つくばねの 峰よりおつる みなの川

「大将、この書類も提出が近いのでお願いします」
「えー、書くところある?」
「いえ、押印だけです」
「じゃあソフィアちゃん押しといてよ」
「…私が手伝えることにも限度があるんですからね」

そう言いつつも私は、勝手知ったる彼の執務机の引き出しから判子を取り出した。

「いやー、ありがとね」
「本当はこれ、駄目なんですからね」

溜息をつきながら、自分の机で判を押す。

「でもそう言っていつもソフィアちゃんは手伝ってくれるよね」

山のように積まれた書類の向こうから大将の目が見えた。

「…そうでもしないと、終わらないからですよ」





私が大将に恋心を抱いたのは、出会ってすぐだった。第一印象は、なんていい加減な人なのだろう、という感じだった。まあ、それは今も変わらないのだけど。事務の補佐官としては最低な上司だと思う。でも、彼には彼の“正義”があった。
そこに惹かれてしまったのだ。
私には考えられない何かを抱えているのだろう。でなければこんな風にはなれないし、生きられない。憧れが好きに変わるのはすぐだった。
その気持ちは、最初こそ小さなものだったが、時を重ねるにつれ、どんどんと膨らみ、自分では抑えきれないほど大きくなっていった。



「はあ、終わったね」

そう溜息をつき、椅子の背もたれに頭を預けた姿が書類越しに見える。

「はい、“今日の分は”終わりましたね」
「言い方、意地悪だね」
「そんなこと言うともう手伝ってあげませんよ」
「いやあ、いつも悪いねェ」
「悪いと思うなら、なるべく書類とは早めに向き合ってくださいね」
「……ねえ、ソフィアちゃん今から暇?」
「…話を逸らしましたね」
「で?時間ある??」
「ないですよ、今からこの書類を黄猿さんとセンゴクさんと、あとは経理部と人事部に届けないといけないので」
「じゃあそれが終わったら暇?」
「え?まあ、そうですね」

それを聞いた大将は、私がトントンと端を揃えていた書類を引っ掴み、扉の方へと足を向けた。

「ちょっと、大将…!?」
「ほらほら、届けに行くよ。えっと、人事部と……あとどこだっけ」

最後しか覚えていないあたり、この人は相変わらずだなと思う。

「どうして大将が自ら行くんですか!…謝罪行脚ですか?」
「随分な物言いだね」

少し落ち込むよ、という大将に私は口を開いた。

「はあ、…それは私の仕事ですから」

返してください、と言うと書類を少し見つめた後、私の手が届かない位置に掲げた。私の身長ではとても届かない。

「…嫌がらせですか」
「そうじゃなくて、一緒に行ったら、そのまますぐに出かけられるじゃない」
「……はい?」
「手伝ってくれたご褒美にケーキ食べに行こう。デートだよ、デート」

そう言いながら書類の束をヒラヒラとさせて部屋を出ていった。
私は今、きっと人生で一番赤い顔をしている。


恋ぞ積もりて 淵となりぬる
この大きくなってしまった気持ちは
どうしたらよいのだろう


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