24.Finally, we can be happy.

ザンザスは暗く濡れた夜の海を思い出した。
なまえに自分の胸の内を知らせた日の夜だ。
彼女がずっと見つめていたものはなんだったのだろうか。彼女ばかりがずっと、ずっと、深い海の底に潜り込んでしまったとザンザスは思い込んでいたが、逆だったのかもしれない。水面に泳ぐ濡れた星を見つけようと、夜空に浮かぶ銀に輝く星に手を伸ばしていたのかもしれない。そして、深い海の底に潜り込んだのは自分の方だったとザンザスはなまえを見つめながら思う。

紅葉に染まる前の今日、秋らしく澄み渡る夜空の下でなまえは自分の作ったケーキの給仕に勤しんでいる最中だ。

「ベル、ナイフ取ってくれる?ちょっと、それはあなたのでしょう」

使用人が朝から庭で煩かったのもこのせいか、とザンザスは納得した。自分と幹部たちを囲む様に打たれた高く細い丸太にはガーランドライトが付けられている。
滅多にしないガーデンパーティー用のテーブルの上には金木犀の花束が生けられており、その側にはいくつものキャンドルが眩い光を放ち幹部たちの顔を暖色に照らしていた。

そう、今日はザンザスの誕生日なのだ。

料理や食事になまえがいつも情熱を向けているのは知っていたし、今日は彼女の趣味の一環で夕食を庭で取るのかと思っていた。彼女が自分の為に作ってくれた所謂バースデーケーキを歌いながら持ってくるまでは。
大きなシフォンケーキにもったりとした生クリーム、その上に腰を据えるのは小さくて瑞々しいラズベリーたち。そして、彼の年の数だけ添えられた小さな蝋燭はザンザスを驚かせた。火を吹き消すのを今か今かと待ち焦がれる部下たちの笑顔に気付いていないふりをしながらもザンザスはそっと吹き消し、祝福の拍手を受け取った。

泣く子も黙る恐ろしいヴァリアー邸の庭で暖かな光が灯っているのは、ランプのせいだけじゃないだろう。ただのランプだと分かっているのに、ランプ以上の暖かさがこの庭には零れているのだ。なまえが持ち込んだ幸福さなのか、親愛なる自分たちの上司を祝う部下たちの祝福の気持ちなのか。

なまえはなんだか結婚式のときよりも、結婚式らしいと思った。ザンザスの左手には結婚指輪があり、なまえの手にもお揃いのものが輝いている。幹部全員揃って食事を取るのは初めてではない筈が、自分が歓迎されている気がしたのだ。幹部内にあった張り詰めた空気はいくばくか和らぎ、結婚式の時以上に穏やかで心地よい食事だった。

そして、一体何がザンザスの機嫌をよくしたのかなまえにもわからない。気づいたら、彼に手を取られてゆっくりと踊っていたのだ。賑やかな庭から離れ、音楽も何もないただの廊下である。窓からは柔らかな秋の月が顔をのぞかせていた。あの日、なまえが癇癪を起こした時の様な激しい太陽はない。秋の、涼しげな月がザンザスとなまえのゆっくりと踊る影をそっと映し出しているだけだ。

それこそ初めは戸惑っていたなまえだったが、どこか嬉しそうに自分の手を取りリードをしてくれるザンザスが可愛らしく思えてしまった。手を高く上げられ回る事を促され、その通りに回ればチュールが隠されたミモレ丈のワンピースは弧を描いた。回り終わり、ザンザスの赤い瞳がなまえを捉える。一体どうして彼の瞳を見て気絶してしまったか、もうなまえにはわからない。もし、誰かが緋色の瞳を持つ穢らわしい者だと罵ればなまえはそれを許さないだろう。かつては自分の無遠慮な言葉でザンザスと衝突したが今の彼女にはありえない話である。

「綺麗だ」

ザンザスの大きな体に背を預ける形でなまえは抱きしめられている。彼の表情を彼女が見る事は出来ない。それでも頬に落とされた口づけは彼女への愛おしさで詰まっている。また手を取られ、彼の腕から解放されゆっくりと踊る事を促されたなまえは照れ笑いを顔に浮かべた。一つ一つの彼の視線も、リードの仕方も、全てがまるでなまえを愛でている様なのだ。ああ、きっと今夜は彼と肌を合わせてしまうかもしれない。なまえは言葉を交わさずとも、ザンザスの熱情を感じ取っていた。

彼の瞳を見るのは恥ずかしい。
それでも、と真珠の濡れた様な輝きを持った瞳でなまえはザンザスを見つめる。
そして、どちらともなく互いに口づけをした。揺らめく湖面に星が沈みゆく口づけである。今まで拒んでいたものと溶け合っていく事をなまえが許した瞬間であった。

「・・・嫌じゃないのか」

「嫌だったらここにいないわ」

ザンザスを上目遣いで見つめるなまえの唇からはすっかり色が落ちている。
月によって透かされる肌は新雪を塗されているが、頬には薔薇が小さく咲いている。あんなにも壊れてしまいそうで、張り詰めていたなまえだったが、今やザンザスの胸元に自ら頭を預けているのだ。

「ずっと、待っててくれてありがとう」

自分の足で歩み行くのは辛く恐ろしい。傷は増えるし、時折歩むのやめたくなってしまう。例えそれが自分の選んだ道でも、歩き切らなければ傷は増えていくだろう。死ぬ以外はかすり傷、だとはいうがそれに賛同出来るほどなまえはまだ成熟していない。生まれた世界に別れを告げ、このほの暗くも激しく燃え盛る世界でうまく生きていくのはまだまだ時間がかかりそうだ。

「あなたが私を想ってくれたから、あなたが私を変えてくれたの」

それでも、彼女は自分の選んだ道への後悔は無い。後悔がなければ彼女は自分自身の選択を責めるつもりもなかったし、疑うつもりもなかった。今ある精一杯の力を振り絞って選択をした自分を讃えたいと初めて思ったのだ。

「そうかよ」

「本当よ。あなたのおかげなの、ザンザス」

初めて出会った頃よりも大人びたなまえの髪にザンザスは触れた。
自分が手に入れたいと願い、夢にまで焦がれた愛するなまえがやっと眼差しを向けてくれている。自分に幸福を振りかけてくれる、愛おしい愛おしいなまえだ。

「あなたが苦しい時も、嬉しい時も、人生のすべての日において」

なまえはそう言って、少し背伸びをしてザンザスの額に自身の額を当てた。
瞳には小さな星がいくつも浮かんでいる。涙でびしょぬれの夏もそこには輝いているだろう。離れようともがいていたなまえの影は今やぴったりとザンザスの影と重なっている。

「私の愛おしい人、私を愛してくれる人」

自分へ愛の言葉を紡いでくれる妻の腰にザンザスは腕を回した。

この先、このまま深い海の底で眠りについてしまいたいと思う事がきっとあるだろう。
でも、なまえの彼を想う気持ちが柔らかくも力強い日差しとなり、ザンザスを水面へと呼び戻すだろう。
この先、息も出来ない程に苦しい夜がきっとあるだろう。
でも、なまえの瞳に輝く星がザンザスの支えになり、ザンザスの彼女を想う気持ちがなまえを支えるだろう。


「ずっと、永久に」

たっぷりと蜂蜜を吸い込んだ満月の様なザンザスの言葉がなまえの耳元で囁かれる。


運命の濁流に飲み込まれた花嫁はやっと、自分を愛してくれた夫の手を握る事が出来た。
そして、ずっと彼女を待ち焦がれ、想い焦がれていたザンザスはなまえの手を放す事はなかった。




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