22.冬を綴じたと思ったら
降りしきる雨のような出会いだった、ときらは考えた。
やむことのない大粒の雨が傘に叩きつけ、幾度も不安になった。
勿論、晴れるような事もあった。でも晴れても重く分厚い雲は消えることなかった。
ふと、どんな雲の裏側も銀色の裏地を持っている、ということわざが頭の中を過る。

じゃあ、ザンザスとの出会いも銀色と言えるのかと思ったが、いいやそんなはことない、ときらには強い断定の気持ちが浮かぶ。例え銀色であったとしも、その銀色は少し焼け焦げていたと思いながらルッスーリアの作ったロトロを彼女はつまみ食いした。
銀色になる筈の生地が焼け焦げて見えても、どれもこれも良かった瞬間なんてないし、どれもこれも消したい記憶という訳でもなかったのは事実だ。


『誰にも他人の生まれや、拒絶出来ようのない環境を貶す権利はないと考えます。』


ザンザスは頭の中ではきらの言葉が木霊していた。
ボンゴレ本部からの騒動における彼女への事情聴取を終え、9代目との3人でのランチをした際の言葉である。少しばかり青みがかった菫色の余所行き用のワンピースに小さなパールの耳飾りが、きららしいと思った。

また、あの青年が出自について口にしたにも関わらず、真偽についてきらはザンザスに尋ねていない。これがスクアーロの言う彼女の良いところなのだろうか、とザンザスは考える。
そんなきらはつまみ食いをしないの、とルッスーリアに注意されたばかりだ。

「まあ!ベルちゃんの真似はやめてちょうだい!」

「えーごめんなさい」

ルッスーリアに注意されるもきらは楽しそうだった。勿論、ルッスーリア本人もそうだ。
チキンの丸焼きを作っているのだろう、キッチンへと続く廊下からはオーブンからの良い匂いが鼻腔をつき食欲をそそる。
ナターレを体験してみたかったの、という悲しい顔をしたきらの為にルッスーリアが再び腕を振るってくれているのだ。年明けまであるであろうナターレの飾りたちが再びの注目に少し輝いている様な気がするとザンザスは珍しく思った。

「お腹が空いたなら、談話室にパネットーネがまだあるわよ」

そう言われてきらは紅茶を持ち談話室へと向かう。ザンザスも珍しく自分でワインセラーからワインを取り出し、後を続く。

談話室には誰も居なかったが、ザンザスはパネットーネを頬張りながらテレビをつけたきらを横目にワインを飲み始めた。

せっかく両想いになった二人だが、手を取り合ったのはきらが目覚めた日だけだった。
ボンゴレ邸から出るとき、階段の下から手を差し伸べたのにきらは遠慮がちに小指しか手を絡めてこなかった。何故だ?とザンザスは思ったが小指を絡めたまま屋敷を出た。

そしてただ、グロスなんかどうでもいいと思っているかの様にパネットーネを齧る彼女を見つめているに至ったのである。
健康的な唇の色をしている。ニュースを観ている筈なのにザンザスの視線はいつのまにか、色を認識してしまう程まできらの唇に意識を取られていた。
ふっくらとしていて、無垢そうな唇だと思った。目覚めた日にキスの一つでもしておけば良かったか、と少しばかり後悔した。

そんなザンザスの甘くて少しばかり苦い思惑をきらは全く気付いていない。

だが、テレビを見ているつもりなのにテレビの内容は全く入ってこないのは彼女も同じだった。あのパーティーの日から今日までが夢の様だった、と彼女は自分自身の記憶を回顧していたのである。
初めての友達だと思った青年が、どうなったかきらは知らされていない。
青年の事を聞かなければ、ザンザスの出自の真偽についても何も尋ねなかったのだ。

本当を言えば、少し気になっていた。聞けば話してやってもいいとザンザスは思う様な人だろうか、と思ったが出自については違う気がしている。
きっとこの先まだまだ彼と一緒にいるんだし、答えを急いで聞く必要もない。
どっちだっていいやときらは口をつむぐことを選んだ次第だ。
彼がどんな出自でいても、このボスという立場に就けたのは紛れもない彼の努力である事に変わりはないのだ。

これから寒くなります、というアナウンサーの声が良く聞こえる。そっかあときらはドライフルーツがぎっしりつまったパネットーネをまた大きく齧った。
ぽろり、と小さく生地が口元からこぼれる。膝の上にひいたハンカチに転がったのを確認し、また食べ始めようと口を開けた時だった。

「口についてるぞ」

「えっ?」

ふいに声をかけられきらはザンザス方に視線を投げる。
まだ夕方にもなっていないのに飲んでいる事に驚いたが、まあ珍しい事じゃないもんねと気にするのをやめた。
ワイングラスを持つザンザスの指は長く、しっかりとしている。ネクタイはいつの間にか外していた様で、テーブルの上に置かれていた。ちょっとだけ開いた首元が色っぽい、ときらが思った事もザンザスは気付いていないだろう。

口についた食べかすを取ろうと、指でぺたぺた触るも全くわからなかった。どこにあるのかわからず口を思いっきり拭ったのに取れない様だ。
余程間抜けに見えたのかザンザスがぶはっと声を出してきらを笑う。

「ここだ」

そう言ってザンザスはきらの方へ腕を伸ばした。そっと下唇の端の方へ触れ、食べかすを取った。

「・・・すみません」

「間抜けだな」

そう言ってふん、と鼻で笑った事でザンザスは上機嫌なのだなときらは思った。
きっと自分の頬にまだ手が置かれているのそのせいなんだ、と彼女は恥ずかしさから黙るしかない。

いつしか、その焼け焦げた部分は糧になり得るだろうか。

ザンザスの赤い瞳を見つめながらきらは考える。
きっとこの先も焼け焦げそうな時はあるだろう、時間が経てば焦げが風で吹き飛ばされ、
下からぴかぴかの銀色の生地がまた生まれてくるのだろう。

過去を無かった事には出来ない。
傷ついた気持ちも嘘なんかじゃない、苦しんだ気持ちも嘘ではない。
イタリアに来てからは抑え込んでいた自分の気持ちが溢れてきた日々だった。
無理やりなのかもしれない。でも、その焦げがあったからこそ、
あの青年みたいに自分は憶測で人を強く否定する様な人間にはならないと思うと、
きらは瞳が熱くなった気がした。
今まで側に居てやれなかった、小さな自分に寄り添っている気がしたのだ。

ゆるりときらの瞳に薄い透明な膜が張ったのをザンザスは見逃していなかった。

「泣くんじゃねぇ。何で泣きそうなんだよ」

ザンザスはきらの頬にもう片方の手を添え、顔を優しく包んだ。
泣きそうな顔で彼女は微笑み、ザンザスの両手首に手をかける。
やっぱり肌は不思議なくらいにぴったりとくっついた。
きらは焼け焦げていたからこそ、ザンザスに対して強い絆を感じれているのではないかと思えてきた。

それならば、そうであるなら、せめてもの救いな気がする。
でも辛い思いなんてもうごめんだけれども、こうやって空が晴れていくのだろう、多分ね、ときらは大まかな結論を出した。

「もう、意地悪しないで下さいね」

ザンザスはきっともう後にも先にも無いだろうと思った。
たった一人の女の涙に胸が痛いと思う事も、手放したくないと思うのもきらが最初で最後だと言う事を。こんなにも、自分が誰かに思いを寄せるなんて驚きだったのだ。
自分には感じたことのない穏やかさだった。いつから彼女をこんなにも想うようになったのかザンザスにはわからなかった。けれども、今は永い冬に少しばかりの春が来た様な気持ちだ。

「ああ、そうだな」

この先を想うと不安だったが、きらはこの人と歩めるならばとザンザスの手を強く握った。

「約束してくださいね」

自分の中にある厚くて重い雲、裏側は焦げてしまった銀色の雲、その雲がザンザスの手から伝わる優しさで久遠に輝く月の様になっている気がしたのだ。
勿論、ザンザスはきらの瞳の底から星が見えそうなくらいに輝いているのは自分のおかげだなんて気づかなかった。ただ、目の前にいるきらを愛おしいと思うばかりである。


返事の代わりにきらはザンザスから額に口づけを受ける。
寒くなる筈なのに春の暖かさに包まれている気持にきらはなった。
そして、この暖かさが彼にも訪れ、彼を幸せな気持ちにしてくれるだろうかと思い、少し腰を上げてザンザスの額にも口づけをした。

薄桃色に染まった沈黙がこの後スクアーロに破られ、ザンザスはたちまち不機嫌になるが、
世界中の愛と幸せを独り占めにしているときらは思い笑うだけだった。


おわり


prev / next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -