心を溶かす







「お疲れさん、志望校受かってよかったな。おめでとう」

合格発表の翌日、北は真っ先に直接おめでとうを言いに来てくれた。

「うん、応援してくれてありがとう」
「なんや侑たちが企んでたで」
「え、それ私聞いていい話なん?」
「あ、これ言うたらあかんやつやったんか」

そう言って笑う北につられて私も笑った。

「引越しの日は決まったん?」
「とりあえず三月半ばに鍵を受け取って下旬に引越す予定」

私はこの春から大学生になり、県外に出て一人暮らしを始めることになる。

「俺も車出せるし、何かあったら声かけてな」
「うん。ありがとう」

引越し自体は家族と引越し業者の力があれば無事に終わると思うが誰よりも気にかけてくれるのが嬉しかった。
しかし、私と反対に北の眉間には徐々に皺が寄っていく。

「どうかしたん?」
「……不安やな」
「ええ、なにが?」
「春原の一人暮らし」
「大丈夫やって」

心配しすぎ、と言えば北は眉間の皺を深めた。

「……何かあっても、すぐ会えんやろ」
「それは、そうだけど……」
「あんまこんなこと言うてても仕方ないな。春原が充実した大学生活を送れるように俺も出来ることはするから」



そんなこんなで私たちは無事に稲荷崎高校を卒業し、私は引っ越しを明日に控えていた。



「遂に明日やな」
「うん。もう準備で体バキバキやねん」
「今日良かったん?」
「うん?
「親御さんやって最後の日くらい一緒におりたいやろ」
「大丈夫!北と、その、しばらく会えなくなるし」

まあ五月の連休には帰ってくる予定やけど、と言えば北は私の手を握った。

「ひと月以上も会えへんねやな」
「確かにそんなこと、出会ってから初めてやもんな。北は不安?」
「不安言うか、……なんやろな」

少し心配そうな顔をする北に微笑みかけた。

「今日はいっぱい思い出作ろうな」
「……せやな」

今日は北の運転で遠出だ。免許取り立ての北の運転にわくわくしていたけれど、運転席の北は普通にかっこよくて直視出来なかった。
海沿いを散歩したり、プリクラを撮ったり、ちょっと大人っぽい喫茶店に行ったりして、これからの会えない時間を少しでも埋めるように過ごした。
海浜公園のベンチに座り、近くのキッチンカーで買った飲み物を片手に二人で話した。どんなに話しても話し足りない気がして、少しでもこの時間が続いてほしくて必死に口を動かした。

「そういえば卒業式の日にな、侑にやっぱ卒業せんとってくださいって言われてめっちゃ嬉しかったんやけど、なんや角名に聞いたら単にマネがおらんくなるんが嫌やったみたいでな。治に人でなしー言われとってなんか可哀想になってもうてな、そんで、」
「春原」
「なに?」
「そんなに必死に話さんでも、まだしばらくは一緒に居れるから」
「……うん」

北にはなんでもお見通しだ。海を見ながらゆっくりと口を開いた。

「なあ北」
「なんや」
「毎日、電話してもええ?」
「ええよ」
「毎日やで?」
「ああ、かまへんよ」
「私と会われへん間、他の女の子と遊ばんといてな」
「そんなん当たり前やん」

そう笑って手を強く握ってくれる北に胸が苦しくなる。

「……自分で決めたことやけど、離れたくないなあ」

北の手をぎゅっと握り返す。

「私、ちゃんと勉強してこっち戻ってくるから」
「わかっとる。たった四年や」
「…うん」

たった四年。北はそう言うけれど、私たちが共に過ごした三年間より長いのだ。繋がれた手を見て安心したいけれど、これからの二人の距離とか、恋人とはいえ変わっていく関係性とか、不安は拭いきれない。

「なあ、顔上げてくれへん?」

そう言う北に私は抵抗した。

「……今泣きそうやから嫌や」
「ええから」
「ん、」

ゆっくりと顔を上げた私を確認してから、北はバッグをゴソゴソし始めた。

「これ」
「……え、」

取り出されたのは小さな箱だった。それはどう見ても、あの箱、で。北はその箱をゆっくりと開けた。

「なん、えっ、あの、これ、」

箱の中心で輝く指輪に混乱した。

「大学の入学祝い。……と、虫除け」
「……虫?」
「いらんかったか?」
「そんなわけないやん!嬉しすぎてようわからんなって、」
「喜んでくれとるんやな」
「当たり前やん!めっちゃ嬉しい……」
「右手、出してくれるか」
「……うん」

ゆっくりと右手を差し出せば、北はその手に優しく触れた。

「…安モンやけど、つけとってほしい」
「そんな、これシルバーやろ?北バイトもしてへんのにこんな…」
「ええねん。俺のエゴやから。目で見て俺のやってわかるもんが欲しかったんや」
「北……」
「よう似合うとる」

右手の薬指に嵌った指輪を見て、目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「え、へへ、ありがとう」
「ほら、そんな泣かんといて」

北が服の袖で私の目元を拭った。前は私に触れるのにこわごわ、といった北も、もう慣れたものだ。

「やって嬉しすぎて、…私こんなに幸せで……」

抱き寄せて頭を撫でてくれる北に体を委ねた。

「……栞」

北のその声に思わず顔を上げた。

「……え、」
「名前で呼んでもええか、…ってもう呼んでもうたけど」
「……うん、信介」

恥ずかしさを抑えて私も名前で呼んでみた。きっと顔は真っ赤だろう。

「…………」
「……あ、あかんかった?」
「いやちゃうけど、…なんや、照れるな」
「二人とも顔、真っ赤やね」
「そら赤くもなるやろ」
「へへ…」
「なんで笑うん」
「嬉しくて」

北は顔を赤くしつつも、私の目をじっと見てきた。

「……なあ、」
「うん?」
「嫌やったら、そう言うてくれてええんやけど」
「うん」
「……キス、せえへん?」

北のその言葉に、一瞬息をするのを忘れてしまった。
手を繋ぐようになって。ハグをするようになって。些細なスキンシップならもう抵抗なくできるようになった。
でもそこからそれ以上はお互いに歩み寄ろうとはしなかった。キスは、やっぱり、特別だから。
私はなんて言えばいいのかわからなくて黙ってしまったからか、北は苦い顔をして口を開いた。

「……あかんかったな。すまん。なんや焦ってもうて、」

私の心は決まってる。
私は北の頬を両手でゆっくり挟んだ。

「え、なにす、」

ふに、と北の唇に自分の唇を寄せた。リップ音なんてしない、本当に触れるだけのキス。唇を離し、ゆっくりと目を開ければそこにはぽかんとした顔の北がいた。

「ふふ、キスしてもうた」
「……せやな」
「なんか思ってたよりあっさりやった!」

そう言って笑えば、今度は北が私の頬を両手で挟んだ。

「せやったら、もう一回ええ?」

北のその言葉に目を閉じる。唇に触れる温もりは本当に心地よくて、私が知っているあの忌々しい感触とは全くの別物だった。
離れてはくっつく北の唇に私は甘えることしかできないけれど、北の口から漏れる吐息に嬉しくなった。
海風に靡く私の髪を北が耳にかけてくれる。目を閉じていても、目の前に「幸せ」があるのがわかる。これから歩む人生、私が隣にいたいのは、隣にいて欲しいのは彼だけだ。


(こおりを溶かす
離れた唇に、私はまた唇を重ねた
prev | next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -