黒バス | ナノ




三十路×高校生

意味が分からない、頭がくらくらする。

「黒子っち、これどういう……んっ」
「ちょっと黙っててください」

 ただでさえ飲酒の所為で朦朧とした頭が、口を塞がれたことによって酸欠で一層回らなくなる。四肢はだらしなく弛緩して、のしかかる黒子っちを押し戻すことも出来ない。
 どうしてこうなった。幼い頃から面倒を見ていて、自分の弟のように可愛がってきた親戚の子が、最近素っ気ないなと思っていたら、いきなりオレを押し倒してきた。
 シャツの裾を巻くしあげられて直接肌に触れてきたてのひらは冷たい。その感触にひっと小さく声を上げると、オレに跨る彼は泣きながら曖昧に微笑んで見せた。

「好きだったんです、ずっと」
「黒子っち」
「涼太君、お願いです。他の人のものにならないで」



 あれはオレが二十歳の頃の話だ。
 当時、何事にも無気力で斜に構えて長いモラトリアムを満喫していたフリーターのオレの所に、ある日突然幼稚園児が訪ねてきた。ふわふわの綿毛みたいな頭をふらふら揺らしながらオレを見上げる双眸のラムネ色は、あの頃も今も何も変わらない。
 何の前触れもなくやって来て、オレの子どもだと名乗ったその子に驚愕して、オレは大層慌てふためいた。結局それは母さんがたくらんだ嘘で、その子ども、テツヤ君はオレの従兄弟の子どもだったわけだが。
 従兄弟の旦那さんの都合だかで、子どものことなど何も分からないオレと無口で無表情で影の薄いテツヤ君の一カ月の奇妙な同居生活が始まった。
 最初こそその扱いに困り果てていたが、無口で無表情だと思っていたテツヤ君はなんてことない、ただの人見知りで、一週間もすればオレに懐いて足元に纏わりつくようになった。面倒だ、勘弁してくれと悪態ばかりついていた癖に、そうなれば情が湧くのが人情って奴で、他の大人の前に出ればオレの後ろに隠れて表情を強張らせるのに、オレにだけ向けられる全幅の信頼を寄せる笑顔にオレはいとも容易くノックアウトされた。かわいい。子どもってかわいい。だけどどの子よりもうちのテツヤ君が一番かわいい。
 当時フリーターだったオレは高い時給を好んで深夜帯の勤務を選んでいたのだが、それだってテツヤ君の面倒を見る為と、彼と遊びたいが為に日中の仕事を選ぶようになった。生活時間帯を規則的なものにした途端にメリハリが出来、生活にも張りが出てきた。テツヤ君にご飯を食べさせるために自炊を始め、毎朝決まった時間に起きて彼を幼稚園まで送って仕事に行く。夜は一緒にお風呂に入って、先にテツヤ君を寝かせてから明日の弁当の下ごしらえをして日付が変わる前には就寝する。すると不思議なもので、それまでの怠惰で退廃的な生活が嘘のように一変し、常にだるさを感じていた身体は軽くなり仕事への意欲が湧いてきた。
 一か月が過ぎてテツヤ君が自宅に戻ってからも、彼は週末ごとにオレの家に遊びに来たがって、時間を合わせるためにオレは土日休みの仕事を見つけることにした。正社員としての就職先が見つかり、週末に楽しみが出来たから平日も意欲的に仕事に取り組める。そうこうしているうちにオレは真っ当な生活を送れるようになっていた。
 まさにテツヤ君は、オレにとって天使なのである。
 頻度は徐々に減っていったものの、小学校卒業までテツヤ君はよく家に遊びに来てくれていた。誕生日は一緒にお祝いしたし、クリスマスには彼の一番欲しい物を毎年プレゼントした。幼稚園の頃はクレヨン、小学校に上がってからは本を欲しがる彼に、自分と違って利口な子だと密かに誇らしく思ったりもしていた。プレゼントした本をきらきらした目でむさぼり読む彼の姿を見るのが、オレにとっての何よりのプレゼントであった。
 読書やおえかきなど基本的に家で出来ることが好きなテツヤ君が、ごくたまに外でバスケをしたがることがあって、その時は一緒に近所のストバス用コートのある公園まで出掛けたりもした。平均身長であるテツヤ君は、正直に言うとあまり運動神経の良い方ではない。シュートは入らないし、ドリブルは下手くそだ。でも、楽しそうにプレイする彼の為に、オレは何回でも彼の相手をした。
 中学にあがった頃から、バスケ部に入ったテツヤ君が家に遊びに来る回数は激減した。それが寂しくないと言ったら嘘になるが、成長過程で親戚のおじさんと疎遠になっていくのは当然のことだ。会うのが正月や盆に顔を見る程度にまで減ったのは彼が中学二年生の時のこと。

「テツヤ君、久しぶりっスね。大きくなったねー。元気だったっスか?」

 半年にぶりに見る彼は、随分と背が高くなっていた。無邪気に笑っていた顔に、少しずつ大人の精悍さ増している。オレの後ろに隠れていたテツヤ君が、今では一人で立って、オレの知らない顔をしている。
 親戚の子にさえこんな感情を抱くのだ、子離れの難しさを考えながら彼に笑顔で近付くと、テツヤ君は冴えない顔で言葉を濁した。反応の悪さにどうしたの? と聞くと、少しためらった後に彼の口から衝撃的な発言が飛び出した。

「下の名前で呼ぶの、やめてもらえませんか。恥ずかしいので」

 その時のオレの心情を察していただけるだろうか。自分の弟のように可愛がってきたあのテツヤ君が、オレの後ろに隠れてオレにだけ笑顔を向けてくれていたテツヤ君が、そっぽを向いて名前を呼ぶな、と言っている。
 だがしかしオレも大人だ。大嵐の内心を隠して努めて冷静を装いながら、じゃあ黒子っちって呼ぶっスね、とへらへらしながら答えた。顔で笑って心で泣いて、これがまさにその時のオレの心情である。
 それから、テツヤ君もオレのことを黄瀬君、と名字で呼ぶようになって、ますます距離が広がったように思う。仕方がないことなのだ、それは分かっている。でもやっぱり寂しい。

 そうして彼の成長を近くで見守って、十年が経った。

 今年から高校にあがった彼と久しぶりに顔を合わせたのは、先月のことだ。いつまでも結婚しない、特定の女と付き合ってもいないオレを見かねて、黒子っちのご両親がオレに見合い話を持ってきた。黒子っちに会えるかもしれない、とわずな期待を胸に黒子家を訪れたオレに差し出された見合い写真に、オレは目を剥いた。

「綺麗なお嬢さんでしょう? 有名私立大を卒業して、今は大きな会社で受付をしているのよ」
「はぁ……」
「涼太君にはテツヤのことでお世話になったから、ぜひ幸せになって欲しいの。子ども好きでしょ? それなら早めに結婚して作らないと」

 押しの強さは、黒子っちとは似ていないなぁと思いながら彼女の言葉をぼんやりと流し聞いた。いつかは結婚したいと思ってはいるのだが、今すぐにしたい訳ではない。写真の女性も綺麗だとは思うのだが、どうにも興味が湧かなかった。
 のらりくらりと返事をしているうちに、強引な流れで二週間後に日程を組まれる。予定もないし、まぁいいか、と思っていると、玄関が開く音がして黒子っちがリビングへ入ってきた。

「おかえり、黒子っち」
「……ただいま。来てたんですか」
「はいっス! なんスか、その不満そうな顔ー」
「別に」
「涼太君ね、お見合いするのよ。あんたもお世話になったんだから、応援してあげてよね」

 つれない黒子っちの反応に心が折れそうになっていると、横から嬉しそうに口を挟まれた。応援してもらってもこちらはその気じゃないのだからどうにもならないと思うのだが、今は口にしない方が賢明なので黙っておくことにする。
 ただ、黒子っちがそれにどんな反応を示すのかだけが気になって、色の白い横顔を見つめた。

「……え、」
「綺麗な人なのよ、ほら、あんたも見る?」
「、いいです。興味ないです」

 少しくらいは寂しがったり、頑張ってくださいと応援してくれるかと期待していたのだが、黒子っちは思っていた以上に思春期で反抗期だったらしい。興味ない、という言葉通り、とっとと階段を昇って自室へと向かった彼の後姿に寂しさが増す。
 
「もう、あの子ったら……」

 ごめんなさいね、と彼に代わって謝られた言葉に曖昧に頷いた。



 見合いは滞りなく行われた。
 お相手の女性はオレより四歳年下で、いかにも良い所のお嬢さんと言った風だった。オレには勿体ない、とは言ってみるが、正直に言えば興味がない。はにかんだように笑う様子は可愛らしいとは思うのだが、今は結婚なんて考えられない。
 正直に話してお断りしようと思ったのだが、先方はオレのことをいたくお気に召したらしく、押しの強い黒子っちの母親に押し切られる形で今週末にもう一度会うことになってしまった。ぶっちゃけた話、憂鬱である。
 仕事を終えて、肉体的にも精神的にも疲れ果てたオレは今日の自炊は諦めてコンビニ弁当で済ませることにした。ハンバーグ弁当を買って温めてもらい、一緒に缶ビールを数本。それを手に家路を急ぐ。

「あれ、」

 エレベーターで七階まで上がり、ドアが開いた所で部屋の前で誰かが蹲っているのが目に入った。
 ふわふわの綿毛みたいな頭が、舟を漕いでいるのかふらふらと揺れている。それがあの日の彼の姿とダブり、胸が締め付けられるように痛んだ。
 慌てて彼に近寄りしゃがみこんでみると、やはり眠っているようだ。こんな所で寝ていては風邪をひいてしまう。早く起こした方が良いとは思っても、無防備に眠る彼の幼い横顔が可愛くて、ついつい見入ってしまった。眠りながらオレの手を離してくれなかったあの頃の彼と今の彼は、なんら変わらない。

「テツヤ君」

 小さく名前を呼ぶとびくりと肩が震えて、黒子っちがうっすらと目を開いた。目を開けると幼さが少し抜けて、あの日の彼の面影が消えていく。そのことに少しばかりの寂寥さを感じながらも彼の左腕を掴んで、冷えた彼の身体を起こしてやる。

「どうしたんスか、こんな時間に。来るなら連絡くれれば良かったのに。寒かったっスよね、中入ろ」

 引いたままだった左腕をやんわりと払われて、そのことに少しだけ傷つきながらも彼を部屋の中に招き入れる。
 三年前に越してきたこの部屋に彼が訪れるのは、今日が二回目だ。前のアパートの時は毎週のように遊びに来てくれていたが、ここに越してきたのはちょうど彼が中学に入学した頃で、それは黒子っちがオレと距離を置き始めた頃だった。
 部屋に入っても何も言わずに、黙って床に座っている黒子っちにクッションをすすめて、一言断ってからハンバーグ弁当を食べ始めた。無言の空間に、テレビに映る芸人たちの嫌に明るい声だけが響く。
 ちらりと横目で彼を盗み見るが、彼は眉一つ動かさずにテレビ画面を見つめていた。表情から感情の読みにくい子ではあったが、今もそうなのだろうか。テレビの内容を面白いと思っているようには見えなかったが、彼の視線はテレビから一ミリも動かない。
 自分から話しかけてくることすらなくなった黒子っちがこうしてオレの部屋まで来たのだ、何か理由があるのだろう。だが、彼は口を開こうとしない。ならば、話す気になるまで待ってやろうと心を決めて、オレは一本目缶ビールを開けた。沈黙を遣り過ごす為にそれをちびちびと啜っているうちに、二缶、三缶と空き缶が増えていく。
 そうこうしているうちに気が付けば時刻は午後十時を回っていた。今日は火曜日で、明日も学校がある筈なのに、黒子っちは未だにテレビ画面を見つめるばかりで動こうとも喋ろうともしない。
 そろそろ何か話して貰わなくては困る。盗み見ることを辞めて、気付かれるように堂々と彼の横顔を凝視した。幼い頃から白かった肌は、今も白いままだ。触れると温かくて柔らかかったあの質感を思い出して、右手を握りしめた。今でもその感触は変わらないのだろうか、と考えた所でその発想が変態じみていることに気付き、頭を振ることでその考えを振り払った。

「なんでここに来たのか、聞かないんですか」

 テレビから視線を逸らさないまま、口だけを動かして黒子っちがようやく言葉を発した。そのことに安堵を覚えながら彼の質問に答えるべく適切な言葉を探していると、微動だにしなかった彼のラムネ色の瞳が一瞬だけオレを見て、すぐに逸らされた。
 瞬間、鼓動が跳ね上がるのを感じた。その仕草が危うげで酷く寂しそうに見えたものだから、オレは無意識のうちに隣に座る彼の頬を手の甲で撫でたのだ。

「っ……何するんですか!」
「え、だって、寂しそうだったから」

 そう言って微笑んだ瞬間、肌を通して彼が息を呑んだのがわかった。

「やだ、触るな」
「黒子っち?」
「他の人に触る手でボクに触らないでください」
「どうしたの、黒子っち、落ち着いて、ね?」
「子ども扱いしないでください!」

 取り乱す彼を見るのは初めてで、情けないことにオレは三十にもなってすぐに彼を諭す為に動くことが出来なかった。呆然としているオレが、彼の目に張った涙の膜に映っていて、それをぼんやりと見つめる。口だけを動かして名前を呼ぶと、彼は泣きそうに顔を歪めて身体をぶつけてきた。
 突然の衝撃に受け止めることが出来ず、彼に押されるままに床に倒れる。背中を強かに打ちつけて、一瞬息が詰まった。反射的に閉じた目をゆっくりと開くと、黒子っちがオレに跨って、辛そうな顔でオレを見下ろしている。大人になったとばかり思っていた彼はやはり子どもで、そんな顔しないで、と今すぐにでも抱きしめてやりたい衝動に駆られるが馬乗りになっているこの態勢ではそれも叶わない。

「黄瀬君は、ずるい」
「黒子っち……?」
「そんなに優しい顔しないでください、もう嫌なんです、苦しいの」

 涙を流す彼が美しくて、オレは場違いにもその様に見惚れてしまった。彼があまりにも綺麗に泣くからずっと見つめていたいのに、見ているだけで心臓がぎゅうぎゅうと収縮して酷く痛む。
 お願いだから泣かないで、と口には出さずに右手を彼に伸ばすと、その手を掴まれ、てのひらに口付けられた。
 意味が分からない、頭がくらくらする。

「黒子っち、これどういう……んっ」
「ちょっと黙っててください」

 ただでさえ飲酒の所為で朦朧とした頭が、口を塞がれたことによって酸欠で一層回らなくなる。四肢はだらしなく弛緩して、のしかかる黒子っちを押し戻すことも出来ない。
 シャツの裾を巻くしあげられて直接肌に触れてきたてのひらは冷たい。その感触にひっと小さく声を上げると、オレに跨る彼は泣きながら曖昧に微笑んで見せた。

「好きだったんです、ずっと」
「黒子っち」
「涼太君、お願いです。他の人のものにならないで」

 再度、口を塞がれる。差し込まれた舌は熱くて、それだけで溶けてしまいそうだ。たどたどしく咥内を這っていたそれが、オレの舌におずおずと絡められる。拙い動きを感じながら、それを受け入れて熱い舌の表面をなぞると、のしかかっている彼の肩が跳ねた。
 驚きからか口を離そうとする彼の頭を右手で固定して、逆に引き寄せる。深く合わさった唇から生温い息と喘ぎ声のような吐息が漏れた。貪りながら彼の耳元に触れる。その感触は、幼い頃となにも変わっていない。
 ゆっくりと唇を離すと、その間を一筋の糸がひいてぷつりと切れる。熱に溶けた目をした彼が、熱心にオレを見下ろしていた。のしかかられた腹に違和感を覚えて見てみると、彼のそこはしっかりと反応している。オレの視線に気が付いたのか、黒子っちが赤い顔を更に紅潮させた。
 ふるふると首をふりながら後退した彼のそこがオレの股の上に触れた時に、彼は動きを止めた。オレの下半身は何の反応も示していない。それに気付いたのだろう彼は、赤いままの顔を歪ませて、唇を引き結んで何かに耐えるように俯いた。

「黒子っち、」

 彼に何も感じなかったのではない。あんなに可愛がっていた弟同然の彼に押し倒されて、告白されて、突然のことに驚いてしまっただけで、嫌ではなかった。酒も飲んでいたし、疲れもたまっていた。要因はいろいろ考えられるが、結果は一つ。オレは彼に対して、反応しなかった、それだけだ。

「……すみません、忘れてください」

 泣きそうな顔でそう言い残して部屋を去って行った彼を追いかけることが、オレには出来なかった。



 黒子っちは弟も同然の存在だ。
 彼のことは五歳の頃から知っている。荒んでいたオレの生活を立て直すきっかけをくれたのは彼だし、兄のように懐いてくれた彼を本当の弟のように可愛がってきた。彼の成長と共に顔を合わせる機会は減ったが、それでも彼が大切な存在であることに変わりはない。
 だけど、彼を恋愛対象として見たことはない。年が離れすぎているし、情が移りすぎた。そして何より、彼は男でオレも男だ。これほど不毛なことはない。
 大切な黒子っちのことを傷付けるのは嫌だが、あれだけはっきりとした告白をされたのだから、スルーし続けるわけにもいかない。どうしたものか。
 悶々と悩んでいるうちに日々は過ぎ去って、あっという間に見合い相手と会う前日になってしまった。こんな気持ちで彼女と会うのは気が引ける。
 黒子っちは今頃どうしているのだろうか。ここ数日、気が付けば彼のことばかりを考えていた。その所為だろうか、水曜日からは黒子っちが夢に出るようになってしまった。それは必ず五歳の彼から始まり、少しずつ成長していく。彼の記録動画を見ているようで、オレは穏やかな気持でその夢を見続けた。
 
「りょうたくん」

 舌っ足らずな喋り方で甘えるようにオレの名前を呼ぶ彼が、瞬きをする度に大きくなる。オレの陰に隠れてもじもじしていたと思えば、次の瞬間にはストバスのコートでボールを手に楽しそうに笑っていた。懐かしい、楽しかった日々が夢の中で繰り返されていく。
 朝起きる度に幸せな夢から覚めてしまった切望感に打ちひしがれて、寝る前にはまたあの頃の彼に会えますようにと縋るような思いで眠る。
 それを繰り返して四日目。明日は気の進まない見合い相手とのデートだと言うのに、オレは変わらず黒子っちの夢を見たいと願いながら眠りについた。その思いに応えてくれたのか、脳みそはオレに幸せな夢を与えてくれる。

「黄瀬君」

 夢の中で時間の進み方はどんどん速くなっていく。始まりは変わらず五歳のテツヤ君なのだが、最初は小学校低学年で終わっていた夢が、昨日は遂に中学時代、彼に黄瀬君と呼ばれるようになった所まで話が進んだ。正直、そこはあまり見たくないのだがそれもまた彼との思い出だ。
 夢の中の彼が、冷やかな目でオレを見つめる。

「来てたんですか」

 来てたよ、そんな嫌そうな顔しないでよ。オレ、見合いするんだ、気は進まないけど。

「興味ないです」

 そう言ってそっぽを向く彼に物悲しさを感じて瞬いた一秒後、視点がぐるりと入れ替わり、オレはのしかかる黒子っちを見上げていた。
 来た、ついにここまで進んでしまった。オレと彼との一番新しい思い出で、目下の悩みの種となっている記憶。
 夢の中の黒子っちがオレの口を塞ぐ。遠慮がちな舌の動きがじれったくて、熱い舌の表面をなぞって逃げようとするそれを絡めた。呼吸をする為に隙間をつくると、そこから抜けるような甘い声が萌える。

「涼太君、お願いです。他の人のものにならないで」

 ほろほろと涙を流す彼は、息をのむほど綺麗だった。抱きしめたい、涙を拭いてあげたい、触りたい。オレの上に跨る彼の腰をそっと下から撫であげると、彼は俯いたまま小さく喘いだ。もっと声が聞きたくて、オレは、オレは――



 ばちりと目が覚めると、耳元でアラームがけたたましく鳴り響いていた。
 なんだ、なんだ今の夢。今までは記憶をなぞるだけだった夢が、ありもしない展開をオレに見せてきた。混乱した頭を掻いていたのだが、恐ろしいことに下半身の違和感に気が付いていしまった。戦々恐々と毛布を剥ぐと、そこには立派にテントを張るスウェットがあった。

「うわー……」

 羞恥心と罪悪感で死にたくなる。頭を抱えて布団の中に潜り込んだ。
 あの時はなんの反応も示さなかったのに、夢の中の黒子っちを見て今はしっかり反応している。夢の中の黒子っちは泣きそうな顔をしていて、声を堪えるように唇を噛む様が堪らなくて、はくはくと息を吸い込む薄い唇が……そこまで考えて、反応がより顕著になってしまったことに気が付いて絶望感を覚える。
 三十だぞ、男だぞ。相手は高校生、しかも昔から面倒を見ていた黒子っちだ。

「あー……、もう、何なんだよこれ……」

 処理しきれない現実に、オレは頭を抱えることしかできなかった。



 黒子っちのお母さんに聞くと、今日彼は部活で学校にいるらしい。
 見合い相手とは一応会って、でもやっぱり好きにはなれそうにないからはっきりと断った。そのことを報告すると、残念そうにはしていたが最終的に仕方ないと折れてくれた。その電話の流れで黒子っちの所在を聞いて、夕方の高校正門前で彼の帰りを待っている。
 休日だと言うのに、部活動の盛んな学校なのか校内はにぎやかだ。過ぎ去りし自分の高校時代に思いを馳せていると、一際背の高い集団が校門に向かってきた。おそらくバレー部かバスケ部だろうと見当をつけてじぃと見ていると、その背の高い集団の中、頭一つ分背の低い黒子っちを見つけた。
 肌の黒い友人に頭を撫でられて嬉しそうに笑っているのを見て、少しだけ刺々しい感情が生まれる。

「黒子っち」

 声をかけると、それまで柔らかかった黒子っちの表情が一変して固いものになった。それを不審に思ったのだろう、先ほど彼の頭を撫でていた男が、テツ? と彼の名前を呼んだ。

「すみません、ボク用事があるので、ここで失礼します」

 友人たちにそう言い残して、黒子っちはオレの手を引いて彼等の進行方向とは逆へと進む。無視されたらどうしようかとも思ったのだが、友人たちの手前だったのが良かったのかもしれない。どうにか無視されずにこうして彼と二人きりになることが出来た。
 ずかずかと無言で歩く彼に手を引かれたまま、黙ってその後を付いていく。人気のない袋小路まで辿りつくと、彼はくるりと身を翻してオレと向かい合った。
 きっと目を吊り上げる様は、まるで威嚇する猫のようだ。場違いな愛しさを、慌てて飲みこんだ。

「何しに来たんですか」
「黒子っちに会いに来た」
「は?」

 つらっと答えれば、彼は目を真ん丸に見開く。その反応が初々しくて可愛らしくてくつくつと笑うと、彼は毛を逆撫でられた猫のように怒った。

「何がおかしいんですか! からかうのはやめてください」
「ねぇ、黒子っち怒らないで」
「君なんて、誰とでも結婚すればいい。もうボクに近寄らないでください」
「ねぇ、ねぇ待ってってば、テツヤ君」

 名前を呼んだ途端、彼の動きが止まった。かと思えば、みるみる内に白磁の肌が赤く染まっていく。
 ああ、なんだ。反抗期かと思っていたが、ただ恥ずかしがっていただけなのか。そう思えばおかしくて仕方なくて、でもここで笑えば年下の彼がまた怒るのは目に見えているから緩む顔を見られないよう頭一つ分背の低い彼を腕の中に閉じ込めることにした。

「恥ずかしいから名前で呼ぶなって言ったじゃないですか」
「うん、ごめんね、テツヤ君」
「死んでください」

 抱き締めた彼が腹いせに脇腹を殴ってきたが、それ以上の抵抗はされない。それを良いことに、腰に回した腕に力を込めると、躊躇う様に宙をさまよっていた彼の手が背中に触れた。

「見合い、断ってきたから」
「そうですか」
「他になんか言うことないんスかー?」
「本当にばかですね、君は」

 背中に感じる力が強くなる。それに応えるように、オレも彼を力いっぱい抱き締めた。

「ねぇ、名前で呼んでくれないっスか?」

 抱き締めた腕の中を見れば、白い耳が火を噴いたように赤くなっていて、まずいなとは思うのだが止められそうにもない。不毛だ、この年で高校生、しかも男に手を出すことになるなんて。そうは思っても、腕に込める力を弱めることは出来ない。
多分、これが恋になるのはまだ先の話。だけどそれは、そう遠くない未来だと思う。

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