9話



一人で練習する時間は好きだ。
静かな教室で集中できるから。でもあの日以降、彼の顔が頭をチラついて離れない。あの曲を歌うとどうしても思い出してしまう。
一通り練習してプレイヤーを止めた。ふと視線を感じて廊下に目を向ければ扉の向こうに彼が見えた。扉の小窓からこちらを覗いていた彼はぱちん、と目が合うと慌てた様子で小窓から姿を消した。扉がガタガタと揺れたので、多分立ち去ったのではなくしゃがんだのだろう。私は扉に歩み寄り、そのまま取っ手を引いた。

「あっ……」

案の定扉の前にしゃがみこんでいた木兎くんが居心地悪そうにこちらを見て口元に手を当てていた。

「……とりあえず、入る?」
「え、……いいの?」
「うん、まあここ教室だし」
「栞練習は、」
「一通り終わったから」
「じゃ、じゃあ失礼しまーす……」

立ち上がり教室に入った木兎を見て、私は扉を閉めた。彼に向き合おうと振り返ると、彼は頭を下げていた。

「この間はごめんなさい!!!」

見事な九十度のお辞儀だ。背の高い彼のつむじが見えて、レアだな、と冷静に思う自分がいた。

「あの、別にもうなんとも思ってないから気にしな、」
「え!?なんとも思ってないの!?!?」
「え、うん……」
「それは困る!!!」
「……どうして?」
「俺のこと意識してて欲しかった!」
「ええ……」
「俺、栞が好き」
「え、」
「その、好きだから、ちゅーしちゃったんだけど、」
「いや、あの、」
「本当はすぐに告白して付き合いたいなって思ってたんだけど、赤葦たちに止められてて」
「止められた?」
「うん、もっと仲良くなってからにしなさいって」
「あー……、なるほど」
「でも俺、我慢できなくなっちゃって。あの時の栞、すっげー綺麗だったから」

この人は、やっぱりキラキラしてる。

「あの、ね。私、木兎くんにキスされたこと自体は嫌じゃなかったの」
「えっ!?」
「でもあんな真っ青な顔でごめんって謝られたから、その場の勢いだったんだなって思って」
「それは違う!その、本当はするつもりなくて!いやめちゃくちゃしたかったんだけど!友達同士でするのは良くないって思って!でもその、体が勝手に動いたから、その……」
「でもさ、木兎くん彼女できたんじゃないの?」
「え?」
「……この間、中庭で女の子と抱き合ってるの、見ちゃって」
「うん、赤葦に聞いた。栞も見たって」
「うん」
「それも、ごめん。俺の不注意、のせいで考え無しで、栞のこと傷つけた」
「え?」
「あの子は彼女とかじゃない。告白されて、抱き締めてくれたら諦める、って言われて……断ったんだけど、ファンサービスみたいなものですよ、って言われてそっかって思っちゃって、……ごめん」
「……木兎くん」
「ま、待って、もう返事する?俺、まだ心の準備が、」
「私も好き」
「………………ん!?」
「私も、木兎くんのことが好き、です」
「……嘘じゃない?」
「うん、嘘じゃないよ」
ぽかんとする木兎。
「私ね、実は一年生の時から木兎くんに憧れてたの」
「えっ!?」
「木兎くん、キラキラしてるなーって」
「キラキラ?」
「うん」
「そーなの?」
「うん。廊下で初めて見た時に、すっごく元気な人だなーと思って。わたし結構木兎くんが出る試合、見に行ってたよ」
「ほんとに!?」
「うん、遠くで見てるだけだったけど、すごく元気貰ってた。だから初めて話したあの日、すごく嬉しかったの」
「……」
「ほら、その後もジュース奢ってくれたり、話しかけてくれたり、私にとっては一生分ってくらいの幸せを貰ったよ」
「栞」
「木兎くんが、ずっと憧れてた木兎くんが私のことを好きだって言ってくれて嬉しい」
「じゃあ、」
「でも、ごめんなさい」
「え、」
「木兎くんとお付き合いはできません」
「………………なんで?」
「私と木兎くんは、違うから」
「何が?」
「何って、……住む世界とか目指してる場所とか?」
「どういうこと?今同じ場所にいるだろ?」
「それは、そうなんだけど……」
「目指してるところって?プロとかそういうやつ?」
「うん」
「そんなん違うに決まってるじゃん!栞はプロバレーボーラー目指してないなんて知ってる!」
「……えっとね、木兎くんはいつか、でも多分すごく近い未来で私の手に届かない場所に行っちゃうと思うの」
「……俺、よく分かってないけどさ、」

木兎は手を握った。

「俺はずっと栞の手掴んでるから。離したりしないし、どっか行ったりしない」
「……木兎くん」
「それに目指してるところが違ったら付き合っちゃいけないの?」
「え……」
「この前将来の話ししたろ?あの時も思ったけど、自分がやりたいこと、すればいいじゃん」
「……木兎くんは才能もあるし、努力もできる人だからそんなふうに言えるんだよ。私は、違う」
「栞はちゃんと努力してる」

「俺、栞の歌好きだし、すげーって思うし、プロになれると思う!」

「栞はさ、俺がプロになるって疑ってないじゃん」
「うん。だって木兎くん凄いもん。全国で五本の指に入るんだよ?めちゃくちゃすごいと思う」
「俺もおんなじ」
「え?」
「梟谷の演劇部はレベル高いって聞いた!すげー音大行ったり、留学したり、プロの人も何人もいるって!」
「それは、そうだけど……」
「そこでレギュラー張れるんだからすごいに決まってる!前も言ったけどさ、体育館で歌ってた時、栞がいっちばん歌うまかったしキラキラしてた!」
「…...木兎くんに言われると、なんだかプロになれる気がしてきた」
「ほんと!?」
「うん、ありがとう」
「俺、栞に見てて欲しいし、俺に栞が頑張るの応援させて欲しい」
「……うん」
「そんでずっと一緒にいたいって思う」
「うん」
「あとまたちゅーもしたい」
「ふふ、」
「俺と、付き合ってください!」
「…………はい」

抱きつこうとする木兎だが、直前で止まった。

「あの」
「うん?」
「抱き締めてもいい?」
「それ聞くの?」
「だって皆が無理矢理はダメだって」
「なるほど」
「ちゃんと確認しろって言われてるから……」
「木兎くん」
「ん?」
「抱きしめて欲しい、な」
「もちろん!」
「わ、」
「あ、力強かった!?」
「ううん、大丈夫」

ちょっと苦しいけど、この苦しさを楽しもうと思った。


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