※短編「マルシュアスを羨む」の続編です




窓から入る風が、レースのカーテンを揺らす。
窓の下に落ちる影がまるで花のように揺れ動く。ここは東の海の静かな島。海軍とも海賊とも全く縁がない穏やかな島。その島の外れに私はいる。
三ヶ月前まで、自分があのビッグマムの一族だったなんてまるで嘘のようだ。あそこでの五年間が、私の中からすっかり消えてしまったようだった。それで構わない。私はもう、一人で生きていくしかないのだから。



「あら、ナマエちゃんじゃない」
「こんにちは」
「今日はどうする?」
「白身のお魚が食べたいなーって」
「白身ね!今日もいいのが入ってるよ」

魚屋さんの元気な声が街にこだまする。少しでもいい魚をと選んでくれているらしい。私もすっかりこの島に馴染んだものだ。なかなか人の出入りが少ない島だったからか、越してきた当初は警戒されていたが今ではすっかり溶け込んでいると思う。魚を買い、野菜を買い、最後に油を買おうと買い物袋を持ち直した。すると急にふらついてしまい、倒れそうになる体をなんとか立て直そうと足に力を入れた。すると今度は急に吐き気がした。いつもならいい匂いだと思う屋台の匂いも、色々な食べ物の匂いが混じりあって耐え難い。私はその場に座り込み、えずいてしまった。

「おい!アンタ大丈夫か?」
「あらやだナマエちゃんじゃない!どうしたの!?」

島の人たちが声をかけてくれるが、反応できない。答えられない私を気遣い背中をさすってくれるおばさんに、お医者さんを呼びに行ってくれたおじさん。狭い町だから、すぐにお医者さんが駆けつけてくれたが私はそれを待つことなく襲い来る吐き気と味わったことの無い倦怠感に気を失ってしまった。









目が覚めると、家とは違う天井の木目が目に入った。

「おや、目が覚めたかい」
「…先生……」

視線を声のする方にずらせばこの街のお医者さんがこちらを見ていた。椅子から立ち上がり、脈をはかる。

「気分は?」
「吐き気は治まりました……でも、体がだるいです」

そうかい、と言って先生は部屋を出た。部屋の向こうでパタン、と何かを閉じる音がした。そしてトットットとコップに液体を注ぐ音がする。

「ほら、冷たいお水だよ」
「ありがとうございます」

差し出された水を飲む。その冷たさに少しだけ体がシャッキリした。

「いくつか聞きたいんだが、構わないかな」

カルテを持ってベッドに椅子を寄せる先生に頷いた。

「最近、似たような症状はあったかい?」
「いえ、ありません」
「食事は?」
「……あまり、食欲がなくて」
「眠れているかい?」
「はい、最近は寝ても寝ても寝足りないくらいです」

そうかい、と言って先生はカルテから目線を離しこちらを向いた。

「月のものは?」
「……え?」
「生理は毎月、きちんときているかい?」

こちらに来て三ヶ月、気持ちの整理をつけるのに必死だったり、引っ越したことによる環境の変化で意識していなかった。思い返してみれば、前回がいつだったかはっきり覚えている。“彼”との子供のために、きちんと記録をつけていた頃だから。

「……いえ、ここ二、三ヶ月はきてないです」
「君、ご主人は?」

その言葉に、これから言われるであろうことが予想出来てしまった。

「今は、……ひとりです」

私の少し震えた声に先生もなにか察したのだろう。穏やかな顔で微笑んだ。

「一応、検査をしておこう」
「……はい」

まさか。そんな。私の頭の中はその二言で埋め尽くされていた。
そんな中、検査が終わった。先生と向かい合って座る。先生は検査結果の紙に目を通し、こちらを向いた。

「妊娠しているね」

私は言葉を失い、黙り込んでしまった。本当なら喜んであげたい。めでたいことなのだ。

「なにか事情があるようだが……」

先生からしてみれば、望まない妊娠だと思ったのだろう。

「あの、先生……私は子供が出来にくい体かもしれないと言われていて、……前の主人と五年努力しても駄目だったんです。だから……、その、私は本当に……」
「ああ、妊娠しているよ。君のお腹には赤ちゃんがいる」

私のお腹に。
以前と変わらないように見える腹部に手を当てる。実感が、ない。

「その子の父親は、前のご主人かい?」
「……はい」

他に、そんな人はいない。新しく誰かと、なんて考えもなかった。

「産まない、という選択肢もある」

ゆっくりとした言葉で、先生はそう言った。

「君からしたら、ずっと欲しかった子供だろう。でも、その子はひとつの命だ。産んだ後の苦労は計り知れない。覚悟も必要だよ」
「……はい」
「産むと決めたなら、私が取り上げよう。諦めると決めた時は、隣の島の大きな病院に行くことになる」

この島の設備では無理なんだ、と言う先生の言葉に頷いた。













家に帰り、ベッドに倒れこもうとした。しかしその瞬間、やはりお腹に意識がいってしまい、背中からゆっくりと倒れ込んだ。

私の、赤ちゃん。
彼と、私の子ども。

この五年、ずっとずっと望んでいた存在。とてもじゃないが、自分のこととは思えなかった。
このまま寝ていても仕方ないと起き上がり、キッチンに向かった。スープでも作ろうと、野菜を煮る。しかし匂いに敏感になっているせいか、中々手が進まない。結局火を止め、そのまま寝てしまった。
その日以降、毎日寝ては考え、寝ては考えを繰り返していた。先生にはまだ返事をしていない。もう昼だ。のそのそと起きて、シャワーを浴びる。そして気分転換にと、玄関前の花壇に水をやる。キラキラと反射する雫の反射が眩しい。すると、草を踏む足音がした。この辺りにはこの家しか建物がなく、私以外の人間が訪れることは滅多にない。砂利と土が踏まれる音が混じる。
私はじょうろを片手に、林の向こうからやってくる人物を待った。この音。歩幅の感じ。待って、この足音は。


見 つ け た

彼の口が、そう動いた気がした。私はじょうろを落とし、後ずさり、玄関に背をつけてしまった。目の前に迫る彼に、声が出ない。

「……久しいな、ナマエ」
「カタクリ、様……どうして……」
「お前に、会いに来た」

彼が何の目的で私を探し、ここに来たのかは分からない。それに、迎え入れるにしても、今の私の家は普通のサイズで彼は入れない。彼もそれを察したのか直ぐに口を開いた。

「話はすぐに済む。ここで構わない」

そう言って彼は、私を見つめ、一瞬言葉に詰まったように見えたが、直ぐにまた口を開いた。

「お前は勝手だと言うだろうが、三ヶ月前、お前を手放したことを後悔している」

彼のその言葉に、私は思わず目を見開いた。

「ママのためだったとは言え、本当に悪いことをした。すまない」
「……謝らないでください」

彼が海賊だと知った上で結婚した。純粋な恋愛結婚じゃないことは百も承知だ。私達は親の駒。それを受け入れて、生きていた身なのだから。


「ナマエ」
「……はい」
「俺と、やり直してはくれないか」
「やり、直す……?」
「ああ、しかし万国に住まわせることは出来ない」

ママの命令で国外追放したからな、という彼は表情を変えない。

「だが、俺がこうしてお前の元に顔を出すことは許してくれないか」

彼は私の目を真っ直ぐ見てこう言った。


「愛しているんだ」


彼からの初めてのその言葉に、心臓がうるさい。
私たちは、ちゃんと夫婦だったんだ。あの五年間、お互い心の内は見せられなかったけれど、私が私なりに彼を愛していたように、彼も彼なりに私を愛してくれていた。目元が熱い。泣いてはいけないと思っているのに、とめどなく流れてくる涙に抗えない。

「ごめんなさい、……大丈夫です」

涙を手で拭いながらそう答えた。

「……泣くほど、嫌だったのか」

彼のその言葉に、私は顔を上げた。

「そうじゃなくて、……嬉しくて」
「嬉しいのか」
「え?……はい、嬉しいです」

彼が聞き返した意図がわからず、改めて言い直すと、彼は口元に手を当てた。

「……嬉しい、のか」
「ふふ、はい」

過去に過ごした五年間よりも、今の方が二人とも心を開いて話せている気がする。

「正式に籍は入れられないが、」
「……海賊の貴方が何を言うんですか」
「しかし、」
「いいんです、私もあなたを愛しています」
「…………そうか」

彼が、私を愛してくれている。それだけで私は頑張れる。

「あの、」
「なんだ」
「私からもお伝えしたいこと……というかお許しいただきたいことがあります」

彼が静かに頷いたのが見えた。

「貴方の子どもを身篭っているのですが、産んでも構わないでしょうか」

無表情だった彼の目が大きく見開かれる。

「子ども……?」
「はい」
「俺と、お前の、か」
「はい」

彼が少しだけ手をこちらに伸ばした。私はその手を取り、お腹に添えた。

「……本当にいるのか」
「はい、ここに」

布越しにお腹に触れる彼の手が熱い気がした。

「……俺は、お前に感謝してもし切れないな」
「それは、私もです」
「ナマエ……」
「これからも、よろしくお願いします」
「ああ」


ジュノーは見捨てない
久々に重なる唇は
とても熱かった


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