黒バス | ナノ




生徒×教師2


 午前の授業が終わると、黄瀬は前の休み時間に買っておいた昼食を持って国語準備室に向かう。まだ黒子はいないだろうが、それでいい。黒子を待っていた体でいることが重要なのだ、待つことは一向に構わない。

「オレの言うこと、聞いてくれるよね?」

 そう告げた時のことを思い返せば自然と口角が上がった。
高校教師がゲイであることが知れれば、それは望ましくない方向に物事が進むことは確実である。一介の高校生の女癖が悪いのとでは、事の大きさが違う。
 悪辣さを純真で包んで告げれば、ターゲットである国語教師は少しの逡巡の後、首を縦に振った。
 ゲイであることが生徒に知られてしまったことで、黒子は動揺していた。高校教師を職業として選択するあたり、性癖はアブノーマルであっても真っ当な社会観念を持っていることは間違いない。同性との付き合いに、後ろめたさやほの暗さを持って、隠れてこそこそと逢瀬を重ねる様子が目に浮かぶようだ。
 それに加えて、黒子の存在感の薄さ、地味さ。この手のタイプであれば、若くて容姿の整った自分があけっぴろげに好意を伝えればまず間違いなく揺らぐ。相手の弱みを使う強かさと若さゆえの無謀さ、計画性のなさ、そして純粋さ。この種類の女であれば、今まで嫌と言うほど相手にしてきた。同性であっても、恋愛対象が男であるならば、落とすのも難しくはないだろう。
だからと言って、黄瀬はすぐに彼をどうこうするつもりはなかった。無駄な2週間を過ごしてしまったものの、彼の恋愛対象が同性だと分かった以上、黄瀬には十二分に勝機がある。ゆるりと真綿で首を絞める様に、残りの13日間を楽しませてもらおうではないか。
 案の定、国語準備室にはまだ彼の姿はなかった。
 室内灯を灯しても薄暗い室内は、湿った紙の匂いがする。パイプ椅子に座り、黒子の到着を待った。

「……もう来てたんですか」

 数分も経たないうちに静かにドアが開き、黒子が現れた。
 最初こそ能面の様だと思っていたが、ここ数日の彼は不機嫌さと嫌悪感を隠しもしないので、そんな印象もとうに薄れてしまった。はぁっとこれみよがしにため息をつかれるが、それをわざと無視して対外用の笑顔を作る。

「先生と早く会いたかったから、授業終わって急いで来たんス!」
「ご苦労なことで」

 姑息な手段を使いはしたが、黒子の前ではあくまで純粋な生徒を装っている。あけすけに言い寄ってじわじわと侵食し、逃れられないようにする。相手に牙の存在を気取られては楽しみが半減してしまう。
 言うことを聞いてくれるか、と質問の形を取った命令に頷いた黄瀬が黒子に最初にした「お願い」は、こうして毎日二人で昼食をとることだった。
 人目に付かないように、けれど恋人の健全なお付き合いをしているカップルにとっては至って普通の行為を繰り返すことで、黒子に何かしらの錯覚を起こさせるのが狙いであった。手は出さない。まだ今はその時ではない。種を植えて、水をやって、花が咲く前のつぼみの段階で刈り取る。花開かなかった感情はきっと、彼を今後も縛り続ける。それもまた面白いと、黄瀬は考えていた。
 黒子が煎れたコーヒーは少し薄い。薄い彼の隣に座り、それをすすった。

「友達や女の子と食べた方が楽しいでしょうに」
「だーから、黒子先生と食べたいんだって。好きな人と食べた方がおいしいでしょ?」

 おいしくなさそうにサンドウィッチを咀嚼する彼の横顔に、大げさに体を動かしながら黄瀬は答えた。
 呆れているのか、それとも質問の内容自体を否定して欲しいのか、その真意はまだ読めないが、それでも黄瀬は先生に一途に思いを寄せる生徒としての答えを紡ぐ。
 笑顔で黒子の横顔を見つめる黄瀬に、視線だけをよこした後、また黒子は咀嚼を再開する。
 目は口ほどにものを言うと言うが、彼には目に表情がない。その分、思考を読み取りにくいのだが、それでも黄瀬は些細な仕草や言葉尻を捕まえて、その感情を読み取ろうと必死だった。

「……コーヒーのおかわり淹れますね」
「え、あ、いいっスよ。オレ自分でやるから」

 黒子の煎れるコーヒーは黄瀬には少し薄い。
 自分で淹れた方が美味しいと、席を立った黒子の隣に立ってインスタントコーヒーの瓶を手に取ろうとした瞬間、黒子の手と黄瀬の手が重なった。
 あ、と小さな声が聞こえて黒子を見ると、予想外に近い距離に不覚だが一瞬怯む。
 色素が薄いとは思っていたが、まつげまでもが瞳と同じラムネ色をしている。目は大きいし肌も白いが、ささやかながらも主張するのど仏が、彼が男性であることを如実に物語っている。
 数秒、二人の視線が絡み合ったまま時間が止まる。少し動かせば、ゼロ距離になりそうな距離感で停止した。
 黒子の吐いた息が黄瀬の唇に触れる。

「あー……っと、先生は座っててよ、ね? オレがやるから」

 その空気に耐えきれずに先に声を出したのは黄瀬であった。
 あのままキスしても、おそらくは拒まれなかっただろう。だが、どうしても実行に移せなかった。男臭くない黒子相手ならば、キスくらいできるだろうと高をくくっていたのだが、いくら中性的だとはいえ相手は歴とした男。しかも10歳も年の離れた、高校生の黄瀬から見たらいい年のおっさんなのだ。
 ぱちりと一度瞬きをしたあと、黒子は黄瀬の言葉に素直に頷いて椅子に座り直した。
 悟られないよう、黒子に背中を向けた状態で黄瀬は溜息を吐いた。





 土曜日の昼前、電車に揺られながら黄瀬は途中で立ち寄った事務所で言われたことを思い返していた。
 なんでも、読者からの評判が良く、今まで専属で契約していた雑誌からから卒業し、今後活躍の幅を広げていきたい、のだそうだ。
 モデルとしての黄瀬の評判はそこそこ良かった。笑えば人なつっこく見えるし、何よりも彼には人を引きつける何かがあった。ただ顔が良いだけではない、そこにいるだけで人を魅了するオーラが彼には備わっていた。
 中堅事務所で今まで手をかけて貰ってきた恩もある。黄瀬とて、この仕事が嫌いではない。

「わかってると思うけど、人気商売だからね。スキャンダル、ゴシップには気をつけてね」

 まだ比較的知名度の低い今だから良いようなものの、これから先事務所が力を入れて黄瀬を売り出すのであれば、今までのような「ゲーム」の類も出来なくなるだろう。
 つまり、コレが最後のゲーム。
 黄瀬にとって負けられない理由がまた一つ出来た。
 今現在、一番のネックとなっているのは、黄瀬自身の男へ触れることへの躊躇いであった。
 車窓から突き刺す日差しが、だて眼鏡のレンズ越しに眼球を焦がす。
 静かに腹をくくり直したところで、アナウンスが次の駅名を告げた。
 乗降客がさほど多くない駅で、黄瀬は電車を降りる。ここから歩いて15分の場所にある小さな動物園が今日の目的地だ。
 地元の駅から一番近い動物園は、一昨年リニューアルしてから全国放送のテレビや雑誌で取り上げられ、賑わいをみせていた。今、この付近で動物園と言えば皆そちらに足を運ぶ。
 このこじんまりとした動物園は、位置的にも車がないと不便な場所にあり、昔ながらの本当にメジャーな動物しかいない規模から、年々来客数が減少している。だからこそ、知り合いはここには来ないと踏み、わざわざ電車を乗り継いでここまで来たのだ。

「先生!」

 入り口の前の大きな時計の下に立つ黒子を見つけ、黄瀬は大きく手を振りながら駆け寄った。
 そんな黄瀬を見て、黒子は顔を顰める。

「黄瀬君、人目があるのですから大きな声で先生と呼ぶのはやめて下さい」
「あ、そっか。じゃあ、テツヤさんでいい?」
「苗字で呼んでください」
「えー、じゃあ黒子っちね」

 にこりと邪気なく笑ってみせれば、黒子は渋々頷く。
 時間は限られている。休日こそ、効果的なアプローチをするべきだと考えた黄瀬は、件の昼食時に黒子をこの小さな動物園へと誘った。最初こそ拒んでいたが、黒子も黄瀬には弱みを握られている。どうしても先生と普通のデートがしたい、と頭を下げれば、首を縦に振るまでにそう時間はかからなかった。
 学校にいる時から地味な印象の黒子は、私服も無地のTシャツにチェックのシャツという至ってオーソドックスな装いだった。本当にさえない男だな、と黄瀬は内心で悪態をつく。
 既に入場券を購入していた黒子から一枚渡され、お金を払おうとしたら断られた。先生なんですから、と少しばかり自慢げにいう様がなぜだかおかしかった。

「黒子っちは何が見たい?」
「そうですね……サルが好きですけど、あまり動物の種類も多くなさそうですし、順路にそってゆっくり歩きましょうか」

 さりげなく繋ごうとした手は、すぐに払いのけられた。仕方なしに大人しく隣を歩く。
風が吹けば気持ちいいくらいだが、正午過ぎの日差しはじりじりと肌を焼く。鳥類の檻の前をゆっくりと通り過ぎ、子供達がまばらに集まる象の前で足を止めた。
大型連休を終えたばかりだということもあるだろうが、土曜日だというのに園内に人は多くない。地元の人間なのだろう、母親と子供が二人で歩いていたり、初老の夫婦がのんびりときりんを眺めている。そこに休日の喧噪と言ったものは存在しない。

「大きいっスねぇ……」
「そうですね」

 ゲイにとって健全なデートは新鮮なものだろうと踏んで選んだ動物園だったが、普段は女の子を連れてこんなところには来ない。しかも相手は堅物の黒子だ。話も弾まず、若干持て余している。
何を話すでもなく、隣で静かに象を見つめる黒子を盗み見た。
焼け付くような日光の下でも陶器のようになめらかな肌は、女性ならばうらやましがるものだろう。黒子の白さは白人のような生気を感じさせないものではなく、肌の下に温もりを感じさせるものだった。うっすらと見える産毛が、彼の年齢と性別を忘れさせる。
が、彼の口元を見てもやはり何の感慨も浮かない。荒れてはいないが、この唇にキスするのかと思うと、やはり憂鬱になる。
瞬間、黒子の体が傾いた。

「ちょ、先生!?」

 慌てて差し出した腕はなんとか黒子の右肩を支えるのに成功した。頭一つ分背丈の違う体は、嫌に軽かった。

「すみません、ちょっとふらつきました」

 軽い貧血だと思います、と言われ見れば、元々白い顔色から更に血の気が引いている。
 すぐに黄瀬の腕の中から離れるが、まだ足下は覚束ない。慌てて周囲を見渡し、日陰のベンチを見つけるとすぐにそこへ座らせた。

「先生、ほら座って」
「ありがとうございます。あと、さっき言い忘れましたが「先生」ではないでしょう」
「もー、今そんなこと言ってる場合っスか」

 呆れて見せると、小さく笑う。明らかに無理をしているのが見て取れて、胸が痛んだ。
 汗で張り付く前髪をよけて額に触れる。少しばかり体温が高いような気もするが、平熱の内だろう。
 鬱陶しそうに汗を手の甲で拭う黒子に言い置いて、黄瀬は飲み物を買うためにその場を離れた。
 自動販売機でスポーツ飲料を二本買い、急いで戻るが、そこに黒子の姿は見えない。
 あんな状態でどこに行ったのか。携帯を鳴らしてみるが、5コール目で留守番電話に切り替わる。
 いくら人がまばらで小さな動物園とはいえ、黒子の影の薄さは異常だ。この園内にいる黒子を捜すのは至難の業だと思えた。
 携帯を鳴らしながら園内を走って回る。順路に沿って歩いていこうと言っていたのを思い出し、園内表示の看板に沿って園内を一周したが見当たらない。誰にも気付かれないまま行き倒れでもしていたら大変だ。死にはしないだろうが、いかにも不健康そうなあの男のことが心配だった。
 勝手にいなくなったのだ、そんな心配してやる義理もないのだが、それでも黄瀬は黒子を探した。あれは黄瀬の大切なターゲットだ。振り回すのは得意だが、振り回されるのは苦手だ、と考えながら、黄瀬は2周目を周り始めた。





 結局園内を3周し、売店や食事処にトイレも見て回ったが、どこにも黒子の姿は見当たらない。もう帰ったのだろうか。携帯電話はもう何度目か分からない留守番電話サービスへの切り替えを告げていた。
 少しずつだが、日の鋭さも消えてきた。緩やかに頬を撫でる日差しは本来ならば気持ちが良いもののはずだが、園内を走り回っていた黄瀬にとっては不快以外の何物でもない。
 最初に黒子と別れた象の前に立つ。
 もう諦めよう。黒子とて、ああ見えてもいい年で教師だ。生徒であり未成年である自分が、ここまでしてやることはない。
 帰る前に少し休もうと、先ほどのベンチに座って黒子の為に買ったスポーツ飲料のふたを開ける。口に含むが、温いそれは不快感を拭ってくれず、黄瀬は眉をひそめた。

「あの、良かったらこれ」

 まだ冷たいので、と手渡された同じ銘柄のスポーツ飲料を受け取り一口飲んで礼を言ってボトルを返した。

「ありがとうございます」
「いえ。随分お疲れですね。なんで走ってたんですか?」
「え、先生を探しに、」
「僕ならここにいますけど」
「え、」

 白い肌に柔らかそうな髪の毛、何を考えているのか分からない大きなラムネ色の目が不思議そうに黄瀬を見上げる。

「黒子先生っ!?」
「黄瀬君、大声で先生って呼ばないでくださいってば」

 しーっと人差し指を口に当てて注意する黒子に、一気に力が抜けた。へたりと背もたれにもたれかかる黄瀬に、どうしたんですか、と声をかけられるが、どうしたんですかじゃねーよ、と返してやりたい。

「……黒子っち、どこにいたんスか」
「ずっとここにいましたよ。君を待ってました」
「はぁ? だって飲み物買って帰ってきたらいなかったじゃないっスか」
「ああ、トイレで顔を洗ってました。すぐに帰ってきてそれからはずっとここにいました。何回か君がこの前を走ってるのを見て、トレーニングかなーって眺めてたんです」
「……携帯は?」

 ポケットから折りたたみ式の携帯電話を取り出し、電池切れてました、と言われ、余計に力が抜けた。
 腹立たしいやら安心して良いやら、全部がない交ぜになった複雑な気分だが、今怒鳴ってはひかれてしまう。ぐっと堪えて目を瞑る。

「いなくなったと思って心配して探してたんスけど」
「ボクを?」
「あーもう、いいっス。なんでもない」

 腹立ちを誤魔化すために、腹の底から息を吐き出すが、ちっとも気分は晴れない。不機嫌さを隠すことを諦めて目を瞑ると、頭を優しく撫でられた。
撫でられるのなど、いつぶりだろうか。優しい手のひらの動きに、棘が抜かれていくようだが、それで誤魔化されるのも癪なので、横目で黒子を睨み付けると目があった彼に笑われる。

「……何笑ってるんスか」
「そうしてる拗ねていると、君も年相応に見えるんですね」

 くつくつと面白そうに笑う表情は、初めて見るものだった。なんだ、こんな顔も出来るんじゃないか。
 呆けて瞠目していると、ますます笑われる。悔しくて、頭に置かれたままの手を掴んで詰め寄ると、思いの外縮まった距離に黄瀬自身が驚いた。
色素が薄いとは思っていたが、まつげまでもが瞳と同じラムネ色をしている。目は大きいし肌も白いが、ささやかながらも主張するのど仏が、彼が男性であることを如実に物語っている。
数秒、二人の視線が絡み合ったまま時間が止まる。少し動かせば、ゼロ距離になりそうな距離感で停止した。
 黒子の吐いた息が黄瀬の唇に触れる。その感覚が、背筋を粟立たせた。
 無言で、視線を絡ませたまま距離を詰める。

「……」
「……」
「……なんでスか」
「普通に考えて、ボクと君がここでそういうことをするのはおかしいでしょう」

 立場も、場所も、キス自体も。
 そう言って、黄瀬の唇に押し当てられた左手を避けた。
 ゆるりと立ち上がると、もう帰りましょうか、と告げられる。返す言葉がなく、ただ頷いて歩き出した黒子の後に続いた。
 長くはなってきたが、既に日は傾き始めている。ラムネ色の髪が夕日に透けて、ゼリーみたいな色をしていた。
 隣を歩く黒子の左手と黄瀬の右手がぶつかり、そのまま手を絡ませて見れば、今度は拒まれない。

「黄瀬君、誘ってくれてありがとうございました。楽しかったです」
「オレ、ほとんど走ってたんスけど」
「それも含めて楽しかったんですよ」
「……そっスか」

 繋いだ右手に力を込めれば、同じ行為を返される。
 手を繋ぐ二人の影が長く伸びた。

 ゲーム終了まで、残り1週間。


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