迷妄な少年少女






ボールを打つ音が少なくなる自主練後半、牛島はビブスの枚数を確認している栞に声をかけた。

「栞、マッサージを頼、」
「まずはこれを飲んで」

牛島が全てを言い終わる前に栞が口を挟んだ。容器をシャカシャカと振ってプロテインを差し出す。

「ああ、すまない」
「で、飲みながら手当てするから」

プロテインに口をつけた牛島は少しだけ目を見開いた。

「手当て?」
「さっき左の中指気にしてたでしょ」
「……」
「今も右手で受け取ったし。分かってるんだからね」
「……」
「どうせ一晩寝たら治るだろう、とか思ってたでしょ。なんかあったら困るんだから」

栞は牛島をベンチに座らせ、脇に置いてあったボックスに手を伸ばした。

「こことここ、固定すれば大丈夫そう?」
「ああ」
「……よし、終わり。ちょっと待ってて、マット持ってくるから」

栞はマッサージのためにヨガマットを手に取り、体育館のステージの上に敷いた。まだ自主練している人もいるから邪魔にならないように、という配慮だったが何分目立つ。

「はい、仰向けになって」
「ああ」

脚の曲げ伸ばしを繰り返し、足首やふくらはぎを重点的にマッサージする。テーピングを気にしているような素振りを見せる牛島に栞は声をかけた。

「指、大丈夫そう?」
「ああ」
「そう、良かった」

一旦脚のマッサージを終え、肩や首周りのマッサージに移る。

「あれ、なんか肩硬いな」
「そうか?」
「うん、凝ってる気がする。後でちゃんと肩甲骨回してね。肩の上げ下げも忘れないで」
「わかった」
「はい、今度はうつ伏せ」

マットの上でうつ伏せになった牛島の太ももあたりに栞は跨った。

「じゃあ腰マッサージするね。違和感とかない?」
「ああ」

それを聞いて栞は指にかける力を強めた。

「最近心配してるのはふくらはぎなんだけど」
「言われた通りセルフマッサージは続けている」
「うん。時間あったらそのまま太ももまでやった方がいいよ」
「ああ」
「あ、そうだ。牛島くん明日の、」
「栞」

話している途中で牛島が口を挟むのは珍しいことだった。

「うん?」

一度手を止め、目の前の背中を見つめる。

「……今は二人だ」
「うん?そうだね」
「苗字で呼ばなくていい」

普段栞は牛島を“牛島くん”と呼んでいる。三歳からの幼馴染にしては他人行儀な気もするが、これには理由がある。妬みや僻みの対象にならないようにという予防線だ。

「……あー、でも誰かに聞かれちゃうかもしれないし」
「メンバーなら問題ないと言っただろう」
「そこを信用してないわけじゃないの。私の切り替えの問題。ここで慣れちゃうと他の場面で呼んじゃいそうだし」
「……でも今は大丈夫だ」

牛島の強い視線に、栞は周囲を見渡し口を開いた。

「わかったよ、わか」
「ああ」

満足そうにそう言った牛島に栞は流されまいと口を開いた。

「……ってそうじゃなくて!明日の小テストの話をしたかったの」
「小テスト?何のだ」
「生物」
「…………」

一瞬眉間に皺を寄せた牛島に栞はため息をついた。

「やっぱり忘れてたでしょ。山形くんがあるって言ってたよ。ちゃんと勉強してね」
「……ああ」
「わかにはバレーだけさせてあげたいけど、学生の内は、少なくとも高校までは勉学にも勤しんでね」
「ああ」
「ん、……よし、っと。おしまい!」

大きな背中をポン、と叩くと牛島はゆっくりと起き上がった。

「どう?」
「ああ、スッキリした」
「はーい。じゃあ伸びをして上がってね」
「栞」
「なに?」

ヨガマットをくるくると片付けていると、牛島が栞の名を呼んだ。

「お前は来年、どうするんだ」
「……来年?」
「ああ」
「何を?」
「進路だ」
「ああ、進路か。県内の大学のつもり」

サラリと言った栞に対して牛島は一瞬言い淀んだ。

「……そうか」
「うん。なんで?」
「中学も高校も、同じだっただろう」
「わかと?うん、まあ同じにしたくてしたからね」
「次も、一緒なのかと思っていた」
「次、って……私選手じゃないし。進学でもプロ入りでも来年からはわかにはプロの人がついてくれるって!」
「……ああ」
「私のなんちゃってマッサージより、わかの体にあったスポーツ学に基づいたちゃんとしたやつの方がわかの為になるよ」
「……そうか」
「わかが宮城(こっちに戻って来た時にまたマッサージやってあげるよ。まあその時じゃ、私のマッサージじゃ物足りないと思うけどさ」
「……」

なにか言いたそうな牛島に栞は首を傾げた。

「わか?」
「いや、何でもない」
「そう?」

牛島は言いたいことを言わない性格ではない。栞に遠慮することもほとんどない。そんな関係の中では珍しい事だった。牛島が伝えたいことを上手く言語化出来ない時に言い淀むことはあるが、栞はそれとは違う気がした。

「春原さん!」

少し離れたところから聞こえてくる元気のいい声に栞は振り返った。

「どうしたの五色くん」
「俺もやって欲しいです!マッサージ!」
「いいよー」

元気よくステージの上に上がってこようとする五色を栞が見ていると、ステージに肘をついた天童が茶化すように口を開いた。

「いや工、よくあの雰囲気の二人に割って入ったね」
「?」
「天童くんのことは無視していいから、ほら横になって」
「栞ちゃんひっどーい」

栞は手元のヨガマットを広げ直し、五色に横になってもらう。

「五色くんの体に慣れてないから、くすぐったかったり痛かったりしたらすぐに言ってね」
「はい!」
「栞ちゃん工の体に慣れてない、って……えっち!」
「うるさいよ天童くん」

きゃーきゃーと囃し立てる天童を無視して栞は五色のマッサージに集中した。









「若利くん、何見てるの?」
「……栞のマッサージだ」

ステージから降り、水分補給をした牛島はステージの上を見つめていた。

「なになに?気になっちゃう感じ?」
「いつも自分がされる側で、栞がマッサージしている姿を見たことがなかった」
「なるほどねえ」
「あんなに近いのか?」
「え?」
「五色と、距離が近くはないか」

その言葉に天童は目を丸くした。

「若利くんだって、毎日あんな感じだよ」
「…………」

じっとステージを睨むように見つめる牛島に天童は口角が上がった。

「あれー?」
「……なんだ」
「んーん!なんでもない」

満足そうに笑う天童に牛島は首を傾げたが、何か考えた様子で口を開いた。

「……栞は、」
「うん?」
「県内の大学に進学するらしい」
「お、聞いたの?」
「ああ」
「それで?若利くんはどう思ったの?」
「……どう、とは」
「何でもいいよ!この間もちょっと話したけど、まあ気軽に会えなくなるわけじゃん?その辺どう?寂しいーでもいいし、逆に解放されるーとかでもいいけど」

大袈裟な身振り手振りで天童がそう聞くと、牛島は表情を変えずに口を開いた。

「……心配だ」
「何が?」
「栞が」
「んん?どういう意味?」
「俺がいなくなったら、守る奴がいなくなるだろう」

そう言って目を合わせてきた牛島に天童はなんとも言えない気持ちになった。自分が二人の関係に落ち込むのはおかしいと思うが、ずっと見てきた二人が離れてしまうという事実は少なからず悲しみの対象ではあった。

「……若利くん」
「なんだ」
「栞ちゃんなら大学で彼氏できるだろうし、そんなに心配しなくて大丈夫じゃない?」

天童は、事実そうなるだろうと思う未来を牛島に告げた。二人の進展を望まない訳では無いが、どうにも二人はこのままだと交わりそうにない。天童は、発破をかける意味でも、牛島には栞の未来を想像して欲しかった。

「……彼氏」
「うん!栞ちゃん可愛いし、今も結構誘い断ってるって聞くし」
「誘い?」
「うん。デートしようとかそういうやつ」
「……デート」
「うん、…って若利くん、さっきから単語の復唱しかしてないけど大丈夫?」
「ああ……」

手に持ったタオルに皺がよる。力が込められた手に天童はほんの少し嬉しくなった。

「あ、もしかして、今すごくモヤモヤしてる?」
「……そうかもしれない」

半分冗談で言ったその言葉を素直に肯定した牛島に天童は驚いた。

「……若利くんもちゃんと男の子だねえ」
「俺は男だが」
「うん、そうなんだけどサ」


迷妄な少年少女
「自覚がないってのは厄介だね〜」
「……?」
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