黒バス | ナノ




同窓会黄黒

中学時代の同窓会が開催されたのは、十二月に入って直後のことだった。
 仕事が多忙を極め一カ月の三分の一は国外にいるのだが、たまたまタイミング良く開催日がオフに当たり、連絡先すらも分からない元同級生やしばらく顔を見ていない面子と一堂に会す良い機会だと思い二つ返事で出席を申し出た。
 開始時刻の五分前に開催場所である地元駅近くの大手チェーン店の居酒屋に入ると、懐かしい面々に迎え入れられる。十年以上経っているのと言うのに会って話せばすぐにあの頃と同じ関係性に戻れるのだから、学生時代の友人と言うのは本当に貴重である。変わらない部活の同級生や変わってしまった昔の彼女を目の前に、懐かしさとほの明るさで心が満たされた。

「黄瀬君、お久しぶりです」

 その声を最後に聞いたのは十年以上前のことだったのにだがしかしオレは、背後から掛けられたその声が誰のものか振り向く前に気が付いてしまった。
 透明感のある声は、あの頃よりも少しだけ掠れていたが、それでも鼓膜に優しく馴染んで心地よく揺れる音階は変わらない。ゆっくりと頭を動かして声のした方を向くと、声質と同様に透けるような透明感を伴って、記憶の中よりもだいぶ大人びた彼がそこに立っていた。

「黒子っち、久しぶりっス」

 やんわりと目元を緩めてそう言えば、同じく彼も少しだけ口元を動かして笑う。それは、感情が表に出にくく何を考えているのか読みにくい彼がたまに見せてくれた笑顔と同じものだった。



 黒子テツヤとは、中学時代所属していたバスケ部で知り合った。二年生から中途入部したオレの教育係としてオレの面倒を見てくれていた彼のことを、正直最初はどうしても好きになることが出来なかった。
 身長、体格は平均並み、目の前にいても気付かれないほどの存在感の薄さ、加えてバスケを初めて間もないオレよりも圧倒的に劣る技術、身体能力。それなのに彼は強豪であったバスケ部の中でも一軍のレギュラーで、しかも尊敬する選手に一目置かれる存在であったのだ。それがどうしても理解出来なくて、露骨に彼を見下す態度を取っていた。
 取っていたのだが、そんな態度は早々に改めさせられることになる。たった一度の練習試合で彼の実力を目の当たりにして、オレは彼の犬になった。この言い方だとかなり誤解を与えそうだが、あの頃のオレはまさに彼のワンコだったのだ。それまでの態度から一変しててのひらを返した様に彼に懐いたオレに周囲の人間は苦笑していたが、そんなことは関係ない。当時のオレは客観的に見てかなり「嫌な奴」であったから、周りにどう思われようと自我を貫くことを優先させた。結果、今まで接したことのないタイプである彼に絡むことが楽しくて仕方なくて、彼の後を追いかけ回すようになったのだった。



「パイロットになったんですって?」

 甘ったるい、アルコール分が本当に入っているのかすら疑わしいジュースの様な酒をちびりちびりと啜っていた彼が、ほんのりと頬を染めながら聞いてきた。そうっスよ、と返すと彼はどこか遠くを見つめるような目をして、オレのことを見ないまま凄いですね、と呟いた。
 それはオレに向けられた言葉なんだろうけど、嫌に他人事のように聞こえた。

「って言ってもまだ副操縦士っスけどね」
「でも、ボクらの年で副操縦士って凄いんじゃないですか。最初は訓練生からですよね、確か」
「うん、そう。良く知ってるっスね」
「最近、航空会社を舞台にした小説を読んだばかりなのです」
「相変わらず読書家なんだ。黒子っちは? 今なにしてるの?」

 彼と最後に会ったのは中学の卒業式だった。それ以来、携帯番号くらいは知っていたのだけれどなんとなく連絡をとっていなかった。機種変更をする度にそのまま移行するアドレス帳には、当時の彼のアドレスが入ったままになっている。オレは当時から一度もアドレスを変えておらず、アドレス変更のメールを送ったこともないから、彼のそのアドレスが今も使えるものかどうかは分からない。
 黒子っちとオレの共通の友人はバスケ部の面々くらいだ。彼とは似ている部分が極端に少なかった。趣味も見ているテレビも聴く音楽も休みの日にすることも、バスケ以外に共通点はない。そんな彼のことだから、面白くて全てが新鮮で、彼に構ってもらえるのが嬉しくてオレは黒子っちの後ろを付いて回っていたのだ。

「保育士をしています」
「へぇ、黒子っち優しいから似合ってるっス」
「ありがとうございます」

 共通の友人が少ないから、彼のことは噂に聞くことも少なかった。高校辺りまではなんとなく小耳にはさむこともあったのだが、大学に進学して以降はとんと彼の噂を聞かなくなった。隣に座る彼は、無表情で無機質だった中学生の時の彼に比べると少し穏やかな表情を浮かべている。十二年だ。お互いに知らない時間を重ねて大人になった。今は、互いに残っている僅かな知っている部分を探りながら、知らない部分を埋め合う作業を進めることで埋まらない十二年を埋めようとすることしか出来ない。
 中学時代から変わらない白い頬に浮かんだ柔らかな笑みを見つめながらビールを飲み干した。黒子っちは酒に弱いようで、二杯目のカクテルが来てからそれを舌を潤わす程度のしか飲んでいない。

「パイロットなら、忙しいのではないですか?」
「うん、月の三分の一は家にいないっス。だからどうしても家が荒れがちで」
「彼女に掃除して貰えばいいじゃないですか」
「そんなのいないっスよ。彼女にしてくれって女の子はいっぱいいるっスけど」
「相変わらずさらっと嫌味言いますね……。作ればいいじゃないですか」
「今作っても寂しい思いさせるだけだし、しばらくは一人で良いかなって思ってるっス」

 部活の時間が何よりの楽しみで、遊ぶと言ったら公園のストバスコートでバスケをするか、コンビニで買い食いや誰かの家に集まってゲームをするくらい。そんな時代の友人たちとこうして酒を飲むのはなんだか不思議な気分だ。
 それでも利害の一切絡まない中学時代のこの友人とは、あの頃何の気兼ねもなく自分の全てをさらけ出して可能な限りの時間を共に過ごした。同窓会が始まってから一時間と少しだが、この短時間ですっかりオレは彼への感情やら記憶やらを思い出し始めていた。



 当時、オレが彼に抱いていた好意は、友人に対するものの範疇を少しばかり越えていた、と思う。
 傍に居ればかわいいと思ったし、触れたいと手を伸ばすこともあった。成長期の真っ只中にあって、少年と青年の狭間にいた彼は筋肉の付きにくい身体と比較的華奢な骨格、それに異常に薄い存在感は彼に男性らしさを感じさせず、かといって女性のような丸みもない、不思議な存在感を放っていた。今思うと、それがオレに行きすぎた友情を異性への感情と勘違いさせてしまったのではないだろうか。
 彼も彼で、二人きりでいる時に肩を抱いても頭を撫でても特に嫌がることも抵抗することもしなかった。だからオレは調子にのって、そのスキンシップのレベルを上げていったのだ。

「きせくん、」

 白くまろい頬を手の甲で撫でて、そのまま耳朶を柔らかく揉んでやれば小さく息を飲む音が聞こえた。かわいいなぁと思いながら、首筋を撫でてやればびくりと細い肩が震える。女の子に比べれば肩幅があるが、ガタイの良い部員が多いバスケ部の中にいると、彼が男子であることを忘れてしまいそうになる。
 膝の上に黒子っちを乗せて、彼が小刻みに震えるのをじっと見つめた。瞬きするのも惜しい。このままこの薄い唇に吸いつけばどんな味がするんだろうか。他の女の子達みたいに、甘ったるいはちみつみたいな味がするのかな、でも黒子っちは他の女の子たちとは違う。きっともっと清潔で甘くて爽やかな味がするに違いない。そう考えれば心臓がばくばくと大きな音を立てて波打つ。
 きつく瞼を閉じることで快楽を逃していた彼の目が、ゆっくりと開かれた。薄らと張った涙の膜は、分かりやすいほどに彼の情欲が高まっていることを伝えてくれる。ごくり、と唾を呑んだのはオレだったのか、それとも彼だったのか。

「くろこっち」

 膝の上に乗せた彼の尻は柔らかさとは程遠く、ごつごつとした感触で若干の痛みすら感じる。それでも彼を手放せずに、腰に右手を回して後頭部を左手で撫でてやった。そうすれば、彼はしばし視線を彷徨わせた後、真っ直ぐにオレを見てくれる。
 名前を呼んだのを合図に、彼は再度ゆっくりと瞼を閉じる。左手に力を込めて、ゆっくりと彼との距離を縮め、唇の端がそっと触れた。



「ぶはっ」

 記憶の奥底で眠っていた忘れたい過去を思い出して盛大に噴きだしたオレに、さすがの黒子っちも驚いたようだった。おしぼりを差し出しながら噎せるオレの背中をさすってくれる手の温度は、十二年前と何ら変わらない。差し出されたおしぼりを受け取り、口に当てて何回かせき込んだ。

「どうしたんですか、いきなり」

 ようやく落ち着き、もらった水を飲んでそれでも目尻に涙をにじませるオレに、黒子っちが心配そうに顔を覗き込んでくる。その表情が思い出の中の彼を彷彿とさせ、危うくオレはまた噎せそうになった。
 視線を彷徨わせながら、何と彼の質問に答えようかと悩んでいるオレを彼のビー玉みたいに澄んだ真ん丸の目が映している。

「……なんか変なことでも考えていたんでしょう」
「え、変なことなんてそんな……、ていうか、黒子っちなんで分かったんスか」
「やっぱり変なこと考えていたんじゃないですか」
「あ」

 しまった、と思った時にはもう遅い。追及するような視線に目を合わせることが出来ず、明後日の方向を見ながらずいと近寄ってくる彼の身体を抑えるように手を突きだした。あー、とかうー、とか意味を為さない音ばかりを零すオレに、彼の視線が冷たく突き刺さる。
 黒子っちは頑固だ。薄い存在感とは裏腹に、一度決めたら梃子でも動かない屈強な精神力をお持ちである。それはどうやら十二年経った今も変わっていない様で、糾弾する強い双眸はオレを逃してくれる気はさらさらない様子だ。
 観念しながら深くため息を吐く。

「中学の時さ、オレと黒子っちってその……、ちょっと変な感じになってたじゃないっスか」
「変な感じ?」

 人間観察が趣味で他人の機微に敏い彼ならこれだけ言えば理解してくれると思ったのだが、想像以上に彼も酔っているのかもしれない。それならば酒の勢いだ、すっぱりと言って楽になってしまおうと意を決して口を開いた。

「や、だからさ。……ちゅーとかしてたじゃないっスか。それ思い出しちゃって」

 あの当時、黒子っちが特別で誰よりも大切で尊敬していた。行き過ぎた友情は恋愛感情と履き違えられて、同性の友人としては正しくない接触の仕方をしてしまった。あの当時は熱に浮かされているような状態だからそれすらもよく分かっていなかったが、今思い返せばあれは若気の至り以外の何物でもない。
 いや、あの時あの程度で済んで良かったと考えるべきだろうか。下手してそれ以上先に進んでしまっていたならば、きっとオレ達の人生は大きく変わってしまっていた。

「ああ、ありましたね」
「あのこと思い出しちゃって……。いやーあれが俗に言う黒歴史って奴っスかね」

 黒子っちがつらっとした顔で受け流してくれたことに安心して苦笑いをしてみせると、彼はカクテルをぐいっと飲み干してグラスをテーブルに置いた。

「あ、おかわり頼む?」
「いえ、結構です」

 気のせいだろうか、黒子っちの纏う空気の種類が変わったように思えた。ちりっと肌を刺すような緊張感を覚えて、彼の機嫌を窺うために横顔を盗み見る。一瞬険しい顔をしていたように見えた彼だが、すぐに表情を元のそれに戻してこちらを見て柔らかく笑ってくれた。

「まぁ、思春期でしたし。そう珍しいことでもないんじゃないですか」
「そうっスかね? でも男同士なんて普通じゃないっスよ」
「普通ではないかもしれませんけど、そう悪くもないかもしれないですよ」
「え、」

 膝の上に置いていた手に、温かい感触が重なる。それにびくりと身体を跳ねさせると、隣の黒子っちは見たこともない艶やかな笑みを浮かべた。

「試してみます?」

 細められた空色の双眸には、オレの知らない色が隠れていた。乱暴に暴きたくなるそれに気が付き、背筋が粟立つ。重ねられた手の甲を指先で撫でられて背中が跳ねた。

「……冗談ですよ」
「や、やだなぁ黒子っち! びっくりしたじゃないっスか」

 やけに煩い心臓を誤魔化す為に、半分以上残っていたビールを一気に飲み干した。それでもばくばく騒がしい鼓動は収まらずに、すすめられるままにもう一杯のビールも飲み干したのだった。



「黒子っち、ごめん」

 部活終わり、他のメンバーとはわざと時間をずらして黒子っちと二人きりで並んで歩く。彼は基本的にそんなに喋らないから、いつもオレが一人で喋って彼に触れて、それで二人の空間は成立していた。
 だけど、今日は少しばかり勝手が違う。理由は分かりきっているのだが、それを口に出す勇気がなくて黙々と足を動かしていた。だけど、これではいけない。悪いのはきっとオレなのだ。
 彼との関係を取り戻す為に、ここはオレが男にならなくてはいけない。いや、男になるってそう言う意味じゃなくて、男気を出すって言った方が近いのだけど。

「何がですか?」
「昨日、キスしたこと」

 緊張で声が裏返りそうになる。昨日、オレの部屋に遊びに来た黒子っちの匂いに堪え切れず、名前を呼んで触って、キスまでしてしまった。口の端と端が触れただけのキスって言えるかも怪しいものだったけど、それでもオレ達の友情を壊すには充分すぎるものだった。
 オレは黒子っちが大好きだ。黒子っちみたいな人、他には知らないし、黒子っちじゃなくちゃだめなのだ。彼にだけは嫌われたくない。

「君は、あれが悪いことだと思っているのですか」
「……普通のことだとは思ってないっス」
「そうですか」

 それから黒子っちは口を開かなかった。オレは嫌われてしまったのではないかと気が気ではなくて、今にも泣きだしそうなのを必死で堪えていた。
 だけど別れ際、黒子っちはその沈黙とオレの杞憂を破ってくれたのだ。

「黄瀬君、また明日」

 嬉しかった。また明日、オレは黒子っちと一緒にいられるのだ。満面喜色でその言葉に頷き、大きく手を振りながら彼と別れた。



「あの、黒子っち……、えーっと」
「はい」
「ごめんなさい」
「君はこれを悪いことだと思っているのですか。ならばどうしてこんなことをしたのですか」

 酷いデジャヴだ。隣で白い肩甲骨を露わにしてうつ伏せに寝て横目でオレを見つめてくる黒子っちの目をまともに見ることが出来ない。白い背中には赤黒い小さな痣が花びらのように散らばっている。考えたくないが、つけたのは恐らく、いや間違いなくオレである。

「悪いことだとは思ってないけど、でもこんなの普通じゃないっスもん」
「普通じゃないけど、悪いことではありません。だから君が謝る必要もありません」

 まるで禅問答のようなやり取りをしながら、彼との今後の関係性に思いを馳せる。会えない時間が長かったものの、彼とは今後も良い友達でいたい。頻繁に連絡を取り合うことはなくとも、中学時代を共に過ごした過去の親友として、綺麗なままで終わりたかった。大好きな彼のことを、中学時代の思い出のままで終わらせたかったのに、そこに大人の情事を持ちこんでしまったのは紛れもないオレ自身だ。
 十二年ぶりの再開に心と話題を弾ませ、酒も進み、二次会後オレの部屋で二人で飲み直したのが間違いだったのだ。酩酊して前後不覚になった後、アルコールの所為か、それとも隣にいた彼の所為か、感情が中学生のあの頃に戻ってしまったのだ。
 彼が酒を飲む度に動く白い喉仏の動きに欲情して、気が付けば彼の濡れた唇を塞いでいた。黒子っちが抵抗しないことを良いことに、そのまま彼を膝の上に乗せて、その後はもう思い出したくない。思い出したくないのに蘇るのは、快楽にのけぞった彼の白い喉元と、切なげにオレを呼ぶ声ばかりである。心臓に悪い、色んな意味で。

「だって、男同士でこんな……」
「普通ではありませんが、君が思っているほど異常なことでもありませんよ」

 多分、と付け加えて彼はベッドから抜け出した。白い肢体が明るい室内で晒されているのが非常に扇情的で、この出来事をさっさと水に流して忘れてしまいたいと思っている筈のオレの喉がごくりと鳴った。

「とりあえず今日は帰ります」

 床に散らかっていた服を集めて身につけ始めた彼の言葉に、心底安心してほっと息を吐く。そんな自分が最低な奴に思えて、安堵したのも束の間、ぐっと気分が落ち込んだ。

「明日はお仕事ですか」
「うん、午後から出社して夜のフライトでパリに行くっス」
「そうですか」

 最中は随分と表情豊かだった彼だが、今では記憶の中にいる中学時代と同様に無表情だった。

「では、失礼します。また」

 静かに締められた扉を見て、全身から力が抜ける。とんでもないことをやらかしてしまったが、オレも彼も大人だ。同性同士では稀かもしれないが、異性間では一夜の過ちなどよくあることではないか。別段騒ぎ立てることでもない。事実、黒子っちも至って冷静だった。
 そう自分に言い聞かせ、べたつく身体を引きずって浴室に向かった。



 翌日。予想外の事態に思った以上に疲れていたらしい頭と身体を休める為にいつもよりも長く睡眠を取っていたオレを起こしたのは来客を知らせるチャイムの音だった。
 何度となく鳴るそれに寝ぼけたままの頭で欠伸を一つしながらインターホンで答える。

「はーい、どなたっスか」
『黒子です』
「……は」

 寝ぼけていた頭は強制的に覚醒させられる。小さな画面に映されているのは間違いなく黒子っちだった。不審に思いながらもオートロックを解錠して、彼を部屋まで招き入れる。

「お邪魔します」

 玄関に入ってきた彼は小さなボストンバッグを持っていた。寒かったのか鼻の頭が赤くなっているのがちょっと可愛い、と思ってしまってから慌てて頭を振った。男相手に可愛いってなんだ、昨晩のことに思考が引きずられている。冷静ならなくてはいけない。

「黒子っち、どうしたんスか」
「黄瀬君、今日からフライトですよね」
「そうっスけど」
「しばらく家、留守にするんですよね」
「そうっスけど……、え、なに?」

 黒子っちの意図することが分からず、思わず苛立った声が出てしまう。出勤前のこの時間は、とても貴重なのだ。もう少し寝ることも出来たし、起きたなら起きたで家のことをしてしまいたい。

「ボク、君が帰って来るまでここで留守番しています」
「…………は?」

 宇宙語でも喋っているのだろうか。黒子っちは当たり前みたいな顔して意味の分からない言語を喋っている。彼は文学少年で、同世代の人間に比べて綺麗な言葉を使うと思っていたのだが、彼が何を言っているのか全く理解出来ない。

「留守がちで家が荒れるから困るって言っていましたよね。彼女もいないって」
「ちょっと待ってよ黒子っち、だからってなんでアンタがここにいることになるんスか」
「黄瀬君は、何とも思っていない人間とあんな普通じゃないことをするのですか」
「は、いや、だってあれは」
「多少なりとも、何かしらの好意があったからああなったのではないのですか」

 空色のビー玉みたいな双眸に真っ直ぐに見詰められて淡々と問い詰められると、言いたいことが言葉に出来なくなる。そうだ、オレは彼のこの目に弱かった。この目に見つめられると言い訳など許されないような気分になって、オレが悪いんだろうなと言う結論を出してしまう。

「それに」

 言葉に詰まって立ち尽くすオレに向かって、彼は言葉を続けた。

「君が帰って来た時に、この部屋で一番に君におかえりなさいを言いたいのです」

 そう言って笑った彼は、認めたくないが、とても可愛かった。
 白い頬を少しだけ上気させて、花も綻ぶと表現するしかない本当に嬉しそうな顔をされれば、何も言い返すことなど出来ない。

「君の好きな料理を作って待っています。何が好きですか?」

 そう聞かれたオレに反抗の言葉など用意できる筈がない。大人しく「オニオングラタンスープ」と答えたオレに向けられた更なる笑顔に、為す術もなく撃沈することになるのだった。

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