……いずれ俺もでかくなってこの程度ならすぐに足が着く!!」
「そうなの?人間って成長はやいもんね」
「っ茶化すな!!おれは、いずれ、シグレの名を冠する男だ!!お前に特大の恩を返してやる!!だから…また会えるか?!」
人魚が俺の体を支えるように、その尾鰭を動かす。そして一泊、間を開けたかと思うと「またここに来いってこと?」と求めていた答えと少し違うが人魚にそう言われて慌てて「そうだ!!」と返事を返してしまった。
「うーん……、いいよこのあたりの海、まだちゃんと"探してない"からね一、二年なら…」
「一、二年でシグレになれってか!!?」
「いや、そのシグレっていうのがよく分かんないんだけど……」
「ま、まあいい!ひとまずここにはしばらくいるんだな!?」
支えられたまま人魚の腕を掴む。貸しを与えてもらったまま逃げられるなんて例えそれが人でなくても俺の信条に反する。すると俺の熱意に押されたのか人魚はあっさりと「いいよ」と微笑んだ。
「その代わり名前、ちゃんと呼んでね。私は人魚って名前じゃなくてエリアスって言うの」
「エリアス……異大陸の名前は言いづらいな…そうだ!ならリアだな」
「あっそれあだ名ってやつ?人間が親しい人につけるあれ!!」
「親し……そうだな!!特別だ!!
いいかリア!俺の恩返しが終わるまで勝手にいなくなるなよ!!」
「はいはい、じゃあそんな恩返しをしてくれる君の名前は?」
ポタリ、水滴がエリアスと名乗った人魚から滴り落ちる。不服にもそれを綺麗だと思って見とれていたがそれを隠すように俺も名乗った。
「ロクロウ、ロクロウ・ランゲツだ」
「そっかよろしくね、ロクロウ」
それが後に夜叉と呼ばれる業魔となる男と人魚の出会いだった