黒バス | ナノ




生徒×教師


 精を吐き出したばかりの気だるい身体に鞭打って左手を伸ばした。
 手にした携帯のディスプレイに表示されている時刻を確認すると、黄瀬はおもむろに起き上がり、床に散らかしたままのシャツを拾い上げる。

「もう帰るの?」

 甘ったるい声で涼太、と名前を呼ばれて、吐き気がした。最初こそ私は他の女とは違うのよ、って顔をしていたくせに、少し優しくしてやれば簡単に足を開く。どこが他の女と違うのか、甚だ疑問である。

「もう休憩終わっちゃうっスよ」
「えー、泊ってこうよぉ」

 先ほどまで黄瀬が好き勝手に抱いていた身体にシーツを巻きつけて、小首を傾げて品を作るその様子は自分の売りを良く理解した上で作られたポーズなのだろう。可愛らしくはあるのだが、一度欲望を吐き出してしまえば、そんなものに興味を引かれることもなくなる。女の子は可愛いし、大好きだ。ただ、甘ったるくてちょっと食べればすぐに胸やけしてしまう。

「オレん家、門限あるんスよ」
「嘘だぁ」

 じゃあ今度はいつ会える? と笑いながら着替えを続ける黄瀬の腕に絡みついてくる。
 腕に当たる柔らかい感触も、見上げてくる潤んだ双眸も計算されたものなのかと思うと、どうしても黄瀬はもう一度この女を抱く気になれなかった。

「もう会わないよ、バイバイ」

 電話もしてこないでね、と告げて支払いだけを済ませて部屋を出る。背後から罵声が聞こえたが、そんなことはいつものことで、それを気にする様な繊細さは生憎と持ち合わせていなかった。
 空を見上げれば半分の月が空にぽっかりと浮かんでいる。
 熱気を孕んだ夜気は、肌をねっとりと包む。その湿度につい先刻別れたばかりの女との情事を思い出して、黄瀬は眉をしかめた。





「はい、オレの勝ちだから一人1000円ずつちょーだい!」

 翌日、放課後の教室でいつものメンバーにいつものようにそう告げると、男たちは口々に文句を言いながらも各々財布から1000円札を一枚ずつ取り出して黄瀬に差し出した。
 黄瀬は女の子が好きだった。
 あの愚かさに触れると、自分が優位に立てるような気がした。自分は他の女とは違う、そう思っている女を落として、抱いて、紙屑の様に簡単に捨てる。それにも次第に飽きて、今では期間とターゲットを決めて、期間内に口説き落とせるかどうかをこの友人たちとの賭けのネタとして使っていた。

「あれ、S女の生徒会長だろ? 鋼の女って言われてたのに、黄瀬すげーな」
「男嫌いで有名だったらしいじゃん。S女のお嬢様かー、羨ましい」
「えー、大したことなかったっスよ?」
「おめぇはマジで何様だよ」

 大声でげらげらと笑う男たちに、居心地の悪さを感じる。だが、この場から離れたとて、この居心地の悪さと焦燥感は決して消えない。それならば、刹那の快楽と手軽に楽しめるゲームに興じていた方がいくらかはマシだ。
 笑い声も自然と収まり、次のターゲットを誰にするかと言う話題に変わる。
 今まで、「難攻不落」と称されてきた女たちをいとも容易く口説き落として賭けに勝ってきた黄瀬にとって、どんな女が来ても負けることなど考えられない。高い背丈に甘い声、端正に整った容姿で君だけだよと囁けば、どんな女でも喜んでその身を差し出した。

「今度こそ負かしてやる」
「誰がいいかなー? 絶対落ちない奴」
「君たち、もう下校時刻になります。早く下校して下さい」

 音もなく現れた教師の言葉に、その場にいた全員が凍りついた。気配が全く感じられなかったのだ。
 いつからそこにいたのか分からないその教師は、黄瀬の隣に立っていた。透ける様な白い肌とラムネ色の髪に、何を考えているのか全く感じさせない、髪の毛と同じ色の目はビー玉みたいに丸い。
 存在感の薄さと肌の白さをそのまま体現した様な声は、落ち着いたトーンで中性的にも感じられたが、それでも男性のそれだとはっきりとわかる。

「先生、いつからいたんだよ」
「今です。ほら、早く帰る準備をして」

 どうやら先ほどの話の内容までは聞かれていない様で、ひとまず胸を撫で下ろす。あんな下世話な話、聞かれたらどんな処分が待っているか分かったものではない。面倒事はご免だ。
 10分後にまた見回りに来る、と言う言葉を残して、教師は教室から去った。
 蜃気楼みたいな存在感の教師の後姿を見ながら、黄瀬はこの教師が何の教科担当だったか思い出せずにいた。いくら担当外だからと言っても、同じ校内の話だ。見たことはある気がするのだが、彼が何年の何を担当していたかは全く思い当たらない。

「びっくりした」
「あいつ、何だっけ、名前」

 教師が出て行った安心感から、教室内がまたざわめきを取り戻し始める。皆一様に同じ反応で、彼のことを思い出せないのは黄瀬だけではない様子だった。

「あいつ、3年の国語の教師だろ」
「あんな奴いたかー?」
「いたよ、多分……。しかし影うっすいなー」
「ありゃ童貞だな」

 教室内がどっと沸く。口々に国語教師への感想をあけすけに話し合ううちに、その中の一人がとんでもないことを言い始めた。

「なぁ、次のターゲットあいつにしね?」

 さすがの黄瀬もこれには面喰った。
 線は細いが、間違いようもない、あの国語教師は男だ。何を言い出すのかと発言した相手を見れば、呆気にとられていた周囲もそれは面白いと話しに乗っかり始めた。

「いや、さすがにそれはないっスわ」
「だってお前、女ならもう誰でも落とせるだろ。それじゃ賭けになんねーし」
「そうだよ、面白いじゃん。ホモ教師淫行で捕まるー、とか新聞に載ったりして」
「黄瀬、お前やれって」
「いくらオレでも男は抱けないっスよ!?」
「あー……、なら今回だけはキスだけで許してやるよ」
「だな。惚れさせてチューして終わり! ハードル高いから、期間はいつもの倍の1か月。で、キス出来たらお前の勝ち。金もいつもの3倍出してやるよ」

 周囲が黄瀬を置いてけぼりにして盛り上がる。
 空気を読んで自分に求められることを的確にこなしていくことで、恵まれた容姿と才能を持つにも関わらず敵を作らずに過ごしてきた黄瀬は、この流れに従わざるを得なかった。
 ため息をついてから渋々頷くと、教室内が一層騒がしくなる。さすがだなー、と言いながら背中を叩いてくる友人と言えるかどうかも怪しいクラスメイトを鬱陶しく思いながらも、黄瀬はどうやってあのお堅そうな国語教師を口説き落とそうか思案するのであった。





「黒子セーンセ」

 黄瀬は恵まれた容姿と持て余した時間を活かしてモデルの仕事をしていた。
 黄瀬自身は興味がなかったのだが、業界内には同性愛者もバイも少なくはない。実際、同性愛者に熱烈にアピールされたこともあった。男同士の行為にどうしても興味を持てなかった為に、必死で彼を振り切ったのは軽いトラウマだ。
 そんな状況に置かれていたからこそ、黄瀬にはこの年代の人間よりはそういった分野に詳しかった。聞いてもいないのに彼氏とのあれこれを教えてくれた男性ヘアメークさんに、今は感謝した方がいいかもしれない。
 まぁ、それにしたって実践は初めてなのだから、これ黄瀬にとって有利なのかと言われればそうでもないのだが。
 とりあえずは接触しないことには話しは始まらない。翌日の昼休み、職員室でかの教師を見つけられなかった黄瀬は、4階片隅にある国語準備室を訪れた。
 2度軽くノックをして、返事を待たずにドアを開ければ、ラムネ色の瞳と視線があった。
 まだ日は高いのに、薄暗い室内には安物の蛍光灯が煌々と灯っている。安い蛍光灯の下でも尚、白い肌は透けるようで、それが倒錯的な感覚に陥らせる。

「なにかご用ですか?」

 抑揚を抑えた声は、やはり男のものだ。黄瀬よりも大分背丈は低いが、女よりも太い首と骨ばった細い腕が彼の性別を如実に示して、それが黄瀬を落ち込ませる。
 だがそれを微塵も感じさせない明るい笑顔で近付いて、自然に見える様に努めて距離を縮めた。

「昨日はどうも」
「昨日……ああ、2年生の教室にいた子ですね。あの後すぐに下校しましたか?」
「もちろんっス! あのね、先生って国語の先生なんスよね」
「そうですよ」
「オレね、国語苦手なんだ。だから、教えて欲しいなって思ったんだけど、だめ?」
「いいですよ」

 ふわりと向けられた笑みは柔らかい。生徒が学習意欲を示したことに対して喜んでいるのだろう。
昨晩一晩かけて、この国語教師をいかにして口説き落とすか考えた。
 普通に考えて男同士。しかも、教師と生徒だ。相手がゲイでもない限り、正攻法で攻めて1カ月でどうこうなるとは、黄瀬には到底思えなかった。
 それならば、奇をてらって相手を自分のペースに巻き込んでしまおうではないか。

「でも、君2年生でしょう? それなら川村先生が担当ではないのですか?」
「黒子先生が良いんス」
「……変わった子ですね」
「そうっスか? だってオレ、先生に一目惚れしちゃったから」

 最初に大きなインパクトを与えて、意識し始めた相手をじりじりと追い詰める。初めは拒まれるだろう。だけど、こちらを意識させさえすれば勝算はある、はずだ。
 出来る限りの優しい笑顔を浮かべて、精一杯の甘さを言葉に乗せた。にっこりと微笑みかければ、国語教師はぽかんと呆けた。いいぞ、思い描いていた反応と寸分違わない。
 黄瀬は心の中で舌舐めずりをした。

「黒子先生のこと好きになっちゃったみたいっス」

 更に距離を縮めようと近付くと、縮めた距離だけ離れられる。だが、狭い室内だ。すぐに黒子は壁に行きあたり、せめてもの抵抗か丸い目をきつく吊り上げて黄瀬を睨んだ。

「ボク、そういう冗談は嫌いです」
「冗談じゃないっスよ」

 右手を取って、手の甲に軽く口付けると、ひっと小さな悲鳴が上がる。可能ならばこっちだって悲鳴を上げたい。誰が好んで男の手になんて口付けるか。こちらとて、好き好んでやっているわけではなないのだ。

「ね、先生、」

 掴んでいた手を持ち直して、今度は手首の内側に口付ける。同時に黒子の表情を確認しようと顔を上げた瞬間、脇腹に強烈な痛みを感じて、黄瀬はその場にうずくまった。一瞬、呼吸を忘れる痛みに生理的に涙が出る。

「……冗談は嫌いだと言いました」
「ひっで……生徒殴るっスか、普通」
「正当防衛、及び愛の鞭です。君がそう言う性癖を持っていることは誰にもいいませんから安心して下さい」

 さぁ、出て行って下さい、という言葉に反論しようとしたが、その言葉も午後の予鈴で遮られる。
 まぁ、いい。今日はこれだけ印象付けられた。勝負はこれからだ。

「また来るね、黒子センセ」
「お断りします」

 ため息を吐く横顔に手を振り、クラスへと戻った。





 黄瀬は悩んでいた。
 お世辞にも優れているとは言えない、足りない頭をフル回転させるが、思うような答えは出てこない。
 あの友人たちとの賭けから、2週間が経っていた。
 最初の接触こそ黄瀬の計画通りに事が進んだのだが、問題はその後だった。あれ以来、黄瀬は黒子と接触することすら出来ていないのだ。
 黒子は教師だ、学校に来ていないわけはない。黄瀬だって、ここ2週間はこの賭けの為に毎日真面目に来ている。それなのに、何故だか校内で黒子と会うことが出来ないのだ。
 黒子との初接触の翌日、早速国語準備室に足を運んだが、当然これは空振りに終わった。その後、職員室、顧問を務める囲碁部の部室、図書室も探したのだが見つからない。他の教師に聞いても、さっきまでいたのにどこに行ったのだろうと、同僚教師も首を傾げるばかりなのだ。
 初対面で感じた存在感の薄さがここまでとは、大誤算だった。まさかこんな所でつまずくなんて。このままでは、口説き落とすどころか、口を聞くことも出来ないまま残りの2週間も終わってしまう。相手は教師、しかも同性だ。1か月だって短いくらいなのに、何もしないまま2週間が経過したことに、黄瀬は激しく焦っていた。
 学校のない土日、部活動に属さない黄瀬には休日に登校する理由もない。こうなったら、最後の手段である。
 可愛がってくれている女性教諭からこっそり見せて貰った教員名簿から、黒子の自宅の住所は割れている。自宅付近で待ち伏せて、偶然を装って近付くしかない。
 あの地味な男相手にここまで躍起になってストーカーじみたことをするのは気が引けたが、今は手段を選んでいる余裕がなかった。
 黒子の自宅はエレベーターのない4階建てのマンションの2階だった。車通りの多い通りに面しているので、近辺には飲食店もいくつかある。ちょうど入口の向かいに面している喫茶店に入り、カウンターに座って様子を窺うことにした。
 まだ黒子について、全くと言うほど情報がないのだが、なんとなく彼はインドア派な気がする。というか、アウトドアな黒子を想像できない。休日だからと言って外出するとは限らないが、それならば明日もまたここで張るだけだ。マンションは単身者用だし、買い出しに一度くらいは外に出てくるだろう。
 頼んだコーヒーは酸味が強く、黄瀬の口には合わなかった。他の商品を頼む気にもなれず、ちびちびと舌を濡らす程度にそれをすする。
 一時間ほど経った頃、マンションの入り口に見覚えのあるラムネ色の頭が見えた。思ったよりも早い意中の人物の登場に、黄瀬は慌てて席を立ち乱暴に空のカップをごみ箱に捨てて店を出た。
 紺色のポロシャツにベージュのチノパンの黒子は、喧騒に紛れて少しでも目を離すとすぐに見失いそうになる。ある程度の距離を保ちながら彼を尾行するのは、想像以上に骨が折れた。これは、機会を窺って早めに声をかけた方がいいかもしれない。ここで見失っては元も子もない。
 マンションから歩いて10分ほどの大型スーパーに入る。複合型施設であるそこは土曜だということもあり多いに混雑していた。これは非常にまずい。確実に見失う。
ここであれば、偶然見かけたと声をかけてもさほど怪しまれないだろうと踏んで、黄瀬は小走りで黒子に近付いた。

「よぉ」
「こんにちは」

 だが、黄瀬より前に他の人物が黒子に声をかけ、黄瀬は動きを止めた。
 黒子と同じくらいか、少し年上だろうか。周囲から頭一つ分飛び出た長身の男は、まだ初夏だと言うのに随分と浅黒い。黒子を認めて笑うと零れる歯が白くて、それがまた肌の黒さを引き立たせる。背が高くて人相が悪く、笑うとガキ大将みたいだ、と黄瀬は思った。二人を取り巻く空気は柔らかく、笑顔で何事かを話しているのを見る限り、待ち合わせをしていた友人同士のようだった。
 完全にタイミングを失ったが、このまま帰るのも癪にさわる。
 話しかけるタイミングは失ったが、嫌に目立つ男と一緒に居てくれるお陰で、随分と見つけやすくなった。もう少し様子を見ようと二人の後をつける。
 2人は連れだって歩き、飲み物を買ってから地下の駐車場に向かう。学校では能面みたいな顔しかしないのに、時々見える浅黒い男に見せる横顔は笑顔で、いやに穏やかで柔らかい。随分と気を許した相手なのだろう。
 四駆の大きな車に乗り込む2人を見届けて、黄瀬はそれ以上の尾行を諦めた。さすがに車で走られては、高校生である黄瀬に後を追う術はない。
 今日一日無駄になった、とため息をついて、とっとと帰ろうと踵を返そうとした、その瞬間。視界の端の二つの影が重なった。





「やっと捕まえた」

 本日最後となる6時間目の授業をさぼって、終わりのチャイムが鳴る前から国語準備室に忍び込んでいた黄瀬は、この日ようやく2週間ぶりに黒子を捕まえた。
 室内に入ってきた黒子の腕を引っ張り、後ろ手で鍵を閉める。薄暗い室内でぼんやりと光る白い肌に、倒錯的な感覚が背筋を走る。やっと手がかりを掴んだ。もうこの賭けは、貰った様なものだ。
 突然のことにしばらく呆けていたが、一拍遅れ事態を把握した黒子は警戒し、ラムネ色のビー玉みたいな目をまたきつく吊り上げて黄瀬を睨みつけた。

「君は何がしたいんですか」
「言ったじゃないっスか。オレは先生のことが好きだって」
「言ったでしょう。ボクは冗談が嫌いだって」

 言うことを聞かない駄々っ子にするように、黒子が眉間を抑えてため息を吐く。きっちりと締められたネクタイから覗く白い首を見て、黄瀬は一昨日の光景を思い出す。

「先生、ゲイでしょ」
「……は」
「あんな所で男同士でキスしちゃダメっスよー。誰かに見られたらどうするんスか」

 何て愉快なんだろう。意図せずに口元が緩む。これは既に勝ちが決まった出来レースなのだ。ならば、存分に楽しませてもらおうじゃないか。
 黒子の表情がどんどん曇っていく。完全に捕食者と非捕食者の関係となったことに、至高の充足感を覚える。

「オレの言うこと、聞いてくれるよね?」

 そろりと撫でた白い頬は、白桃の感触を思い出させた。



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